2011-12-27

12月26日 友人たちとの再会

日本に帰って来て何よりの楽しみはやはり食事。短い滞在で食べたいものをすべて食べて帰るのは至難の業だが、それでもいろいろ食べて必ず太ってかえる。

今日は葉山の友人で昔のウインドサーフィン仲間の土佐洋子がお蕎麦屋さんに来てくれて久々の再会、うれしいなあと思っていたら入れ違いに今度はこれまた昔のウインド仲間の今井雅子から電話があり、これからモエちゃんとお蕎麦屋に行くけど、というのでもう一回お蕎麦屋へ。モエちゃんはパドルボード仲間で彼女もがっちり太腕体型。今井雅子、土佐洋子、安智恵、私とそろったら、同じ学年4人がそろい、かなりの迫力だっただろうなあ。
(マコ とモエちゃん)
午後は釣具店に行き、前回の釣りで足りなかったものなどを購入、次回こそは何かを釣り上げたい。私は釣り自体を楽しいと思っているわけではなくただただ魚が食べたいだけなので、釣れないと楽しくないのだ。

夜はまたまた懐かしい人が電話をくれた、小学校の同級生赤根くん、今年震災で恩師の武田先生を心配してみんなが集まったことからまた連絡するようになったのだ。何年たっても基本はみんな変わらない、赤根君も昔から優しくってみんなを気遣う人だった。相変わらず危なっかしくて突っ走り君の私をきっと心配してくれているのだろう。お蕎麦を食べながら新しい仕事の話などいろいろ聞かせてもらった。
友人てほんとにありがたい。

12月25日 メリークリスマス

もうさすがにこの年になるとサンタさんのリストに私の名前は入っていないらしく、今朝もいつもとかわらない寒いだけの朝。

昔は本気でサンタさんを信じていて一生懸命手紙を書き、クッキーを出し、どうしても相対から眠らずにがんばっているのだが、結局気がついたら朝でサンタさんはクッキーをしっかり食べて帰った後。でもどの家でもお菓子食べてたらお腹パンパンだろうなあ、なんて子供心に不思議に思ったりもしていた。そんな子供の夢をぶち壊しにしたのはひとつ年上のいとこだったが、本当に裏切られた気持ちになったのを覚えている。
私の親友の娘である6歳のスモモはサンタさんにわかりやすいようにと窓のカーテンを少しだけ開けて、クリスマスツリーをその隙間においてよく見えるように、とかいろいろ工夫をし、お手紙を書いて待っていたらしく、願いどおりのプレゼントが届き、空に向かってサンタさんアリガトウとさけんでいたらしい、かわいいなあ。

何はともあれ、みなさんメリークリスマス、あと1週間足らずでなんと2011年も終わり、早すぎる!

12月24日 涙のクリスマスイブ

(何年前の写真だろうか、かよちゃんと将軍がマウイに来たときに撮ったもの)
キーンと晴れ渡った冬の朝、自転車で名越の坂を越えて逗子の会場へ。
かよちゃんの告別式には今日も大勢の人が集まっていた。
来ている人の平均年齢がかなり低いのがつらい。

昨日あれだけ泣いたから(それを覚悟で私はお化粧をしていなかったけれど、大勢の仲間が目の周りを真っ黒にしていたり、ほっぺたに化粧が流れた悲惨な顔をしていて、みんなで笑い泣きしながらからかいあった)今日は落ち着いてお別れができると思ったけどやっぱり涙は出るものだ。

かよちゃんの見つめながらずっと彼女に語りかけているショーグンを見て、まだまだやりたいことがたくさんあって心残りだった出あろうかよちゃんだけど、これだけ愛されていたことは本当に幸せものだなあと思った。挨拶で
「みんなが言ってくださったとおり本当に佳代がいつも笑顔でみんなを明るくする人だった。そしてその彼女の恩恵を一番受けていたのが僕でした。佳代と知り合った19年間、結婚してからの11年間のすべてが本当にすばらしかった!最高だった!」と強く語っていたショーグンは本当に素敵だった。
心から愛することはときに傷つきやすくもなるだろうけれど絶対に人を強くする。
涙は浄化作用があるというけれど、こんな大きな悲しみはなかなか浄化されるものではないかもしれないけど、それと同時にかよちゃんがいかにみんなに愛されていたか、家族やショーグンとの絆が深かったか、感じることのできるお別れ会だった。

今年は本当に愛や生きること、死ぬことについていろいろ考えさせられた年だった。でも結局は人生がどんなに短くても長くても、他人から見て平凡でも悲惨でも、自分が一生懸命生きていればそれが一番なんじゃないかと思う。一日一日がいかに貴重で大切なものか、それをクリスマスイブに実感させてくれたかよちゃんに心から感謝。

仲間内で話していたことだが、春暖かくなったころ、ちょうど100日になるころに、今回来れなかった仲間たちにも集まってもらって、海でかよちゃんを思って花をささげられたらいいね、というアイデアが生まれた。ショーグンにも来てもらってみんなで、かよちゃんと一緒に春の海で集合しようと。
実現しますように。

12月23日 将軍の涙

すべての出来事に意味がある、そう私は信じているけれど、それでもその出来事に何の意味があるのかわからないこと、起こらなくてもいいじゃないか、と思えることはいくつもある。

96年から続いているサクラキャンプの第2回に参加してくれてからずっと今まで親しいお付き合いをさせてもらってきた仲間のかよちゃんのお通夜にいってきた。私たちにとっては本当に突然のことではあったけれど、後で聞いたところ10年間病気と戦ってきたのだそうだ。

かよちゃんは大学の学生時代に学連のウインドサーフィン部でウインドサーフィンを始め、同じ部で知り合った彼とずっとお付き合いをし、二人でウインドを楽しんできた、そしてめでたく結ばれ、元気な男の子も授かり、いつ会っても二人でニコニコ、ウインドに励んでいて、周りにいるみんなまで明るい気分にしてしまう素敵なカップルだった。

始めて御前崎のキャンプに参加したときのことも今でもはっきり覚えている。当時もおちゃんのライバルとして二人で切磋琢磨ぐんぐん伸びていたツグミちゃんの大学時代のお友達だったかよちゃん、ツグミちゃんともあったとたん懐かしそうにジョーダンをぶつけ合いながら、なれないウエイブに挑戦し、終始笑いを振りまいていた。
その後も毎年参加してくれ、いつしか同行するボーイフレンドの将軍(ニックネーム)もサクラキャンプの常連となり、キャンパーが一生懸命アドバイスを聞いているそばで耳を大きくしながら話を聞いていたりしていた。
夜は夜で女の子同士が盛り上がってるなか、毎年奥さんやガールフレンドのお供で御前崎で再会するご主人同志たちもどこかで一緒に飲んで、ウインドサーファーの相棒を持った男の愚痴をわかちあっていたらしい。ショーグンもそんな仲間ができていたようだった。

二人のホームゲレンデは三浦、そして冬は御前崎、夏は本栖湖などにも遠征し、とにかくいろんなところに二人できていた。
マウイのサクラキャンプにも二人で参加してくれ、ショーグンはサクラキャンプのマスコットボーイだね、なんていわれるほどだったのだ。

誰もがかよちゃんというと笑顔とあの明るさのことを口にする。私も彼女のがハハハという笑顔以外の顔が思い出せない。とにかく誰に対しても明るく、さっぱりしているけど周りに気を使っていつもいい雰囲気を作ってくれていた。マウイや御前崎で会ってもいつもショーグンとジョーダンを言い合いながら、ウインドを楽しんでいて、二人であそこまで一緒に夢中になれる共通のものがあるって素敵だなあと乙もほほえましくおもっていた。

そんな彼女だからこそ、病気になっても誰も気づかなかったし、明るく振舞っていたから心配もしなかったのかもしれない。数年前に体の具合があまり良くないといううわさを聞いたと気も、まさか大病だとは思わず、「そういう時期は誰でもあるだろうし、あせらずまずは体を直してそれからまたウインドしたくなったらすればいいじゃん」なんておもっていた。

今年の夏、もおちゃんのところにかよちゃんの親しい友人でもある理恵ちゃんからメールでかよちゃんの具合はちょっと悪化してきているという便りをもらったとき、私ももおちゃんも本当にびっくりした、まさかそんなことになっているとは思いもしなかったし、以前の病気もとっくに治っているとおもっていたのだから。かなりおもいということを聞いて、何かしたいという気持ちはみな一緒だったし、元気を出してもらいたい、励ましたいとおもったけれど何を言っていいのか、何ができるのか、反対にへんに行動したら傷つけたり嫌な思いをさせたり、負担になってしまうのではないかといろいろ考えた。
サクラキャンプ内でかよちゃんと親しかった仲間内でもそれぞれがいろいろな思いをもっていた。
それでも結局、ビデオレターでそれぞれのメッセージを取って編集したもの、それからそれぞれが小さな布にメッセージを書いたものを縫い合わせてブランケットにしたものを送ることにした。
ビデオメッセージも、寄せ書きブランケットの布も、本当に全国あちこちから送られてきた。みんなかよちゃんの明るさに触れて、ウインドのすばらしさをシェアしてきた仲間たちで、かよちゃんのニュースにびっくりして、何かしたいという気持ちからだった。
押し付けがましいことはしたくなかったけれど、みんながかよちゃんのことを忘れずにいること、そして一緒にいつかまたウインドをしたいと心からおもってること、またウインドからは遠ざかってしまっているけれどサクラキャンプでの思い出や仲間は一生ものだとおもってることなどをそれぞれ自分らしさいっぱいにビデオにとってくれていて、私宛のものでもないのに、私が見ても懐かしさとうれしさに感動した。

みんなが押しかけると帰って大変なのでかよちゃんと親しい仲間が届けてくれ、その後も様子を見たり、マッサージに言ってくれたりしていた。
今回日本に帰ったときにもしも彼女の具合がいいようだったらぜひ会いたいなあといっていた矢先だったのに、こんなことになってしまって本当に残念で仕方がない、でも理恵ちゃんのおかげでみんなに声をかけてかよちゃんに少しでも気持ちを伝える機会があったことを本当にうれしくおもう、私たちがかよちゃんを以下に大切な友人だとおもっているか、そして彼女の明るさにインスピレーションをもらってきたか、そして今まで病気と向き合い、がんばってきたことにどれだけ感銘を受けているか、たぶん伝わったような気がする。

お通夜で喪主の席に座っていたショーグンは来てくれた人たちにお礼を言いながらもちょっと触れたら壊れてしまいそうな表情、泣き顔から普通の顔に戻らないような、そんな顔で座っていた。必死に崩れてしまわないようにがんばっていた。
ショーグンのぐしゃぐしゃになった顔からこぼれて来る涙に胸が締め付けられる思いだった。

みんなからショーグンと呼ばれている彼だが、そのニックネームの由来を聞いたところ、笑ってしまった。
明るくて人付き合いが得意なかよちゃん、そしてどちらかというと内気そうなショーグンだが、ショップ仲間の中で話しているときに、「お前のとこは元気なかよちゃんの尻にしかれてんだろう」とか言われたときに「いや、俺は家では将軍だ!」と豪語したことからそのニックネームがついたのだとか。
かよちゃんは明るくて元気だけど、でもいつもショーグンをたてることをわすれない、優しい奥様だった。たぶんほんとに将軍様のような気持ちにもさせてもらえるくらい優しかったに違いないけど、そう強気の発言をするショーグンを手のひらで転がしているかよちゃんが目に浮かぶからおかしい。

残念ながらそんなに二人と一緒にすごす機会は多くはなかったけれど、でも楽しい思い出はたくさんある。二人は何年たっても学連時代の延長みたいな雰囲気で、周りを笑わせているかよちゃんをショーグンがいとおしそうに見ていたのを覚えている。
ショーグンがどれだけこの10年間かよちゃんと一緒にがんばってきたかは、想像もできない。
そしてお通夜の席では明るく、わざとぶっきらぼうにしているかの様子の真優、彼がいることがショーグンの救いあだなあ、とおもった。まひろがいなかったらショーグンはきっとあまりに空虚すぎて何もやる気がなくなってしまうだろう、でもまひろがいるからきっとがんばれる、誰よりもきっとさびしい思いをしているまひろが彼なりにがんばっている様子は泣いてる彼を見るよりつらかった。

ウインドの仲間も遠くは浜松や御前崎からもわざわざお別れに来ていた。かよちゃんの人柄から本当に大勢の人が儀礼でなくどうしてもお別れがしたいからとやってきている夜だった。

終わったあと中まで食事をしながら話していたときも、涙しながらもおかしなエピソードが次々と思い出されて泣き笑いだった。ほんとにいい仲間だったし、これからもかよちゃんのことはみんなが集まるたびにわだいに出ないことはないだろう、かよちゃんありがとう。そしてこんなすばらしい仲間とつなげてくれたウインドサーフィンに改めて感謝。

お通夜だけ参加させてもらおうとおもったけれど、とてもお別れしきれない、そしてここに来ることのできなかった全国のサクラキャンプの仲間たちの思いを感じてあすの告別式にも参加することにした。こうして日本にたまたま帰っていたことも何か意味があるのだろう。
なんだかいろんな思いがぐるぐる頭の中をめぐってうまく言葉にできないが、ほんとに生きるって大事なことですばらしいことで、一生懸命一日一日を過ごさなくちゃいけないなと実感した。
そしてそのすばらしい見本を見せてくれたかよちゃんにアリガトウと伝えたい。

12月22日 真鶴でSup fishing


朝からお腹がはちきれそうな朝食を頂、ぎりぎりまでお風呂であったまってから出発、のんびり海産物のお土産やさんで試食めぐりをしたあと舞鶴へ。

ヨガや東北での活動で知り合ったコスミックヨガというスタジオをやっている晶さんに電話すると、ちょうど出るところだけれどちょっとだけ会えるというのでご挨拶、そのままスタンドアップが出せそうなところを教えてもらう。舞鶴はさすがに水がきれい。岸壁には何人かの釣り人もいてなんだか魚が連れそうな雰囲気をかもし出してはいたけど、私は出たとたん根がかりでボーズ、それでも岸壁に沿って漕いで、奥にある漁師さんたちが作った基地のような場所を見つけたりしながら漕いでいたら寒さもなくなってきて気持ちよさがましてきた。

結局ボーズで終わったけどどんなときでも海は出ないよりは出たほうがいい。
それにしてもここ数日は寒いなあ。

12月21日 伊豆のヴィラ白浜

(とっても素敵でナチュラルな相馬夫妻)
御前崎が吹いてそうな冬らしいお天気、こういう日は寒いけど空がシャキーンと気持ちいい。
スタンドアップボードと釣り道具を乗せて伊豆にくり出した。
前回行きたいと思っていながらいけなかった大好きな場所のひとつ伊豆下田にあるヴィラ白浜にお邪魔してみた。電話してから行こうとおもっていたのに気がついたらもう下田に来てしまっていたのでとりあえず細い坂道を登ってヴィラまで。

ヴィラ白浜のロケーションは限りなくマウイ、それも私の住んでいるハイクに似ていて、緑深い森のなかにあり、白浜の波が見下ろせる。
そこにオーナー家族が時間をかけていろいろ改造したり、加えたりした貸し別荘の施設があるのだが本当に居心地が良く、友人や仲間にも紹介するとみんなそろってとっても気に入ってしまいリピーターになってしまうほど。
マウイレインボウリトリートの同窓会やミニリトリート、パタゴニアの集まりなども開催させてもらっているのだ。

駐車場に車を止めると、不思議そうな顔をしたオーナーの相馬さんが作業着で出てきて、私の顔を見てびっくり。
「イヤー予約があったのに忘れてたかとおもってあせったよー」と迎えてくれた。
一緒に行った一平くんの生蕎麦をプレゼントし、しばしコーヒーおやつタイム、話し込んでいると今度は奥さんのともこさんが帰ってきた、これまたびっくりしてくれた。
来るたびにどこかしら新しく素敵な設備やスペースが出来上がっていてますます居心地が良くなっているヴィラ白浜。
家のすぐ横にある畑は生前とはしていないけれど伸び伸びと育った無農薬のお野菜でいっぱい。お野菜や手作りの麦茶などたくさんのお土産をいただいて帰ってきた。

相馬さんファミリーの生活は私の理想とするところ、仕事は大変だけれど、体をたくさん動かし、住んでる土地から取れる海産物や野菜、果物などを最大限に利用、貯蔵、楽しみ、ヨガや海で大いに遊び、手作りでいろんなものを作る。近所の仲間との付き合いや家族関係なども本当にすばらしい、自然とのバランスのよい生活はヴィラ白浜を訪れたお客さんにもすばらしいインスピレーションを与えてくれるし、少しでもそれに近づきたいと思わせるものなのだ。
今度はもっとゆっくりお邪魔したいとおもう。

その後外浦湾まで行ってみたものの、結構風も強くあまりに寒くて海に入る勇気が出ず、また北上。伊東付近にある温泉へ。
丁寧に作られたコース料理、キーンと冷える夜に3つの温泉風呂をめぐりながら久々にのんびりリゾート気分を味わえた。

12月20日 7’3ナッシュのスタンドアップボード

今回はスタンドアップ用のボードを持って帰ってこなかったので、ナッシュの伊佐さんにお願いしたところ、7’3のボードを貸してくれた。いつも嫌な顔をせず、貸せるものをわざわざ家まで持ってきてくれる伊佐さん、そしてナッシュジャパンには心から感謝している。ナッシュほどスタンドアップボードのラインナップがそろっているメーカーはない。そのなかでも7’3はたぶん一番短いとおもうし、ほんとに乗れるのかなと心配でもあるが、絶対に私より体重が多い(と願う)タカこと、釜口プロが乗っていたというので、ちょっと楽しみでもある、なんといってもいろんな板を試していろんなライディングが楽しめることはありがたいし、いろんな板に乗ることでさらにどんな板が自分にあっているかも把握できるとおもうから。

というわけで今回の日本滞在はこのちょっと太めで背が低めの彼がお相手、ショアブレイク、ビーチブレイクの由比ガ浜には結構いいんじゃないかな?

2011-12-26

12月17日 アットホームな発表会

今日は母の生徒さんたちの音楽の発表会。
母がその準備に一生懸命だったのも良く知っているし、姪っ子、甥っ子もでる、その上なんと弟のお嫁さんが今年から母にバイオリンを習い始め、毎日地道にギーコギーコ練習し、彼女も発表会に出るのだというので、これは行かないわけには行かない。
母 のバイオリンの生徒さんと母の友人のピアノの先生の生徒さんの合同発表会だが、甥っ子、姪っ子、その伴奏をいとこがして、弟のお嫁さんも出るし、客席のほ うにはたくさんの親戚もきていた。昔から知ってる生徒さんたちも出るのでなんだか家族総出演の会のようでおかしくもあった。

小さな子達が おしゃれをして姿勢をしゃんとただし、一生懸命バイオリンを引いている様子はとってもかわいらしかった。そしてびっくりしたのはお嫁さんの幸ちゃんが、 きっと本当に練習を重ねてがんばったのだろう、夏に聴いたときよりずっと上手になっていた。大人が小さな子達よりも初歩的な曲を一生懸命弾いている様子を 知らないお客さんたちがどう見ていたかはわからないけど、私は彼女の一生懸命さと回りを気にせずがんばる様子に感動したし、さすが打ちの弟がほれ込んだお 嫁さんだけあるなあと、誇らしかった。

母もがんばって練習していたかいあり、難しい曲を何とか弾きこなし、発表会は最後にみんなが総出演で赤鼻のトナカイさんを歌って終了、なんともアットホームないい会だった。やはり生活のなかに音楽が身近にあるのって素敵だなあ。

12月16日 寒い!と 食べる!

昨日空港についたときはそう寒いと感じなかったのに今朝起きてみると、寒い!布団から出るのにとっても勇気がいるし、嫌いな靴下も履かずにはいられない。
体をあっためたいからあったかいコーヒー、それも砂糖入りが飲みたくなる。とにかく寒いから何でも食べて燃料にしたいと体が訴えるのか、それともただ日本食がうれしくて自分が食べたいだけなのかはわからないが、目に付くものなんでも食べたくなる。

お昼にウインド仲間のいいともと里ちゃん、そしてヨガの先生の暁子さんともう一人の生徒さんとおしゃべり。彼女たちはちょっと前に一緒につくった酵素ジュースの試飲会をかねての集まりだったので一人ひとりの酵素ジュースを私も飲ませてもらったけど、おもったよりずっとおいしくてびっくり、これで体にとてもいいのならぜひぜひ次回は私も作り方を教わりたいなあ。
里ちゃん、いいともとはここの所、共通の友人が病気になってしまったことで連絡をちょこちょこ取っていて、彼女たちはちょくちょくお見舞いにいったりマッサージをしてあげたりしているようで様子を教えてくれた。今回ぜひあいに行きたいと思っていたのだけれど、またちょっと具合は悪化して入院中とのこと、残念だけど早く良くなってほしいものだ。

12月15日 日本到着

14日の夕方ホノルルを発ちいくつかの機内上映の映画で涙を流しているうちに羽田到着、そして日付は変わり15日の夜となっていた。
迎えに来てくれた友人は会ったときからなにやらにやけていて、何かとおもったら、
「いやあ、実は今日めちゃくちゃいい波乗っちゃってさー、そんな子というとうらやましがるからかわいそうかとおもっていわないでおこうかなと思ったんだけど」といいながらずっとその楽しかった波乗りのことばかり考ええいるようでニヤニヤ、ああ、マウイを出発したときも逃した志士、こっちでも一日違いで逃したか!なんだかカボベルデに始まってずっと空回りしている感じ。あせらずその場その場の状況を楽しめという戒めかなあ。

覚悟していた寒さは何とかなりそうな感じで、久々に冬の日本滞在です。

2011-12-20

12月14日

マイレージを使っての日本行きが昨日取れて急遽今日日本に帰ることになった。
ン網はありそうだけどここの所雨が多く風が吹いてもいまいちのコンディションだったので今のうちに帰って、また戻ってきたころにビッググラッシーウエイブになればいいなあとおもっていたけど急に天気予報が変更になり、今日は風のないいいコンディション、出発前にちょっとだけでもカナハで波乗りしたいとおもったけど急いでパッキングしたあといってみたらちょうど風が上がってきたところだった、残念。とりあえず海に飛び込んで、それからビーチでシャワーを浴びて空港へ。

最近は寄るホノルル発の羽田行きの便を利用しているが本当に楽。そのままついたらベッドに入り、翌日からはあまり時差ぼけもなく過ごせるから。

今年はクリスマスもお正月も日本で過ごす、何年ぶりかな?

2011-12-15

12月13日 やっと海に入れた!

夜まで吹いていた風が弱まりハイクでも雨が降っていない朝がやってきた。

カナハをチェックするとかがみ状態だが、ワイルクに住むランディーからアンドパイルならウインドスウエルでちょっと乗れるというので急いでいってみた。寄れててばたばたした波だけれど久しぶりに風がないので乗れる。ここしか乗れるところがないので結構込んではいたが、スタンドアップで300メートルほど先にある湾まで行くとそこは誰もいなかった。波も十分乗れるサイズ。
本当に久しぶりのスタンドアップ(一ヶ月以上ぶりじゃないか!)だったのでなんだかぐらぐら安定しない。それでも海に入って体を動かせることがうれしい。それにしても体がなまっているのが良くわかるちょっと漕ぐだけで息が切れたり。

20分ほどしたところでセットに後ろからまかれたときに勢いでリーシュが取れてしまった。波が小さいと甘く見ていたみたい。
波もそれほどなく、カレントも強くなかったのでよかったけど甘く見ていた。なまった体で久々に泳いで息が切れてしまい、大反省。やはり日ごろからギアのチェックを怠らず、また波がなくても漕いだり泳いだりしていないといざというときに大変なことになる。特に今日は一人きりで周りに誰もいなかったのでカレントが強くて流されていたら大変だった。

とはいえ海にやっと入れて気分すっきり。上がったと同時にオンショアが吹き始め、終了。

12月12日 雨足弱まるが波なくなる

今日もハイクは雨、部屋がどこもなんとなく湿っぽく、かび臭い感じ。

カフルイは曇りで雨は少ないようだけれど何しろ波がぜんぜんなくなってしまい、カナハは鏡のよう。
キヘイやワイルクの友達に電話してもみんなあまりいい返事をくれない。

どうせなら日本に帰るのもコンディションの悪い今のうちかなという気持ちになってきた。チケットを買うお金はないのでマイレージを使うのだが、年末は大体混雑していてチケットが取れないことが多い。なのに問い合わせてみたら結構空席があり、チケットが取れそうだ。
というわけで急遽年末とお正月は日本ですごすことになった。

でも、そう決めたとたんこっちのコンディションが良くなったりして。最近被害妄想の気まで出てきたか、、、

2011-12-12

12月11日 ザーザーの大雨

今日こそはと思っていたのに今日はさらに雨が強い。もともと雨が多い私の住んでいるハイクだけでなく島全体が雨。ウエブキャムを見ても雨でカメラに水滴がついている、雨でも風がないとかちゃんと吹いてるなら何かしらできるのだがオンショアでガスティーと最も使えない風が吹いてしまっていて波もないのでどうしようもない。

この3日間で3ストライク、アウトって感じ。まあ、去年おととしが歴史に残るほどいい冬だったから、あまり良くない冬になってもおかしくはないんだけど。

12月10日 二日連続空振り

昨日流されたディランとカートは今日はビーチにもやってこなかった。今日も雨交じりの一日。というか昨日より雨が多い、でも乗りたくて仕方ないのでしばらく様子を見ながら待機。

ビジターカイトサーファーが何人か同じようにビーチで様子を伺っている。クルーザーが来て風もちょっと上がってきたようなのでよし、一緒に出ようということになりセッティングをしたけれど、彼が出たとたんまた風はやんでしまった。レインズを良く知っているクルーザーは雨雲が近づいてきた時点で急いでタックして風上に上り、そこから風がやみ始めたなかを何とか下させながらもときた場所に上陸。とりあえずビーチまで戻ってまた風が上がるのをまとうということになった。
が、残念ながら風はなかなか上がらず雨は強まるばかり。


もうレインズはあきらめてカイトビーチに移動しようかと思ったけどカイトビーチから来た人がカイトビーチも無風になってしまったというので結局今日もノーカイトのまま終わり。

ツーストライクでためいきつきながらの帰宅。海に入らない日が続くと気分がめいってしまう。あったかいだけでもありがたいことなのに。自分に自己嫌悪。

2011-12-11

12月2日 大会一日目

(Maui crew in Cape Verde,Patri, Brad and Jesse )

朝8時のミーティングに間に合わせなくてはいけないのに、ホテルの朝ごはんは7時半から、そしてお昼はないので朝ごはんのビュッフェで何とか食べるものをもちだしていく。

結局波がないので今日は12時までは延期、トラックをシェアしている仲間と一緒にまず町に出て用事を済ませ、12時にもう一度行くが結局今日はキャンセル、その後みんなで他のスポットをチェック。

シークレットスポットは波のないカリフォルニアみたいなコンディション(弱いオンショアで腰くらいの波が割れているなか、選手は大勢練習していた)

これではあまりに忍びないともう一箇所さらに奥にあるポイントに行ったが、確かにこちらは頭くらいの波が割れているのだが、海に出るのがとても大変な岩場で、そこまでして乗るだけの波ではない。

乗りたいのは山々だし、カボベルデに来てから初めてまともな波を目にしたのだが、ぎざぎざの岩場ぎりぎりに割れている波とは知れるかは知れないかの強さの風、でそこまでして乗るだけの価値はないし、今ここで怪我したりフィンを待たなくしてしまっては大会に出られないので出ないことにした。

出ないでおいてよかった、出ていたメンズの一人は膝下をざくざくに切り、もう一人はうにが刺さってひどく痛そうだった。そしてみんな風がなくなりかなり下って歩いて帰ってきた。

ほんとに明日は波が上がってくれるのだろうか。ポジティブな気持ちを持っていないとだめだし、どんなコンディションでも楽しまなくてはと思うのだけれど、やはりお金をかけてここまで来たのでついついいいコンディションを期待してしまう。大きな波がきていて、グラッシーですごくいいコンディションだというマウイに早く帰りたい、という気持ちがむくむくとわきあがるのを必死に抑えて、せっかくここまで来たことを楽しもうとがんばっている。

でも毎日朝昼晩のビュッフェくらいしか楽しみがなく、そのビュッフェももう完全に飽きてきた。ふう。


2011-12-10

12月9日スコール続きの一日

昨日カイトビーチでも楽しかったけれど帰り道レインズはすごくよさそうだった。今シーズン一番大きな祭事だったらしい、乗ろうかなとも思ったのだが、帰ってきたばかりで隊長も万全ではないし申す伝3時ごろだったので明日にしようとそのまま帰宅。
ジョーズもちょっと割れていて若手ローカルサーファーたちがパドルでサーフィンしていたようだ。とはいっても12月にもなって一回もジョーズがちゃんと割れていないなんてかなり珍しい、今年はほんとに大きなうねりが来ない。

というわけで今日は絶対レインズと決めて朝からやる気満々。 雨交じりでなんとなく怪しいけどとりあえずセッティング、でも昨日も結構みんな雨で風がなくなり、遠くまで泳いだらしい。
今日もいざ出ようというときになってザーザーブリになり、待機してたら風がぴたーっとなくなってしまった。ちょっと前に出たディランは何とかママスに引っかかるように泳いで帰ってこれたが,もう一人のカートは微風やアンダーサイズの達人にもかかわらずはるか沖でカイトを振り回しながら必死に岸に戻ろうとしていたけどたぶんあの距離ではパイアにたどり着くのがせいぜいだろう。

あきらめきれずにずいぶんとかぜ町をしていたが、ちょっと風が上がってくると次に雨雲がやってきてザーッと降り、風がやむことの繰り返し、たぶん3回雨にやられてからあきらめて撤収。

明日こそは乗れますように。

12月8日 Fun waves at Kite beach

12月7日 Finally Home!

カボベルデを夜出発、翌朝ポルトガルに着き、ロンドン、ニューヨークと飛び、夜中にLAの空港に到着、そこから次の朝まで空港で待つ。ホテルを取ろうにも空港からホテルに移動したりチェックインすることを考えるとホテルにいられる時間は数時間、そのために100ドルくらい払うのは勿体なので空港内で居心地のいい場所を探し、充電などしながらヨガマットをしいてごろごろしながらインターネットで電話したりして時間をつぶす。インターネットを利用して無料で国際電話ができるようになった世の中はとってもありがたい。

実際の飛行時間だけでもおそらく30時間近いのではないだろうか、それにレイオーバーの時間を足すとほんとに気の遠くなるほど遠いところに旅した気持ちになる。

LAからマウイへの飛行機に乗り込んだときには、まだこれからさらに5時間条あるというのにもう家に帰ってこれたような気分にさえなった。

お昼過ぎにかおるちゃんが飛行場に車を持って迎えに来てくれた。彼らも3ヶ月滞在の予定が急遽ご家族に不幸があり明日帰国することになったらしい。一緒に遊べなかったのは残念だけど人目だけでも帰る前に会えてよかった。

コンディションはよさそうだったけど、またもや私のギアは到着せずだったので海にはいけず。夕方には時差ぼけか、ただの長旅の疲れか、ベッドに入って気絶した。

Home sweet home.こんなにマウイに帰ってこれたことがうれしいのも久しぶりかな。

12月6日 Good Bye Cabo Verde

12月5日 Expression Session at Kitebeach

(ローカルキッズのカイトビーチでのトリックはすごい、スピードも高さもある上にストラップレスでのバックループやカイトループとランジッションなど、なぜ足が板についたままのか理解できないような技を見せつけ他の選手と完全にレベルが違うところにいた、Rider Airton)

今日も波は上がらず、このままでは新しくうねりがくるよ艇もないし、日程的に正式な大会が行われる可能性は少ないだろうという雰囲気が回りに漂っている。
今日は場所を変えてカイトビーチでのエキスプレスセッションが行われたが、わたしたちは昨日乗った場所へ。残念ながら波のサイズはかなり小さくなっていて岩場ぎりぎりのところで割れているのみなので乗れない。昨日のセッション会場であるシークレットスポットにもいってみたがさらに渋いコンディション、結局カイトビーチのエキスプレッションセッションをやってるところに戻ってきた。

ここ数日、コンディションも悪い上に大会も成立しない空気が濃くなり、選手の中でも帰りたいという人が増えてきた。一緒に車をシェアしていたチリからきていた二人組みも、予定を変更して波のあるポルトガルで1週間過ごすことにし、今晩カボベルデを出発することになった。これからもさらに1週間波のないカボベルデに滞在し、レンタカーなどでお金もかかることを考えると私もチケットの変更量を払っても波のあるマウイに帰りたい気分がどんどん強まってきた。(今回いつも一緒につるんでくれたメリッサ)
カイトビーチのかなりさびしいコンディションの中プロコンテストと認めたくないようなレディースクラスのパフォーマンス(かといって私が出ていたらさらにひどい有様だったと思うけれど)を見て、本気でチケットの変更を考えるようになり、夕方から夜にかけて調べて回った。

そうと決まれば話は早いもので、一気にもう深夜の飛行機でリスボンまで飛ぶことにした。インターネットでなかなか電話がつながらず確実に変更はできなかったものの。リスボンまでいってえしまえば何とかなるだろうと、とりあえず急いでパッキング。チリコンビと一緒に飛行場へ向かった。

それを見て自分たちもマウイに帰ろうと一生懸命横でいろいろ問い合わせていたパトリとジェシーは彼らの乗る飛行機会社は通うと金曜しか飛ばないので金曜日までカボベルデを出られず、うらやましそうだった。
特にパトリはかわいそうなことに、私がカボベルデに来るさらに1週間以上前からカボベルデに入り、ノースチームの撮影のため、ボートトリップをしていたのだ。ボートでのサーフトリップという夢のようなシチュエーションにもかかわらず結局そのあいだに波は一回も上がらず、風は吹いていたけれど乗ったのはレースボードのみというなんともかわいそうな1週間、そしてその後も波もなかったわけで1ヶ月間波のないカボベルデにいたのでほんとに今にもキレてしまいそうだった。

何とか次に来るマウイのうねりには間に合うといいのだが。今回仲良くしてくれたルームメイトのメリッサ、昔からの友達でメリッサを気に入ってかなりプッシュしていたジェレミー、そしてマウイメンバーのジェシーやパトリはいつも気楽で楽しく過ごせるいい仲間だった。
今回本当に波が来なかったのは残念だし、もうまたこれるかどうかわからないほど遠くにある島なので、このままお金だけかけて何もできないまま帰るのはとても悲しいけど、それでももういいかな、そんな気持ちだ。また来たい気持ちもないわけではないけどリスクをかけてまた自分のお金をこれだけかけてくることはないかもしれないなあ。

でもストラップレス、オンショアなど自分がやってこなかったライディングへのモチベーションも上がったし、学んだこともあった。
どんなたびでもいろんな意味や学ぶべき事がある、そこから成長していければいいなと思う。
まあ、何はともあれ、カボベルデにヤキを入れられた感じ。みなさんいろいろありがとう。

12月4日 Experession Session at Secret spot

朝起きるといつもより風が強かった。今日は乗れるかもしれない、その上波も上がる予定、はっきりいって今日を逃したらこの先波は上がりそうにない、予報では今日が一番大きなサイズで、これから先はずっとまたあまり波が来ないのだ。

トラックをシェアしている仲間を待って少し遅れてミーティング場所に到着すると他の選手はすでに用意を始めていた。結局メインの会場であるプンタプレタでは波は小さすぎるので、シークレットスポットへ移動することに決まったようだ。波のサイズは正式な大会をやるには小さすぎると判断し、ポイントのつかない、エクスプレッションセッションがやりたい人たちのあいだで行われることになった。

シークレットスポットに行ってみるとかなり小さい波、とはいえセットは頭くらいはある、でも別のスポットではさらに大きな波が入っていることがわかっていたので私がトラックをシェアしている仲間たちはみんなセッションには参加せず、そちらに行くことになった。

そのスポットは数日前にあまりに出る場所の岩がぎざぎざで危険だからとても出たくないと思ったところなのだが、今日の波はすごくよさそうだった。そして数キロ風上にある湾から出て行って下っていけばいいことが判明したのでちょっとっびびりながらも出艇。先に出ていたメンズはみんな大柄なのに7mで出て行ったので自分が5.5mではちょっとオーバーなのではないかと心配にはなったけれど、出てみたところ何とかなりそうだった。

セットで4ftくらいだろうか、風向きも波の感じもフキパに似ていて楽だったし楽しかった。そのうちかなりオーバーになってきたのでさらに下って大会会場までいって終了。こちらは波が小さくよりオフショア気味、セットで頭あるかないかでパワーのない波だった。これで乗るくらいだったらやっぱり私が乗っていたところで乗ってよかった!そう思えたけどせっかくだからオフィシャルではなくても女の子たちとセッションしたかったなあという気持ちもなくはなかった。

(セッションのウイナーアドリアナ、ストラップレスでもしっかりレールを入れ、オフザリップもかっこよく決めていて感動、そのうえ彼女は私よりも小柄)

エクスプレッションセッションでの優勝はメンズがエアルトン、パワフルでトリッキー、そして見ていてもほんとに派手なアクションとフローの連続、彼のライディングはすばらしい。まだ17歳の彼、これからが本当に楽しみだ。レディースはオアフから来ていたアドリアナ・ハーレム、昔からストラップレスライディングをしているブラジリアンの子だということで話は聞いていたけれど、4mで乗れるくらいの風のなかでもこのショットのようなライディングをストラップレスでできるのはすばらしい、彼女を見て、自分もマウイは風が強くてバンピーだからなんていういいわけはせずに少しずつでもストラップレスを練習して意向と決心した。コンディションには恵まれてないけどこういう刺激やインスピレーションを与えてくれる人たちをマジかで見れたことはうれしいと思う。

12月3日 2ヒート消化

今朝も6時半起床で朝ごはんへ。7時半のオープンの朝ご飯を急いで食べて8時からのミーティングのためにビーチに急ぐ、波は昨日より心持ち上がった気がする。たまにセットで頭くらいのがくるだろうか。今日は大会をやりそうだ。

風はほとんどオフショアだけれど、ここではそれが当たり前なので、文句は言えない。風もかなり弱いけど、私は小柄なので誰かが走るコンディションなら私は走るはずだ。

少なくともやったこともないレフトやオンショアのコンディションではないので文句はない。やるしかない。

(Local rippers Airton and Machu)

風が上がらないまま大会のヒートが始まってしまったのでウオームアップの練習は出来ずじまいだったが、途中で風が弱すぎてヒートがキャンセルになったので一度海に出てみた。が、あまりに大勢の人が出ていて、その上波がないのでとてもじゃないけど乗れない。特にアグレッシブでない私は大声を出して波に乗ろうとしている男性軍たちに押されてすぐにあがってしまった。波には一本も乗れなかった。その後もう一度人が少なくなったので出てみたけど、今度は波が見つからない。結局そのときは風がさらに落ちて岸に戻れなくなりそうだったのでまたもや一本も波に乗らずじまいで終了。

まあ他の女の子もおんなじ様なものだったみたいだけど、ほんとにこの旅では謙虚にさせられっぱなしだ。謙虚どころか自信を完全に喪失。

午後から波はセットでタマにいいのが入ってくるようになった。波がちゃんと割れればきれいなチューブになるし、スピードもある、かなりのオフショアなので私には難しいが、上手なメンズは上手に波に乗っている。ローカルのミツやエアルトンは岩場ぎりぎりのところでも完全に波と岩を知り尽くしている様子でメイクしていく。きっと彼らほど波が大きくいいコンディションになってくれることを願っている人たちはいないだろうな。せっかく地元で大会があるのだからみんなにいい場所であることを見せたいだろうになあ。


結局今日は2ヒート消化したのみで終了。この調子だとヒート消化できないかもしれない。

12月1日 大会前夜

せっかく大会前にコンディションに慣れたいと10日前きたというのに結局一回も練習できず。その上お腹は下すわ、マウイはいい波が来てるわ、とほほ、という感じ。
明日から大会なので選手もみんな集結。

今日はほんのちょっとだけカイトビーチで乗った。9mで走るかは知らないかのオンショアコンディション、マウイでだったら絶対に乗っていないだろうなあ。

夜はホテルで大会のレジストレーションがおこなわれた。
いろいろトラブルがあってオーガナイズのほうも大変そう。KSPのヘッドをやってるクリスティンもここ数日ほとんど寝ていない毎日だった。良くがんばってると思う。

ああ、予報ではあまり波がこなさそうだけどどこかで奇跡が起こっていい波がどーんと来ますように!そうすれば勝っても負けてもみんなハッピーでいられるから。

11月30日 ホテルへ移動

今日から選手用のホテルに移動、昨日ノースチームがボートトリップから戻ってきたので私たちの宿は小さなアパートに5人、私はソファーに寝ていた。これからはめりっさと二人で広々とした部屋をシェアできるのでありがたい。ロケーションもビーチの目の前、食事は3食ビュッフェスタイル。何十種類ものメニューの中で選べるしサラダや果物があるのがありがたい。とはいえ自炊もしたい気分だが。

移動する前に午前中レフトの波がちょっと割れるポイントをチェックしに行った。
見た目は風もなく、波も小さく見えたけど実際に出てみるとまあまあ乗れた。レフトの波は本当に乗ったことがないので足も体もカイトもばらばらで大変。私は完全に初心者レベルのライディング、昨日のオンショアといい、今日の左からの風といい、今回の旅は目的であったパーフェクトビッグうウエイブにはぜんぜんめぐり合えず、その分自分の実力のなさをあからさまに見せ付けられる謙虚にさせられるコンディションばかり。バックサイドで当て込みたいのに、波も頭くらいしかないのにぜんぜん当て込めない。いつか、どこかでレフトの波も練習したいなあと心から思う。

宿を移動してからもう一度夕方海へ向かう。どこもろくなコンディションではなく、最終的にどオンショアなせいで波がちょっとだけあるところにたどり着く、ジェシーとパトリは先にきていて乗っていた。(一緒にいったチリアンコンビのジャンパブロとゴンザロ)
7mで完全にアンダー、ビーチだと思ってインサイドに来たときにがりっという音がして降りてみると全面岩場、クアッドフィンの後ろのフィンが2枚取れていた!

予備のフィンを持ってきてはいるけど大体において後ろのフィンが取れることはないのでその部分のフィンの予備は持ってきていない。大会にこのボードが使えなくなってしまうかも。まったくこんなジャンク名コンディションでフィンをなくして大会に使えなくなってしまったら泣くに泣けない。しばらくショアブレイクのあたりでフィン探し、かなり流れが激しかったので見つからないと思ったらラッキーにも一枚は見つかった。

マウイや日本と違ってここではフィンひとつでも買える場所は一箇所しかないのでバックアップが見つかるかどうか心配。