2011-05-31

5月25日 大原小学校

朝早く鳥のさえずりで目覚め、すでに日が昇り始めた朝日のなかお散歩(実は人に見られない、そしてマムシが出ない、それでいて迷惑のかからないトイレ場所を遠くまで探しにいくという目的もあった)牡鹿半島に先っぽ、両側を見下ろせて子供のころ行った金華山も前にあり、海の上に小さな島がたくさん点在している本当にため息が出るほど美しい景色、ああここでスタンドアップで小さな湾を一つ一つ除きながら鯉でいけたら、と夢は広がる。当分海には出られないかもしれない、でも今回でいろんな場所のリサーチは出来るから夢と妄想で頭を膨らませよう。
昨晩キャンプしたところと金華山の間の海はどれくらいの距離かわからないがとりあえず軽くいけるような距離ではない、そして海も深く穏やか。でも津波のときは引き波でこのあいだの海底が見えたという。とても信じがたい話だがそこかの写真集に証拠写真が載っていて愕然とした。のんびり朝を過ごしてからダイスケクンたちが向かうという小さな小学校に一緒にいかせてもらうことにした。通常小学校などにそのままぽんと行っても受け入れてはくれない、避難所などでも子供たちをメディアなどにさらさないように気配りがされている。ダイスケクンのお友達の紹介でそこにいけるように手配してもらったらしく子供たちのためのおもちゃなどをもってきたのだ。私も子供や学校のために使ってほしいと託された寄付金もあるのでぜひ行きたいと思っていたのでラッキー。授業中だったので今すぐには無理だから昼休みに来てほしいと丁寧に言われ、そのあいだにもう一度石巻まで戻って買出しなどを済ませることにした。前回喜んでもらえたものなどを中心に再度たくさん買い込み、車をまたパンパンにしてもう一度押しか半島へ。ちょうどお昼休みになったところで子供たちが校庭に飛び出してきた。大原小学校は全校で40人のはずが21人に減り、また別の谷川小学校の生徒の7人も同じ校舎内で授業を行っている。本当に小さな集落で海の周りは壊滅状態だが少し小高いところにある大原小学校は水がすぐ近くまで来たのだろうが、無事。昔懐かしい思いを揺さぶられるような映画にでも出てきそうなかわいらしくこじんまりした小学校だ。入ったとたんノスタルジックな思いがこみ上げてくるような、昔きたことがあるような感覚。
ダイスケクンたちが持ってきたあらゆるおもちゃのなかで好きなものをひとつずつ選んでもらったのだが、おもちゃ屋さんがお勧めしてくれた今子供に人気のダンボール戦機(ガンダムのようなものだと思うのだが)のプラモデルを見たとたん頬ずりする子までいるほど。昨日すでに集落のほうでおもちゃをもらって夢中になっていた子などは私たちを見たとたん「あっ、ダンボールのお兄ちゃんだ!」ともうダンボールのお兄ちゃんと言う名前になってしまうほど。
昼休みはみんなでボールをけったり、マサ君の車椅子を子供たちがフルスピードで押して介護(?)してくれたり、フラフープを見せてくれたり、子供たちは本当に無邪気、先生方に聞くとほとんどすべての子供が家を失ったり家族を失ったりしているというが、学校にいるときの表情は明るい、私はぴかぴかの一年生たちが苗を植えたばかりの小さな畑に一生懸命水場と畑を何往復もしながら水遣りをしているところをみていたが、余りにかわいくて純真でそのままずっとそこで一緒にいたい気持ちだった。

学校を離れたあと集落の瓦礫の中を一人で歩き回っているおじいさんがいた。ヤーマンが写真を撮っているあいだ遠慮しながらも近くにいたので話しかけると、海の前で食堂をやっていたという。津波のときの話をしてくれた、第一波が来たときは屋根の上から海を見ていたらしいが次に来るものが沖からものすごい大きさで近づいているのを見て、潮が引いて地面が出たときに大急ぎですぐ横の山の斜面に駆け上って何を逃れたが奥様は助からなかったらしい。名取市にいるお嬢さんのところで生活をしているけれど今日は奥様の火葬をするために久しぶりに戻ってきたのだそうだ。「食堂はあそこにあったんだけどものがこっちのほうに全部打ち上げられているんだ、」と家からはずいぶんはなれたところでみて受けたお盆や神棚の飾りなど「こんなものもって帰っても娘に置く場所がないと怒られるだけだな」といいながら抱え込んでいた。
「もうここには住む気がしない、数年前に食堂をやめてやっと奥さんと二人のんびり引退できると思っていたのになあ」
「うちが丸ごと引き波に引っ張られて海に浮かんで沖にドンブラコッコと流れていってしまうのを見ながら、ああ、金庫にいれてあったローレックスもったいないなあ、なんて考えたよ、家のほうが高価なのにね。それにしてもこれだけ葬式が多いのにお寺さんは被災したのだからとお金を取らない、お寺も大変だ」と話してくれた。なんて慰めてあげたらいいのか、奥さんをなくされ、今までがんばってきたものがすべて流されるつらさは想像もつかない、だけどそういう人たちがみんな淡々と人事のように話す様子はなんだかみんないっしょだ。

その後写真を撮りながら気仙沼に向かったが結局たどり着いたのは暗くなったころだった。山のほうから海に向かって進んでいくうちに急に景色が変わる。
海なんかぜんぜん見えない山のなかなのに川を津波がさかのぼって大きな被害が出ている。まさかこんなところに津波が来るなんて誰も考えもしなかったに違いない。事前に紹介してもらっていたマメ君に電話し、野宿できるところを教えてもらうことになっていたのだが、連れて行ってもらった先はキャンプ地としてはこれ以上はないというほど居心地のいい素敵なところだった。早速その場所のオーナーの今野さん、そして一足先にキャンプ地に巨大なテントをセットし、かなりの長期にわたってここに滞在し、復興活動に励むらしいオータムと言うめちゃくちゃ明るくて日本語ぺらぺらのアメリカ人の女の子といっしょにタコライスを食べた。

こんな美しいところでキャンプしてまさに極上サーフトリップ気分、海に入れないけどそれ以外はまさにそんな感じで旅が続いている。

5月24日 石巻と牡鹿半島

結局ジャスコがあくまでまってると時間がなくなるので結局朝早く起きて石巻方面へ、聞いていたと折りいろんな車で渋滞していた。仙台市内 は地震なんてごんとにあったの?って言うくらい普通だし、にぎやかなので何しに来たのか忘れちゃうくらいだった。石巻も途中まではそう。石巻のイオンでカー ビーと一緒に行動していたダイスケ君、そして彼の仲間たちや石巻でいろいろ活動なさっているサーファーのりょうこさんと合流、その後遼子さんの案内で子供 たちが避難している避難所に行くはずだったのだが、私たちは車を見失いはぐれてしまったのでいけずじまい、ひとあし先に牡鹿半島に向かった。石巻も高速を下りたあたりは店も普通にやってるしにぎやか、地震の後もほとんどないし、建物もしっかりしたもの、だけどそのまま海のほうに進んでいくと突然すべてが完全に破壊されているエリアに入ってくる。海なんか見えないところでも川をさかのぼって水が押し寄せたようで悲惨な状態。道もきれいになってるし、2ヶ月以上たった今でもこの状態なのだから地震がおこった直後はどんなに悲惨だったのか、想像もつかない、車を運転しながら私もやーまんも言葉を失ってしまった。(猟師さんたちは地震がおきたあと文字通り命をかけて船を守ろうと大急ぎで沖へと船を走らせる、小渕浜の石森さんはこの大きな船のノーズがすっかり波に飲み込まれるような怖い思いをしながら何とか生き延び、村に戻ってきたらものすごい瓦礫の山に変わっていて、港も崩れ、瓦礫だらけで接岸できず陸に戻るまでに3日か買ったらしい、それまで家族の安否もわからないまま食べるものもなく船で一人過ごしたという)
カービーたちに教えても らった場所などに物資を配り、漁師さんたちの話を聞いたり仕事を見たりしながら被災地を回って、最終的にお勧めの野宿サイト(あくまで正式なキャンプ場で はないので公表は出来ませんが)にテント設営。ダイスケクンたちとも合流し、きれいな夕日を眺めて夕食を分け合いながらいろいろ話すことが出来た。みんな 熱くて優しい頼もしい若者ばかり。

なんだかお手伝いをしたくて来たのに、元気やらやる気、出会いも含めてもらい物のほうが多い気がする。

5月23日 Tohoku Bound


朝9時前の横須賀線に乗って東京経由新幹線で長岡へ。そこでカメラマンの友人ヤーマンにピックアップしてもらう、できる限りの荷物を巨大なバッグにつめて宅急便で送ったにもかかわらずぎりぎりで受け取った物資や細かいもので大きなバックパックとキャリーオンサイズのウイーラーバッグがパンパン。そのうえうれしいことにいろんな人に声をかけておいたおかげでヤーマンの自宅にもいろんなところから物資が届いていてヤーマンの車もパンパンだった。わざわざ新潟から長岡まで(1時間もかかるなんてぜんぜん知らなかった)300個の出来立て笹団子を持ってきてくれた棟梁の五十嵐さんにも無事あえて笹団子が入ったずっしり重い箱を受け取り出発。途中作業着などを買ったり頼まれていた夏用の服などを買い込みながら北上。新潟ではヨガ仲間のメグチャンが彼女の生徒さんに声をかけていろいろ集めてくれたたくさんの物資と一緒にバス停で待っていてくれた。基本的には一般者は泊まってはいけない場所なので荷物を積めて数分であわてて出発しなくてはならなかったけれど、一つ一つの物資に心かこもっていてうれしかった。鎌倉から新潟、静岡、そして全国だけでなく一緒にがんばったマウイのみんななど本当にたくさんの人の気持ちも積んで東北に向かっている実感がある。だからこそ出来る限りいろんなことを調べてできることを精一杯やってきたい。

ありがたいことにヤーマンがずっと運転してくれ、7時ごろ仙台到着。まずは情報をもらいに仙台ストアへ。
懐かしい顔ぶれの笑顔が見れてうれしかった、みんなそれぞれできることをがんばっているみたい。
仙台市内のおいしいラーメン屋さんを教えてもらい、そこでラーメンを食べてから今宵の宿、というか、宿できるところをサーチ、でも仙台は結構都会なのだ。明日の朝最後の買出しをしてからさらに北上したいのでジャスコの駐車場の端っこで寝ようということになり、人もいないからきっと平気だろうと暗がりにテント設営。さすがに通勤帰りの人通りもありなかなか眠れなかった。やっと眠りに落ちたころ、がたがたと外で音がする、そして懐中電灯でテントのなかを照らされる、結局セキュリティーの人に起こされ、質問され、彼も私たちがボランティアに行く途中だと聴いてかわいそうに思ったのか責任者に問い合わせてくれたけどやはりだめ、そりゃそうだ、私たちみたいに敷地内で野宿したりする人たちを見張るために雇われているんだから。ということで真夜中にテント撤収、再び野宿スポット探し。そんなこんなで寝られる場所は見つかったので朝までそこで寝たけどさすがに疲れた。
ので人にはお勧めできません。

支援金をわざわざビーチまでもってきてくださったカイトの横山さん、いとこの純子、へそくりを渡してくれた母、ありがとう、手作りの心のこもった石鹸八重子たわしを届けてくれたアロマセラピストのいいとも、そして新潟にいろんな物資を送ってくれた御前崎のあゆみちゃん、新潟の五十嵐さん、小池涼子さん、伊藤麻美さん、繫盛屋の近藤さん、ヨガ仲間のメグチャンとその生徒さんたち、ほんとうにありがとう。一つ一つできる限りどんな人がどういう風に送ってきてくれたのか話したりしながら手渡しました。

2011-05-22

5月22日 パドボグランプリ

(朝のミーティング、後ろの荒れた海に注目)
今日はパドボグランプリ、PADOBOというのは日本でのスタンドアップを定義するほどの言葉で材木座でショップをやっていてプロサーファーであり、プロウインドサーファーでもあり、スタンドアップパドルのパイオニアでもある奥田哲さんがスタートしたもの。日本ではパドボと言う言葉自体がスタンドアップのことを言うほど一般的なブランド。
もうすでに第6回となるこの大会は勝ち負けよりも全国のスタンドアップパドラーが集う楽しいイベントとして私の中でいつも出たいと思っていたものだがなかなかタイミングなどが合わず、出られなかった、でも会場に行くとみんな楽しそう。選手にならないと味わえない選手同士の親密さみたいなのをぜひ味わいたくて今年はやっと参加することが出来た。
ただし当日由比ガ浜から材木座まで漕いで会場まで行こう(いつもやってることだし、ほかの選手も前やっていたので)と思ったらその日に限って朝からウエイブライダーがかっとん出るようなコンディション、サーファーが由比ガ浜に大勢漂っているオンショア。こんななかでスタンドアップなんてやったことないし、まして大きなレースボード、ビーチにボードを運ぶことすら一人で出来ず、弟たちを起こして一緒にもって言ってもらい、流されて打ち上げられたら助けに来て、と頼んで海に出て行った。なんと囲いでいけたけど、緊張しっぱなしでその上風を横切る感じで行かなくてはならず左側だけこぎ続けて右の肩の筋肉がつりそうになるくらいきつかった。
(左から土佐洋子、今井雅子。一緒にレースでがんばっていたのはもう20年以上前!歳は取ったけどみんな中身は変わっていない)
会場に行くとウインドサーフィン自体の先輩たちや仲間が大勢。まるで同窓会。葉山の議員さんになった土佐洋子ちゃんも相変わらずお子ちゃまの様なしゃべり方で和ませてくれた。(20年前とぜんぜん変わらない伊佐さんと洋子)
「このお子ちゃまみたいなしゃべり方で選挙演説するの?」とからかったけど、3倍の競争率のなか再選したのだからやることはしっかりやってるし、地元の人からの信望は厚いのだろう。彼女がやってることは本当に大変なことだし、いやなことや消耗させられることも多いはず。それをあの、ののほーんとした様子でこなしてしまう彼女の、表には出てこない強さとたくましさは尊敬する。大変なことを大変そうにやるよりずっと難しいこと。このあいだまでマウイで一緒だった、もえちゃん、ともも登場。ほかにも高校時代からウインドを一緒にしてきたマコや学連時代の同期平野君も会いに来てくれた。レースでばたばたしていてゆっくり話せなかったのが残念だったけどみんな年はとっても変わらない。バハで一緒だった横山さんも風が吹いているのにカイトに行く前に寄付金を渡すために寄ってくれた。選手やスタッフのなかにも大勢東北に行ってきた人がいていろんな話を聞かせてくれた。イベント自体もエントリーや収益の一部、そしてチャリティーオークションやチャリティーグッズの売り上げの全額寄付するという。

さて大会自体はオンショアで出来た波を利用してウエイブから始まった。こんなオンショアの波でスタンドアップしたことは実はないし、借りたボードなのでぜんぜん思うように出来なかったけど、それはみんな同じ立場なんだからと余り考え込まずにできるだけのことはやった。うれしかったのは出ている女の子たちがみんなとってもフレンドリーで一緒に楽しく出来たこと。
メンズのパフォーマンスを見てもあの上手なタカやとも、永松君たちがいつもの鋭さをぜんぜん発揮していないから、自分が何も出来なくても仕方がないと自分を慰め余り気にしないことにした。

ウエイブだけでもオンショアで沖にこいでいくのが大変で腕が疲れてしまったけどその後今度はスラローム。いくつか岸の近くにうってあるブイを回るショートコース。わざわざこの日のためにレースボードを借りたけどこんな荒れた海でレースボードなんて使いこなせない。ウエイブボードを借りて出た。波間のハンドリングとかが大事だったので速さより乗りやすさ。最後までカヌーの第一人者でありスタンドアップも日本ではトップのもえちゃんがリードしていたが、私も彼女のテールを突っつきながら必死で抜けるチャンスを狙っていた。ラッキーにも彼女が波まで沈してくれてどんでん返しのトップ。

メンズはレースボードで出たともがそれでもがんばっていたけどウエイブボードで出た長松君や沖縄の竹ちゃんなどと接戦、ファイナルでは永松君が最後のランで陸上選手のような走りで優勝。

ウエイブとスラロームをこなしたころにはもう私はへとへと、参加できるうれしさで、全部出まーすなんて宣言しちゃったけれどこれからコースレースなんて出来ないよってくらいつかれきっていた。風が強すぎてキャンセルします。ってなんないかなあ、なんて考えていたほど。それでも運営のほうはスムーズにどんどんこなし、最後にコースレースが始まった。
スタートは余りいい位置から出るとうまい人たちと団子状態になって自爆しそうだったのですいてる脇のほうから出た、最初はそんなに前のほうではなかったけどそれでも団子状態になることはなく自分のスペースを確保しながら少しずつトップ集団へと近づいていく。
最初のブイを回ってちょっとするともう向こうのブイを回ってこっちに戻ってくるものすごい勢いで漕いでいる永松君とすれ違った。「早すぎ!」と叫んでこっちもパドルに力を入れたけど、あれはすごかった。わたしは第2マークまではたぶん20番くらいだったけどそのあたりから周りのパドラーに疲れが見えてきた。私は大きなレースボードというアドバンテージもあるのだからがんばらねば、と周りの人のパドルのペースより早く小刻みにこぐように努力し、何人か追い上げ自分が思ってるより早い位置でフィニッシュできた。大苦手のランで最後に一人若者に抜かされちゃったけどマウイのレースではそこで3人抜かされたから、まあ今回はいいとしよう。

もともと余り勝とうというつもりで出たのではなく、みんなと知り合いになってスタンドアップ仲間を増やしたいという気持ちだったが結果的に自分の力を出し切って勝つことも出来て、その上か痛いけど高くて変えなかったボードキャリア(ビーチまでボードをごろごろ運んでいけるもの)が賞品でもらえて、とってもラッキーな一日だった。
何よりヒートで一緒だったレディーストのひと時はうれしかったな、また一緒にスタンドアップが出来るチャンスがありますように。そしてボードをいろいろコンディションに合わせて貸してくれたナッシュの皆さん、チームライダーでもないのに、快くいろいろ貸してくださってありがとうございました、おかげで大会にも出ることが出来たしいい成績も残せました。

レース終了まで天気が持ったもののその後表彰式の前にザーザーぶりになってきた風にシフト。大きな賞品をたくさんもらったけど漕いで帰らなくてはならないのでともにお願いして車につんでうちまで持ってきてもらうことになり、今度はオフショアで流されないか心配しながらまた一人で由比ガ浜まで漕いで帰った。行きは右の肩が痛かったけど帰りは左肩だけでこぐからなんて思っていたら、風が反対にシフトしたのでまた右肩だけがパンパン。あんまり沖に行くのが怖いので大勢のサーファーの目の前を通り過ぎるように沖に流されないよう必死に漕いで帰ってきた。
風が強くで一人でボードを運ぶのが怖いのでもう70歳にもなる母に頼んで一緒に運んでもらう始末。今まではそんなことなかったのだがレースボードは大きいので本当に風があると危ない。賞品でボードキャリアがもらえて本当にうれしい。

今回だんとつの入賞候補だったのに練習仲間の永松君にトップを奪われ、かなり落ち込んでるともが荷物を持ってきてくれ、奥さんの美和ちゃんと3人でご飯を食べてから彼らは御前崎へ。7月にまたマウイの大会に来るのだが、それまでその悔しさでがんばって練習しろと神様が発破をかけてくれているのだろう。かわいそうだったけどがんばるしかない、大会なんてしょせん大会、いい日もあれば悪い日もある、反対にいい日が今日来た永松君はホント勢いがあっ足し、それはそれでうれしかったし、ウエイブで活躍していたパドボブランドボードに乗っていたたくさんの人たち、そして優勝した沖縄の竹ちゃんもとっても上手だった。あの波でスピード出せる方法を私は学ばないとな。

くたくただけど明日の朝から出かける野の準備、そしてまだ仕上がらない原稿にあたおたしながら長い一日を終える。
つかれたー。でももっと大変だった大会運営の方々特に奥田さんとみゆきさん、お疲れ様でした、みんなが集まって楽しみ親睦を深められるすばらしい機会に感謝!

2011-05-21

5月21日 ファミリーデイ


今日も南風強し、明日のパドボグランプリはかなり南風が強く荒れそうで、これじゃあ由比ガ浜から材木座までスタンドアップで漕いでたどり着けるかどうかも不安になってきた。だいじょうぶかなあ。

今日もやることは山ほどあるのに、なんだかなかなか進まず。
ひとつ絶対行く前に終わらせないといけない原稿があるのに、まだ手をつけてさえいない(立ったら日記など書かずにそっちをやれって感じだが)

お昼は久しぶりに一家そろってのランチ、父の誕生日、母の日。弟夫婦の入籍アニバーサリーそして義理の妹、幸ちゃんのバースデーを一気に祝い、弟夫婦の仲良しで岡崎家の養子のような存在(毎週遊びに来るので)ゆうじ君夫妻も一緒。(こちらがゆうじ君恵子ちゃん夫妻)
歩いてすぐのところに出来たイタリアンレストランに行ったが、いつもいっぱいだそうだ。あの値段であのボリュームであのおいしさならそれもわかるというものだ、ウイークデイのランチは1300円弱でサラダ、パスタ、パン、飲み物とデザートがついてかなりのボリュームだ。はっきりいって食べ過ぎた。

明日のパドボグランプリ、日本では数少ないスタンドアップパドルのイベント。いろんな人と知り合って大いに楽しみたいところだが、風がすごそうでかなりサバイバルになりそう。
世界中にライブ中継配信だそうだ。
車を持っていないので、とにかくまずは朝会場にうちの前からたどり着けますように。

2011-05-20

5月20日 それぞれが出来ること

今日こそはパドルがしたい! と朝やるべきことはとりあえず無視して海へ、すでにちょっと南風が入り始めていたけど一人っきりでちょっと漕いだ。けど、ダウンウインドでない平水面でただ漕ぐのは結構飽きるし疲れる。15分で飽きてきて、息もはーはーしてきた、こんなじゃレースなんて出来るのかなあ、と不安になったが、まあ今週末のイベントは親睦、スタンドアップが盛り上がるためのイベントなので大いに楽しもうと思う。でも予報では風が強いらしく、恐ろしい。
ま、ひーひー言いながらみんなで苦労するのも楽しいかもしれない。

少し漕いでから家に戻り、今度は来週からのボランティア活動のための準備、ドルで持って帰ってきた寄付金を日本円に両替したり、ボランティア保険の申し込みをしたり、そのほかいろいろな用事を済ませ、お昼過ぎにパタゴニアへ。
この間開催されたイベント「俺たちに出来ること」、雪山関係のカメラマンが集まってのチャリティーイベントで売れた写真をフレームに入れ梱包し、 送るために雪山カメラマンたちが大集合でランチをしていたのでそこを襲撃、私が雪山に行かなくなってしまったためなかなか会えない友人たちがたくさんいて、とてもうれしかった。それにある意味ライバル同士である皆さんたちがほんとに、協力し合って広い会議室のフロアいっぱいに並べられたものすごい数のパッケージを整理している様子がとっても和やか。ほんとに「俺たちに出来ることって結構あるじゃん!」って思わせる雰囲気が最高だった。
ランチを食べながら、これで海バージョンも出来るね、なんて話になり、「じゃあ、海関係のカメラマン集めて「俺たち”も”出来ること」っていうイベントやってもらいますか」なんていってみたら「いや、俺たち”も”出来る”かな?”じゃない?」とか「いやサーファーだったら「俺たちもしかたないからやりますか」くらいじゃない」などいろいろ勝手に話して笑っていた。もちろん皆さん本気ではなく、最終的には「サーフカメラマンもいろいろがんばってやってるよね」と褒めていたので、あしからず。

でもああやって楽しそうにチャリティーの仕事をしているカメラマンたちをみて、ほんと、普段からすばらしい人たちが周りにいてインスピレーションを与えてくれてるんだよなあ、とみなさんのBIG heartに感謝。チラッと見せてもらったけどすばらしい写真がたくさんだった。もおちゃんと娘のスモモから手紙が届いた。
もおちゃんは「私は二人の子供の世話もあるし、ボランティアで被災地まで行くことは出来ない、でもその分被災者を支援しに行く友子さんたちの支援をするよ、これで疲れたときにやーマンと二人でおいしいものでも食べてください」とへそくりを送ってくれた。スモモも三つ編みヘアスタイルの私の似顔絵ととっても心のこもった、あったかいお手紙を書いてくれた。これだけで私もがんばるモチベーションが上がる。
サクラキャンプ仲間のいいともも二人の子持ちだけれど、アロマセラピストであり、母である自分の得意分野でお母さんたちのサークルの中で石鹸や子供のものを集めたり作ったりして送っているそうだ。これからは細かい個人的なケアや心配りの支援ができるようになればいいなと思う、それにはネットワーク、そしてそれぞれが出来ることを考えて行動すればいいのだと思う、興味のあること、得意分野はみんな違う。でも誰にでも無理なく出来ることが絶対にあるから。いろんな人を見て、ああこんな支援の仕方もあるんだなあ、と感心することもしばしば。

ああ、今日もいろいろばたばたしちゃったけど半分くらいしか終わらなかった。もうやる日は明日しかない、がんばらなくちゃ。

ちなみに野菜、果物、お酒、特産物や夏物の服など支援物資を送れる方は23日月曜日の朝までに届くまでには明日の夜くらいまでには送っていただけるとありがたいです。送り先はこちらです。
〒940-2309
新潟県長岡市関原南5-4992
電話090ー2882ー3678
山田博行

2011-05-19

5月19日 南風

朝から一日中ばたばた。まず朝早くパドルをしようと思っていたのに、父がごみと勘違いして、麻宅急便で送ろうと玄関においてあった荷物をごみ収集場にもっていってしまった。大きな勘違いだったのだが、あわててごみ収集上に駆けつけるとすでにごみ車に投げ込まれていた。市役所に電話し、ごみ処理場につなげてもらい、その車の番号を調べ、大急ぎでごみ処理場まで自転車で行くと、親切にもその車のごみだけコンクリートの地面にばら撒いておいてくれてあり、そのなかから探せるようになっていた。
その荷物とはマウイから岩手におくるよう頼まれてもって帰ってきた赤ちゃん抱っこバッグ5点。自分の持ち物ならあきらめもつくが人に頼まれたものだからいい加減なことは出来ない。軍手とぼろぼろの服で何時間もごみのなかを探す覚悟で行ってみたが、ありがたいことに簡単に見つかった、アー本当によかった!スタッフの方は皆さん本当に親切に対応してくださり、こちらのミスなのにいやな顔せず手伝ってくれた、心から感謝。そんなことで時間をとられ、午前中にやりたかったことはほとんどできずに風が強くなってきた、今日も結局パドル練習できず。
パタゴニアストアに寄ってから横浜へ、去年NAGISAという雑誌でお仕事させていただいたときのスタッフ田代さんと伊藤さんと会った。二人は環境問題にも深い関心を持っていて、いろいろ面白い話を聞かせていただいた。

夜10時にカービーと今回彼とともに東北を回ってきた仲間が鎌倉に寄ってくれた。来週から東北に行く私に多くの情報をくれ、現地の状況、変化などを詳しく教えてくれた。3日間フルに東北各地を回り、大きな団体には手が届かない小さなところを回って来てふらふらに疲れているだろうに、申し訳ない気持ちと同時に心から感謝、やはり実際に行ってきた人たちの意見はとても貴重だし、どんどん状況が変わってきているのを話を聞いていて感じた。いい意味でも悪い意味でも精神的にすごくインパクトがあるので、数日間で自分のキャパシティーがいっぱいいっぱいになるとも言っていた。だから無理をせず間にオフデイをおいてもいいだろうし、パンパンになり過ぎないようにしようと思う。
今回彼が一緒に言ってきた仲間のひとりは昔からの大先輩戸田友康プロ。サーフィンはもちろん、ウインドサーフィンもプロコンテストに出てい他人で、YUの植田にお世話になっていたころからの付き合いだったけれど、ここ数年、いや、十数年あっていなかったのでは?懐かしい再会だった。もう一人のマツ君は鎌倉育ちのカメラマン、なんと幼稚園のときのお友達のいとこさんで、キヘイのヒロさんかなちゃんともお友達らしい、まったく狭い世界。
うちの母が送ったTシャツもしっかり牡鹿半島のおばちゃんたちに届けてくれた。
(photo by Shinsuke Matsukawa)

夜遅く、海はまだ南風、今日は日中結構強く吹いていたようだ、月も満月からちょっとかけたくらいで大きく輝いている。

5月18日 鰯づくし

朝5時ごろ目が覚めた。うちは家族みんな朝が早いのでみんな起きだしていたが近所の漁師さんからの電話で鰯がたくさん取れたから譲ってくれると言うのでとりに行った。
うちの母は昔からこうやって漁師さんから直接新鮮な魚、その日取れたものを買っていたりしているうちに親しくなり、よくしてもらっているようだが、魚好きが過ぎて去年顔がはれ上がって何かと思ったら銀魚を取りすぎでアレルギー体質になってしまい、食べれなくなってしまった。
私はハワイから戻ってきたばかりなので新鮮な鰯なんてこんなうれしいものはない。結局こんなにいらないと断りながらもバケツ一杯分くらいしこいわしとトビウオをいただいてきた。
早速朝からお刺身、おろしているそばからぽんぽん口に入れていく。とろけるようにおいしい!
朝の分のお刺身を作ったあとは3袋分アンチョビー用に塩漬け(伊豆白浜のVilla白浜のオーナーにご馳走になり、作り方を教わったもの。出来る上がるまでに一ヶ月くらいかかるものだがこれが本当においしい!)残りは母がつみれにして冷凍してくれた。どれも新鮮なものだからこそのおいしさだ。こういうことをしていると日本のすばらしさを実感する、ハワイでは怖くて傷みやすい秋刀魚や味、鰯などは食べられないから。
夜は鎌倉落語会へ。この会は私の父が世話人をしていてもう39年も続いているもの。私も子供のころは落語も好きで友人たちとクラスの催し物で落語をやったりもしたものだった。当時は鎌倉の本覚寺の本堂で開催され、とっても雰囲気が良く、休憩にはお茶とお菓子が出てくるほどアットホームで小さなものだったが今では会のたびに入場券を抽選にするほどで今回も3人に一人の割合だったらしい。
今日の噺家は小三治、私が子供のころから父が好きだった噺家だし、今日は実は父の誕生日でもある。どんなものでも一流のものに触れる機会はとても大事だと思うし、めったにないチャンスなので聞くのが楽しみだった。さすがにトップ中のトップだけあってすばらしかったが、時差ぼけがつらくていい席を取ったにもかかわらず居眠りをしないようにするので必死で話の内容も良くわからなかった。噺家に失礼だったなあ、と思うし、モットはっきりした頭で聞きたかったなあと残念。でも表情や話だけであれだけ人をひきつけるのは圧巻だった。
彼は演目を話し始める前の挨拶をまくらと言うが、小三治師匠はまくらが面白いことで有名で、その話の数々がベストセラー「ま・く・ら」という本になっているほど。今回は震災の個人的な経験や俳句会などの話とっても興味深かった。いい物に触れる、いい人と触れ合う、これこそ人生に不可欠なことだろう。

5月17日 支援物資のお願い

羽田に到着する便だったので夜10時前に羽田到着。迎えに来てくださった茅ヶ崎のサーファー江原さんは春にマウイに来ていたときにガレージセールなどいろんなイベントにも参加し大いに協力してくださっただけでなく、先週末の茅ヶ崎で開かれたアロハマーケットでPrayforJapanfromMauiのTシャツやステッカーなど売ってくださった頼もしいお方。車で迎えに来てくださったおかげで本当に楽チンで鎌倉まで帰ることが出来た。
そして頼まれたルーフラックパッドなどを持って帰ってきた夫婦ともにカメラマンの木下サンたちも飛行場に登場、取りに来てくれるとはしらズ久々に再会にびっくり立ったが元気そうであえてうれしかった。彼らのパタゴニアで写真を販売するイベントをカメラマンが集まってやったのだがなんと一晩で280万ほどの売り上げ、みんなでやれば大きな力になる、本人たちもびっくりしたようだ。

さて、私は今週末まで鎌倉にいたあと気の合う友人やーマンとともに東北に向かうつもりだがもしも何か遅れる方がいたらぜひ22日の夜(あるいは23日の午前中)までに下記の住所に送ってください。
新鮮な野菜、夏服(新品)そのほか地元の特産物やお酒、手作りのジャムや瓶詰めなどでもオーケー。大きなところにもっていけるような量は乗らないのでいろんな友人やすでに被災地を回ってきている仲間たちの情報をもとに、小さな集落や少人数のところに、気持ちをこめて届けるつもり。
また、「こんなものなら送れるけど」、など、あるいは質問があればどんどんメールか電話で連絡をとってもらえるとありがたいです。

送り先郵940-2309
新潟県長岡市関原南5-4992
電話090ー2882ー3678
山田博行
メールアドレスはmauitomo@hotmail.com
あるいはこのブログにコメントをください。

2011-05-17

5月16日 日本へ出発

(左から私スカイ、クリスティン、とも、今回もクリスティンがついた日に私が出発、あわただしいなかひと目だけの再会)
この1週間風がなかったのにレースが終わった今日から吹き出した。日本ではダウンウインドは出来ないからもう一回乗ってからいきたかったなあ。7月のレースまでにたくさん練習したいけど今年はなかなか練習が出来ない、でも今年は仕方がない、海に入れるだけでも幸せなのだ。だから乗れる時間は集中してがんばろう。
出来ないときは割り切ってほかの事をがんばる。
今日の夜の便で日本に帰る。朝パッキングを済ませ、鶏たちとすごしてお別れをいい、今朝マウイについたクリスティンが会いにきてくれたのでほんのちょっとの間おしゃべり。彼女は私の10倍くらい(意や10倍以上かも)忙しいスケジュールで世界中を飛び回っている、時差ぼけなんて考える暇さえなさそうな生活。ヨーロッパからついたばかりで疲れているだろうに私だったらもしかしたら面倒くさがって会いに行かないかもしれない。彼女はいろんなことにかかわっていてカイトのオリンピックコミッティー、カイトボードガールうキャンプ、そして今年から始まるカイトサーフィンのウエイブワールドツアーの役員もやっている。それ以外にもほんとにいろいろなことをやっているのであっちこっち世界中を2,3日単位で飛び回っている。
今回もマウイは5日間で次はニューヨークだそうだ。足首の骨にひびが入ったと聞いていたので心配したけど元気そうな顔が見れてよかった!

5月15日 Olukai Race OC-1とDinner with friends

(Happy birthday Skip!)
オルカイレース二日目の今日はOC-1部門。昨日もらった抗生物質が聞いているのか歯の痛みは歩けど悪化はしていない。でも痛み止めが切れると痛くなるので薬を飲み続けている。
レースのほうは圧倒的な優勝候補をされていた巻け知らずのカイ・バートレットがオアフから大会のために来た競合に負けてしまった。うわさによると昨日(かれは昨日のスタンドアップにも出たのだ)力を出しすぎてつかれてしまったいたとか。それにしても彼は去年もマリコらんを一回しかしたことないのに2位には言ったし、今回の優勝、彼以外も上位はほとんどカヌーパドルのバックグラウンドを持ってる人たちなので、やはりアウトリガーカヌーでのパドルをすることは大いなるアドバンテージのようだ。(昔から本気でパドルを練習したかったらOC-1に乗るといいとデイブカラマもアドバイスをくれていたっけ)まあ、スタンドアップのレースボードでさえ手が届かない私にはOC-1なんてとても買えないけど。でも彼らはサーファーよりもずっとアスリートのノリでトレーシングもしっかりするし、体が違う。体力も筋力も半端なさそうなので学ぶところは多い。
夜は恵子ちゃんとスキップの家で仲間が集まって持ち寄りBBQ.明日から出発なのでみんなの顔が見れてよかった。ほんとにいろんなバックグラウンド、いろんな年齢層だけどみんなとっても気のいい仲間、いい友人に恵まれていることほど幸せなことはないなあとしみじみ思う。
食べるたんびに傷口を刺激するのか痛くなってしまうけど、これ早く直らないかな。

2011-05-16

5月14日 Olukai Paddle Race

今日はオルカイのマリコレース。だというのに私は歯(というか歯を抜いたところ)が痛くていまいち食事もできず、元気も出ない。それでも言ってみると本当に大勢の人たちが集まっていた。モロカイチャネルクロッシングの常連たちのようなスーパープリフェッショナルから、今年始めたばかりのような人たちやティーンエイジャーのかわいい女の子たち、またかなり年配のおばあちゃんなどいろんな人がいて、とってもいい雰囲気。風も今週ずっと弱かったけれどそれよりは少しあるように思えるのでみんな喜んでいた。後で聞いたらレースでない、ビギナー用にファンイベントとして朝ダウンウインドがあり、それにも100人くらい参加、そしてこのレースにも200人以上の人がエントリーしたらしい。同じ日にバトルオブザパドルがオアフで行われるためにエントリーが二分してしまうと心配されたが、どちらにもものすごい人数が集まり、スタンドアップの人口がどれだけ増えてるかが想像できる。
(ジャパンレディース、あら、パドルコミュニティーだと私でも華奢に見えるかしら?)
今回はF16に乗ってるし、これでオープンレディースにでるのは顰蹙かなあと思いエリートクラスにエントリー、このクラスにはどんなにラッキーが重なっても相手がサーフボードで出ても勝てないとわかってるような女の子がたくさん出ているのだが、まあ、仕方ない、とにかくこのくらすのビリにならないことを目標に(でもなりそうだとは思っていた)出ることにした。
スタート前に下りすぎてしまわないように必死になって上っていたが多くの人がかなり下っているのが見えたが、私は上りすぎていたみたいでスタートのホーンがなっていたとき一番風上にいて、大いに出遅れ、私の周りにいた早い人たちも大慌てで立ち上がりくだっていった。
私のストラテジーはできるだけ沖にでて人とはなれてスプレックスくらいまで漕ぐ。この辺まではちょっとオフショア気味なので沖に行きやすいが、そこから先はオンショアで弱くなりそうなのでそこから一気にインサイドに向かう。たぶんプランとしては正しかったと思うが思ったよりは役にインに入りすぎてしまったかも。
スタートがどうであれ、早い人はみんな早いしそうでもない人は抜かされていく。私は近くに結構大勢の人がいて、そのうちの二人が怪我をするとリハビリに通うジムのトレーナー二人だったので苦しいながら笑ったりジョーク言い合いながら漕いだ。そのとき思ったのが彼らはやはりトレーナーだけあってグライドは私のほうが乗れるのだが彼らの漕ぎペース、そしてタフネスはとうていかなわなかった。最後の最後、漕ぎで負けてしまった。そしてフィニッシュ、ビーチで150mくらい走るのだが、普段走ったことなんてもう何年もない、ここで巨大な強そうなお姉さんが後ろから走ってきて抜かされた、たくさんの友達がビーチで声援を贈ってくれてもっとちゃんと走れーというのだが、とても無理!最後の最後でこれまた友達の男の人に抜かされた。
エリートクラスでは絶対ビリだと思ってたけど10人中9位だった、だから一応目標達成。一緒にパドルしてもいつも見えなくなるデビンは3位、メンズも勝てないアンドレア(彼女はパドルがすごいだけでなく、今年の冬はジョーズをパドルでサーフ、とても普通の女の子では勝てない気がする)が一位、2位はこれまたきれいで若くて水着とジュエリーも作っててそれでいてサーフィンも何でもうまいタリア。そしてモロカイ常連レディースが名前を連ねていた。みんなすごい。私もあきらめずに少しはちゃんとまじめに練習してみんなに近づけるよう頑張ろう。(バタフライエフェクトのオーガナイザーでありサーフィンもウインドもうまいタティアナ左とビッグウエイブはマウイ一、ジョーズでもリッピングのペイジ、ダウインウインドはほとんど初心者だけど楽しむために参加)

メンズは去年のウイナーリビオをOC-1マスターカイバートレットが破り優勝。そして3位にエコル、4位にSICのマーク、そして5位がジェレミーとこちらもいつも上位にいるめんばーがぞろぞろ。

オープンクラスもみんなとってもいい顔してフィニッシュしていた。
日本から来たモエちゃんもさすがカヌーで鍛えたパドル力と体力、日に日に早くなっていて、年齢別で2位にはいっていたし、やすべえもひーひー言いながらも頑張って真ん中変でフィニッシュ。(やりきったというこの笑顔!)ついこのあいだ始めたばかりのアンディーもフィニッシュ目標ででなよとプッシュし前日にエントリーしたのだが、やすべえのすぐ後ろでフィニッシュ、これは彼にしたらずいぶん頑張ったといえる。本当にうれしそうにフィニッシュしてくる姿に私までうれしくなってしまった。それにびりにならないといいなあと心配そうだったがビリどころかその後も100人くらい後ろで漕いでいたほど。
レースは人と競うけど結局は自分との戦い、自分をどこまでプッシュできるか、そしてそのレースまでにどれだけの努力を重ねられるか。だからいくらうまくても上位に入っても反省したりする人もいれば。フィニッシュしただけでも大きな達成感を得られる人もいる。それぞれがいろんな思いを持て頑張ってる様子、そして楽しんですばらしい表情をしているのを見ると,あーすばらしいなあって思えた。

残念ながら私はフィニッシュした後すぐエマージェンシーの病院に行って化膿した口の傷を見てもらいに行ったのでおなかもペコペコだったのにパーティーや表彰式にはいられなかったが、皆さんお疲れ様。
特にオルカイサンダルのマットとスタッフ、本当に楽しくハワイのアロハスピリットにあふれたイベントを開催してくれてありがとう!来年はエリートクラス半分より上が目標だ!
オアフのBOPも風のない中途中にランも入ったりするとんでもなくきついコースだったらしい。こちらもすごい強豪がひしめき合いながらバトルを繰り広げたとか、何より60を過ぎているジェリーさんやレイン棒サンダルのスパーキーが若手でもひーひー言うようなハードなパドルで結構な成績を出していること二感動する。やはりどのレースも自分が相手、自分の精神力と集中力と日ごろトレーニングした体力と技術、すべて自分なんだよな。私も自分にきびしく努力を積み重ねなくては、とみんなにインスパイアされた。

2011-05-14

5月13日 We are ONE

We are ONEというプロジェクトと引っさげ頑張っているオアフ出身のプロサーファー、カービー福永が次の東北支援に持っていく物資を募集中。もし野菜や果物などを月曜日の午後2時までに鎌倉に届くように送れる 方で協力できる人がいたらぜひお願いします。魚でも当日ならクーラーでもっていけるそうです。とにかく新鮮な食べ物を持っていきたいとのこと。ほんといいことだと私も思うだっておいしい食事は元気の元だから。

送り先はこちら

神奈川県鎌倉市鎌倉山3-21-7
郵便番号 248-0031
松川真介

それにしてもレースは明日だというのに歯を抜いた部分の痛みがとれず力がでない、、、薬が効いて昨日より悪くはなっていないと思うのだが、化膿は甘く見てはいけないことは経験上よくわかっているのでちょっと心配、早くよくなりますように!

5月12日 付け焼刃練習

歯を抜いたところがちょっと化膿してきていて心配。まだほっぺが晴れるほどではないが痛くて集中できない。
今日も風は弱めだが一本だけダウンウインドをして明日は体をしっかり休ませて歯も風邪も治してしまおうと思う。
午後1時のシャトルにやすべえ、ジェれミー。ランディー、アンディーたちと乗り込み、マリコで合流したモエちゃんと一緒にダウン。弱い風のためグライドはいまいちだったけれどそれでも気持ちはよかった。

やすべえが抗生物質と痛み止めをくれたのでこれがきいてくれることを祈る。

5月11日 震災から2ヶ月

(滞在中のトモと北島さん)
もう震災から2ヶ月がたってしまった。時が立つのは早いと私たちは簡単に言えるけどいまだに水道もなく電気がやっと通るか通らないかのところも多いらしい。
キャ ンプ生活が好きでわざわざ不便なところにキャンプにしに行く私ですら2ヶ月もそんな生活をしたら、もう柔らかい布団、砂埃を感じないスペース、ありったけ のお湯を使えるシャワーが恋しくなるし、そのうえ東北はこの2ヶ月寒かったはず。お年寄りや野外生活に慣れていない人たちがプライベートもなく2ヶ月暮ら すことの大変なことは想像以上だと思う。それにもう、ヤーメタ!というわけには行かないのだ。被災した皆さんが少しでも早く快適な暮らしに戻れるように祈 りたい。

ボランティアの活動もいろんなところでいろんな形で続いているようで(といっても実際に行ったわけではないので正確にはわからないのだが)すばらしいと思う。一人の力は微々たるものでも集まれば大きな力になることもある、今回ほどそれを感じることはない。

マ ウイでみんなで頑張って集めたお金の一部を持って日本に帰る。このお金は忙しい中一生懸命自分のできることをやろうとしてくれた人たち、心を込めて寄付し てくれた人たちの本当にたくさんの心と祈りが詰まっているお金。できるだけ物資は友人や送ってくれる人たちを頼りにして、このお金は現地で必要なものがわ かったときにものを買って寄付したり(現地にお金を落とすことも大事だと思うので)復旧作業に必要な資金や子供たち本当に困っている人たちに役に立つよう 直接渡したいと思っている。マウイで集めたお金はお金持ちの人や大企業からの寄付金ではなくほとんどが私のようにぎりぎりで生活しながら預金もそんなにな いようなマウイの一般家庭の人たちからのもの。仲間内ではチャリティー貧乏なんて言葉が生まれるほど(もちろんジョークであってみんな喜んで寄付したりお 金を出してくれているのだが気がつくと手元に何もないって言う感じ)
でもその過程で多くのすばらしい仲間ができたし、このお金で一人でも二人でも東北の人が笑顔になればという気持ちでみんなやっている。
マウイの活動もまだまだ続いていてそれぞれがいろんなイベントにシャツをもっていって売ってくれたりしているし、長期戦で頑張っていく気持ちもみんな一緒だ。

昨 日より体調はアップ、ただし歯を抜いた部分がいたい、なんだかちょっと炎症か化膿しているような気がする。それが痛いのが気になっている。今までずっと吹 いていた風も弱くなってしまい、このまま週末のレースまでこの状態のようで困っている。私や普段からマウイで乗ってる連中はかぜは吹けば吹くほど得意だ し、吹かない中でなんて誰も練習していない。40ノットの風が吹いていたのに、今日はそよそよカナハ周辺は3ノットとか!ため息が出てしまう。
今日ももう一日様子を見て体調を復活させルことにしたけど、何でいつもこう大事なときに体調がダウンするのだろう?まったく自己管理しっかりできてない。しっかりしなくちゃ。

5月10日 Where is tradewind?

マウイはこの季節に珍しく風がなくなっている。そういえば去年トモがパドルレースのためにきたときもこうだったっけ?やつは風なし男なのだろうか。こん なに穏やかだとマウイローカルは練習すらしなくなる、普通の人が怖がるような風が吹いてるときはみんな大喜びで声を上げながら一日2本も3本もダウンラン やるくせに今日はレースまで数日というのにシーンとしていたようだ。
私も今まで忙しかったけれど今週は自分の練習に集中するようにとっておいたはずなのに、体調は壊すわ、風がなくてモチベーションは落ちるわ、練習しないでレースに臨むことになりそうだ。


さっきまでオアフのサーファー、カービーフ福永と電話で話していたが、彼はGo-naminori.com
と いうサーファーのためのサイトをやっていて、今回の震災の支援活動を熱心にやっている。彼の熱意と行動力には本当に頭が下がる、日本人の私たちより一生懸 命で、それもただお金をNPOに寄付するのではなく手から手へ渡したい、しっかりその集めたお金が役に立つようにさせたいと一生懸命だ。被災地にも出かけ 多くを手伝いながら本当にどこで何が必要とされているか自分でしっかリ見据え、前進していく。
マウイで集めた支援金も一部カービーに託し、い い形でつかってもらえるようにと送ったのだが、実際現場に行っていろいろ見たり聞いたりしている彼から聞く話は本当にリアルで、それにもとづいて起こす数 々の行動は勇気を必要とするし、何より体力と気力が必要となる。彼が動くことで心を動かされて彼を支援し、自分も動こうとする人も多いはずだ。
彼は日本から帰ってきたばかりだけれど週末からまた数日間日本に帰る予定らしい。頑張れカービー!

2011-05-12

5月9日 体調ダウン?

(nice shirt Lukas!)

一緒に住んでいるアンドリューの具合がよくならず、それが今私に移ったら大変だとびくびくしている成果、それとも歯を抜いたのに風のないコンディションでダウンして体力を使ったからか、今日は朝から体調がいまいち。体の節々が痛いしちょっと寒気がして風邪ひき始めの兆候。いや、心配しすぎの気のせいかもしれない、と自分に言い聞かせながらもやっぱりだるいし、今ダウンしたら日本に帰るのが大変なので休むことにした、先週まではいろいろ頑張って今週にはいったら付け焼刃でもレースのために集中して練習って思っていたのに、そううまくはいかないものだ。結局何事も普段から地道にやっておかなくてはだめだ、ということだろう。(その上風まで落ちてきてしまった。レースも弱い風の中だったら困るなあ)

お昼ごろユニスから電話があり、ミュージシャンのルーカスとのランチに誘ってもらった。ルーカスはまだ若いのにほんとに心の優しい感じのいい青年。お父さんのウイリーネルソンもあんなに有名なのにほんとにチャリティーや支援活動に熱心だし、マウイでもいろんなファンドレイザーにかかわったりしている(日本を支援するKOkua for Japanコンサートにも出演していた)。そんな環境で育ったからなのか、ぜんぜん傲慢さも高慢さのかけらもない。
彼の演奏を始めて聞いたのは5,6年前だろうか、ジャックジョンソンがオーガナイズしたKokua Festivalでのこと、まだ17歳だった彼はウイリーネスソンのバックとしてドラムの弟と一緒に出演しジミーヘンドリックス張りのギターソロで観客を圧倒した。とっても印象に残っている。今はPromise of the real
という彼自身のバンドでアメリカ中ツアーをして回っている。「The ocean takes earth」という曲をウエブ上でダウンロードするとその売り上げはすべて日本とその後に起こったアメリカの竜巻の犠牲者たちに送られるようになっている。その曲は地震が起こる数日前に作った曲らしいのだが、自分でもその偶然に鳥肌がたったと言っていた。そして日本にもぜひ行きたい。またもし必要であればもっと曲を作って寄付してもいいし、自分の曲や自分ができることがあればどんどんしたいと言ってくれた。彼のようなサーフィンやスケート、音楽を楽しむ、若い世代のファンを持つ人がそうやって動いてくれることでさらに多くの若者が動く、そんな影響力を持つ彼のオファーにはほんとに感謝の気持ちで一杯だ。
ぜひ多くの人に彼の音楽をチェックしてほしいと思う。(特にthe ocean takes earth 、ダウンロードお願いします)
"Our name, Promise of the Real, comes from trying to do it the real way. That's what my goal in life is - to stay human, stay real, stay humble, and stay grounded for the rest of my life. I've learned a lot from my dad. He got me my first guitar when I was 12 and taught me chords, but I also learned by his example of how he lives his life and how he keeps his humility."Lukas Nelson


紹介してくれたユニスもそう、若くてきれいで、その上純粋でひとなつっこく、ほんとに優しい女の子、どうやったら彼女のように育つんだろうねえ、と私の友人たちのあいだでいつもほめられている。マウイに限らないかもしれないが、ここの子供たちはほんとに素直で自然な子が多い。ちょっと突っ張っててもそれはほんの表面であってそれがとれるとほんとに純粋で優しい子ばかり、マウイの自然とともに暮らしているとそうなるのかな。

2011-05-11

5月8日 トモと北島さんマウイ入り

今週末湘南茅ヶ崎でアロハマーケットというイベントがある。そこでこのあいだまでマウイにいらしていたハワイの植物などを育てたりもする、サーファーの江原さんPray for japan from Mauiの チャリティーTシャツやステッカーを販売してくださることになった。何人かTシャツに関してお問い合わせがあったけれどここにくれば買えます!茅ヶ崎は 茅ヶ崎アロハというクールビズを町全体でプッシュしているほどで町ぐるみでアロハ、ハワイっぽい雰囲気がある、このアロハマーケットもハワイ好きにはたま らないいろんな出店が出展しているようだ、残念ながら私は間に合わないけれど、週末にぜひ湘南でハワイの心地よい風に触れるために遊びに行ってほしいと思 う。

朝6時半に家をでて7時からの移動歯医者さんへ。保険がなくても低価格で治療してくれるので、日本以外のデンタルの保険を持っていない私にはとってもありがたいものなのだが、今回も奥歯を抜かれてしまった。平気なのかな?
そのまま今度は空港へ行ってトモと北島さんのピックアップ。週末オアフで行われるスタンドアップのレースに参加するためにやってきた。トモは何ヶ月も前から買ってあった秘密兵器(?)17.4フィートで26インチ幅の細くて早そうなレースボードとご対面。家に戻ったときはもう午後だったので今日は言いか、といっていたけれど結局3時のシャトルに間に合うことがわかり、急いでカナハまで。昨日の風向きのままさらに風が弱くなった感じで、グライドしなさそうだったのだが、勢いで一緒に参加。
シャトルに乗ってきた人たちと話していてトモと北島さんが今飛行機から降り立ったばかりだと聞いてみんな、びっくり、それで北島さんがマリコラン初めてと聞いたら「オー!」と冷やかすようなびっくりするような歓声が上がった。みんな、こいつ、どれだけ大変かわからずに連れて行かれてひーひー言うんだろうなって思っていたんだろう。

風は弱く曇りがちだったけれどやっぱり海に入ると気持ちがいい。北島さんも最初はコツがわからずなかなかグライドできてなかったけれど後半戦はバンバングライドさせて私と同じくらいのスピードまで上がってきていたから後何回かやればばっちりだろう。心配性のトモはいざ処女航海というときになって、細すぎたらどうしよう、乗れなかったらどうしよう、なんていってたけど乗ってみたらすごく調子がよかったらしくにっこにこ。もともとトップレーサーのコナーガのていたボードで、彼もスターボードのライダーなのでスターボードのディッケルがばっちりついていてかっこいい。

後半はほんとに風がなくなりカナハについたころには薄暗くなっていたけど北島さんは達成感があっただろうし、トモはニューボードがばっちり、私も水に入ることができてみんな気分爽快で一日終了。

2011-05-09

5月7日 母の日 Downwinder BBQ!

(kelly Mooreのマリコシャトルを利用して合同ダウンウインド)
今日は母の日、周りのお母さんたちを見ても本当に母親ってすばらしいと思う24時間営業で本当に大変な仕事それでももうヤーメタ、なんてできない、そして子供にとって母親ほど大事なものはない。私みたいな子供を持ったうちの母親は本当に大変だった(というか今も大変?)だと思うけれど、ほんとに心から感謝している。少なくとも私は自分みたいな子供がいたらとてもたいへんすぎて育てられないと思う。(chimiチャンが作った本当にたくさんの寄せ書きを集めて縫い合わせられたメッセージフラッグ。マウイのたくさんの人の思いがつづられている。巨大!)

今日はPray forJapan from Mauiのもろもろのイベントや集まりで知り合いになったたくさんの仲間と一緒にBBQ。その前にダウンウインドもしちゃいましょうということで、今日はじめてダウンウインドを経験する人も大勢参加。(強面のボーイズ)(OC-1で初マリコランのヒロさん、さまになってる!)
(二人とも初ダウンウインドの井口夫妻、タカさんは果敢にもレイダウンパドルのボードで挑戦)
(マリコベイを出てすぐのころ、突然風が強くなるのでみんなあたおたしながらもダウンウインド開始。手前はかっこよく漕いでいるOC-1に乗ったやすべえ、このあと起こることなど頭にはまったくなかったはず)
初挑戦の幸恵ちゃんも後半は結構なれてきてがんがん漕ぐ)
今日は心持オフショアだったので沖に出るのはらくらくなのだが気がつくと風に乗っ沖に行き過ぎてしまう。私は最後尾とはぐれないようにしていたら、前のほうのグループは気持ちよくどんどん先に行ってしまい、完全に沖に行き過ぎている、このままだとカナハに近くなったときに岸に戻るのが大変なので(私がいた地点でも通常より沖にいたくらいだったので)声をかけたいのだがどんど先に行ってしまうし最後尾はおいていくわけには行かない。後ろのグループを一緒に見ていてくれたランディの声をかけて前にいるグループを追いかけて、インサイドのコースをとるよう指示してもらった。ランディーはいろんなグループをいったりきたり、インサイドに向けて漕ぐようにと言ってもなれてなければなかなかそうもできない。かなり四苦八苦して最後までケアをしてくれていた。バディーシステムで行こうといってはいたものの、海に出てしまうとみんな夢中になって一人ひとり自分のペースで必死に漕いでいってしまいばらばらになってしまった。次回は前のグループがどこかでいったんグループを待って、人数再確認してからまたスタートするシステムにしないといけないなあと大反省。みんな楽しんでくれてよかったけれど外洋では何が起こるかわからない、もしもフィンが壊れた人とかがいたら大変なことになっていた。実際後半やすべ絵はカヌーがひっくり返り、それを起こすときにリーシュをはずして起こし、その習慣風にカヌーが吹き飛ばされてカヌーとはなれ(この風でボードやカヌーと離れたらどんなにがんばっても泳いで追いつくことは出来ないのでリーシュは絶対に必需品だ)どうにもならないまま沖の海でパドルだけもって泳いでいた。見つけられて一緒にボードに乗って帰ってきたからいいものの、あの大海原で誰も気づかずにしばらくしていたら、と思うと鳥肌どころの騒ぎではない。これからはなれている人一人にビギナー3人以下、そしてみんな離れずに行かなくてはいけな、風によってコースや状況を把握するのは当たり前で、海に慣れている人たちだからとちょっと気楽に行ってしまったけどそれではいけないなと反省。でも私もかなりビビッてたけどランディーはもっと心配していたようだ。(ありがとうランディー!)何かあってからでは遅いからこれからはもっとやりすぎくらい安全を確認しないと。とはいえみんな無事にビーチに戻ってくれておおいにたのしんでくれたのでよかったよかった。
今日はオフショアが強くグライドもすごくするいいコンディションだったと思う、来週末のレースに向けて大勢のパドラーがメインランドからもきている様子。今年はぜんぜん練習できてないけど今週は私もちょっと練習しないと!

思い切りパドルしたあとは持ち寄りバーベキュー、いつものお決まりで日本人グループの持ち寄りパーティーはほんとにたくさんのすばらしい料理がテーブルにあふれるほど並んだ。スキップ、テディー、エディーたちのBBQマスターたちがすでに肉類を焼いていてくれて、最高の集まりになった。ここ2ヶ月間ほどいろんな日本支援の活動で知り合った仲間たちだが、なかなかイベント中はみんな忙しくて話も出来ずにいたけど今日はいろんな人との交流が持ててとてもよかったと思う。大変な苦境の中でもいいことやポジティブなことは見つかる、地震、津波、放射能の災害は、この世のものとも思えないものだけれど、マウイではこれがきっかけで日本人コミュニティーが固くつながった気がする。そしていろんな形で自分が出来ることをしていくことが何かしらの助けになることも実感できた。BBQで終わり、ではなく、これからに続く激励会だと思ってこれからもみんなで力を合わせてがんばっていければいいなと思う。マウイの素敵な仲間たちに感謝感謝!