2011-09-30

9月29日 Fun size surf

(PFJミーティング終了、やってる最中は夢中で集合写真取るの忘れてしまったけれど忙しいなか10人以上集まってくれました!)
波がサイズアップするという予報の通りちょっとだけノースショアは波がある。PFJで一緒にがんばってるサーファーレディースたちは最近みんなショートボードに乗り始めた人が多く、今日はみんなでビッグレフトで乗っていたらしい。立ちんぼうばかり私はやってて一人取り残されている、すこしはふつうのサーフィンもやっとかないとなあ。
やっと少し腰が楽にはなったけど本調子ではないのでいまいちモチベーションが上がってこない、まあそういうときはまだやるべき状態まで回復していないしるしなのだが。

お昼時にみんな忙しいなか集まってくれ、PFJミーティング。10月半ばにサイレンとオークションのイベントをやるのでそのための準備にこれから大忙しになりそうだ。いつもミーティングをして思うことは本当にマウイはすばらしい仲間がいるなあってこと、みんなほんとに忙しいのにそのなかで何とかやりくりして一生懸命日本のために何かしようとしている、そしてその気持ちがひとつになっている感じがある。
みんながそうだから私も、よし、もっとがんばろうって言う気持ちにさせてもらえる。
仲間がいるから小さな力が集まるとちゃんと何か動く力になることができるって信じることができるし、3月以来何度もそういうことを経験してきた。

仲間の結束はたぶん東北に対する活動が終わってからも、何かあったとき、きっと助け合えるような強い絆になったと思う。
ほんとにマウイの仲間には心から感謝。(この背中ですから!頼もしいです)

ミーティングでやること宿題がたくさんできたのでさっさと家に戻ってやってしまおうと思っていたら、レインズを通り過ぎたときに波が結構よさそうに見えた。風も吹いててカイトもやってる!腰もちょっと心配ではあったけれど、ほんのちょっとだけ出てみることにした。
風は弱めだったので7m、オンショアがかっていたので見た目のサイズほどにはパワーがなく、ちょっとがっかりだったけれど、まああまり乗りすぎるとまた腰を痛めるの大事をとって早めにやめておいた。
新しいカイト、ドリフターはとっても調子が良く弱い風でもしっかり動いてくれる。とってもお勧め。
とりあえずレインズに来ているカブリナライダーはフリースタイルもがんばってるクルーザー以外みんなドリフターを使っている。

帰るとき、レインズ常連のスティーブ雅うれしいニュースを聞かせてくれた。
カイトサーファーは一番虐げられていて、フキパではなかなか乗らせてもらえないが、こん10月1日から10人ルールというのが正式にでき、10人以上いたら乗れないけどそれ以下だったらカイトサーファーも来ていいということになるらしい。そりゃア10人いたらもともとフキパで乗らないし、でも一人もいないときフキパに行っただけで、プウーっとホーンの鳴らされ、出て行けといわれることはなくなるらしい。こんなうれしいニュースはない、もしかしたら今年の冬はフキパで乗れるチャンスがかなり増えるかもだ。

2011-09-29

9月28日 アメリカンドリームならぬ、イタリアンドリーム

(KSPのウイナー、若きAirton!おめでとう!)
モーリシャスで行われている回とKSPワールドツアーは予想以上のすばらしいコンディションに恵まれ、現在のウエイブライディングのトップレベルを世界に知らしめた。
優勝はなんとAirton。聞き覚えのある名前だとは思っていたけど、はっと気がついた、これってカボベルデにずいぶん前に行ったときに小さな少年だった、あのこじゃないかって。カボベルデに行ったのはもう5年位前のことになってしまった。トウバとべトラン、そしてタヒチのモエの4人で行って、一ヶ月ほど過ごしたのだが、波は最高だったけれど風がほとんどなかったり、あっても完全なオフショアだったりでカイトには完璧とはいえないコンディションだった、でもサーフィンには最高。モエなど、毎日、今日生まれてから最高の波に乗った、と毎日Best wave of my lifeが更新されていた。波は本当にハワイでも見たことがないほどきれいなAフレームの波。でも私はカイトでサーフボードに乗り始めたばかりだったし、サーフィンではとてもあんな波には乗れないレベルだった。
(ほんとにちっちゃかったけど今ではこんなに立派になった)
ついた当日カーニバルで一人の少年がモエに気づいて駆け寄ってきた。(写真右)その数年前にも絵がカボベルデに行ったときに知り合ったかわいらしい男の子で、モエの顔を覚えていたのだ。モエはすごく子供好きで彼との再会を喜び、以来私たちのたびにはその子が加わり、毎日一緒に海に行ってサーフィンしたりしていた。
たぶん当時彼は11歳くらいだったと思う、学校にはあまり行ってないようで、誰かに譲ってもらったショートボードを持ってはいたが、あまり裕福な家の子供には見えなかった。かといって私たちとずっとつるんでいても物乞いをするわけでもなく、何かをねだるわけでもない。とても素直で感じのいい子だった。カボベルデのローカルであり黒人ではあったけれどハーフらしく、目だけは限りなく薄いブルーでとても神秘的な顔だった。(右端が彼を引き取ったイタリア人、左から旅の仲間、べトラン、トウバ、モイ)
イタリア人のウインドサーファーの人がかわいがっていて、彼を養子に従っていた。なかなか書類上のことが難しかったらしいが、おそらくその後彼が引き取ることができたに違いない、というのは彼の苗字が今回イタリア系になっているし、出身の国もイタリアで出ていたから。
そしてサーフィンはその歳にしてはとても上手で、よっぽど大きな日でなければ大きな波のメインスポット、プンタプラナで乗り、大きくなりすぎるとその横にある小さめのところでリッピングした。
カイトも従っていて、私の小さなカイトをうらやましそうに見ているので何度かビーチで教えてあげたりもした。
マウイに帰ってから中古のカイトをあげる約束でカボベルデから来ていたジョッシュに手渡したのだけれど、彼に届いたのだろうか。ま、どちらにしても現在あれだけリッピングしているのを見て本当に誇らしいし、カボベルデでのあの目をきらきらさせながらサーフィンに夢中だった彼がいろいろ障害もあっただろうけれど、夢をかなえ、いまや世界のトップに立っていることは本当にうれしい。これからも彼の活躍はずっと見守っていきたいし、ミトウと同様、カボベルデの国民的英雄として迎えられているんだろう、12月にはツアー最終戦がカボベルデで行われる、ここでの彼らの活躍は現場に行ってみてみたいし、できることなら自分も参戦したいなあ。(5年前のカボベルデ、当時の私にはちょっとハードだったけど、もう一度ぜひ行ってリベンジしたい)
ミトウにしてもエアルトンにしてもやはりいいコンディションのなかハングリーにそしてプッシュしあって、乗ることでものすごく上達するのだろう、彼らが活躍の場をもつことができることに私も本当にうれしい気持ちでいっぱいだ

9月27日 Another day of resting my back

そろそろ良くなってくれてもいいのに、今回の腰痛はちょっと長引いている。歩けないわけではないのだが、動くのがしんどいし、仕事に集中できない。まあぎっくり腰でトイレにも行けないくらいになるよりは良いので今大事にしてしっかり直さなくては。これから冬シーズンが始まるし。

というわけで今日も家で療養、原稿書き、そしてPFJの準備。

運動不足なのと腰の周りの筋肉をほぐすために午後ちょっと散歩に出かけた。普段からだの調子がいいときは反対に散歩になんて行かない、海に行くか仕事しているかのどっちかで、その場合歩くことがほとんどないのだけれど、歩いたり下半身を鍛えることってかなり大事だと思う。良くアスリートって言われるけど、私はちゃんとしたトレーニングをしていないし、偏った運動ばかりであるところの筋肉は発達してるけどあるところはぜんぜんない、という感じでそのアンバランスな感じが腰痛とか膝の故障につながっているような気がする。これからも長い間ハードに海で遊び続けたいのなら、しっかり気をつけていかなくてはならないなあ、と、故障すると反省するんだけど。(ペパーコーン、甘いコショウのような味がする)
(リリコイの花、パッションフルーツといわれるくらいでなんとなく魅惑的な花)
(いくらでもあるグアバ、これをとっては食べながら歩く、そしてスムージー用にもってきたビニール袋にもいくつか入れて)

以前はマリコベイからハイク、フエロにかけて、ハナハイウエイの海側はすべてパイナップル畑だった。でもDOLEがマウイから撤退してから(と聞いている)ほとんどの畑が放置されたまま、草ぼうぼうの状態で使われずにいる。そのうちのいくつかは宅地になってFARMとかいう名前だけは質素な感じだけど1ユニット億単位のゲートつき高級住宅地になろうとしている。放置された土地がすべてそのうちそうなってしまうのだろうか、そうだとしたら恐ろしい。家からすぐのところにある昔から使われてきた用水路、この用水路沿いに結構歩いていけそうだ。

2011-09-28

9月26日 New kiteと整体

(カブリナで働いているフィル、スーパーナイスガイ、いつもありがとう)
腰を痛めてから見てもらうのをずっと待っていた整体にやっと今日っ見てもらえた、いつもとはちょっと違う痛みだったのだがやはり、背骨の下のほうがずれていたようで、それから来る痛みだったようだ。
アルヴィンという日系人のこの先生はどこからこんな力が出るのかと思うほどの強い押し方をして、橋によっても押してる先生を蹴り飛ばしたくなるほどの痛さなのだが、実際に良くなるのでまた困ったときにはつい電話してしまう。ウインドサーファー仲間でも口コミで結構知られている先生だ。

ずれた感じはなくなったけれど、まだ痛みがなくなったわけではない。波もまた上がってくる予報なので早く直ってほしいものだ。

今日はカブリナに行ってニューカイトをピックアップ、今年の私のチョイスは迷わずドリフター、3本のストラットでとってもシンプルなカイト、プロトタイプを一回使っただけでその使い心地のよさが気に入ってしまったモデルだ。
日本から帰ってきてレインズに行ったらカブリナのライダー5人のうち4人がドリフターに乗っていた。やっはり波のなかでいいのだろうな。

せっかくコンディションがいいのに腰が痛いためにサーフィンもカイトもできずちょっと悔しいけれどここはちょっと我慢してちゃんと直しておかないと、冬はもう目前、これから体を酷使するシーズンなのできちんと自己管理をしていクことを心がけたいと思う。

2011-09-27

9月25日 KSP world tour kicks off

今年からKSTというカイトのウエイブライディングだけに絞ったワールドツアーが始まった。
今まであったワールドカップはフリースタイル中心で、若者が多く、ウエイブ中心に会としているライダーたちが出て行ける大会はあまりなかった。そのために世界中のウエイブライダーたちが一緒になるチャンスも少なく、限られたスポンサードされているライダーたち以外のがんばってる上イブライダーたちがスポットライトを浴びることはあまりなかったし、ローカルヒーロー以上の存在になることも少なかった。
でもこのツアーではいい波のところでしか大会が行われないし、ウエイブが好くなライダーたちが中心になって運営していることもあり、とってもいい形で動いていきそう。私の友人、クリスティンやスカイも頑張ってくれている。
うれしいことに私も最初のインビテーショなるリストに名前が載り、ツアーに出られる資格はあったのだが、どの場所も波は良いけど行くのにもお金がかかるところばかり(招待といっても自費でそこまで行かなくてはならないのだ)、とてもすべて回るのは無理。結局辞退はしたものの、もしも可能であるならどれか一戦くらいは出たいなあと思っているが、その場合選手に秋があるときにだけ出られる資格ができるシステムだ。
第一戦はモーリシャスで今行われている。インド洋に浮かぶ島モーリシャスはレフトのビッグウエイブで知られていルが、今回は大当たりのようだ。(旅に関しての思いを共有する友人ジェレミーイロイ、行きたいところが似ているので一緒に話しているととても楽しい)

マウイからはフリースタイルでもワールドチャンピオンになったジェシーリッチマン、そしてマウイでは最もうまいと私が思っている、けど世界的にはぜんぜん知られていないメローなパトリが参戦、二人ともストラップレスでがんがんビッグウエイブをリッピングしているようだ。
世界の各地でうわさには聞いていた人、どこかでであって、うまいって感心した人たちなど多くのウエイブライダーたちが集結、そしてプッシュしあっている様子で、ああー私もその場にいて、みんなと話したりセッションしたかったなあと思う。波を見ると不得意のレフトの波だし、ちょっと私にハンドリングできるかどうか不安だが、同時にレディースでもぜんぜん知られていなかった人でがんがん行ってる写真を見て、うれしくなったし、ぜひ知り合いになって刺激をもらいたいと思った。

たぶんこれだけいい波だとみんな勝ち負け関係なく楽しんで、セッションしてすごいライディングを素直にほめることができるんじゃないかと思う、こういう波を前にしたらごまかしはきかない、うまい人はうまい、歴然とするから。

この大会にはいぜんバハで知り合った女の子ケリーも参加している、今までウエイブの大会がなく、いっぺん的にはぜんぜん知られていない子だけれどとっても明るくて楽しくて上手だった、私達はすぐに意気投合し、隣同士のキャンプサイトで毎日一緒にカイトしていた、女の子でウエイブライディングではじめて一緒にやっていてほんとに楽しくプッシュし合えるって感じた子でもある。彼女もこのためにお金をためて今年はすべての大会に参戦予定だ、頑張ってほしいと思う。(エアルトン、カボベルデからはるばる参戦)

そしてカボベルデのミトウとエアルトンも参戦している!彼らはカボベルデのローカル、私がカボベルデに行ったときも上手だったしサーフィンもウインドもプロ級、特にミトウにはほんとにびっくりした、スタイリッシュでラディカルで、その上ストラップレスがまだまったく一般的でないとき一緒に行ったべトランやモエがやっているのを見て早速サーフボードでトライしその場でチューブに入りそうになっていた。その後クラッシュして唯一のカイトを破ってしまっていたが。(カボベルデの国民的英雄ミトウ、彼がカイトを破って乗る道具がなくなったとき、私は思わず自分の14mのカイトを彼にあげて帰ってきたことがある。彼が 道具にコマって乗れないなんてこのスポーツにとって良くないことだ、そんな気がしたくらい彼は熱心で上手だったのだ。でも私の判断は正しかったみたい、 Look at him chargin’ now!)(Mitu, jamming)
彼らは決して裕福ではなく、仕事の合間それこそ昼休みの一時間でも惜しんで熱心に練習していた。その後カボベルデが有名になっていき、彼らの実力も少しずつ任視されていくようになったけれど、今回のつあでは彼らが大活躍するのは明白であり、私も心から応援している。

ほかにも私が「うまいらしいよ」と評判を耳にしている人、またマウイに来て目だっていた人などが参戦している。やっとウエイブライディングシーンが動き始めた、そんな実感があってうれしい。
なかなか日の目を見なかったカイトのウエイブライディング、これをきっかけで少しずつでも注目されていけば良いなあと思う。
(A chic who rips!)

マウイもこれからウエイブシーズン、明日からまた新しいノーススウエルが来る予定、そして風も。私も体の調子を整えて、モーリシャスの盛り上がりを刺激に頑張っていこう。

2011-09-25

9月24日 BOPとPFJの打ち合わせ

(BOP本日の優勝者、キャンディス・アップルビーとコナー・バクスター、おめでとう!)

悲しいことにやっぱり腰は良くなっていなかった。ベッドからは事後で降りてくるのもやっと。でもまだまったく動けないわけではないので救われる。ぎっくり腰はどんなことをしてでも避けないので今日も安静にして海はお預け、たぶん結構楽しいコンディションだろうけれど。

お昼にパイアでとっても懐かしい仲間と再会。サクラキャンプに当事中学2年生、最年少で参加し、その後もウエイブをがんばっていたかなちゃんとそのお父様。実は私がウインドを始めたころ、お父様のほうも同じビーチでやっていた縁がある。そしてお父さんもいまだにかなちゃん以上にハングリーで今回もマウイに来るのにかなちゃんの仕事が遅くまであって早い便に乗れないのに、お父さんはどうしても着いた日にもウインドしたいからと早めの便に一人で乗ってきたというほど。
そうはいっても親子でウインドとリップなんてほんとに素敵。
かなちゃんも今では社会人。仕事も大学時代に夢中になってやっていたスキーのほうもいまだにがんばっていて夏でも週末は仲間と合宿などしてトレーニングに励んでいるらしい。結局やってることがカワってもやり方とか取り組み方って性格が出るものだ。けど一生懸命夢中になれることがあるって本当に幸せなことだと思う。二人ともとっても生き生きしている。

その後フィッシュマーケットから数件移動してコーヒーショップでPray for Japanの10月に予定しているイベントについての打ち合わせ。結構日程が迫ってきているため細かいことを話し合い、明日から来週はかなりがんばって動かなくては!と気合が入った。
このイベントはワイレアのショッピングセンターにある、日本食レストランKAIで行われるオークションで、今のところいろんな新品のボードやギア、そしてアートや写真などいろんなものが出店される予定(実際これなくてもオンラインで参加できるようにしたいと思っている)詳しいことは来週あけにでも発表できるはず。

最後に今週末はスタンドアップパドルのもっとも大きなイベントのひとつBOP(バトルオブザパドル)がカリフォルニアで行われている、今日のレース、メンズがコナーバクスター、レディースがキャンディスが優勝。キャンディすは見るからにパワフルだけどコナーははっきりいって物干し竿みたいに背が高くはなったけど細くてパワフルという感じでは決してない、(コナー、試合前にカーボ摂取)

試合前のでも去年の勝者ダニーチン、そしてパドルキングで10年連続でモロカイのパドルボード部門を制したジェイミーミッチェルさえ抑えたのだ、今年はまさにコナーの年、もしかした優勝しなかったレースないんじゃないかな?
すごいなあ。私もまた練習したいけど、まあ冬が近いのでまずはウエイブ優先でいこう。
いやまて、腰を直すのが優先だった!!

2011-09-24

9月23日 市民の放射能測定室

マウイに戻ってきて時間に余裕ができた。やることはたくさんあるけど、やる気になるだけの余裕というか。
その余裕がいろんなことに対して考えたり、人に伝えたりする気力も自分に与え始めた気がする。

残念なことにずっとカイトをサボっていたのに急にガツンとやったせいか、腰が痛くなってしまった。筋肉なら何とかなるのだが、腰の下の部分の骨と骨の間が痛いのでこれはちょっと用心しなくてはならない。ここでぎっくり腰なんてやってられないのだ。
というわけで残念ながら早朝の波乗りもお昼からのカイトもなし、家で療養。そしてやることの整理。
整体の先生も忙しく来週の月曜までは見てもらえそうにない。
でもまだ動けない状態ではないのでこれ以上悪くならないように気をつけようと思う。

東北のことについてなかなかブログで書く暇がなかったがたくさんの仲間はいろんな形でがんばっている。復興が進むにつれて、支援、活動も幅が広がり、またいろいろな形ができつつある。何もない状態から、事業を再開したり、会社を始めたり、プロジェクトをスタートし始めた元気な被災者も大勢いる。
応援するほうもただ物資を送ったりお金を送るという形ではなく、いろんな方法で彼らがやろうとしていること、やってることをサポートするのが一番だと今は思う。とはいえ場所やシチュエーションによっていろいろなので決め付けることはできないが。

5月に初めて東北に行ったときに紹介された、有機農家の石森さん。彼は地震や津波で家が壊れたり何かを失ったわけではないが、それでも大きな被害をこうむった多くの人々の一人。
彼の住む土地は政府ではここの作物は安全と、保証も検査すらもしてくれない場所だけれど、自分で自分の土地の放射能を調べるためにフランシスまで土を送り、やはりここで野菜を育てるのは無理だとあきらめた良心の人。努力しないであきらめるのはよくない、と作っては見たけどやはり数値は自分が決めた数値よりも高く、すべての野菜を捨てたらしい。(その地域で野菜を売らずに捨てたのは彼一人らしい)
そんな中まったく収入がなく、30年かけて築いた有機栽培のための土地もすべて汚され、大変な思いでいるはずだけれど、周りでも何を食べたらいいのか、どういう生活をしたらいいのか心配している人画多いことから、政府を待っていては始まらないと、260万の借金をして放射能数値を測る機械を購入し、一般の人のために数値を計る、小さき花、市民の放射能測定室をスタートさせた。ブログなんてするようなタイプではないのだが、多くの人に正しい情報を送ってシェアする目的でブログもはじめた。

数日前に北海道の亡くなった友人太さんのことを書いた内容と重なるけれど、人間真っ正直に生きルことは決して楽ではなく、損な役割が回ってくることも多いかもしれない。石森さんもそんな人だ。ずっと原発反対を唱えていたけれど、それでも今回の原発事故では自分が30年間大事にしてきた土地を汚され、信じてきたやり方、地道に作り上げてきた生態系と土をすっかり放棄しなくてはならなくなった。それでいて、政府には保証される地域ではなく、勝手に作物を育てなかったのと同じような扱いになってしまう。
作ってみて、それで数値が低ければというむなしい願いもかなわず、結局でいた野菜はすべて捨て、また今まではそういうものを肥料として使っていたけれどそれもかなわなかった。

すべてが悪いほうへ向かってるようにも見えるかもしれないし今後どうやって生活するための資金を作ればいいのか途方にくれてしまうかもしれない。でも一生が終わるときに彼は自分は自分に嘘つくことなく正しいと信じていることだけをやってきたという自身と満足感をもって一生を終えることができるだろうし、おそらくその真っ正直さに心を打たれて応援してくれる人も出てくるだろう、。(心からそう願っている)私たちマウイの仲間からも少しばかりではあるけれど気持ちをこめてカンパしたいとおもっている。それは彼に対してというより彼がケアをしてくれるだろう、ほんとに数多くの東北に住む心配で心配で仕方ないお母さんたちへのカンパでもある。

母というものはどんなことがあっても、自分を犠牲にしてでも子供を守ろうとする。そんな中で目に見えない悪魔のような放射能におびえながら生活するストレスは想像を超えていると思う。
目に見える形で待ちの復旧が進んでいるなか、放射能に対しての復旧は進んでいるのか、あるいはさらに悪くなっているのか、私にもわからないし、まだまだ闇のなかを手探りしている気分でもある。

できる限りいろんなことを知り、考えること、それが大事なのかもしれない。そして日本中の人が放射能の恐怖と危険から解き放たれる日ができるだけ早く来ることをみんなで祈るしかない。ネガティブに考えていると悪いものを引き寄せてしまうから、明るい平和で安全な未来、ピンクや金色に輝く子供たちの笑顔をイメージして。

2011-09-23

9月22日 Even better than yesterday!

(ほんのちょっとしか乗っていなかったのにフキパの丘から撮ってくれていたようだ、ありがとうJimmie)
朝サーフィンできるかなと思っていたが朝早い時間は結構風があって断念。その後7時ごろ友人からの電話でそれほど良くはないけど風はないからカナハで出る、とのこと。雨も降ってきたから風が落ちてしまったのかもしれない。
今日は11時からカイトのつもりだったのに、どうしよう、と迷ったけれど、やることもたくさんあるのでとりあえず待機、そのあともいろんな人からレポートをもらったが結局10時過ぎには風が上がってきたようで終了。

スタートが遅かったがレインズもカナハも昨日より風が強くなり、波もサイズがちょっと上がった。今日もレインズの常連たちが勢ぞろい、そのうえ見かけない顔は2,3人なのでとっても気楽だしストレスフリー。
メンズは7か9mのカイト、私は今日も5.5mでぴったり。

ただずっとカイトしていなかったのに急に昨日やったので体がびっくりしていた腰がかなり痛い。ここで無理してぎっくり腰などやってしまっては泣くに泣けないので(特に今年は今までやらずにがんばってきたのでこのまま一年を終えたいというもの)かなり慎重にコルセットもして出て行ってみた。乗れなくもないが、ちょっとバンピーだったり変な落ち方をするとグキといきそうで怖い、結局2時間もしないうちに上がった。折角いい風で波もあるのにもったいない気もするがRide for tomorrow, 明日も乗れるような乗り方で今日乗ることも大切だ。

家に帰るとお腹をすかせて鶏たちが待っていた。ずっと留守にしていたからちょっとまた警戒されている感じがあるが、ち美ちゃんたちはだんだん心を許して方に乗っかったりしてくれるようになったのがうれしい。バブルスと呼んでいる3羽のちびちゃんたちも緑色のきれいでおいしい卵を産み始めた。

鶏や庭の緑を見ていると心が落ち着きを取り戻す。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

2011-09-22

9月21日 Fun kiting at Lanes

何ヶ月カイトをしていなかっただろう?去年の冬、波があるときはやっていたけれど、震災後は忙しくてあまり海に入れず、波がなくなってからはまったくやってないはず。少なくとも5月に日本に帰ったときに日本ではずっとやってなかったし、その後の7月のマウイはロングディスタンスのパドルレースの練習にやっと時間が取れるくらいでカイトをする時間はなかった。だから下手したら半年ぶりくらい。

昨日の晩予報を見てカイトコンディションになるかも、と思ったとおり、朝からちょっとだけ波があり、でもすでに風が入っていてサーフィンにはいまいち、少しのんびりして11時にレインズに向かった。
波はオーバーヘッドくらいで風もよさそう。友人が9mではオーバーだといって7mに変えたので私は 迷わず5.5で出た。
ちょっと弱いけどまあちょうどいい。海にいるのは私と師匠のディランだけ、彼も久々みたいだけど新しいカイト、ドリフターがとっても調子よさそうだ。途中カブリナカイトに乗ってる女の子が出てきた。レインズで女の子を見かけることはほとんどないのに見かけない顔だったから外国から来た人かな、と思っていたら後でアレックスアグエラの娘けりあだということが判明。彼女が生まれたことだって覚えているくらいの若い子がレインズではいるようになった!すごく嬉しい!さすがアレックスとカーラの子供だけある。お父さんのアレックスも今日はバシバシ乗っていた。

ファーストスウエルというにはちょっとメローでサイズもそこまではなかったけど風は安定していて午後には4ftくらいのセットも入ってくるようになり、冬に向けて最高のウオームアップになった。それにしても波には乗れたけど、ボトムターンのときに背中の筋がつりそうになったり、腰が痛かったりと練習をサボっていたのが明らか。体がついていかずに2時間で終わりにしておいた。これから少しずつ体を慣らしていかなくては。

ところで我が家では短期長期でマウイに来る人で部屋を探している人を募集してます。二部屋あってトイレ、バス、キッチン、リビングは共有。フレッシュな卵付きだけど、虫とゴキブリと、たまにねずみもついてます。部屋や滞在日数にもよりますが一日20-25ドル、マンスリーレートもありますのでマウイに期待と思っている方ぜひ連絡ください。カントリーリビング(田舎暮らし)が好きな人ならばっちりです。

2011-09-21

9月20日 My first day is Jun's last day

今回はあまり時差ぼけを感じない、もしかしたら万年寝不足だったからかもしれない。

カナちゃんからメールをもらい、今日が福島の被災地から3ヶ月マウイに来ていたじゅん君の最終日なので一緒にサーフィンをしようと誘ってくれたのだが、家でのもろもろを終わらせようとしていたらどんどん時間がかかってしまい、家を出たのはお昼ごろだった。
やっとサウス側についたころには彼らはすでにビールを飲んで、帰り支度。どうしても顔だけ見て挨拶したいということで、オロワルで待ち合わせしてもらい、ちょっとだけご挨拶。
あまり一緒には過ごせなかったけれど、みんなの話から彼がもう完全にローカルメンバーとして打ち解け、みんなのお手伝いをかってでてやったりしていることを聞いている。
すっかり日に焼けして、私以上に黒くなっている。この3ヶ月間彼はどんなことを考えたりしたのかな、銀行員だった彼だけれど地元の銀行は機能しようがなく、帰ったら役場のバイトを申し込み、それがだめなら、土方でも何でもするといっていたけど、私だったら働き者で、優しくて、友達思いの彼を絶対雇う。

きっとまたすぐマウイに来るような気がする。仲が良くなれば、みんなに会いたい気持ちが強くなって遊びに行きたくなる、私だって東北にすぐにでも行ってみんなに会いたいと思うもの、きっと一緒だから彼もマウイにすぐ帰ってくるだろう。

みんなと別れたあとラウニポコまで行かずに待ち合わせした場所で海に出てみた、波はほとんどなかったけど人もいなくて、一人っきりマウイの海に入り、ちょっとざわざわ知っていた心や雑念を波に洗い流してもらった。

やっと自分の時間ができ、少し落ち着いた、けどやることは沢山ある、これからはマウイのペースでしっかり着実な生活をおくリ、海にも気持ちをどんどん向けていきたい。
そんなこと考えながら波予想見たら明日からさっそく大きなノーススウエルが来そうだ。その上風つきで!レインズのカイトに良さそうなコンディションになるかもしれない、おっとっと、ここ数ヶ月全然カイトしていないぞ、明日から頑張らなくちゃ。どきどきしてきた!

2011-09-20

9月19日 Back to Maui

坂ノ下ローカル明憲の写真拝借、私が海から上がった後の写真。
彼の言葉で言えば、
I saw the border line of the season on Sep 19th. The Brighter side is the Summer and this darker side is Fall
 (19日に季節の変わる境界線を見た、明るい側が夏でこのくらい側が秋、気温がぐっと下がり雨が降ってきたそうだ)だったそうな。(ビーナスマスター明憲)
寝不足が続いていて朝起きるのがつらかったけど起きたら昨晩まで吹いていた風が止まっていた。このまま寝ていたいけどこれはチェックするしかない、と6時ごろいってみるとほんとに風がなく波もある。そのうえ由比ガ浜だけでなく沖のポイントも割れていそうだ。

7時に予定していた用事も10時に変更になったので大急ぎでしたくして海へ。でもさすがにすごい混み方で、家の前からスタンドアップで沖まで出るだけでも勇気がいるほど、大勢のサーファーが2メートル間隔くらいに海全面にいるなか顰蹙浴びたり怒鳴られたりしませんように、大きなセットでまかれて誰かにぶつかりませんようにと祈りながら、すみませーん、お邪魔しまーす、とお辞儀しながら沖に漕いだ。(ウインド、サーフィン、SUP, ギターと何でも器用にできちゃう作ちゃん)

逗子に行くか近くのポイントに行くか迷ったが、たぶん逗子は混んでいるし、近くのスポットはいつ行ってもフレンドリーな雰囲気でドロップインとかもないのでちょっとサイズが微妙だったけどそっちに行くことにした。漕ぎ始めたとき誰かがいいサイズの波にテイクオフするのが見え、一気にパドルに力が入った。
スタンドアップが3,4人、そしてロングボーダーが3人ほど、みんなとてもにこやかで譲り合っている感じ、この夏じゅう会えずにいた坂ノ下の明憲もいた。彼が初夏の台風で乗ったここの波の動画を見て、こんな波が来たときは自分の板で乗りたい!と思って今回はマイボードを持って帰ってきたほどで、ぜひ一緒に乗りたいと思っていたのだ。最後の最後にやっと会えた。

最初のうちは何本かいいセットが来たけれど潮が満ちてきたのかだんだんあまり割れなくなっていった。そんな中で忘れたころにポツっと来るセットは一番いいところで待ち構えている明憲が乗っていく。別に躍起になって独り占めしているわけではなく、譲ろうともしてくれてるのだが、私たちは彼ほどわかってないからいる場所がよくないのだ。それでも最初に乗ったセットの波はカナハよりロングライドができたくらい長く乗れた。最後にもう一回波に当たり、長かった日本滞在のいいフィニッシングができた。本当にすばらしい夏だったな。(アウトが割れなくてもテトラのすぐ前のインサイドは乗れた)
(ビーチブレイクはこの混雑、この中を通ってビーチにまっすぐ戻ってくるだけでも緊張する)

家でパッキングしていたら明憲がお土産を手に寄ってくれた。坂ノ下の仲間は私が子供のころからお世話になっている人ばかりで、当時とまったく変わらない、みんな風や波が良くなればどこからともなく現れる、それを20-30年続けていて、いつもにこやか、ショップ同士も仲がいい。坂ノ下に行くと、子供のころの気持ちに帰れる、そんな自分のルーツ的場所なのだ。だから、そこのみんなが優しくて、海を愛し続け、遊び続けているのは私にとってとても嬉しいこと。

今回の日本は本当に日本のすばらしさ再発見、そしてすばらしい仲間の再確認、新しい仲間との出会いに満ちた滞在だった。東北でも多くの仲間とすばらしい時間をすごせたし、いろんなことを語り合った。鎌倉の夏はびっくりするほど盛り上がっていた。八重山の優しいみんなと色鮮やかな自然、そして島独特ののんびりした空気、北海道の懐かしい熱い仲間と大切な友人とのお別れ、知らなかった場所でのすばらしい波との出会い。御前崎や富士川や丹沢、千葉でもいろんな人と一緒にすごせた。パタゴニアのイベントでも各地でいろんな人に会えた。結局のところ、私にとって友達は最も大切なもので、一緒に過ごす時間や思い出が私の持ってる一番の財産なのだ。
大震災は自分の中にある日本人の血を揺さぶり、日本人であることへの誇りや思いを強くさせ、また日本のすばらしさを実感させてくれるきっかけになった。
これからも日本は大変だろうけれど、良心で行動していけばきっとすべてがうまく行くような気がする。
I love Beautiful Japan!

2011-09-18

9月18日 最後の晩餐

長かった日本滞在も残りあと一日、荷物のパッキングや部屋の整理などを始めたが、荷物の量にうんざり。
なにがLIVE SIMPLYだ、とぜんぜん実行できていない自分を再確認。

コンピューターでたまったブログのアップを開始、できれば日本を出るまでに今までたまったものはすべてアップしてマウイに戻りたい、マウイに帰れば帰ったでいろいろやるべきことが待ってるのだ。

最後の夜は家族みんなで、手巻き寿司パーティー、テスト勉強をがんばった後今日は陸上の大会をがんばてきた碧、そして600枚以上の写真を撮ってアニメのようなシステムでムービーを作ったのをうれしそうに見せてくれた晶、二人の成長に時間がどんどん過ぎていることを感じた。
弟夫婦は弟が珍しくダウンしてこられなかったけれど、しょうもない私だが家族にあきれられながらも愛されている幸せを感じる。

今回の日本は本当にいろんなことがあった。毎日毎日、いろんなことを考えたり、新しいことが起こったりで寝不足の日も少なくなかった、というか、ほとんどがめまぐるしく過ぎていって、寝る時間はいつもよりずっと少なかった。そんな中で自分のなかに大きな変化があり、いろんな発見や再確認があった。
それによって失ったものもあるし、新しい道を進んでいかなくてはならない不安もある。でも前に進んでいくしかない。

北海道にいたとき、なくなった友人太さんのことをみんなで話していた。彼は決して有名でもないし、目立つ存在ではなかったかもしれない、(彼自身がそういうことを望む人ではなかったし)でも親しい仲間のあいだでは、彼の言葉はとっても深く重いものが多く、一人ひとりがふとしさんにもらった言葉で忘れられないものをもっていた。それはきっと彼が心をこめて彼の友人たちのことを思いながらかけた言葉だからなんだって奥さんは言っていた。
彼の言葉はとくには耳に痛い、核心を突くものばかりでストレートだった。
不器用な生き方だったかもしれないが、でも不器用な生き方のどこが悪いって彼の生き様を見て思った。反対に適当にうまく生きていくよりずっと立派だし、結局死んだら残るのなんてその人の生き様くらいなんだから。自分が納得できる生き方、自分に正直に、まじめに向き合うこと以外に大事なことなんてそんなにないのかもしれない。

大昔、スキー場で太さんが若者にマナーを注意したとき突き飛ばされて怪我をしたとき、太郎さんやニセコの仲間が全員でその若者をぼこぼこにしてしまった話をこのあいだ聞いた。問題になるくらいだったらしいけど、みんな仲間のために容赦しなかったらしい、そしてその後、病院にいた太さんは結局慰謝料ももらえず、自分の悔しい気持ちをぶつけることもできずに終わり、太郎さんたちに文句を言ったらしい。太郎さんが話をしようとしたそばから飛び蹴りが出てしまった山ちゃんなど、普段はめちゃくちゃ穏やかな人たちをそこまで熱くしてしまうほどの友情もまじめに生きることと同じくらい大事な財産。人生何が幸せなのか、そんなことを震災後は良く考えるようになった。

とはいえもっと基本的なことができていない私はまずはそこから、人に迷惑をかけない、ふりまわさない。自分の周りのことをきちんとやる、なんだか小学生みたいだ。

9月17日 Life goes on


お昼ごろ平田由紀ちゃんと待ち合わせ。彼女とは昔オレゴンのスノーボードキャンプで毎年一緒に仕事をしていた。見た目はぜんぜん変わっていない彼女も今では立派なお母さん。雪の仲間の近況を交換し合ったり、それぞれの今について語ったり。短いあいだにはとても話しきれないほど。(蕎麦打ちを真剣に見ているかんなちゃん)

午後は仕事、合間に息抜きのつもりでジェリーさんの本「Surf is where you find it」を手にとって開いてみた。これは結構気が向いたときにやるのだが、不思議と適当に開くとそこに、自分がそのとき必要な大事な教訓とか言葉にぶつかるのだ。何かしらジェリーさんがアドバイスをくれるのだ、なんだか聖書みたい。(まあ、この本サーファーのバイブルといってる人もいるくらいでジェリーさんの教えが詰まっているんだけど)
開いたところはマイルロングライドという章だった。
でもこのストーリーはどちらかというと、乗りなれたホノルアが以上に大きくなったときにアウターリーフをみんなでトウインしたときの楽しいセッションの話で別に教訓的なものもなかったしなあ、なんて思いながら読み進めていると、なんと最後にありました、こんなことこの章に書いてあったんだ!と自分が翻訳したくせに忘れてた。

Life goes on.

人生は何があっても先にすすんでいく。
波も雪も私たちの都合とはまったく関係なく、母なる自然の都合で、予想不可能なスケジュールでやってくる。波は自分の気持ちしだいでどこにいても見つけられるものだが。実はどんなときでも目の前にあるものなのだ。海にあるとは限らず、山にあるかもしれないし、自分の心のなかには必ず常に存在しているものなのだ。

さあ、だからグライドを感じて自分の精神を大きな空で自由に羽ばたかせてあげようではないか。

ハイ、そのとおりです、ジェリー先生、ありがとう。

9月16日 Dinner with Yoko and friends

朝海をチェックするも風が南東から吹いていていまいち。午前中ちょっとパッキングや部屋掃除などを済ませてお昼に真鶴から来てくれた晶さんとランチ。

晶さんは震災がきっかけで親しくなった人の一人、実際には去年ちょっとお会いしたのだが、震災でいろいろ動いているときに同じような動きをしていたことでつながることがたびたびあり、連絡を取っているうちに結構似たもの同志なのがわかったのだ。
とってもきれいで落ち着いていてとても外見では似た部分がわかりにくいけれど、晶さんも結構これだと思うと突っ走るタイプ、そしてやるとなったら自分の体力やキャパを考えずになんでもやってしまうタイプだと思った。

彼女も震災後いろんなことを考え、選択を迫られたりしてきたようだけれどそんななか少しずつまた生活のペースが落ち着きつつあるようだった。いろいろあることは考えるチャンスあたえてもらってるとかんがえればありがたいことなのかも知れない。人のことだとそう思うけど自分のことだとなかなかそうは思えないけど。

夜は大学時代一緒にウインドをがんばっていた洋子、そしてナッシュの伊佐さんと葉山のお友達の5
人で夕食。洋子は今葉山の議員さんをしながらも今までライフスタイルを変わらずにキープしてウインドサーフィンやスタンドアップを楽しみ、生まれ育った葉山のためにがんばっている。、昔からお子ちゃまのようなしゃべり方だけど、地元に根ざし、熱い思いをもって行動しているすばらしい友人。伊佐さんも子供のころからお世話になってきた大先輩。
みんなで材木座の梵蔵へ。普段ゆっくり話すことがないけどいろいろ話が弾み、おいしい料理と(みんなは)お酒がすすんだ。


鎌倉と葉山って目と鼻の先なのにぜんぜん行動範囲が違って葉山の人は逗子までしか足を伸ばさず、鎌倉の人間は鎌倉の湾ををあまり越えない。(つまり逗子にも江ノ島方面にも行かない)梓、なんとなく雰囲気も違う、でも私は今の葉山ののんびりした感じが好きだ。結構最近は山方面に引っ越す人が多いのは気のせいかな。

9月15日 御前崎モーニング

(下平とはもう20年の付き合い、いつも変わらず温かく迎えてくれる、一緒にいるとほっとする友人)
昨日の晩移動する予定が夜ご飯を食べたら疲労がどっと出てしまいとても運転などできない状態、家といってもおちゃんたちのところにこれからお邪魔するのも悪いな、とビーチでキャンプ、でもこれが反対に気持ちよかった。広々とした砂浜に何もない。月はまだまだ満月が欠けた程度なので明るいし。
といってもほとんど月を楽しむまもなくすぐ眠り込んでしまったが。朝目覚めるとすでに一人のスタンドアップが浮いていた。もおちゃんだった。お母さんは層君が起きるまでの数時間しか時間がないので早くに起きて波がよくても悪くても出る。昔からもおちゃんが努力家で練習熱心なのは知っていたが、彼女は環境に恵まれているわけではなく、海に入れる環境を自分から作っている。ほんとに立派な姿勢で海と、ウインドに取り組んでいて、だからこそあれだけの敵なしの女王なのだと実感。薄暗い中ビーチにきたときテントにお越しに来てくれたそうだが、爆睡していたらしい。
波は台風の影響か、だんだん上がってきた。いろんなスポットをこいで回ってたぶん尾高とかがよかったけどやはりサーファーがいるので遠慮がちに端っこで乗る。御前崎の波は鎌倉とはまた違う。も尾ちゃんたちがタル早といっているが確かになかなか割れないのに最後に一気にショートで乗る感じの波になりダンパーっぽく終わる。もちろんもっと良い割れ方をするときもあるのだろうけれど。
オダカポイントからは浜岡原発は目と鼻の先。

波は小さいとはいえポイントを選べばぜんぜん人がいないところもあり、風もなくグラッシー、途中RIPPERの店長安田君や久々に会った池ちゃんなども見かけた。

のんびり乗って、なぶら市場でお刺身とご飯を買って贅沢な朝ごはんといろんな塩辛などの試食を楽しんでから帰り支度。
御前崎あらためて、いいところだなあ。

午後は丹沢に寄って一休みしてから混雑を避けて帰宅。

9月14日 御前崎と浜岡原発

きのうまでのばたばたを何とか乗り越えて御前崎到着。朝からもおちゃんと一緒にスタンドアップパドル。波は小さかったけれど、それでも人はいないし、一応波には乗れるし、きれいだし、大いに楽しめた。途中海に落ちたとたん足に激痛が走りくらげに刺された。かなりはれたけどリンパには痛みが届かなかったので、カツオノエボシではないみたい。海の上では懐かしい成ちゃんあゆみちゃんと再会。あゆみちゃんとは彼女の御前崎の家に私が泊まったり、マウイの家に彼女が泊まったりと一緒に暮らしたことも何度もあるし、大会にも出ていた、彼女はパワフルでドカーンと突っ込むタイプ、私はせせこましいライディングで保守的に行くタイプとまったく違う。実は私は彼女のようなライディングにあこがれているがこればっかりは生まれつきの性格もあって簡単には変えられない。

午後はスモモと遊んだ。スモモが今、大きくなったらなりたいものはメイクアップアーチスト。私にも一生懸命メイクしてくれたのだが、出来上がりを見て、なんだか変な顔、納得できないといった感じ、一緒に記念写真を撮ろうとしても一緒に写りたがらない始末、後で見てみたら、こりゃあひどい代物で、さすがに私もその写真をブログにアップする勇気は出なかった。
(お母さんとスモモと壮君のギターせっしょん、かわいいね)その後、原発の前のポイントシャークでもう1ラウンド。今回の御前崎のメインの目的はここをチェックすることだった。福島の原発の事故以来、それまで以上に原発のことを考えるようになった。今までは安易に反対反対と口に出していいものかと躊躇していたが、今の私はどんなことがあっても原発はチョイスの中に入れたくないと思っている、どんなに便利でも命には変えられないし、消費を減らしたり違う方法で何とかするしかない、それが不便になってしまうとか物価が高くなってしまうとかそういう問題を生んだとしてもそれでも、やはり原発は、自分たちがコントロールできない危険をもyスエネルギー源は使うべきではないと思う。そんなことを実際に原発のある場所にいって、そのエリアの自然や人の暮らしに触れてみて、もしそこで事故が起きたら、と考えてみたいと思っていたのだ。浜岡だけではなく、これから少しずつひとつひとつ、原発がある場所に行き、その海でカイトしたり、パドルしたり、あるいはただその海や自然を楽しませてもらうことで以下にその自然が大切かを感じてみたい、そう思っている。
というわけでほんとは北海道の積丹ブルーにある泊まり原発からやりたかったんだけど今回大雨で積丹ブラウンだった上にオンショアが強かったので浜岡が第一号になった。でも思い入れの強いこの場所、ウオーターを覚えたのもこのシャークポイントだったのだ。こんな施設がすぐ横にあったことまったく覚えていないけどあのころもあったんだろうか?水が以上にあったかかったことだけは良く覚えているが。

二晩連続で秋刀魚の塩焼き、おいしかった!こういう素朴な日本の味が一番うれしい。