2011-09-18

9月18日 最後の晩餐

長かった日本滞在も残りあと一日、荷物のパッキングや部屋の整理などを始めたが、荷物の量にうんざり。
なにがLIVE SIMPLYだ、とぜんぜん実行できていない自分を再確認。

コンピューターでたまったブログのアップを開始、できれば日本を出るまでに今までたまったものはすべてアップしてマウイに戻りたい、マウイに帰れば帰ったでいろいろやるべきことが待ってるのだ。

最後の夜は家族みんなで、手巻き寿司パーティー、テスト勉強をがんばった後今日は陸上の大会をがんばてきた碧、そして600枚以上の写真を撮ってアニメのようなシステムでムービーを作ったのをうれしそうに見せてくれた晶、二人の成長に時間がどんどん過ぎていることを感じた。
弟夫婦は弟が珍しくダウンしてこられなかったけれど、しょうもない私だが家族にあきれられながらも愛されている幸せを感じる。

今回の日本は本当にいろんなことがあった。毎日毎日、いろんなことを考えたり、新しいことが起こったりで寝不足の日も少なくなかった、というか、ほとんどがめまぐるしく過ぎていって、寝る時間はいつもよりずっと少なかった。そんな中で自分のなかに大きな変化があり、いろんな発見や再確認があった。
それによって失ったものもあるし、新しい道を進んでいかなくてはならない不安もある。でも前に進んでいくしかない。

北海道にいたとき、なくなった友人太さんのことをみんなで話していた。彼は決して有名でもないし、目立つ存在ではなかったかもしれない、(彼自身がそういうことを望む人ではなかったし)でも親しい仲間のあいだでは、彼の言葉はとっても深く重いものが多く、一人ひとりがふとしさんにもらった言葉で忘れられないものをもっていた。それはきっと彼が心をこめて彼の友人たちのことを思いながらかけた言葉だからなんだって奥さんは言っていた。
彼の言葉はとくには耳に痛い、核心を突くものばかりでストレートだった。
不器用な生き方だったかもしれないが、でも不器用な生き方のどこが悪いって彼の生き様を見て思った。反対に適当にうまく生きていくよりずっと立派だし、結局死んだら残るのなんてその人の生き様くらいなんだから。自分が納得できる生き方、自分に正直に、まじめに向き合うこと以外に大事なことなんてそんなにないのかもしれない。

大昔、スキー場で太さんが若者にマナーを注意したとき突き飛ばされて怪我をしたとき、太郎さんやニセコの仲間が全員でその若者をぼこぼこにしてしまった話をこのあいだ聞いた。問題になるくらいだったらしいけど、みんな仲間のために容赦しなかったらしい、そしてその後、病院にいた太さんは結局慰謝料ももらえず、自分の悔しい気持ちをぶつけることもできずに終わり、太郎さんたちに文句を言ったらしい。太郎さんが話をしようとしたそばから飛び蹴りが出てしまった山ちゃんなど、普段はめちゃくちゃ穏やかな人たちをそこまで熱くしてしまうほどの友情もまじめに生きることと同じくらい大事な財産。人生何が幸せなのか、そんなことを震災後は良く考えるようになった。

とはいえもっと基本的なことができていない私はまずはそこから、人に迷惑をかけない、ふりまわさない。自分の周りのことをきちんとやる、なんだか小学生みたいだ。

No comments:

Post a Comment