2011-07-19

7月17日 The Friendly Isle, Molokai

昨日の夜はサポートボートを出してくれたマイクの家に泊まらせてもらった。私はまったく知らなかったのだが彼は実は海峡横断のものすごいエキスパート。若いころモロカイクロッシングの6マンカヌーの嗅ぎ取りをやっていて、偉大なるジョージダウニングのコーチの元ステートチャンピオンになっていたほどの人だった。そのうえサーフィンもフィシングもすごい、あのころのサーファーというのはただサーフィンをするだけではなく、泳ぎも船も他のオーシャンスポーツもなんにでも長けていて、かなり無謀tも思えるようなことをバンバンやってのけていたし、やってみようというスピリットにあふれていた。あれだけ疲れていたのに夜遅くまで彼の昔の話、レジェンドたちのむちゃくちゃな冒険や笑い話を沢山聞かせてくれた。本rf彼らについて書いてある本は多くなってきたとはいえ、実際にその場にいた本人たちから聞く話は本当にぞくぞくするほど面白い。彼の話してくれた数々のエピソードは今まで読んできたサーフィンの歴史の本の隅々の空白部分を埋めてくれるようなすばらしいものばかりだった。そして彼の謙虚な様子、いまだに少年のようなきらきらした目をして冒険話を話して聞かせてくれる様子に、自分もああいう老人(失礼?)になりたいなあと心から思った。
朝早く起きてマイクの入れてくれたコーヒーを飲んでからサーフチェック、昨日はかなり波があったので今日は載れるカナと期待していたが、残念ながらサイズダウン、そして風はすでにかなり吹いていた。仕方ないので観光をしようということになったが、私は珍しい貝が拾えるというビーチに行きたくて、アンドリューはそことはまったく反対方向の東側に行って写真を撮りたいという。まあ写真を撮りたいならしょうがないから、と東の外れまで延々とドライブしたが、そのドライブに疲れたのか、ついたとたん彼は昼寝、。結局写真はほとんど撮らず。それだったら貝殻拾いにいけたのになあ、トモ思ったけど私は勝手に海岸線をお散歩。岩場に行くとマウイでは絶対見つけられないような大きさの(マウイではお起きのは全部すぐ見つけてとられてしまうから)オピヒというおいしい貝がたくさんみつかった。その場でジャックナイフで取って刺身にして食べた。(というかただ原始人のように貝から身を引き剥がして食べただけだけど)モロカイ最高。東の端は童話で平和的な村を描くとこうなるんじゃないかというような素敵な場所。、山のおくには大きな滝、湾の真ん中に川が流れ、両側には切り立った山、とっても素敵な場所だ。

その部落の緑深いところにある教会。週末だったのでローカルの人も結構来ていてのんびりしていた。
そしてお昼はマイクといっしょに。街中で開いていたのはここホテルモロカイのレストランだけだった。誰もが誰もを知っているモロカイ島、ショッピングも娯楽も何もないかもしれないけど、。私はこれくらいののんびりペースのほうがマウイよりも好きなくらい。
風は昨日異常に強く、帰りのフェリーのゆれが前日からすでに心配の種、考えるだけで気持ち悪くなりそうだったけど、宵止めを通常の1,5倍の量飲んで腹をくくって船に乗った。ゆれは予想以上だったけれど、酔いはしなかった。よかったー。途中イルカが遊びに来て飛び跳ねてくれたり、ダウンウインドをしているカヌーを3艇見かけたりもした。何よりこのフェリーが走ってているこの荒れ狂った大海原を昨日全工程パドルしたんだと思うと結構感慨深いものがあった。

ラハイナが近づいてきてやっと風も収まってきた。懐かしい見慣れた風景ガ夕方の黄金色の光に写されてきれい。
さあ、のこりは今週末のNAISHレース。頑張って終わらせて、その翌日は日本だ!

7月16日 Maui-Molokai Race

今日はマウイからモロカイまでのクロッシングレース。距離にして約43キロ。私にとって最も長距離がマリコランなのでそれの3倍。大丈夫かなあという気持ちもあったけれど長距離パドルレースのなかではこのコースが一番楽しく、やりがいのあるものだとみんなから聞いていたので、出ることに決めた。残念ながら日本から戻ってきてからもすごく忙しくて思うようにトレーニングする時間が取れなかったけれど、まあ、こういうものは精神的な要素が大きいと思うので気持ちだけはへこたれないようにしようと決めた。(photo by Andrew Mcgarry)
サポートボートを出してくれたのはモロカイに住むマイク、。今回前線優勝しグランドチャンピオンになったコナー・バクスターの父親キースの昔からの友人だそうで紹介してくれたのだが、その彼が実はものすごい人だった。ジェリーさんやジョイ・カベルなどの世代の人で昔からハワイで育ち、昔からサーフィン、カヌーフィッシングなど海にかかわるものなんでもやっていた。そのうえモロカイチャネルのクロッシングでは当時のステーチャンピオンチームのステアズマン(舵取り、一番大事な役目)をやっていて、そのチームのコーチはあのジョージ・ダウニングだったという。
このレースの先週同様かなりハードなので参加人数はそう沢山はいなかった、しかしマウイやオアフ、ビッグアイランドの精鋭たちがそろい、2週間後に迫ったモロカイクロッシングのために来たフランスやタヒチ、オースストラリアやニュージーランドからの面子も大勢いた。

みんな去年も最後までバトルを繰り返したコナーとデイブが優勝候補だと見ていたが、今年も最初から最後まで二人の戦いだったようだ。(私は5分もしないうちに彼らのことは見えなくなるくらい引き離された)最後の最後でコナーが勝ったらしい。私は完全に自分との戦いだったけど、あの距離を常にバトルで緊張しながら漕ぐのは大変だろうなあ、と同時に、ものすごく大きなうねりと風が吹いてたので彼らのスキルを持ってすればものすごくグライドが楽しめただろうなあと思った。私はグライドを逃すたびに、「ああ、これをかラマたちは乗りつないでさらに先へと行ってるんだろうなあ」と頭に浮かんだ。私がフィニッシュしたのは4時20分くらい、コナーがフィニッシュしたのは3時間とちょっとだと聞いている、ため息。

どちらにしてもすばらしいコースで私には十分挑戦しがいのある、タフな距離それでいてグライドは最高に楽しく、大海原に一人ぼっち、という気分もしっかり味わえた。(といってもサポート船いたんだけど)

フィニッシュラインぎりぎりのところで左から近づいてきた選手がいた。ここで抜かされるのは悲しいなあとも思ったけど人より何より自分との戦いだと言い聞かせ、疲れてきた腰に変な痛みを感じるようになってきたので注意深く漕いでいった。彼もかなりへとへとそうに見えたけど結局2秒の差で負けてしまった。サポート船からのマイクのアドバイスや励ましは本当に的確でうねりやグライドしやすい波をよく理解していて最高の助っ人だった。(左が一緒に頑張ったトモ、右が船から写真を撮ってくれていたアンドリュー)
フィニッシュした後、回りの選手がみんな祝福してくれた。とくに私をよく知っている友人たちはこれが私には彼らが感じている以上に大きな挑戦(なんせレベルが違うのだ)だということを知っているのでタイムとか関係なく、ほんとにおめでとう、おめでとう、楽しかっただろ?と声をかけてくれた。
大変だったけど本当にやってよかった。海から上がるともう足もバキバキで、思うように動かなかった。
ある程度片付けてパーティー会場へ、レース終了後すぐフェリーに乗ってマウイに戻った選手も多かったので集まった人数は少なかったけれど、それでもモロカイのローカルたちのフレンドリーな笑顔ともてなしのなかみんなでとてもいい時間を過ごせた。
優勝は3つのレースすべてにおいてメンズエリートはコナー、レディースはアンドレア、私は今回はオープンクラスで2位。一位のベッカはマリコレースでもこのレースでもエリートクラスをいれても4位に入っているすばらしい選手なので彼女に続いての2位なら上出来だろう、そして日本から来たもえちゃんも3位に入賞。クラス抜きでレディース全体では6位。まあ実力相応の成績だろう。
トモも全体で13位、エリートクラスで9位と大健闘、メンズエリートクラスは本当に強豪ぞろいなので、よく頑張ったと思う。頑張りすぎ出疲れで気持ち悪くてパーティー中食事がのどを通らないといっていたほどだ、その横で私は大山盛りの食事を平らげてしまっていて、「まだ頑張りが足りないかな』とちょっと恥ずかしくなった。
来年も出るかどうかはわからないけど、腰と相談して(今の段階ではこの距離がぎりぎりできるところだろう)来年もこのすばらしいコースを経験したいと今は思っている。

2011-07-15

7月15日 Maui News

先日ラウニポコパークで開かれたビーチパーティーで福島出身のサーファー3人をインタビューした記事が今日のマウイの新聞に掲載された。のでご紹介。
撮影のカメラマンもサーフィンぜんぜんわからない女性で、みんななんだか緊張気味でヤラセっぽいポーズさせられて苦笑いしながら戸惑ってたけどそれもなかなかかわいらしくできてきた。この新聞はマウイの多くの人が読んでいるので沢山の人が彼らのような被災した人たちの状況を知ったり何かやりたいという気持ちになってくれればありがたいなあ。

みんなだんだんこっちの生活にも慣れてきていろいろ動いているようだ。嬉しいね。さてこちらの写真は今うちに滞在しているトモが撮ってくれたうちの庭。巨木が沢山立っていた家の前は昼でも薄暗かったが、この木が折れて家に当たったら家が破壊されてしまうという心配から大家さんがバンバン木を切り倒している。明るくなって言い感じではあるがあのうっそうとした感じが高いくないわけでもない。ただし、巨木の中に住んでいたらしいねずみ君たちが私の家に非難してきているみたいで夜がさごそ、チューチューと音がする、かなりの家族が非難してるもよう。電気のわなをかけててなんぴきも捕まえたけどそれでもまだいるみたいで困ったものだ。殺すのはこっちも嫌なのでどこか別のところに非難して欲しいなあ。

7月14日 パタゴニアストアイベントのお知らせ

(最も尊敬している人の一人であるジェリーさんの本、「Surf is where you find it」これを翻訳させてもらえたのことでとても大変な仕事だったけド大いに勉強させていただいた。)

今日は体を(特に腰、長距離レース中にぎっくり腰をしては大変なので)を休める日。用事をしたり整体に行ってメインテナンス。
そして締め切り近い原稿も終わらせなくちゃ。
今週末来週末とビッグレースが続くが、それが終わったらすぐにまた日本に帰る予定。そして東北へ行くために、(できれば多くの仲間を募って)いろいろ準備を始めている。
と同時にパタゴニアの各地のストアでスライドショーをやらせていただくことになった。今回の内容は下記の詳細にあるとおり、自分の経験というより自分の尊敬す
る人たち、先輩たちについての話なのでとっても話しやすいと思うし、(なんたって彼らから教わったことは沢山、そしてあまりにもすごい人たちなのでぜひいろんなことを伝えたい)こういう時期でもあるので多くの人といろんなことを感じたり話したりする機会がもてることをとても嬉しいと思っている。なかなかいけない名古屋や北海道でも開催予定なので久々に会える人も多いのではと大いに期待しているし当日初対面でもぜひどんどん気軽に声をかけてください。(尊敬する人たち3人一緒に登場、レアード、ジェレミー、カラマのアラスカセッションでのはなしなどもしようかなと思います)

仙台でも開催するので反対にいろんな人に来ていただいて、どういう形の支援が今必要とされているのか、私たちにもできることは何か、現場の声を聞かせていただきたいと思っている。また以前にジェリーロペス先生の「Surf is where you find it」と買ってくださったのに被災して津波にもっていかれたという方がいたらぜひ事前に、あるいはイベントのときに連絡してください、できる限り、新しいものをお送りしたいと思っています。ジェリーさんのスタンスや言葉は心に響くと思うので。


Words of wisdom
~海や山のマスターたちからの教え~

スピーカー: 岡崎 友子 (パタゴニア・アンバサダー、オーシャンアスリート、ライター)

8月2日(火) 19:30~ 名古屋ストア (要予約:定員50名)
8月3日(水) 19:30~ サーフ東京ストア (要予約:定員60名)
8月8日(月) 19:00~ 仙台ストア (要予約:定員40名)
ちなみに北海道は今のところ札幌北ストア9月7日に予定ですがまだ確定ではありません。

パタゴニア・アンバサダーの岡崎友子が 海や山で、あるいは旅先で印象に残った先輩たちの言葉や行動の数々や、ジェリー・ロペス、レアード・ハミルトン、ジェレミー・ジョーンズ、ドクター・パス コヴィッツ、ジャック・ジョンソンなどをはじめ多くの尊敬する人たちを紹介。それらが彼女にどう影響を与えたかについてスライドを見せながら語ります。ま た、いままでインタビューしてきたなかで記事にできなかった興味深いエピソードなども紹介。それらの言葉を通していま一度私たちに大切なこと、やるべきこ とは何かを一緒に考えます。

プロフィール
鎌倉で生まれ育ち、ウインドサーフィンのプロとして世界を回る。その後スノーボード、カ イト、ススタンドアップと道具がかわってもいい波や風を追いかけ、旅を続けるライフスタイルは変わらない。海や雪山関係の人脈は日本一と言われ、ライター としても活躍。ウインドサーフィンやカイトのキャンプ、ヨガリトリートも主催しているが2011年は東北に心を向けるために休止中。鎌倉とどけ隊などの活 動にも参加している。
お問い合わせ/ご予約 各ストアにて (上記、日程横のストア名をクリックしてください)

2011-07-14

7月13日 無風男トモとダブルマリコラン


今日は水曜日、土曜日はいよいよ43キロのモロカイ島までのレースなので、今日はマリコランを2回やろうということに。マリコランは11マイルなので2回やってもまだモロカイレースの27マイルには足りないのだが、やらないよりはいいだろう。と思っていたのにトモが来たとたんまたもや風が弱くなってしまった。毎回毎回彼が来ると風が弱まるのだが、今回だけは特にこの週末だけはどんなことがあっても風にしっかり吹いてもらって後押ししてくれないとたどり着けないと思うので、吹かなかったらトモに罰金を科すぞ、と脅かしている。そして来年の大会にはこさせなくするぞ、とも。

それでも明日明後日は体を休めたいので今日やるしかない。海に行くときにすぐ後ろにもおちゃんたちの車があって、私たちの車を運転して終点のハーバーに届けてくれるというのでとってもラッキー。11時ごろマリコを出発し、ダウンウインド、でも風がないからなかなか進まない。1ランだけで疲れてしまった。もうこれで終わりでもいいやといいたくなるほどだったけど、たまたまパドルのトップクラスの面々が大勢シャトルを待っていたのでトモも張り切った。私もここでやっておけばある程度の目安がつけられるので嫌々ながらシャトルに乗り込む。
(デイブカラマとジェイミー、パドルレース界ではそれぞれ敵なしの近い二人)
スタートだけは一緒だったけれど早い面々は5分も立たないうちに点となり、すぐ見えなくなってしまった。5分ほど遅れて出てきたカラマは屋のように私を抜かしていったけれど、その時点で私からは見えないほど前を走っていたトモやジュニアにも追いつき、ススーッと追い越し異常な早さだった、とトモが感動、そしてがっくりしていた。
そういうトモも去年よりはかなり早くなっている気がする。去年も追いつけなかったけど今年はパドルの勢いが違う。
私は完全に練習不足だが、まあ今年はぎっくり腰をしなかったというだけでも去年よりはいいし、モロカイへのレースにフィニッシュできればそれで目標は達成、私の場合人との戦いではなく完全に自分との戦いだから。

2ラン目のほうが風はあったけれど後半は完全に疲れていてぐらい度をとるためにパワーパドルができず、よたよた、そのウエ何度もボードから落っこちる始末。まだまだスタミナ不足。明日の、あるいはあさっての筋肉痛が怖い。

7月12日 Beach Party!


朝トモに貸すためのヴァンを飛行場にドロップに行こうとしたら、なんだか調子が悪くブレーキが甘い。仕方がないので自分のヴァンをおいて、ピックアップしてくれたやすべえの車に乗り込む。途中Pray for japanのTシャツ追加オーダー分のシャツをプリントやサンに落とし、ラウニポコパークへ。もうすでに多くの人が集まっていてピクニックテーブルの上はいろんなもちより料理で一杯。そしてBBQもスタートしていた。お年寄りから赤ちゃんまで、アロハイニシアチブのプログラムでいらした福島の人たちだけでなく、彼らが滞在しているホストファミリーたち、そしてボランティアの人たち、そして海やビーチのBBQならおてのもの、といったかんじの海仲間たち。みんな率先して動き回り、セットアップしてくれている。なんかすごい人数!

そして自然な雰囲気でみんな思い思いに食べたいものを食べ、子供たちはボディーボードや浮き袋を持ってタイドプールへ連れ立って向かう。波は残念ながら完全なオンショアでいまいちだったけれど、反対にサーファーたちは波がよかったらBBQとか会話どころではなくなってしまうのでよかったのかもしれない。
マウイニュースの取材で滞在している人たちの中のサーファーたち3人をインタビューするためにキムとカメラマンも来てくれていた。キムはハイテックサーフショップのオーナーでもあり、このあいだもコンテストで集まった寄付金1200ドルを仙台の海の学校に寄付してくれたばかり。今日も3人のハードコアサーファーたちに詳しいインタビューをしてくれた。(おかげで多分3時間近くパーティーを留守にしてしまったが)通訳している私も彼らの淡々とした語りの中で以下に大変な状況を潜り抜けてきたのか、そして今なお、大変で、先のことが見えない状況におかれているかを実感した。何も助けられない非力な自分、労力やお金ではどうにもならない問題を抱えた福島の状況に心か痛んで仕方がない、私なんて住んでいるわけでもなく、者を失ったわけでもない、それでもこんなにつらいのだから当事者たちはどんな思いでいるのか、想像もできない、それでも笑顔を見せてくれ、つかの間でもビーチでのんびりしてくれれば嬉しいのだが、そのくらいのことしか私たちにはできないけれど、でも何もしないよりは自己まんぞくかもしれないけどいいんじゃないか、とおもう。でも誰かが何か福島の人たちに大して私たちでもできることなど提案してくれればぜひかかわりたいと思う。

大勢の人たちが来ていろんな話しをしたかったけれどあっという間に夕方。なんだか最近時間がふっとんでいく。
家に帰ってご飯を作ったらそのままソファーで気絶してしまい、8時過ぎごろもうベッド。
今週末に向けて体調をしっかり完璧にしておかなくちゃ。

2011-07-12

7月11日 震災から4ヶ月 

スタンドアップのレースのためにマウイに来るトモが、今日到着だとすっかり勘違いして空港に迎えにいき、いくら待っても出てこないので飛行機に乗り遅れたかなあとメールまでしてから、あれ、今日12日だっけ?と隣の人に尋ねたら11日だった。あららら、こんなに忙しいのにこういう無駄な動きがあるからなかなか仕事が終わらないのだろう。

これからダウンウインドとも思ったが、今日は心を鬼にして家に戻ってやるべきことを沢山やってしまうことにした。これから週末にかけてどんどん忙しくなるだろうから。

今日で震災から4ヶ月。あっという間のようであり、ずいぶんいろんなことがこの4ヶ月に起こったような気もする。いろんな人の生活や考え方が変わったと思うけれど、私も例外ではないと思う、同じような生活をしていても何か心の中が違う気がする。
でも心の中だけではなく生活すべてがを無理やり変えることを余儀なくされ、多くの大切なものや人を失った人たちが沢山いる。その人たちの気持ちを理解することなど到底できないけれど、その人たちがこれからもずっとなかなか消えることはないだろう喪失感夜悲しみを持って生活していることを忘れないようにしたいと思う。そして何か自分ができる事を見つけてやっていきたい。あるいは直接何かできないとしたら、周りの人にできる限り親切にしたり、何かできることをするようにしたい。良心は巡る、本当にそう思うから、困って人に直接何かできなくても周りで何かをすることが少しずつ間接的に何かを変えていくということが理解できるようになった気がする。

それにしても3月11日からずっと自分の周りの友人がいかにすばらしい人たちで人のために動く人かを身にしみて感じている。いつもこんなにすばらしい友人や家族、仲間に囲まれて生きている私は最高の幸せ者だ。スノーボーダーのジェレミージョーンズからメールが来た。もうずいぶん前からいろいろ考えていたらしいが、何か東北のためにやりたい、動きたいという内容だった。彼は地震の直前に一ヶ月日本に滞在し、日本のバックカントリーを長い時間かけてリサーチし、ローカルたちと交流し、情報を得てガイドを頼みすばらしい毎日を過ごした。そのときにガイドしてくれたテツさんはじめ白馬のコアな3人は東北大震災の歳山に入っていて、地震のために起こった雪崩に埋まってしまい亡くなった。どんなに雪崩に注して経験が多いライダーだったとしてもこんなことまで予測はできない。なんともいえないつらい事故。彼も日本でのすばらしい体験、そして彼らの事故についてエッセイを書いていたのだが、どうしても納得できるものがかけずにいてまだ発表していないと言っていた。
途中の文章を送ってくれたけどそれは彼の人格や優しい心が感じられるすばらしいもので、私は彼という存在の懐かしさと亡くなった3人のすばらしいライダーたちへの追悼の思いで涙が止まらなくなった。
エッセイをぜひ完成させて欲しいと返事を書いた。おそらく次のシーズン前には紹介できると思う。
前から彼は若いけどスノーボード界のジェリーロペスのような存在になると思っていたけど、もうすでに私の目にはその域に達している。

2011-07-11

7月10日 久々の 1000 Peaks

波はまだいいらしいのだがやることもやらないとほんとにまずいので今朝はまず仕事と用事をこなし、我慢ができなくなってきた11時ごろまで頑張る。電話をするとまだ風も入ってないというのでサウスに向かうとなんとここのところ毎日風がすごかったサウザンピークスに風がなかった。ここは波もきれいだし常連のおじさん(おじいさん?)もみんな知り合いばかりでフレンドリーなのですきなのだが、人も少ないので今日はここではいることにした。
ちょっとオンショアが入ってたが、サイズがまだあるので十分乗れる。私の8’4のスタンドアップは私のスキルが足りないからなのかもしれないが、パワーのないサウスショアのこういう波にぴったりの気がする。よくまわせるし、いい感じでもパワーのある早いはみ出はちょっとスピードが出しにくいという気もするし、あとノーズの左右のボリュームがあるのだがそこが引っかかる感じがある。(でもこれがあることで安定するのだと思うが)今日は本当に調子よく乗れた。

いったん休んで今日が誕生日のボブおじさんの七面鳥とグレービー、ポテトサラダ、お肉などをご馳走になり、昼寝に入りたい気持ちを振り切ってもう一回パドルアウト、このセッションもみんなメローで譲り合い、ニコニコ楽しくみんながいい波をキャッチしていた。波のクオリティーもそうだけど本当にラインナップにいる面子と人数がそのセッションをいいものにするかだめにするかの鍵だと心から思う。今日も一日ほんとによく笑い、よく遊び、幸せ!ところで今日はMOrmai Triple crownの第2戦、マリコからホノルアまでのWarriers Cupも行われた、このコースがかなりハードでテクニカル、で40キロほどの長距離。エスコート画あっても自身がなかった私はこれには出なかったが、トップクラスの精鋭たち30名ほどが参加。いつもマリコランでさえ何十分も差をつけられてしまう彼らが、ものすごくハードだった、大変だった、難しかったと、口々に言うのを聞いて、彼らのすごさに感心すると同時に、ああ出なくて良かったとほっとした。まだまだ私は彼らのレベルには到底追いつかないし、無理してみんなに迷惑をかけるべきでもない。今できなくても将来の目標として頭の中において練習に励めばいいだけのこと。それにしてもみんなすごい。フィニッシュした人全員に大きな拍手を送りたい、正式な成績はまだ出ていないけどメンズのトップはこの3人レディースは何人フィニッシュしたのかな?私がいつも一緒に乗ってもらってるデビンもフィニッシュ、すごくハードだったけどやれてよかったといっていた。「何故Warriers Cupって言うのかよくわかったわ」と笑っていた。

2011-07-10

7月9日 最高のEvening Session

昨日の疲れが取れないまま起床、でも波があるから行かなくちゃ、と体をベッドから引きずり出すように起きた6時ごろ、すでにサウスショアについた友人ランディーから電話がきた。
『風はなくてクリーンだけどサイズは腰くらいかなー」とちょっと残念な声。私は「やった、すぐ出発しないで仕事してからいける!」と変に安心して午前中は仕事。その後ずっと会えずにいた親友のもおちゃんのところに顔を出した。赤ちゃんの壮が熱を出してしまい(彼も毎日ビーチで疲れていたのかもしれない)真っ赤な顔をしていてかわいそうだった。スモモは新しい遊び相手が来たので喜んでくれ、わたしの髪の毛をセットしてくれたり、お化粧してくれたり、何でも大きくなったら美容師になりたいらしい。でもお化粧のほうはもうちょっと練習が必要かも。なんだかはハロウイーンメイクみたいになってしまい、やった本人も苦笑いだった。
そのころ朝から海に入っていたランディーからだんだんコンディションがよくなっているとの電話。本とは夕方一本ダウンウインドをしようと思っていたけど急遽プラン変更でサウスサイドへ。いってみると海には5人くらいしか人がいなくて風もちょっとオンショア気味ではあるけどほとんどない。セットは十分頭以上ある。ランディーは朝の6時から入ってるはずなのに、まだそこで来る波来る波乗っていた。
ラインナップに出て行くとみんな、波取り放題でにっこにこ。ショートボーダーもロングボーダーもスタンドアップも仲良く波をシェアして声かけあって楽しんでいた。こういうのが最高なんだよなー。ラインナップでも知らん振り、上手いからって取りたいだけ取りまくる人がいたり、ぜんぜん乗れない人やドロップインする人とかがいるとそれだけで雰囲気が悪くなってしまう。波のよしあしよりラインナップの雰囲気がいいのが一番。それですいていればなお良し!
もういくら乗っても波が来るので疲れてきてしまって、もうこの波はいいや、と見送ったりするほど恵まれたコンディションだった野で2時間くらい乗っただけでくたくた。夕日が海に落ちるまで乗り倒そうと思ったけど無理だった。それにしても一緒に乗っていたランディーは朝の6時にでてから休みはとったとはいえ夕方5時過ぎまで海に入っていたのだからすごい、さすがに顔が日焼けで真っ赤になっていたけど。

海でへろへろになって、体が思うように動かないのってなぜこんなに幸せな気持ちになるんだろう。帰り道パイアの満徳寺では盆踊りの準備ができていた。あー夏だなあ。たまには浴衣でも着て、こういうところにも行きたいなあ。でもとりあえず今は時間ない。

2011-07-09

7月8日 さらに波が上がってみんなニコニコ

朝いそいそとサウスサイドへ、でもなんだか思ったより波が大きくない。そのウエちょっと人が多い。それでも端にいておこぼれをもらえるくらいにはあるのでしばらく乗っていた。隣のピークにデイブカラマがいたので、途中からそっちに言って練習、いつも思うことだが、から魔がそこにいるだけで周りの雰囲気がよくなる、彼のマナーのよさ、みんなに対する気くばりで、周りの人も気を配るようになり笑顔が多くなる。そのうえデイブのリッピングを目の当たりに見れるんだから楽しくならないわけがない。今日はグーグルの創始者の一人のローラのアテンドをしていたようで(彼女と彼女のご主人はサンフランシスコから週末だけ着たりしているが海の前のすばらしい家に何十本ものボード、そしてカイトギアがおいてある)だからこっちのサーファーがいないところでやっていたみたい。
それにしても彼が乗るとここの波でもすばらしい波になってしまう、目の前で360を決めたので、私も興奮してわたしなりに少し普段より突っ込み、何度も何度も沈したけどそれが楽しかった。あまりにお腹がすいたのでいったん上がったが、その後もさらにコンディションはよくなり、人も少なくなってきた。ただ私もみんなと同様あまりに疲れてしまって、写真を撮ろうとしながらうとうと居眠りするくらいだったのででたかったけどあきらめて帰ってきた。

アンドリューは私以上に長い間乗っていたので、夕方帰ってきたときにはうーとかあーとかしかいえないくらい疲れ切っていて、夜7時には寝床に入っていた。まったくうちの住人はこんなのばかりで、掃除も洗濯もたまる一方、何とかせねば!

2011-07-08

7月7日 フル回転の七夕DAY

昨日波がよかったので今日も朝からサウスサイドバウンド、一番好きなポイントは風が入ってしまっていてNo good、ウッディーズ荷向かったが、昨日に比べると混雑が倍以上、そのウエ波は半分くらい、待っていてもなかなか順番が回ってこないし、インサイドの波は割れないのでどこかすいて帝位ところはないかとうろうろ。結局ラウニポコまで漕いで行ったけどまあ、今日はどこも混んでいた。
途中モーニングシャワーでラウニポコ絡みえる山が金色に輝いてきれいだった。

その後ハイリーマイリーにレースボードをチェックしに行くと申しあがっていたのでピックアップ、11時半にラジオ局で日本でのことやアロハイニシアチブについて話をし、一度家に戻ってレースボードを一本おろし、修理したボードだけ持ってマリコベイへ。
3時半にハーバーを出発するシャトルに乗るために早めに出発しようと思ったけどいろいろやってるうちに1時半になってしまった。レースで全力を出しているときでさえ、1時間40分かかったので、間に合うかどうか終始プレッシャー。かなり必死で漕いで何とか間に合った。
でもこのプレッシャーがいい練習につながるかもしれないな。
帰りは町で買い物、郵便局などによりながら暗くなること帰宅、くたくた。

なんだかあっちこっち慌しくすごしたけどまあ体が動かせたのはよかった。
今日は七夕。小さな願いは沢山あるけど、まずは健康、そして世界中が笑顔に満ちあふれる状態に一歩でも近づけますように。

2011-07-07

7月6日 Surf’s UP!


Surf’s up! 予報どおりサウスに波が入った。福島から来ているサーファーじゅんさんをカフルイで待ち合わせ、もう一人のサーファーまさみさんとお嬢さんのサクラちゃんをピックアップした晶子ちゃんと電話で連絡を取り合いながら、他の人のサーフレポートをもらって結局ラウニポコへ。波はそれほど大きくはなかったけどここならサクラちゃんでも楽しめるしシャワーもあるし、何よりずっと乗っていなかった彼らなので、水に入れるだけでも十分満足といった感じ。(まさみさんは今まではウエットスーツの工場で働いていたそうだ)
二人とも普段はショートに乗ってるというのでラウニポコでロングボーダーに囲まれ、ながらショートでエントリー、さすがになかなか波が取れなかっただろうけどそれでも終始ニコニコ、それにとっても控えめでマナーがいい。いつも思うことだが、いい波もスポット、そしてローカルがみんなできちっとルールを守ってやってる雰囲気のいいところから来る人、そして、本当の意味で上手な人はどこか別なところに言ったとき、まずは乗れてもちょっとはじのほうにいて様子を見て、誰も乗らないような波から乗り始める。彼らもそんな感じ、乗っちゃうとこんなにパワーのない波なのにショートでリッピング。

もう一人昨日声をかけてサーファーっぽい人もホストファミリーと一緒に来ていた。ものすごいうまいサーファーがひとりいてめちゃくちゃ目立っていたがそれが彼だった。なんと後で聞いたらプロでいわきの海の前でショップもやっていたそうだ。
昨日まりちゃんが彼もサーファーっぽいって言うので声をかけたとき、私は{サーフィンやってるんですかあ?もしよかったら車で連れて行ってあげますよ』なんてサーフィンかじってる人に対するような態度で(自分がかじってるほうなのに)言った気がする。きゃーはずかしい。
それにしてもあのラウニポコのパワーのない波でショートボードでアレだけのスピード出す人見たことない!とみんな感心して見ていた。
みんな今回のことで本当に大変な思いをしたことだろう、海が一番大切なもののひとつだろうに、海どころではない4ヶ月だったはずだし、非日常の神経を張り詰めた生活が続いたはずだろうからせめてマウイにいるあいだは海にできるだけ接した生活をして海に心身ともに癒されてほしいと思う。ローカルたちもみんなすごくウエルカムしてくれて、その上2週間なかった波までアップ、これはみんなが彼らを歓迎しているしるしだ。
(マアラエアもGoin’ off!)

(気持ちのいい芝生に座ってマアらエアを見学する私たち)
(こちらはサウスイースト側のスポット)

7月5日 日本の方々との交流

要領が悪いのか、日本からマウイに戻ってからもう2週間近くになるというのに、帰ってきたばかりのようなあわただしさが相変わらず続いている。もっともっとやりたいこと、やるべきこととかもあるのにぜんぜん手がつけられずにいる。

結局今日も海までたどり着けずに終わり。レースも近いので練習したいのだが。

今日は3時からカフルイ本願寺で昨日日本からいらっしゃった被災者の方々への説明会が行われた。私たちはボランティアの通訳、スタッフが足りないときなどのお手伝いとして参加。
本願寺のだいえん先生をはじめスタッフの皆さんは本当にご苦労様。被災者の方は年配の方、一人の方、家族、あるいはお母さんと子供、赤ちゃんなどさまざま、皆さんがここにいるあいだだけでも沢山楽しんで、心を癒し、少しでも暗い悲しいことを忘れることができるといいなと心から思う。何ができるのか、どういうシステムで動いていくのかいまいちまだ把握できないところもあったけれど、沢山の良心が動いているのできっと大丈夫だろう。

嬉しかったのはサーファーの方が何人もいたこと、赤ちゃんを連れた姉妹もサーフィンをやるとのこと、そしてかなり熱心そうな人が3人。さっそくマウイサーフチーム俄然張り切ってみんなでサーフィンに連れて行こうと声をかけた。なんとタイミングがいいことに、明日から波がアップする予定。さっそく3人の都合を聞いてピックアップできる段取りなどを決めた。3ヶ月海に入っていないという人もいる。そして自分がずっと波乗りしてきた海は目の前にあったとしても等分はいることはできないだろう、自分がそんな立場になったらどんな気持ちだろう、と考えると心が引き裂かれる思いだ。
サーファーだったら気持ちはわかるからどうしたら喜んでもらえるかもわかりやすいし、自分たちがやってる毎日の生活の延長でお手伝いができそうな気がする。みんなで連絡を取り合って彼らがいい時間をすごせるようにできればいいな。

2011-07-05

7月4日 アメリカ独立記念日

今日はアメリカの独立記念日、この日は多分一年で一番ビーチやお庭でのバーベキューが多い日。仕事もお店もほとんどお休みでみんなのんびり祝日を祝い夜は花火を楽しむ、ここアメリカでは普段は花火が禁止で、独立記念日とニューイヤーズイブだけ許されるのでみんな結構楽しみにしている(犬たち以外は)

とはいえ私はやることがたまっているので今日は家でいろいろ用事を済ませたり仕事をしたりしていた。

今日のマウイでのビッグイベントのもうひとつはAloha initiativeの活動で日本から被災者の方々がマウイに到着すること。残念ながら私は今日のミーティングにはいけなかったけれどあとでメーリングリストに届いた写真や文面から見るととてもいい雰囲気だったようだ。多くの良心が動けば細かいことはすべて問題でなくなってしまう、せめてマウイにいるあいだだけでも被災した痛みを少しでも和らげるお手伝いがみんなでできたらいいなと思う。それにしてもみんな忙しい中、(そのうえ日本人だけでなく、いろんなひとがたくさん!)お手伝い、ホストファミリーとして参加している。アロハスピリットが形になるとこういう笑顔なんだろうなって言うすばらしい笑顔が写真に沢山あふれていた。(中心になって動いているカフルイ本願寺のダイエン先生とブライアンさん)
明日は実際の詳しいオリエンテーリングのミーティングと服が必要な人たちへの寄付された服の仕分けなどがあるらしいので参加しようと思う。

今日も海にはいけなかった、明日こそは何とかして時間を作ろう。

2011-07-04

7月3日 Mormai triple crown Paddle Race

今日はマリコからのダウンウインドパドルレース。朝早くマリコベイに行くと大勢の顔なじみが集まっていた。日本から帰ってからも忙しくてなかなか海に行ってなかったのでみんなに「どうしてたんだ?」とか「久しぶり!」とか声をかけてくれる。こうやって見るとほんとにマウイってみんな海を楽しんでるなあと思う。

今日のレースはシリーズ戦でトリプルクラウンと呼ばれるもの、今日は普通のマリコからカフルイハーバーまでのレースだが第2戦はマリコベイからホノルアベイまで(半島をぐるっとまわり込んでいく)21マイル、そして第3戦はホノルアからモロカイ島までの27マイル、今までマリコからカフルイハーバーの11マイルが一番の長距離である私にはかなりの挑戦になるが今年はマウイからモロカイの第3戦は出ることにした。サポートボートが一人一定必要なのでそれをチャーターするとそれだけで500ドルもかかるので二つでるのは無理。だったらモロカイにいったほうが後でモロカイ観光もできるしいいのではないかと考えたのだ。
それはいいとして今日のレース。長いほうのボードの修理が間に合わなかったので12フィートクラスで出たが、反対にこれはいい選択だったかも。というのもUnlimitedクラスは強豪ぞろいだから。まあ、どちらにしても自分のベストを尽くしてやるしかない。
スタート後私は風上キープで沖へと伸ばしたが、そのあいだに選考グループはどんどん見えなくなっていった、なんだか最後尾にいるような気になってきた。周りにエリートクラスのレディースが結構いたのでとにかくこの人たちにくっついていけばまあまあいいところまでいけるあろうと頑張っていたが、最初のうちは風も弱く、なかなかグライドしない。パドル力では彼女たちにはどうにもかなわないので(ワンマンカヌーや6マンカヌーをやってる人が多いのでパドルの基本ができている)とにかく風が上がってきて波が出ないと始まらないなあ、と思いながらも必死でこいでいた。
途中から波が少し出てきてグライドしやすくなり、そうなると結構楽しく進んでいってくれ、何人か抜くことができた。(こちらエリートクラストップ3、優勝16歳のコナー、2位リビオ3位SICのマーク。レディースもメンズも上位は全員SICのボードに乗っている)
まあいつも思うんだけどダウンウインドは人との戦いではなくて自分との戦い、いかに集中力をキープするか、一つ一つのグライドを丁寧につなげていくか、そして最後まで力を抜かない、とくに課フルイハーバーに入ってきてからが一番きついのだが、そこで方がパンパンになるほど漕いだ。
I am dedicating my water time to all the people in Tohoku and new friends I made in Japan 。そう自分に言い聞かせて力を出し切った。(レディースのトップ3)
もちろん一番ではなく、いつも男性の中に入ってもトップグループで入ってくるアンドレアがレディースは優勝、そして2,3位もいつも同じメンバーのタリアとデヴィン、この辺はいくら練習しても勝てる気がしないほど速い。でもいつも抜けなかった人を何人か抜くことができた(それも短いボードで)だからよしとしよう。結果はクラス別では優勝。全体では何位だったのかが気になる我、まだ発表されていないのでわからない。
次は再来週のモロカイだ、頑張って体力つけてトレーニングに励まないと、今度は27マイル、43キロちょっと)の海峡横断、生半可の気持ちではフィニッシュできないから。

2011-07-03

7月2日 和太鼓募集中!

東北に行っていたとき滞在していた本吉地区はもともと民謡や太鼓などの優れた伝統文化の活動が盛んなところだったそうで、大漁歌いこみという民謡の練習には私も参加させてもらったのだが、ここで使われていた太鼓が全部津波で流されてなくなってしまったという話を聞いていた。夏のお祭りをぜひとも連年のように開催し、みんなの気持ちを盛り上げたいと頑張っているが肝心の太鼓がなかったらなかなかそれも難しい。というわけで私も太鼓のことなんて何にも知らないし、鎌倉のお祭りさえ出たこともないのだが、和太鼓のコネを探してできることをしてみることにした。
とにかく会う人会う人に和太鼓のことを知ってる人や詳しい人はいないか聞いていったら、結構なコネが見つかった。だめもとでまずはそういう人、そしてインターネットで調べた和太鼓愛好会のようなところにメールをしてみた。
そしたらやはり太鼓好きの人は太鼓に対する思い入れもあるのかかなり協力的でそれぞれが自分の知ってる伝に声をかけてくれたり聞いてくれたりしたので、さらにリーチが広がった。そんな中で個人的にベーシストの琢磨仁さんは自分の所有している太鼓を寄付してくださった。彼は他にもいろんな形で被災地の支援をしていると聞いているが、今回も自分の太鼓のみならずプロのミュージシャンなので音楽業界に知ってる方も多いのだろう大きな太鼓のメーカーなどにも聞いてくださったりして、そこがまた心優しい社長でわざわざ本吉の文化保存会の会長さんに電話までしてくれて話を聞き、自分のところでカバーできない分他のところに助けを求めるよう声をかけてくれたり、とどんどん話が広がっていっている。他にも真鶴や伊豆大島の和太鼓であまっているものを譲れるかどうか聞いてくれている人もある。何もなくても何もできない用でも知り合いに聞いてみると何かできる人がいたりする、そうやって誰かができる事をやれるときにやることでとっても大きな助けになったりもする、今回は私がだめもとで聞いてみた太鼓好きなお友達もこの展開にびっくり、そして感動。
「1つの出会いがこんなに広がっていくなんて…。
今までの、世の中舐めてた自分をピシッと殴りたい。 」
というメールが来た。ほんと、世界はそんなに冷たくない。みんな良心で動いているし、良心が良心を動かすことも多い。

ちなみに和太鼓まだまだ募集中、なんせ80個すべて流されたのだ。1個でも2個でも寄付してもらえればそれが復興の象徴と彼らが考えている8月のお祭りの成功にもかかわってくるので、もしもどこか宛がある方はだめもとで聞いてもらいたいし、万が一手元に使っていないものがあるなんていう方、寄付しようじゃないかという方はぜひ連絡してほしいと思う。

今日の私は引き続き机の前で奮闘中、ダウンウインドも友人宅へのおよばれもとりあえず原稿が終わるまではおあずけだ。明日はMormai Triple crown のレース第一戦、練習してないけど頑張らなくちゃ。これで完全に夏のパドルレースシーズン開幕といった感じだ。

2011-07-02

7月1日 Little salt water dip

引き続き要領の悪い私はやることに埋もれてアップアップ、でも今日は海に入らないとストレスがたまるので早めの時間にパドルアウト、最近ダウンウインドばかりだけどこれが一番時間のロスも少なく運動にもなる。
アンドリューがカイトレッスンの仕事を終えるころにあわせて到着、そのまま乗っけてもらって帰ってこれるので正味2時間で十分楽しめる。ちょっとの時間でも塩水につかると気分が変わる。

その後も原稿書きとかメールとか。何より困ったのがかなり書いてあるはずの原稿が見つからない、今日終わらせる予定で紙に書いたものをタイプすればいい、位のつもりでいたのだが日本においてきたのか、ごみと間違えて捨ててしまったのか、どうにも見つからない、あ、これだと思ったらそれは別の書きかけの原稿。だったら探す時間に書いちゃえばいいのにとも思うのだが、望みが捨てきれず探しまくり。
でてきてくれないかな(なんてこれをもし編集の方が読んでいたら、またはらはらしてしまうだろう)

そのうえ久しぶりにねずみ君が家の中に登場。ここの所数ヶ月平和だったのに、缶詰や食物が置いてあるところになんだか、いやな予感のするにおいが、と思ったらちゅるちゅるっト棚を駆け上って仕切りのあいだに隠れる小さなねずみ。よく見ると棚のした二ヌードルのパッケージが破られ、かじられているものがおちていた。歓迎されていないこと、入ったが最後生きては帰れないんだから、外にもいくらでも食べられる果物もあるんだし、いい加減招かざる客にはならないでほしい、そうしたらこっちだって戦闘体勢に入らずにすむのに。

2011-07-01

6月30日 New moon, new beginning

今日は新月、ゆったりそんなことを考えながらすごしたい夜だけど、ぜんぜん違う、一日中ばたばたして、そのまま夜にも連れ込み、海にも入れずじまい。あさってがもうレースだというのに!ボードの修理から戻ってきそうにないので、12ftの短い板ででるしかない、ま、それで自分の力を尽くせばいいか。

ここ数ヶ月で自分の中に変化がおきているのをすごく感じる。たぶん震災の影響も大きいのだろう。ああいうことがあると自分にとって本当に大事なもの、大事にすべきことが見えてくる。まじめに生きることにすばらしさを実感する。難しいことに聞こえるかもしれないが、いたってシンプル、自分の内側の声に耳を貸し、自然の息ぶきに注意を向け、何が自分を本当に心から幸せにするかを考えればいいこと、見たい・。

サーフライダーファウンデーションジャパンで活躍なさっていた守山さんは京都で旅館を経営なさっているサーファー。個人的にはお会いしたことはないのだが、昔から彼のいろんな活動については読んだりしているし、とても尊敬しているのだが、最近サーフライダーの役員がみんなかわったと聞いて、ああ、やっぱり大変だからやめたんだろうなあ、と思っていた。そしたら今日、知らせをもらって彼がやめたからといってのんびりしているわけではないことがわかった。
守.jpという活動を始めたようだ。
楽になるどころか、私に言わせれば、サーフライダーのとき以上にこれからは頭を抱えてしまうような問題に取り組んでいくことになるのではないか、それでも誰かがやらなくては何も始まらない、反対にどんどん悪いほうにいってしまうからやるしかないのだろう、彼とその仲間たちの勇気とコミットメントに感謝し、自分も何かできることがあればどんどん参加していきたいと思う。

そのあいさつ文の中で今回私が東北に行ったときに感じた思いをそのままずばり書いてある部分があったのでここで紹介させてもらおうと思う。それは彼らが原発や放射能の権威である研究者と会って話を聴きに行ったときこと。

”最後に、「原子力発電というものに40年ふれられてきて、原子力発電とはどういうものかを言葉にしていただけますか」とお願たら、一言「差別の象徴」と答えられました。
危険な物、厄介な物を社会的弱者を作り押し付ける、社会の在り方そのものだと。”

今回私もひしひしとそれを感じた、結局は一生懸命畑を耕したり牛を育てて地道に生活していた人、原発に反対しながらも頑張って無農薬を実践してきた人たちが一番つらい目に愛。原発でも上のほうの人は自分の手も汚さず指示したり、勝手に放射能のリミット値を上げたりして、結局は実際現場にいる人にすべてしわ寄せがくる。子供たちもそう、自分たちで自分のことを守ることはできない。親だって政府が大丈夫といえば、その言葉にすがるしかない人は多い、保証や支援がなければ住んでる場所を離れるのだって難しい。
その土地でみんなストレスを抱えながら不安と恐怖のなかで生活していることを思うと、ほんとに差別にしか思えなかった、かといって私がそこに行ってできることもほとんどない。私自身だって知識もなく、何も考えずにそこに行くわけにも行かない。
そういったことを少しずつでも日本が変わっていかなくてはならないし、自分のことだけでなく、自分のコミュニティー、国を大事にする気持ち、世界で起こるすべてのことが自分かかわってくることなんだという意識をみんなが持たなくてはいけないのだとすごく思うようになった。何か自分でも始めないと。すこしずつでもかわらないと。

新月の見えない月に向かってそんなことを考えた夜。