2014-04-20

4月20日 Family Ties

朝一番に電車で仙台へ。車だと丸一日かかるところでも9時半には着いちゃうのだから新幹線はすごい。
駅まで迎えにきてくれたあきらさんはついこの間まで真鶴にいたのだけれど、ご実家が仙台で戻ってきたばかり、これからはあきらさんに会えるという楽しみも千代に来る理由の一つになりそうだ。
昔のウインドサーフィン繋がりの仲間、ヨガ関係、パタゴニア、といろんな仲間がいてみんなに会いたいところだけれど今回は弾丸ツアーなのでまずは仕事から。
まずは仙台港に向かう道にあるBarefootへ。
実は仕事と言っても、正直のところ前々からやりたい、会いたいと思っていた事を、仕事にかこつけてやらせてもらえるチャンスが来ただけの話で、前回来た時もこのお店を探したのだが、見つける事ができなかったのだ。
Barefootのオーナー越後さんは東北サーフィンのレジェンドであり、仙台新港で初めてサーフィンした方。そしてわたしはそんなことは何も知らずにたまたま行ったサーフスポットで彼とそのご家族に会い、お店の前のスポットの雰囲気や彼らの親切にふれ、いっぺんで大好きになってしまったのだ。
その時の思い出はそのまままた行きたい、素晴らしい東北のイメージになっていたし、震災のニュースでまず最初に頭に浮かんだのが彼らの事だった。何しろ海から2メートルくらいしか離れていないところに家とショップはあったのだから。
震災の数年前初めてお世話になった当時からスタンドアップをやっていた新しいものに何でも興味をもってトライする越後さん、そして最近までやっていなかったのに、急に目覚めて新しい世界が広がったという息子さんの耕平君、どちらもそれぞれのスタンドアップに対する思いや考えをたくさん聞かせてもらえた。
いい雰囲気のサーフスポットにはいいリーダーがいる。ローカリズムとはこうあるべきだと私なりに考えているその雰囲気そのままが当時の荒浜、ベアフットにはあった。リーダー自ら威張る事がなく、なんにでもオープンでありながらしっかりマナーやルールを守る、そして外からもビジターを理由もなく閉め出す事もなく、反対に向こうからにこやかに挨拶を交わし、その中でその海で知るべきマナーや暗黙の了解である事項を伝える。すべてのいい波のスポットがこうであればいいのになあ、とそのとき思ったのを良く覚えている。いいローカルと出会うとビジターとしての意識も高くなり、嫌がられないビジターとしてしっかり行動しようという気にさせられる。そうやっていいスパイラルが生まれる。
長くなってしまったけれど、越後さんファミリーがスタンドアップを楽しんでいる事で(もう一人の息子さん将平君も前からやっているし、奥様もやるようになったとか)さらにスタンドアップコミュニティーの雰囲気が良くなる事は確実だし東北でのサーファーとの間のいい雰囲気作りにも貢献してくれるはず。
tamaちゃんもわざわざ会いにきてくれて9月以来の再会。仙台元気で優しいサーファーががたくさんいる。こんな寒い海なのに、いや、寒いからこそ心が温かいのかな。


その後石巻経由気仙沼へ。大好きなサニーデイへ。ここはサーフクラブでもなければ宿というわけでもない。でもどちらもできる。私達がついた時にはすでにみんな集まって外で岩牡蠣を焼きながら食べていた。到着5分後には口の中にぷっくりした大きな牡蠣が入っていた。
(早苗ちゃんがとっているのは新鮮な海鞘貝、奥にあるのは生ガキのポンズ和え)
明るいうちは佐藤サンがもってきてくれたとんでもない量の牡蠣や海鞘をいただき、その後くらくなってからは家の中に入ってさらにまたかき鍋、かに、魚介だしのうどんなど贅沢なものを食べながらおしゃべり。噂には聞いていた佐藤サンの裏の顔も拝む事が出来て大笑い。そして唐桑に住んでいるという松田君の想像を絶する体験談にひきこまれ、夜に弱い私が夜中すぎてもまだ起きているほどだった。

震災があるまで気仙沼というのは私にとって例えば童話に出てくる夢の国、にも近い存在だった。ずいぶん昔にどこかのサーフ雑誌で見た波が気仙沼の波で(たぶん、抱井さんが乗っていた)それよりもずっと前子供の頃からリアス式海岸に憧れ宮城、岩手を家族でドライブした事もあった。(地図が好きな子供だったのでこの辺りの地図を眺めては地名を覚えたりしていた)
震災のあと、いろんな事があったし、被害を受けたのはもちろん気仙沼だけでなく、東北全域だったわけで、でもなぜか私はこの気仙沼の中でもはじっこの、気仙沼市に組み込まれたばかりの本吉地区とご縁があったようだ。それがすべてこの漠然とした気仙沼という場所への憧れ、震災で何かできる事はないかとやってくるにも関わらず、せっかく行くなら前から行きたいと思っていた場所に行ってみたいと言うちょっと不純な動機でここに辿り着いたのだ。今考えるとこの場所に来て、そしてサニーデイにキャンプを張り、ここに集まってくる仲間と知り合い、私と同じようにして震災後サニーデイを通じて、あるいは他の事がきっかけでここまで親しくなった人たちすべてが偶然や魔法みたいな出来事に感じられる。でも当時はなぜかそんな事がいくらでも起こっていた。
(かにの食べ方を教える佐藤サンとレクチャーをうけてるあきらさん)
あきらさんともヨガを通して面識はあったものの、たまたまこの本吉でお祭りの太鼓がすべて流された、祭りをやりたいけど太鼓がないという事を聞いて誰か寄付できるところを見つけないという話をした事であきらさんが地元で余っていたものを手配してくれ、その上真鶴の町長さんと東北も繫がり、東北でヨガでの支援などもやるようになっていった事で気仙沼の復興活動に関わっていた三浦さんとも親しくなった。私は一番最初に全壊した家を片付けたのが、三浦さんのお家。彼は避難所で皆のまとめ役として考える時間をもたないようにするかのように忙しく立振舞っていた。大変な経験だったと思うけど塾の講師をしていた彼は仕事を辞め、復興活動をやっていたNPOに就職したのち、今は防潮堤に関する問題でこれまた大きなモンスターを相手に頑張って動いている。
家も船も何もかも流され、このエリアの兄貴的サーファーでもある漁師の佐藤サンはあった時から人を惹き付ける何かをもっている。初めて会ったとき、電気も水道もないサニーデイでロウソクの明かりの中彼の話を聞いた事は忘れない。淡々と語る中に想像を絶する状況がはっきりに目に浮かび、その時の寒さと恐怖と絶望しそうな悲しみ、そしてその後の多くの優しさや助け合う喜びにふれた思いだった。彼から学ぶ事は本当に多い、真面目に生きる事の美しさを見せてくれるから。
(笠原君右と金野さん)
笠原君はパタゴニア仙台をやめてこの地に引っ越してきたとたんに震災がおこった。私が何となく気仙沼に行きたいと思っていたとき、パタゴニア仙台スタッフが笠原君に連絡を取りそのおかげで私はこのサニーデイに導かれた。彼も今は復興の仕事に関わり、二人の可愛いお嬢さんが出来、立派なお父さんになって頑張っている。
今回初めての小笠原夫妻、松田君、歩ちゃんもそれぞれ本当に魅力ある人たちで、さすがサニーデイ、面白い人が集まるなあと実感。この場所はどんな人でも迎え入れ、その人たちを癒し、その人たちの持つ才能や魅力を引き出す不思議なところなのだ。
それはオーナーの金野さんがそういう人だからなのだろうけれど、本当に心地よい場所でサーフィンするために来るというよりは皆ここに来て金野さんやその仲間に会いにやってくる。
マウイの家族みたいな存在オータムともこの場所で出会い、オータムとゆうじ君がマウイに移住するきっかけとなた愛娘マナちゃんはここで出来た(生まれたのはマウイだけど笑)
3年前ヤーマンと二人で何もわからないままサニーデイにきた時の写真、なつかしい
 当時の一番の思い出はこのドラム缶風呂、これであったまり一日の汚れを落としながら満天の星空を眺めていたら何時間でも入っていられそうだった。ただし皆が入ったあとのお湯の濁り方を朝明るいところで見てびっくりだったけど。


佐藤サンがジャックダニエルを一人でからにしてしまう勢いで飲みながら、サニーデイファミリーについて語っていた。私にとってもサニーデイに集まる仲間はみんなファミリーのように大事な仲間になっている。いろんな思いをシェアし、会えなくてもその人たちの事を思っている。波乗りが共通項ではあるけど波乗りだけじゃない繋がり、もっと大事な生き方とか考え方で共鳴できるような仲間が自然と集まってくるからどの人の話す事も興味深いしためになるし、インスピレーションがわいてくる。3人よれば文殊の知恵、ではないけれど、皆それぞれいろんな事を野郎としている時に同じような考えをもつ仲間がアイデアを出してくれたり協力してくれたりするからさらに面白いものになる。そして説明しなくても理解してくれる。だから一緒にいて心地いい。こんな素晴らしいファミリーに出会えた事を感謝し、そして大事にしたいと思う。オータムやゆうじ君が来たからサニーデイマウイ支部もあるし。

東北にはまだまだ気の遠くなるほどの課題が山積みになっている。彼らがそれぞれ自分なりに頑張っている様子を何の力にもなれない無力感に襲われながらも心からエールを送り続けたいと思っている。

今日の豪華料理シリーズ
岩牡蠣、これだけで他のものは食べられない(と思った)位沢山あった。
お鍋の中身は牡蠣でいっぱい
(花見の季節にだけ卵を海に上がってくるかに)

 むき身の牡蠣のポンズ和え
この辺りの特産物、海鞘貝

心もお腹も満腹。

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