2014-04-21

4月21日 イースターサンデー

昨日の晩は1時過ぎまで語り明かしいろんな話で興奮気味だった。8時にこの近くにすでに建てられてしまった防潮堤を一緒に見に行ってくれ、説明してくれると三浦さんがいうので7時過ぎには起きる事になっていたが起きれるか心配だった。
 (小笠原夫妻はこれからお仕事なのに私は寝間着)

明るくなった頃、下でガタゴト音がしたのでそろそろ私も起きだしたが、それはなんとすでにスタンドアップセッションを終えて帰ってきた佐藤サンだった。昨日の夜ジャックダニエルを一人で8割がた飲んでしまい、倒れるようにして寝床に辿り着いていたのに、さすが。6時半にすでに海を終えて上がってくるなんて!
コーヒーを飲んで皆で話していると気がついたら待ち合わせの時間。
(元大谷海岸駅のプラットフォーム、この甲板の上あたりまでの高さの防潮堤が出来る予定、東北有数の砂浜は終わってしまうだろうし、こんな兵があるとこ誰も遊びには来ないだろうな)
いそいで大谷海岸へ。ここは以前日本一海に近い駅として知られていた。かわいらしく素晴らしい景観だったであろう鉄道はまだ復旧していないし、多分そのままの路線では作られないだろう。駅の残骸のようなコンクリートに立ってみてもその目の前にあったはずの砂浜はいまはまったく見えない。というのもここにも防潮堤が作られる予定があり、その前の段階として土嚢が海岸中を埋め尽くしているのだ。砂浜が少ない東北の海岸線の中でこの大谷海岸は多くの人が遊びにくる有名な夏の観光地だったのに。こんな土嚢のへいで何も見えない、砂浜もなくなったところには誰も来る事はなくなってしまうのだろうなと寂しい気持ちになった。


さてここで待ち合わせてすぐ隣の海岸へ。こちらには三浦さんが行ってたすでに建てられた防潮堤があった。これも遠くから見えてくるだけで、これが正しいものではないという気持ちがあふれてくる。実際こんな大きいけど何の役に立つのだろうというところにあり、いろんな面で役にも立たないし景観を壊し、お金ばかりかかるものだというのが実際建てられたところを見るとよくわかる。
防潮堤に関しての事はまた別に書こうと思っている。防潮堤のプランを聞いた時は怒りに燃えたけどさすがにこんなひどいもの実際には出来ないだろうと実はたかをくくっていた。でも小さなエリアではあると言え実際にこんな醜悪なものを作ってしまい、それを同じものが次の湾の広い範囲に立てられていく予定だと言う。この人たち本気なんだって言う事が実感となり、身震いがした。
この3年でテトラやコンクリートが流され、砂浜が戻ってきたところ、昔の面影が戻ってきた、いなくなった生物や海藻が生えだしたという話を聞いている。海の自然治癒力は半端ない、と今回もあちこちで聞かされた。でもこんなコンクリートの塀をどかんを乗っけてしまったらせっかく再生しかけた海もまた死んでしまうだろう。
海に対抗したって勝てるわけがない、それを身にしみて理解したのが震災ではないのだろうか?海とともに生きる、そういう方法を選ばなくては結局は私達がやられる事になるのに。

サニーデイに戻って皆と朝食をとりながらまたいろんな話に盛り上がった。今回知り合う事が出来た松田君も私同様何かにひきよせられてサニーデイにくるようになったようだけれど、彼の経歴は「小説よりも奇なり」という言葉がぴったり。いくらでも面白い話が出てくる。生きるか死ぬかの経験を何度もしているけれど、そういう中でのサバイバルスキルはおそらく暴走族時代(?)に鍛えられたものなのだろう。そんな事も面白かったけれど聞けば聞くほどこの人のリスクマネージメントと瞬時にいろんな事を判断できるスキルはビッグウエイブサーファーに向いている、と思った。まだビッグウエイブは苦手と言ってたけど今のうちに私は予言しておく、きっとこのままサーフィンを続けていたら彼はビッグウエイブに惹かれていくようなると思う。
彼が帰る前に話してくれた東北支援でのエピソードがいかにも彼らしくて印象的だった。
震災が起きてちょっとしてからの出来事。彼がある避難所で何が今必要ですかと訊ねたところ、ちょっと人のいないところに連れて行かれ、『イヤー実はエッチな本が欲しいんだけど』と相談された。そこで『他にも欲しい人いますかね』と聞くと、『絶対いる』と言う。そういうニーズがあると本部に伝えたところ、思いのほかたくさんの本が集まってしまい、車いっぱいエロ本が積まれてしまった。頼まれた人のところに行ってみせたところその膨大な量に苦笑されてしまったが、あまり多いと避難所で見つけられて問題になるから、と何人かの男性と一緒に段ボール一箱だけもらっていき、残りの本は松田君が必死になっていろんなところで配り歩いたらしい。
『あの時にスピード違反でつかまったり、事故起こしたりしたらほんと恥ずかしい思いしただろうから大変でしたよ」すべての本がはけるまで結構時間がかかったらしい。そして一番たくさん本がはけたのは?という質問には『大船渡』と迷いのない答えがかえってきたのにも笑った。
埋もれてしまうほどのエロ本を積んで車を走らせる松田君の様子が目に浮かび、あまりにそのイメージが強烈でイラクでの悲惨な経験やアルカイダの話、ヘリコプターで燃え上がる気仙沼に体一つで降り立って支援活動を始めたなどという、スペシャル部隊のような彼の他の話がすべて吹っ飛んでいき、エロ本のお兄ちゃんのイメージだけが残ってしまった。彼にはまたゆっくりいろんな話を聞かせてもらいたいと心から思っている。

皆でお散歩をしたあとあきらさんと仙台へ。このドライブの時間はあきらさんとゆっくり話せるいい時間でもあった。
たった一日だったのになんだか3日分くらい充実した訪問だった。

仙台からこんどは福島へ。
前々から福島に行きたい、福島の友達にも会いたいと思っていたのだけれどなかなかチャンスがなかったのだが、今回友達とゆっくり会う事は出来なくてもどうしてもご挨拶だけでもしておきたい人がいた。それが平さん。
(平さんとふうた君、スノーボードのプロ)
彼の事をどこで初めて知ったかは忘れてしまったが、共通の友人はとてつもなく多いけれど、お会いしたのはこれが初めて。福島の横乗り全般の兄貴的存在でもあり、イベントや大会も多く手がけ、スノーボードブランドYESをあつかっている。彼のやってる事はあまりに多くて私も把握しきれていないが、その中で、放射能のために外で思い切り遊べない子供達のためにインドアパークを作りたいというプロジェクトがあり、今試験的に自分のショップがあった場所でスタートさせながら正式に大きなインドアパークが作れるところと資金を探している。
福島駅から歩いて3分のところにあるパークは上にミニランプ、下にクライミングウオールとスラックラインがあり、私がいる間にも子供達がスケートかかえて『こんにちはー』と大勢遊びに来ていた。

福島の状況、平さんの思いなど聞きながら、結局2時間くらいお邪魔してしまった。お子さんとも離ればなれに暮らし(まだ除染が完全でないので子供達は奥さんの実家にすみながら福島に戻れるようになる時を待っているのだそうだ)除染作業など何回やればいったい終わるのかという気持ちをもちながらもあきらめずに続けながら、福島の海や山家もどのように皆が楽しみ、癒される場所に戻っていく事を信じて頑張っている。彼のバイタリティーと希望に満ちた目は人の心を動かす。まだまだ足りないとはいえこれだけの寄付金が集まってきているのがその証明だと思う。ひたむきさは人の心を動かす。これからも簡単には行かない事が沢山あると思うけれど、あきらめずに頑張ってほしいと思うし、平さんのような人が頑張っていれば回りも元気をもらって頑張れるだろうな、と思う。私も福島によって平さんとスタッフのふうた君に会えた事でなんだかとてもすっきりした気持ち、これからまた頑張るぞ、という気持ちにさせてもらえた。全国各地でいろんな素晴らしい人がいろんな形で頑張っている。素晴らしい人たちに会うと確実に自分にエネルギーがみなぎってくる。


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