2014-05-18

5月18日 Power of Passion

(Good luck Hokulea, a hui hou)

日曜の今日は波があっても混んでいるだろうと読み、午後みんなが買える頃にひと乗り仕様と午前中は仕事をしていたが、午後もまだまだ混んでいた。それでもせっかく来たのだからひと乗り仕様と、ウエットを来て板を出そうとしたら、パドルを家においてきた事に気がついた。パドルの長さを測ってそのまま家においてきてしまったのだ。結局ガソリンも時間も無駄にして帰宅。
マウイのカナハビーチから一番近いところにあるサーフショップ(ウインドサーフィンショップと言った方が正しいかな)のオーナー、バートは知る人ぞ知るかなりの実力者。もともとはウインドサーファーだけれど、スタンドアップもかなり昔からやっていて、もう5、6年前だと思うけど一人でマウイ島の回りを一周した。その時にも、まあ一人で物好きだし何かあったらどうするんだろうなんて思ったけど、翌年にハワイ島からカウアイ島まで一人きりでサポート無しでやるというのを聞いて、びっくりした。結局それも達成させて、まあ、スポンサーがつくわけでもなく、ほんとにそういう挑戦が心から好きな物好きな人だ、とちょっぴり変わり者が好きな私は気になっていた。


実はレースでも結構早く、ダウンウインドも早いけど漕ぎがすごい。お店で働いているので時間はあまり自由にはならないけれどお店を開ける前に必ず漕いでいたり、夕方からマリコランをしたりしてトレーニングに励み、ウインドでもウエイブを攻め、ジョーズにも入っている。


そんな彼はハワイ諸島横断の次にヨーロッパでイギリスから自分の祖国オランダまで漕ぎ、翌年はグリーンランドの長距離に挑戦した。残念ながらグリーンランドは例年にない流氷の多さに危険だったため中止になったけれど、そうやって毎年何かしら目標を決めて挑戦している。今年はタヒチ島からボラボラ島を目指し、昨日無事辿り着いたようだ。
最初のうちは変人扱いされ、無謀だと言われていても本気でやりたい事を続けていくうちに回りが彼を認めざるを得なくなってきた。今では多くの冒険者に勇気やインスピレーションを与える存在になっている。見かけは普通のおじさん風でいいお父さんなのだが、(日本のトップパドラー、トモが初めてマウイのレースに出るために来た時、彼が一緒に漕ごうと誘ってくれ、「一緒に漕ぐ人がいるのはいいけどこのおじさんそんなに早くないだろうから、待っててあげないとな」と思っていたら同じボードなのに全く追いつけずにびっくりして落ち込んでかえってきた事があった)何気ない風貌のお国は本当に強い意志と熱い思いを秘めている。
若くもない彼が毎年自分が自分のために立てた目標のために頑張ってる彼を見ると情熱さえあればどんな環境においてもやりたい事を達成する事は可能なんだと励まされる。奥さんもいつも心配だろうにサポートして応援しているのはすごいなと思う、ま、こういう人はやめろと言っても聞かないだろうけど。
彼が無事に5日間に及ぶ長いパドルでの航海を終えてボラボラに到着した事を誇りに思う。さすがだな。

そしてハワイアンのプライドと文化と歴史をのせてホクレア号も碇を上げオアフ島を旅立った。今朝はラハイナに寄港していたらしい。残念、知っていたらスタンドアップパドルで近づいて近くで自分から祝福と祈りも捧げられたのにな。

ホクレアはこれから世界一周の旅に出る。ホクレアについての歴史はそのまま、ハワイアンの文化や誇りの復活の歴史とも言える。第2回の航海でメンバーだったエディーアイカウが途中船が難破したとき助けをよびにいったまま行方不明になった事はハワイに住む人なら誰でも知っている歴史の一ページでもある。

このホクレアに惹かれ、ずっとずっとこのホクレアに乗りたいと思い、その思いの強さにご主人を説得して本土からハワイに引っ越してしまったほどの日本人の友人がいた。
ハワイに引っ越してきてからもずっとホクレアプロジェクトに関わり(船に乗るクルーになるのはとても大変な事でまして日本人ならなおさら)いろんな活動を続けてきた。そんな彼女が今回ホクレアとともに航海するもう一つのカヌーに乗る二人の日本人のうちの一人として参加している事がわかった。記事に出ているもう一人の女性は有名なカヌーイスト内田正洋さんのお嬢さん。
私の知っているタミーは沖縄本島のカイトボーダー、石垣島で開催したガールズカイトキャンプに参加したとってもおとなしい、言葉少ないうちなんちゅうらしい女の子だった。わいわいやってる中楽しそうにしてるけど自分から騒ぐ方ではなかった。でもとても海が好きで海の事は何でも好きなのだとそこだけは強行き持ちが伝わってきた。それから何年もたってアメリカ人の旦那さんと結婚し、本土の海のない地方に住んでいたのだが、いつの間にかハワイに移住してて、それが自分がどうしてもホクレアに関わりたいからとご主人がこちらで働けるように頼み込んだと言っていたのだ。それからまた何年もたった。ホエールウオッチングのツアーなどで働きながら子供もしっかり育てつつ大変なホクレアプロジェクトでもしっかり活動していたからこそ今回のクルーの一人として選ばれたのだから彼女の努力は並大抵の事ではなかったに違いない、でもそれだけ強い思いがあればいろんなハードルも時間をかけてひとつひとつ越えていけるんだ。そんな事を彼女の名前がリストに載ってるのを見て実感した、オアフの港を出て行くとき彼女の心の中にはどんな思いがあったのだろう?

そしてそんな彼女を応援してきた家族の心の広さ(子供の事だっていろいろ大変にちがいない、家族のサポートがなかったらこんな事は不可能だ)モスバらしい、きっと彼女の熱意と一生懸命な様子をまのあたりにしていたら応援せずにはいられなくなるのだろうな。

彼女だけでなく、ホクレアのプロジェクト自体がハワイアンの情熱そのものだ、一時はハワイ語を話す事も禁止され、ハワイアンである事は恥ずかしい事を教えられて育った世代が自分たちはこんなにも素晴らしい文化と技術を持って大海原を航海していたのだと誇りを持つ事が出来た、ハワイアンルネッサンスの始まりがこのホクレアのプロジェクトだったように思う。
(沖を通っていくホクレアに向けて旗を振るローカルハワイアン。この写真は何か心の奥にぐっと来る)

どんな事も情熱があれば、そしてその思いを強くもち続け、努力を続ければ不可能な事はない。自分が予想したような結果にならない時もあるかもしれない、でも何かしら素晴らしい結果が生まれ、夢は自分が描いたものであるかどうかは別として必ずかなうと私は信じている。でも思い続ける事、情熱をもち続ける事こそ、一番大変で大事なんだ、それが出来るだけでその人はもう80%夢を叶えている、そう思う。素晴らしい出来事はいつも私にも勇気を与え、そしてもっと頑張れよ、とハッパをかけてくれる。

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