2014-03-02

3月2日 It's all about LOVE


(長いので覚悟してお読みください)
朝波が気になって3時半,4時と何度も目が覚めた。5時にまた目が覚め耳を澄ますと波の音がする。
It's on! 何キロも海から離れているうちまでアウターリーフのブレイクする音が聞こえる時は大体ピアヒ、つまりジョーズもブレイクしている。昨日は湖のように穏やかだった海も今頃ものすごいうごめきを見せているだろう。5時頃コーヒーを入れて準備をしているとひろなり君とアツシ君も起きてきた。私は6時にピアヒの入り口でタカさんと待ち合わせをしているので先に出かけ,彼らは食べ物を買ってからくる事になった。
真っ暗な中タカさんのトラックにカメラマンのヒロさんと一緒にのせてもらい崖っぷちへ。タカさんは以前二駆のトラックに乗っていたのだが,雨の日にジョーズに向かったのに泥道で辿り着けず悔しい思いをし、ジョーズのためにトラックを買い替えたほど。それくらい雨が降るととたんに道は悪くなるし、冬のジョーズエリアは毎日雨が降り続くのが当たり前の天気。
まだ薄暗い崖っぷちのパーキングエリアにはすでに顔見知りの大勢のサーファー達が来ていた、そしていつも彼らの様子を記録するカメラマン達も数人すでにセッティングしていた。暗い中目をこらすと分厚くはっきり見える白いスープが間断なく押し寄せている。おそらく1月半ばに来たうねりより大きそう。自分が乗るわけでもないのに緊張感がこみあげ、胃のあたりがきゅっとした。前回は波が割れれば大きかったけれどセット間隔はかなり長かった、今朝は立て続けに波が来ている。
と、見ていたら,突然ものすごいセットが来た、前回は入って来なかったくらいの大きさでソリッド25フィートくらいあったと思うけど,これは巻かれたら絶対ヤバいというサイズだった。横にいてみていたタカさんもカズマサーフボードのマットも一瞬言葉がなくなった。私はちょっとだけ心配になってついたばかりのひろなり君とアツシ君のところに行って『今のセット見た?あれはでかい。多分シェインが前乗ったチューブくらいの大きさがあったと思う」と伝えた。
彼らも見ていた。さらに気を引き締めて,そしてあわてて出るわけでもなく、じっくりと波を観察していた。
実は日本人でジョーズに入る3人のリーシュをなんとか手に入れたい,道具でも不安は極力減らしてあげたいとダカインのチームマネージャーと話し、3本もらえる事になっていた。でも昨日はありとあらゆるサーファーが彼を追いかけていたに違いない、私も連絡が取れず、結局二人はお店を探して最も太くて長いものを買い、できる限りの準備をし、ここにくれば会えるかもしれないからここで手渡してもらいたい、と願っていた。

大きな波を見たひろなり君は前回リーシュがとれたことで一発でボードを折り,その翌日も奇跡的にも板は岩まで行かなかったけれどリーシュが取れた事もあり、すでに2本ボードを折っていた。わざわざ櫛本さんが日本から持ってきてくれた新しい板を絶対に折りたくない。リーシュが取れる恐怖心が強かったのだろう、夢遊病者のようにあっちこっち行ったり来たりしてマネージャーを探し(顔を知らないのに笑)他のサーファーでたくさんそのジョーズ用リーシュがついている板が重ねて積んであるものをうらやましそうに、下手したら黙って借りちゃうんじゃないかという様子で見ていた。後で彼自身が言っていたけどちょっとしたパニック症状だったかもしれない。
リーシュの不安を持ったまま海に出たくない気持ちはよくわかる。横にいたアツシ君が,『でもさ,立派なリーシュが欲しいって思うってことは巻かれる事を前提に考えてるってことだろ,絶対メイクする気で海に出れば大丈夫だよ』と落ち着いた言葉で話しかけ,その後二人はゆっくりストレッチしていた。

マウイに住むタカさんは自分が乗りたいサイズ,乗れるサイズやコンディションを良く把握している。去年最後にボードを折り,今シーズン新しい板をオーダーしたが,もう少し大きなものが欲しいと感じ,今日乗る板はできたばかりで少しボリュームが大きいもの。もう何年もそれこそ2009年頃から何人かがジョーズをパドルでのり出した頃からジョーズで乗るヴィジョンを描き始め、自分も2011年から本気で取り組みだし,去年も何回か出て波に乗っている。
「ジョーズは小さめの波で人が少ない時に乗れればいい、大きかったり、混んでいたら乗らない」と決めている。今日の波はぎりぎりのサイズ,きっと待っていたら混んでくるだろうが今なら何とかなりそうだと早めに準備をして下に降りていった。

さてひろなり君達の後ろを折って崖の下まで歩いていくと,タカさんはまだその大きな岩がゴロゴロと動くほどのパワーがあるショアブレイクの前に座っていた。
ジョーズで乗る人たち誰もが言うのは沖の波より怖いのがこのショアブレイクだと言う。ここの怖さは実際目の前で見ないと実感できないだろうし,ここで板を折ったり怪我をする人も多い。タカさんはここで板を脇にかかえて岩に座って考えていた。
今までサンデーサーファーでなかった事はない。スポンサー無し、常に仕事しながら休みの日だけ乗る。家族もあるので自由に海に入れるわけでもない。そんな自分の環境の中でもできる限りの努力を続け、自分の限界を理解し、やれる時だけやり、無理をしない,怪我をしたり,事故を起こしたら一家の主としての責任を持ち,家族が第一という事を忘れずにそれでもジョーズの波の事をいつも考えて日頃の努力を欠かさない。
ずるしてステップを飛ばしたり,いい思いをしようというところがいっさいない。近道をしようとしない彼の姿勢はとても尊敬している。

サーフィンというのは単なる波に乗るという行為ではなく,その人の考え方や生き方を映し出すものでもある,タカさんのジョーズへのアプローチは今までのタカさんの生き方を完全に反映している。

彼は岩に座っていろんな事を天秤にかけていたに違いない。この冬でジョーズに向き合い始めて3年目、今まで以上に自分の人生の優先順位などを考えさせられたと言う。
「僕には怪我で仕事ができなくなるというオプションはあり得ない。家のローンも子供の養育費も必死で払ってるから。それに波乗り以外にも仕事や家族のケア、子供達のイベントなど波があっても出れない日もある,そんななかで今日が出るべき日なのか、怪我をしないで出る自信があるのか、この板を折ったらもうバックアップはない。自分の冬はそこで終わってしまう。そんな事を考え、このトッププロ達が大勢いるラインナップでセットの波でなくはじっこの波に乗るために(一番大きなセットにピークから乗る自信はない)出るだけの価値はあるのか。スポンサーや誰かのために乗るわけでも、ただジョーズに出たと言いたいがためにはいるのでもない、だったらここに住んでいるのだから,次まで待ったっていいじゃないか。 実際腰の調子が良くなかったり,雨だったり,ウエストすぎてほれほれのテイクオフをできるのか,そんな不安があったらしい。

(タカさんの前に出て行ったカウアイのサーファーのワイプアウト、それでも無我夢中になってアウトに出て行った,沖でダカインのリーシュを手渡す手はずができていて、とにかく乗りたい一心でアウトまで出たのだろう)
『ジョーズって言うところは俺が全く迷いもなく,これだー,行くぞーって思っている状態でやっと何とかなるような波なんです。ちょっとでも不安があったら出るべきじゃない。俺はやめときます」そういってかれはまた重いジョーズガンを持ってゆっくり険しい崖を登って戻っていった。彼がどれだけここの波を乗りたいがために一年中努力してその事を考えているか知っているだけに,やめた勇気に私は感動した。出たいに決まっているのだ,リスクはあっても試してみたい,あのラインナップのエネルギーにふれたいに決まっているのだ。崖のうえで見ているのとはわけがちがう。でもそんな自分本位の考えを振り切って,自分の人生の本当の優先順位を大切にできる冷静さに私は拍手を送りたい。
「命をかけても乗りたい波かもしれないけど死んでしまったら終わり,そして俺の場合怪我だってできないんです」

やめる勇気の方が難しいよ、と褒めたら『いやいやあのショアブレイク出て行こうって言う勇気の方がやっぱすごいですわ』とジョーダン混じりに笑っていたが,タカさんにはこの島に住んでいるというアドバンテージがあり,確固たる自分の波乗りの姿勢がある。結局波乗りは上手い下手ではなくてその人がいかに波と向き合うか,自分の人生に必要な学びをどれだけそこから学び取るか、なのだと思う。どんなにいい波に乗れてもそれを自分の人生の教訓として応用できなければただのスポーツで終わってしまう。(もちろん他のスポーツも人生の教訓を学ぶけれど)タカさんよりサーフィンがうまい人はいくらでもいるだろう,でも彼から学ぶ事はとても多いし,彼がこの日選んだラインも素晴らしいと思う。

(1ヶ月の滞在の始まりと締めくくりがジョーズというラッキーボーイのひろなり君と今日初めてのアツシ君。)      
モデルさんのように背の高い女の子が緊張した面持ちで降りていった。ここに出る女の子は普段はケアラとペイジとアンドレアだけ。彼女も世界のどこかからのここの波に憧れてやってきたのだろう。
マウイのローカルヤングガンズ、幼なじみが皆でホームブレイクをシェアし,プッシュしあう感じでジョーズに出て行く。彼らの親の多くが往年のマウイの知られたローカルサーファーだったりする。
(ウエストボールがぐりぐりしている感じの今日のスウエル)
(沖に小さく見えるのが15フィート級のジョーズ、あそこまでパドルアウトしていく)
若手二人もショアブレイクを前にして改めてその威力に圧倒されていた。タイミングを間違えたら大きな岩がゴロゴロ動くショアブレイクに板ごとまかれ、大きな岩に叩き付けられ,ボードも壊れる。しばらくタイミングを見てからアツシ君がまずすんなり出て行き,その後ろでひろなり君があわや巨大なスープに飲み込まれかけたけれどしっかりクリア、二人で寄り添うようにアウトにパドルアウトしていった。
最初はしばらくショルダーで観察していた二人,ただ乗ってる板も全く違うので,乗ろうと狙っている波も波を待つ一も違うのだろう。アツシ君は9’6の軽めの薄いガンボードいわゆるジョーズガンにしてはずいぶんアンダーがンではあるけれど最近ウエストボールのチューブ狙いのローカル達はそれくらいの板に乗り換えている。ウエストボールのラインナップのリーダー的存在のアルビー・レイヤーも8.8のベイビーボードと呼ぶ板で出て行った。
ひろなり君の板は10’6でかなり分厚くものすごくボリュームがある。これは早いテイクオフを重視したボード。インサイドで乗ってもチューブの中でのトリムは難しいのでもう少しアウトのピークからテイクオフし,フェイスを突っ切って走るタイプ。

雨がひどい降りになり,カメラを持ってhiroさんはいったん車の中で避難。何かの時に役立つだろうと持ってきた業務用ゴミ袋に穴をあけ手が通せるようにして即席レインコートをつけてきてみたらかなりいい感じ。私とタカさんが望遠鏡で引き続きラインナップに目を凝らす。
ひろなり君は沖の方,アツシ君は彼が言っていた通りウエストボウルを狙っているようだが二人ともじっくりピークや波を観察するためにか、少しチャンネルに近いところに陣取っている。少しずつアツシ君が奥に一を進め始めた。同じ位置で波待ちしているサーファー達の邪魔にならないよう,誰かがちょっとでもパドルしたら,自分がいい市にいても手を出さない徹底して気を使ってる様子が崖の上からでも分かった。ひろなり君も前回は乗りたい気持ちが大きすぎていろんなサーファーと競り合ったりして乗っていたけれど今回は少しクールに時間をかけて見ているようだった。

アツシ君が波に乗りそうな位置に移動したのでhiroさんに声をかけカメラを構えてスタンバイしてもらった。思った通りいい波が彼の目の前にくる位置にいて,誰も乗ろうとしない波が来たとき板を返し、パドルし始めた。そしてドロップ!私が望遠鏡をのぞきながらノッタート実況中継のように興奮して叫んでいたら,横でhiroさんがくすくす笑っている。『だって友ちゃんが、「あ、行くかも、行く,行く,行く,行ったー』って言うからおかしくておかしくて』
こんな感動と緊張感のある中で、男という生き物はほんとにわからない。
(大雨の中日本チーム応援団)
少しずつアツシ君もひろなり君もラインナップの状況になれてきたように見えた。私達がいる間に残念ながらひろなり君は波に乗らなかったが,でも最初の様子を見ただけで全開見た彼よりずっと落ち着いているように見えたし,一とそんな彼には神様が帰る前に素晴らしい波を送ってくれる、いい波に乗らせてくれると信じていた。
アツシ君は初めてとは思えない落ち着きぶりと波の観察力だった。彼が前の晩に話してくれたプラン通りの動きで,こういう網を狙うと言っていた波をしっかりとって乗っていた。何より、ラインナップでの動きが素晴らしかった。ここに来たのは初めてでも、きっといろんな事を思い浮かべ、調べてきたに違いない。そう感じさせたし、日本人として誇りに思える態度とライディングだった。めっちゃくちゃかっこ良かった。
(ドロドロになりつつある道,そろそろ帰らないと帰れなくなる)
(kiren Jaborは素晴らしい波に乗った)
(アンダーグラウンドローカルチャージャー、デイジ・オコーネル の乗ったとんでもない波。この波でリップが直撃し,足に大けがをした)

今回は今までのセッションの中でも一番怪我が多かったように思う、ウエストスウエルはパワフルだからかもしれない。トウイギー・ベイカーはこの一日で4本のガンを折ったと言うし、若手のビリー・ケンパーも筋肉を痛めたらしい。シェイン・ドリアンはものすごい巻かれ方をしてその間にインフレータブルのライフベストのエアー部分がちぎれ、2ウエイブホールドダウンを経験し,上がってきた時は鼻から血を流して危険な状態だったと言う。

命をかけてと言っても過言ではないほどのチャージをしているシェイン・ドリアンのようなサーファーでも、最終的には、たかがサーフィン、たかがジョーズなのだという結論にいたる。あれだけの情熱と準備と努力をし,お金や時間をジョーズに合わせているサーファーが多い。
けれどジョーズの波に乗る事で,死に限りなく近づく状況に身を置く事で、生命は最も輝きを増し、また命の尊さ、家族や愛するものの大切さを実感する。
そしてシェインがいうように,これだけジョーズにフォーカスして入るものの、ジョーズは自分の優先順位のずっとずっと下の方であって家族や仲間や自分を幸せにするものに比べたらほんとにとるにたらないものなのだ、という事がわかるのかもしれない。

(カイが今までで一番大きなチューブに乗った!と興奮していたのは多分この波)

サーフラインの記事ではこんな感じに出ている。この冬はたくさんの伝説が作られたが,この紐そのうちの一日に数えられる思いで深い日になった。


ただ自分のサーフィン、いい波に乗る事だけだったらそれは限りなく自己中心の行為であるし、自分本位のものだ。ただただ自分の気持ちよさだけを追求して人と波を争いながら人より大きな波、人よりかっこ良く乗る事にフォーカスしているうちはいくら上手くなってももしかしたらまだサーフィンの本質に辿り着いていないのかもしれない。シェインその他私の尊敬するサーファー達の話を聞いていると、大きな波の日は本物かそうでないかがあからさまで,上っ面は通用しない、と言う。
ジョーズはその頂点にある。気持ちも実力も向き合い方もほんの少しでも純粋でない部分があればすぐばれる。
でもそこまで追求してきたトップ中のトップが集まり,誰もが完全に謙虚にさせられる波の前で助けたい、励まし合い、喜びあえる経験を共有したあとはその瞬間からソウルで繋がれる同志となるのだと思う。バーやビーチ、仕事場で知り合った仲間(もちろんそういう中からソウルフレンドを得る事もあるが)とは違う。そしてそこには一緒にいる仲間への愛、一生忘れないような経験をさせてくれる海,自分のちっぽけさを思い知らせてくれる波、自分をサポートし,安全に気を使ってくれるサポート(波に乗らずにセイフティーのみに専念するクルーがマウイには存在し,チームとして波が上がるたびに出動してくれる。それほどローカル同志安全面の必要性を身を以て感じ,また仲間を見守る気持ちを持っているのだ)岸壁で見守る観客、ショアブレイクの前でまずそこをクリアする事に集中して板を持って立っているサーファー、「いつかは自分も」と熱いまなざしで出て行くサーファーを見守るグロムサーファーは自分ができる事で何か関わりたい,手伝いたいと無線で陸からスポッター(上から見下ろしながら巻かれたサーファーが出てきたところをすぐジェットスキーに知らせる)をかって出て走り回っていたりもする。(実はひろなり君の行方がわからなくなったとき最初に彼のボードのかけらを見つけて知らせてくれたのはそういう子供だった)
前回はあまりにも人が多すぎて朝ローカル達がげんなりしていた。そのバイブと皆が躍起になってどの波にも数人で乗ってしまうようなきりきりした空気があった。しかし今回は何となくメンツの顔もそれぞれ見覚えがあったり、ローカルが先陣を切って朝からチャージしていたりといい雰囲気が流れていた,それは海のラインナップでもそうだったようだ。誰かが怪我をしたらすぐにジェットが駆けつける。ドロップインもあまり見かけなかった。

海や山に行くといかにこの世界のクリエーターが愛を込めてこの世界を作り上げたかを感じる。ジョーズでの波乗りはその究極の愛を感じられるところでもあるような気がする。体力と知力と精神力をしぼれるだけしぼるほど消耗するぎりぎりの世界だからこそ,すべての事がマグニファイされる。一本の波に乗れた時の感謝の気持ち、そして仲間との結束、とてつもない海のパワー、サポートや見守る人たち、愛にあふれる空気の中で彼らはものすごいチャージをし、そこからまた愛を生まれ、みている私達にシェアさせてくれる。
セッションを見ながらIt's all about love、その言葉がずっと頭から離れなかった。サーフィンする事はそれを再確認し、それを感じるからこそ気持ちがいいのだ。自分よがりの波乗りをしてもそこには辿り着かない。自分のサーフィンを追求しつつ、最後に得るものは愛なんだなと、なんだかニューエイジみたいだけど本当にそう思ったのだ。
海から上がってきた一人一人の顔を見ればよくわかる。とにかくこれ以上の表情はないっていうほど目が輝きいい満足しきった笑顔で愛にあふれている世界になってしまう。ジョーズが割れる日はいろんなドラマがあるがあれだけのエネルギーが凝縮される事はそんなにない、そこにいるだけでそれを感じる事ができる。そういう意味であの波で乗って見せてくれる彼らのライディングは大勢の人を感動させるプロ中のプロともいえる。でもプロだからやらなくちゃ、って思って突っ込んでる人は一人もいないと思う。プロでもプロでなくても関係なく本気でやりたい、心底やりたいと思っていなければ入れないし,波にテイクオフできるわけがない,そういう波だと思う。

アツシ君も海でそれを感じたようだった。
「誰も知らない俺がポンとやってきて彼らのピークで波に乗り巻かれても、海面に顔が出ると3台くらいのジェットが「大丈夫か?」と駆けつけてくれている。ここはそれがないと出来ないところだっていうのもよくわかったし、こいつら半端ないって思いました。波に乗るってことだけじゃなくてこの場所は愛が半端ない。」
昨日初めて会ったばかりの20歳も年下の彼だが,ちょっと話しただけでも彼がいろんな事を考えている事はよくわかったし、予想していた通り海の上でも本当に安心してみていられた。さすがというほど彼が狙っていた通りのプランでイメージしていた通りのライディングを決め,さらにすこしずつすこしずつチャージの度合いをアップしていった。私は最後まで見ていられなかったが、かなり大きめの波でスティープなドロップを決め,また横にいたイアン・ウオルシュが波を譲ってくれたりもしたらしい。何より、ダカインのマネージャーがわざわざ海で声をかけてくれ、欲しかったジョーズ用リーシュを手渡してくれた。こんな嬉しい手に入れ方はなかったはずだ。
そうやってほんとに来るべきものはちゃんとてもとにやって来る。アツシ君が今回ジョーズの波にばっちり乗れた事だって来るべき時に来るべき人が来ただけなのだと思う。
まだ会った事もない人だったのでいくら皆からすごいという評判を聞いていてもやはりどの程度の覚悟でくるのかわからなかったし,まず私はジョーズで乗るわけでもないので何も助けにはなれない。誰かを紹介すると言っても皆も知らない人を信用して一緒にいこうなんていってくれる軽い気持ちでは入っていない。どんなに上手い人でも事故が起こる場所だからよけいに最初は全面的にバックアップしていいのか私も迷う気持ちもあった。何しろ怪我や事故が起きたらどんなに関係ない人でもやはり同じ日本人としてつらいし、平気ではいられない。ましてちょっとしたミスで命だって落としかねないところ。でも本気でやりたいと思ってる人は誰に何もいわれなくたって来るものだと言う事もわかっていたし,来るべきだと,それもできるだけ早く来るべきだと思っていた。
アツシ君はそういう私も気持ちもすべてわかってくれた気がするし、そうやって自分でやってきた。結果的には本当に来てくれて嬉しかった。感動をたくさんもらったし、日本人として本当に誇らしかった。


「人生が完全に変わった」と言っていた。大げさに聴こえるかもしれないけど彼はほんとにそう思ったのかもしれない。はっきりとした目標ができたともいっていたし,あの波に乗りたい,その事ばかり考えていると言っていた。

(宮崎出身のひろなり君)
ひろなり君も頑張っていた。いい波に乗っていたと友人が言っていたし,最後は巻かれてしまったけど乗りたかったチューブに自分をねじ込んだ会心のライドだった。今日は彼のマウイ滞在一ヶ月の最終日。あの1月のスエルの前日に何もわからずなんとかマウイにたどり着き、空港からまだ会った事もないタカさんに電話をし、翌日からジョーズが始まったかれ。しょっぱなからチャージしたものの、いろいろ学ぶ事も多かった。悔しかった事もいろいろあったと思うし、私もマウイでここだけは大事にしてほしい、と思う事をきつく言葉にした事も何度かあった。でも大きな波に乗りたいという情熱だけは本当に強い事がわかったし,彼自身イケイケだけでは通用しないパワーを持つ波の前で恐怖を味わい,多くを学んだと思うし,アツシ君との出会いは本当に大きかったと思う『僕より年下なのに海から上がってからついつい敬語になっちゃってましたよ』と言ってたくらい。何より同年代で一緒に海に入れるのは最高だろう。当初の予定ではオアフやカウアイにも行くはずだったのに結局マウイだけで一ヶ月過ごした。
今だからいうけど最初にひろなり君がジョーズに入った時まだ彼の事を全然知らないままタカさんと3人でジョーズに来て,彼が3時間ほど行方不明になった。実際には折れた板のかけらを探しにずっと向こうの方まで歩いていっていただけだったらしいのだが、大きな波にまかれ,リーシュがきれ板は岩場にそのまま持っていかれ、ジェットスキーに助けられてビーチまで戻ってきたものの,そのまま湾の向こうに歩いていってしまい,私とタカさんはどこにもいないひろなり君を探し、見つかったのはノーズ部分の板のみ、この海の中で2,3時間も泳ぎ続けられるわけはないと最悪の状況が頭に浮かび,911に覚悟を決めて電話を入れたところでひろなり君が戻ってきたというエピソードがあったのだ,結果的には大事ではなかったのだが,コミュニケーションをしっかりとる前に海に出て,彼がどれだけの経験を持っているのかも全くわからず本気で心配し,それから数日はトラウマのようにその事ばかり考えてしまったほどだった。その翌日も借りたボードのリーシュが取れて一巻の終わりと思いきや奇跡のように近くに浮いていたため板が無事だったが3日目は見てるだけっていってたにもかかわらず夕方別の板を借りてショアブレイクで巻かれ,フィンボックスがいってしまったにもかかわらず連れて行ってくれた人と一緒にピークまでその壊れたフィンのまま、パドルアウト、とはいえそんな状態で波に乗れるはずはなく4回リップから降ったらしい。そして4回目に出た時はその板も折れてしまった。そんなだったものだから,ひろなり君は危なっかしいという固定観念がしっかりついてしまったのだ。
でもその時はその事をブログにのせなかった。すべてにおいて満足のいくライディングができたとき,あんな事も会ったね,と笑い話にできるように頑張ってねと言っていたけど,こうやって笑い話として書く事ができる事をとても嬉しく思う。
今日は板も無事で3本いい波に乗れたらしい。1ヶ月頑張ったご褒美だと思う。夕方会った時には目が完全にいっちゃっていた笑。おめでとう。


翌日の仕事に間に合うからとバッタバタのままその日の最終便でアツシ君はオアフに戻り、その翌日ひろなり君も帰っていった。時間がなくてゆっくり話は聞けなかったが二人とも本当にいい顔をして乗った波の事を話してくれた。
もっともっと聞きたかったのに話が聞けなかったので、その余韻が残っているうちに、絶対自分であとで振り返るためにもいいと思うから今回の経験をメモしたり,文章に残しておく気はないかとアツシ君にメールをしたところ、それはいい考えだと思ってくれ、細かく何から何まで書いておくと言ってくれた。私がいくら文章にしたってあの経験を実際にしている彼には到底かなわない。是非彼が書いたものをいつか読んでみたいなと思う。
世界中の大波乗りが地元の波で満足がいかなくなってここにやってくる,でもここで物足りなかった,という言葉を聞いた事は今のところまだない。そして彼らはみんなピアヒの波に取り憑かれ,次の波に向けて課題や目標を見つけ努力し準備するようになる。

ちなみにこのブログの下書きは4日に日本に帰る飛行機便の中で書いたものだが,実際にアップできたのはいろんな事が落ち着いてからの3月17日、その間にアツシ君の体験記的なものがサーフデイズで発表された。そのなかにもこんな文章があった。

なんだか波はスーパーハードだけど、沖に居る人達は凄い愛に満ちあふれ、
助け合い、その時間とその波をしっかりわかち合っていた気がする。」
「あの日にあの場所で、
ワールドクラスのビックウェイブサーフィンレベルをみれて感動した。
そして感動から凄い感謝の気持が生まれた。』
『遊びじゃないし命がかかってる。
本物は言わなくても解る。
本物は自分に自信があるからみんなに優しいんだなって感じた。』

海に出るものも,海から上がってくるものも素晴らしい表情をしている,自分の持ちうる知識と経験と勇気をすべて振りしぼって全力で,最大限の集中力で波と向き合う,そんな状態に達成感がないはずはないし,人生のハイライトのようなその瞬間に輝かないわけがない。みんなほんとに素敵だった。

見ているだけでも再確認できた。一番大事な事はこんなときでもやっぱり愛なんだって。
まさかジョーズの波乗りを見て最終的なまとめとして愛がテーマになるなんて思ってもみなかったけれど,やはり波乗りはそういう人生への愛や感謝,一緒に乗るものへの相互の愛とサポート、自然への畏敬,すべてポジティブな感情である事が正しく、ジョーズではそう出なければちょっとでも邪念やネガティブなものがあったらごまかしがきかないと思うのだ。

前回のスウエルの時に何となく感じていたところはそこだったのかもしれない。大勢の人がどどーと来てドロップしまくりでローカルは文句を言い、ラインナップで口論があったり。なんだかそんなのいつものジョーズじゃないと悲しい気持ちになった。会った事のない、どんな人かわからないアツシ君が来たいというのを聞いた時,不安なところはその点だった。彼はその部分を理解しているのかどうかわからなかったから。結果よけいなしんぱいではあったけど。

今回はローカル達が意気揚々と真っ先に出て行き,普段からリスペクトされている人たちがばんばんチャージし、見ているものも乗っているものと同じくらいそのライディングにストークしている。そしてドロップインも少なく,ジェットスキーは自分たちが絶対に乗っているサーファー達の命を守るという強い信念で動き回り,そこにはローカルもビジターも隔たりがなかった。
いつもジョーズのレギュラー達に言われていることがある。「ビジターでジェットを用意しないで出るやつはペナルティーだと意識してほしい。自分の危険を想定し,それに対して対応策を持たずに出るようなものなのだから。」
本来他人のジェットスキーは自分をではなく他の人を見るためにそこにいるのだ。だから頼りにするのはおかしいのだ。それでもみんなできる限りの事をして見守ってくれているし,巻かれたら駆けつける。その思いやりとアロハにあふれたラインナップにアツシ君は心を打たれたと言ってくれた。そしてここに来る事ができた自分の今までに関わってくれたすべての人に感謝したい気持ちだと。
それを聞いて私は本当に彼が来てくれて良かったと思った。ピアヒの波に乗って,大きな獲物を征服したような気持ちではなく、そのアロハの部分を感じられる経験をする波乗りをしてほしかったのだ。わかってくれてありがとう。乗れない私の分までその経験をしてくれ、シェアさせてくれてありがとう、とジーンと来た。
ひろなり君もアツシ君もお互いと出会えた事に感謝していた。ひろなり君も彼自身の最高の波と出会い、一ヶ月の滞在の素晴らしい締めくくりができた。

What a day! ビッグウエイブのサーフィンの一ページがまた一枚めくられた。
彼らはこれからもきっと今日の事を思い出しながら次にジョーズの波に乗れる日のために頑張り続けていくだろう。
(いい写真は今後雑誌で使おうと思っているため載せられないけれど、ここにも書かなかった細かいディテールや今までジョーズに乗ってきた4人の日本人一人一人の思いや向き合い方について,波,道具の進化など詳しく取材するつもりなのでこうご期待。このムーブメントは詳しく取材し,一人一人のサーファーのストーリーを記録する価値があるものだと私は確信している。)


追記
朝から雨まじりで午後から降りが強くなるという予報。私もhiroさんもスタックしないようにタカさんのトラックにのせてもらってピアヒまでいったのだが、朝は全く問題なかったのでひろなり君達はレンタカーのバンで下まで。彼らが海に入ってる間にもどんどんどんどん道はぬかるんでいき,2台のものすごい4輪駆動のトラックがトウロープを持ってスタックした車を引っ張りだす為に来ていた。かなりのおこずかい稼ぎができたはず。
ひろなり君達がサーフィンを終えた跡スタックするだろうなあとは思ったがどうにもならないし,とりあえず海でサバイバルできれば陸のうえならどうにでもなるので私達はスタックしないうちに帰ったのだが,案の定大変な事になっていて,それでも無理矢理強硬でぬかるみを走り,途中タイヤがパンクしたにもかかわらずそのまま無理矢理走りきりハナハイウエイの入り口までなんとか辿り着いたという。タイヤのホリールはぼろぼろになっていたが,そこまでメイクできた達成感で二人はハイになっていた。
サトウキビ畑でスタックしたままだったら牽引車も来てくれないし,確実にアツシ君も飛行機を逃していた。牽引車も私のカードでお金がかからず、タイヤを替える事もなく,なんとか車をレンタカー屋さんまで持っていけた。いやはややっぱりひろなり君はラッキーボーイなのだ。もうダメだ,と思う状況でもなんとかぎりぎりでうまくいってしまうそして助けなくてはという気にさせられる何かを持っている笑
ちなみに私はその夜疲れと濡れて冷えたせいかぎっくり腰の手前状態になり、その二日後日本に帰ってくるとき車いすで帰るはめに笑




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