2011-06-01

5月26日 導かれてきた気がする気仙沼

あまりに気持ちのいい目覚め、5時半には目が覚めて鶯のさえずりと朝日に感動。6時過ぎには完全に明るくなり、テントの中も暑くなってくるほど。少しのんびり朝ごはんをみんなで食べる幸せな時間。
なんでもカッコから入るヤーマンは早速まだぴっかぴかの作業着を着て歩き回っている。でも今日は実際に使えそうだ。
避難所に9時に集合でほかの方と合流、地元の漁師さんがちょっと口を濁すような感じで「うん、まあ明日来てくれればうれしい」というようなことを言っていたので私たちは張り切って大喜びできたのだが周りは「お前たち今日やるのか」とちょっと珍しがるような感心するような反応を見せる。なんでも今日は津波で流されひっくり返ったままの巨大冷凍庫の掃除をするらしい。つまり2ヶ月以上ほったらかしになってる量のえさや魚が腐って入っているのを取り出して掃除するという作業なのだ。
私が持ってきたシェイパー用のマスクにオータムが落としてくれたラベンダーのオイルが本当に役立った。私はもともと鎌倉の海のにおいに慣れているので他の人ほどつらくはなかったのかもしれないが、みんな冷蔵庫のドアを開けたとたん「ウグェー」「グオー」とこみ上げるものがあってなかなか中に入っていけないようだった。一瞬息を止めて近づき、腐った魚を取り出してはまた「ウエー」
私もあんなにおいはかいだことがなかった。そのうえサングラスをしていても目がちかちか痛くなるほど(アンモニアなのだろうか?)そして魚の周りにある大量にこぼれたお米?と思ったらそれはうじだった。
ものすごいにおいとぬるぬるしたもう液状になってる魚たち、その上ビニールに入っているものはその袋を破って魚だけ出してビニールは別にする作業、周りで数秒ごとに聞こえてくる「ウゲー」に自分までやられそうになる。多分一輪車で山盛りの腐った魚を50回くらい海までもっていったのではないだろうか?
すべて終わったときはそのあたりの畑までにおいで一杯だったが、一緒にこの大変な仕事をした仲間の結束は固くなったし、何より、帰ってきたら避難所ではヒーロー扱い、一気に地元の方たちとの距離が近づいた気がする。ただし臭い臭い、と体は近づけてくれなかったかも。どこへ行っても「あんた、あれやったんか?」とびっくりされるし、感謝されて、やったかいがあった。ヤーマンも冗談で「もう他の仕事はいやだ、次の腐った魚はどこにあるんだ」とか言っていた。
今日の作業では一人ボランティアできている方の中にウインドサーファーの人がいた。三浦などでやってる方らしく、後でわかったのだがもう何日も東北でボランティアをしているらしい。同じウインドサーファーとして(私はあまりもうやってないけど気持ちだけは今でもウインドサーファー?)とってもうれしかった。午後は仙台からついた廃材専門の大工さん東君について、廃材収集、すでに取ってあった築300年の建物の柱を重機で吊り上げトラックに載せ、移動させた。重機の操作も、近くにいることさえ経験なかったのでとても興味深かった。東君は廃材を使ってリフォームや建物を作ったりしている大工さんで、今回のようなことが起こったときには彼のような存在は計り知れないポテンシャルがあるし、これほど価値のある人材はいない。オータムたちの仲間であり、心優しい、そして熱い九州男児(だけど仙台在住)のめちゃくちゃかっこいい輩だ。彼の熱い思いと活動についてはまたいつかゆっくり書きたいと思う。

その後オータムの近所の人たちのところを回り、新鮮な野菜や他の物資を届け、いろんな人とお話をする。本当に小さな湾を囲むようにしてある子の小さな部落、そしてその海岸線を縁取るようにして通っていた鎌倉の江ノ電みたいにノスタルジックでかわいらしい電車の線路、この電車から見える景色はどんなにのどかですばらしかったことか!童話に出てきそうなこの風景に瓦礫の山屋ひん曲がった線路のレールを見なかったら津波のことなんて忘れてしまいそうに美しい場所と優しい人たちだ。

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