2010-02-18

2月17日 Shaun White in Olympics

朝から強いオンショア、海は波が上がったけれど、ぐちゃぐちゃ、こういう風だったら波があってもなくてもあまり関係ない、どちらにしてもあまり使えないコンデイションなので、ある意味すっきり仕事に打ち込める、と思っていたら10時ごろ電話が来てウエストサイドで4ftでサイドショアが強く吹いてて、カイトにばっちりだとのレポート。どうしようか迷ったけれど今日位仕事しないとほんとに仕事が終わらないのでノースショアに居座り仕事をやっつけることにした。

今日はオリンピックでスノーボードが行われている。うちはテレビがないので何もわからないのだが、夕方近所に住んでいる友人がおいしいもの作ってるからオリンピックのスノーボード見に来ないか、と誘ってくれたのでいそいそと出かけていった。コーリーは以前アラスカのガードウッドというヒッピーやスノーボーダーが集まる小さな町(かなりパイアに似たかんじだが、もっともっとちいさい)でレストランをやっていた。いつでもとってもしゃれたおいしい食べ物のレシピーの話をしてくれるので話を聞いてるだけでつばが語君となりそうなくらい。今日ゼロから作ったものでとてもおいしいBBQソースのリブ。焼き方も丁度良く、それにうちのルームメイトが仕事場で取ってきた野菜のサラダに手作りドレッシングとベイクドポテトで豪華な夕食を食べながらオリンピックを見させてもらった。

ショーンホワイトのことは彼が4歳くらいのころから知っている。マウントフッドのキャンプに家族で来ていたからだ。最初の1,2年はまだ小さくて板を持ちながらパイプを登ることがあまりできずお母さんにおんぶしてもらって上っていたのを覚えている。でもそれでもすごくうまかったし、無理やりやらされているどころかほんとに好きで好きでやめられないという感じが伝わってきた。雪山から降りてくると今度はスケート、こちらも始めてバーチカルランプにドロップしたときのことも覚えている。お母さんが誇らしそうに、と同時に心配そうに見ていたっけ。でも彼は山で育ったわけでもなくサンデイエゴで、それも普通の家庭に育った子で、家族もとてもいい感じだった、。兄弟3人仲がよく、5人で小さなキャンパーバンで生活しながらお金を節約してフッドに来ていた。そんなに親しいわけではないのでよくはわからないけど昔から、そして今もあれだけ注目を浴び、ちやほやされることも多いだろうに、かなりGrounded(地に足が着いたというのだろうか)な性格でいつも好ましい雰囲気がある。
昔からいつも思ってることだが、どんな分野においても本当のマスターというのはそのスポーツ、あるいは技術に長けているだけでなく、謙虚で、人間的にも優れているということ。本当にその技術を本当にマスターしている人はそこから人生観を学び、常に謙虚であり、人を見下したりしないことを学ぶのではないだろうか。特に自然相手のものはさらに自然の偉大さを前にする分自分のちっぽけさを常に目の当たりにすることが出来る。
彼ののびのびとした、やるだけのことをやってきたというバックアップからにじみ出る自信は見ていてまったく嫌味がなく、反対に一生懸命やることの美を感じさせた。

スキーではダウンヒルで敵なしといわれながらレース直前の練習に足を怪我して欠場か、といわれていたリンジーヴォンの痛みとプレッシャーを抑えてのすべてを出し切った走りはあまりの気力と迫力に鳥肌が立った。でも負けた人、転んだ人たちの心の痛みもすごくわかる。
最近必死になること、無我夢中になることはかっこ悪いと思ってる人が多いらしいけれど、オリンピックはいろいろ政治的ないやな面が多いだろうし、プレッシャーなどでつぶされそうになる人も多いだろうけどそれでもやはり無我夢中でこのために努力してきたアスリート達の、これ以上はないというフォーカスした表情が本当に美しく、それをみるだけで感動させられるほどだ。ショーンだけでなく、それぞれどんなスポーツ、でも勝った人も負けた人もみんな同じくらい美しくかっこよかった。というか勝てた人には心から拍手を送るけど負けた人にも私は同じだけ拍手を送りたいし、感動をもらえた。
一生は短いのだから適当に生きるのではなく、どんなことでもまじめに一生懸命取り組む方が終わるときにやりきったという達成感があると思うのは私だけだろうか?

No comments:

Post a Comment