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みなさま、お元気ですか?
日本は秋が深まり肌寒くなってきている頃ではないでしょうか?
マウイの冬の訪れは北側の海岸線にやってくる大きな波、ファーストスウエルが知らせてくれます。今年は例年よりも早くやってきました。
ラハイナの中心部の住宅地だった地域にもたくさんの家の基礎が作られ、家も建てられ始めています。その一つ一つが復興の象徴であると同時に、まだまだ他のエリアでは家を建てる許可が出なかったり(おそらく水道などの修理をしなくてはならないため)未だに住むところがなく、ホテル暮らしの人もいるようです。ここ一ヶ月の間に急にコンテナハウスやタイニーハウスが多く目につくようになり、島の外からたくさんのコンテナハウスが運び込まれ、つい最近も列になってラハイナに運搬してるところを目にしました。正直言って、もっと早くそれができなかったのかなあと思うところもありますが、まだまだ仮設住宅が必要な人も多いのだなと実感させられます。
ラハイナの火事でマウイの住民にとっていかに住宅不足が問題であるかがはっきり明るみに出たと同時に、あまりに多くの短期のバケーションレンタル、そしてそのほとんどが長期で貸す気がないこと、また家はあるけどお金持ちのセカンドハウスでほとんど住んでいないものがたくさん存在することを多くの人が知ることとなりました。簡単に解決する問題ではありませんが,水不足の問題(開発業者により、リゾートやゴルフ場などへ水をひいて、ラハイナ自体に水が届かず、土地が乾燥して植物も枯れるほどの水不足)と同様、この復興と共に元の美しいアロハに溢れたラハイナを復興させるために、住宅問題と水、そして土地を守ることに関しては住民が一致団結していかないと、という空気をはっきり感じられます。
Please Pray for Maui from Japan と皆さんにお願いしたゴーファンドミーに、ものすごい勢いで手を差し伸べてくださった皆さん、本当にありがとうございます。
先日、皆さんが送ってくださった寄付金の最後に残った分をラハイナで燃えてしまった三つのお寺に三等分し、送らせていただきました。一年前にこのページを立ち上げた時,最後にもしも残ったらそうしようと決めていた通りです。
自らも被災し、全てを失っていながら、被災した檀家さん、そしてコミュニティーの支えとなるよう動かなくてはならなかった住職様たちは本当に大変な一年を過ごされました。そして今でもまだまだやることが山積みです。どのお寺もまだ建物を再建するどころの段階には至っていないのが現状です。でもそんな中でも皆さんそれぞれがマウイに住む人たちの心の支えになってくださっています。きっと最初の移民がマウイにやってきた時から、お寺はずっとそういう存在だったのだと思います。
これからも日本人、日系人をはじめ、マウイのコミュニティーを引っ張り、アロハに満ちたお付き合いの中心でいてくださいと心から願っております。
下にあるのは最終的な会計報告です。ほんとに皆さんのおかげでたくさんのことができました。心からありがとうございます。
このために開いた銀行口座は、最後に送る小切手が換金された後クローズします。そしてこのページもそれと同時に終了させていただきます。最後のレポートを読んでいただきたいのでおそらくすくなくとも後一週間くらいは開いていると思います。
ゴーファンドミーを終了しても,ラハイナのことはできるだけ情報を聞いてできることがあれば行動に移そうと私たちメンバー全員が思っております。また日本から、世界各地から何か支援したいという方がいらっしゃって情報を知りたい、どうするのがいいか聞きたいという方がいらっしゃればいつでも相談に乗ったりしかるべき人に紹介いたしますのでいつでも連絡してください。
私たちは皆さんとラハイナを繋ぐ役目を授けていただけて本当に感謝していますし、世の中ほんとに素晴らしい愛に満ちた人がたくさんいるんだなあと自分たちが暖かい気持ちにさせていただきました。寄付を届けた被災した方々も皆さんそう思ってると思います。
アロハと思いやり、ハワイと日本の強い繋がり、ありがとうございました。
メンバー一同より感謝を込めて
マウイの火災から一年と一ヶ月、みなさんご無沙汰しています。お元気ですか?
「一年前の今日」という投稿がSNS に出てくると、当時ショック状態の中で起きたことや、いろんな人がいろんな形で必死に支援しようとしていた様子が思い出されます。こんなこともあった、ああ、あんなこともあったなあと薄れがちだった記憶が蘇ってくるので、忘れないようにそれらの写真をいつかまとめておこうと思います。本当にたくさんの人が世界中から何かできることはないかといろんな角度から動いていて、最悪の状況にありながら、ある意味物凄くポジティブなエネルギーにみなぎってる空気もありました。
被災者の方は今後の見通しもたたず、本当に大変だったと思います。最初の頃は避難所での暮らしで心身ともにすり減りながらの生活。その後も本当に見ているだけでも気が遠くなるほどの手続きやミーティングなどに追われ、続けられたこと自体、大変な苦労だったと想像します。一年がたち、外から見ると復興は進んでいるようにも見えます。実際バーンゾーンの個人の敷地からは全ての瓦礫撤去が終わり、すでに何軒もの家が建てられ始めています。その中にはコストをできるだけ抑えながら仕事が休みの日に自分たちの手で家を建てているような若いファミリーもいます。燃えてしまった家と全く同じものを建てるにはお金がかかりすぎたり、保険だけでは資金が足りないケースも多いようです。
火災直後、さまざまな団体で大きな額の寄付が集まりました。一方で大きな支援団体や政府などのへ寄付金は、被災者や本当に必要な手に直接届くだけではなく、運営や経費にもコストがかったり、不透明であったり、疑問に思う方も多いようです。実際に、あまりに多くの寄付が集まり、最終的には他の小さな非営利団体に寄付してるケースもありました。(それならば直接そちらに寄付が届いた方が良かったなあと思うこともしばしばありました)すごくいい活動をしてくれてる団体だからと言って、必ずしも優先的に支援のための寄付が届いてるというわけではないという印象もあります。
一年たって残っている団体、今でも本当に被災者を助けてくれている団体はやはり地元の元々住民の問題を支援してきた団体、そして火事の後に必要に迫られて生まれた団体が多い印象です。特に火事の後に出てきた様々な問題を解決するためにできた団体は、ハワイベースでない大きな団体だとハワイのやり方が理解できなかったり、臨機応変に対応することが難しい中で、支援対象からこぼれ落ちてしまったような、でも本当に困っている人たちのために熱意を持って動いていたり、今までのラハイナの良さを残せるような復興を目指して動いてくれているように思います。
それぞれの立場から賛成や反対の様々な意見もあるとは思いますが、何世代もラハイナで生活してきた家族の若者たちが中心になって作ったラハイナ・ストロングは若いエネルギーを大いに駆使して政府に懇願したり、ラハイナの現場の状況を多くの人に伝え、知ってもらおうとしたり、投票や証言が必要な時には声がけを行ったりと、いまだに活発に動いています。こういったラハイナを愛する若者たちがコミュニティーリーダーとして育ってきているのはとても心強いことです。
火事の直後から心配されていた問題は今でも復興の過程の大きな課題になっています。
1 住宅不足、家賃、不動産の高騰
2 開発業者や外からの不動産の買収
3 水の権利
4 貧困、ホームレス、ローカルの住民と観光ビジネスのバランス
どれも簡単に解決できる問題ではなく、火事以前から解決策が見つからず問題になっていたことばかりですが、この機会に真剣に考え直したり、より住民が関心を持って動くようになった気がします。そしてこれらの問題のために生まれた地元の団体は私が個人的に見てもすごく頑張っていたり、支援から外れてしまって困っている人たちにも目を向けて細かいケアを届けていると感謝したい団体が多いです。
これらの大きな問題以外にも、食事や食料の提供を今でも続けているところ、学校や子どもたちのサポート、(ラハイナから離れたところに一時的に住んでいてラハイナ地区の学校に通っている生徒たちも多くとても大変です)それから何よりメンタルヘルスのケアサポートはものすごく増えてきました。今までのストレスや不安、悲しみが一年たって体に影響を与えてきたのが目に見えてくるケースも多いようです。
このGoFundMeを通してみなさんからの思いや応援をたくさんいただき、それをできる限り直接本当に困っている人たち、特に他の支援でカバーできないような細かい部分や隙間を埋めるような支援ができるようにと私たちなりに考えて動いてきました。皆さんからのアドバイスやご提案もすごくありがたく、そのおかげで現場で何が必要とされているか、どんなことが起こっているか学び、動けたことも多かったように思います。
一年を区切りにこのGoFundMeのページはもう少ししたらクローズしますが、これっきりになるわけではなく、これからも何かできることがあれば動いていこうと思っていますし、必要であればみなさんにもお声がけさせてもらういただくかもしれません。基本的には個人レベルで見守り、できることがあればどんどん動こう、そんな形にシフトしていくと思います。
この1年間私たちが多くの人に必要な支援や心温まるギフトを贈ることができたのは皆さんからの寄付のおかげです。当初100万、200万でも集まれば、と思っていたのに最終的に3000万円近くご支援いただいたことになります。最終的な計算は最後のレポートで出しますが、(以下から少しプラスマイナスが出る予定です)現在のところ、下記のとおりです。
経費、郵送費、ガソリン代などの費用はメンバーがそれぞれカバーし、集まった寄付からは一切出さずに自分たちでできる範囲で動こうという方針でしたので、寄付は全てが被災者のために使われました。
GoFundMeへの寄付(手数料が引かれた金額):193,576.46ドル
GoFundMe以外で送られてきた寄付: 29,274.70ドル
合計: 222.851.16ドル
支出
支援団体への寄付 63,000ドル
被災者個人への寄付合計 143,7000ドル
最終的な支援 15,000ドル
火事直後のサポート 51,200ドル
子供達への支援 8,700ドル
引っ越し支援 37,000ドル
その他 31,800ドル
ドネーション以外の出費 880.94ドル
(募金箱やステッカープロジェクトコスト、薬プロジェクトコスト、資材など)
最終的に現在残っているのが15000ドル弱となり、これは銀行の口座を閉鎖する際に立ち上げた当初の計画通り、燃えてしまった3つのお寺に3等分して寄付させていただきます。
一年間、長文のレポートを読んでくださり、ありがとうございます。GoFundMeのページをクローズするまではここに載せておきますが、できる限り、GoFundMe 以外からも寄付をいただいた方々にも読んでいただきたく思っているので、連絡先がわかる方々には報告書としてお送りいたします。たくさんの方々からの寄付をまとめて送ってくださった代表の方などはお手数ですがみなさんに心からの感謝の気持ちとして報告レポートをシェアしていただければありがたいです。
本当にありがとうございます。この一年一緒に頑張ってきてくれたメンバーひとりひとりからのメッセージもここに載せさせていただきます。
感謝を込めて
岡崎友子
[スタッフから]
この1年間、皆さまからの大切な募金の管理&会計を担当させて頂き、プレッシャーながらも貴重な経験をさせて頂きました。
この大切な募金をどのように使うべきなのか、メンバーを始め被災者の方々や他の団体の方々とも話す中で、真の支援活動とはなんだろう、何が求められているのだろうか、等本当に色々と考えさせられました。大きな団体になると非営利団体とは言え人件費をはじめ様々な経費がかかるようですが、私達Pray for Maui from Japanは一切無駄な経費は使わず、寄せられた募金は全て被災者の方々の為に使うことが出来たと思います。募金の配布が全て終了したら最終の会計報告をアップしますので、少々お待ち下さい。
皆さまの温かいご支援&ご協力、本当にありがとうございました。ラハイナがいつか復興する日までどうか引き続きお見守り下さい。
Ayako
昨年のラハイナの火災では、近しい友人の多くが家を失ったり、被害を受けました。命を落としたり、怪我をされた人が知人の中にいなかったのは幸いでしたが、一夜にして全てのものを失ってしまった人達の気持ちを思うと、何かしてあげなければ!という思いでいっぱいでした。
被災者の方々の中には、命さえあれば、燃えてしまったモノはがんばって働いてまた買えばいい!と、とてもポジティブな方もいましたし、時に落ち込んで、ネガティブな気持ちになる方ももちろんいらっしゃいました。
被災してるホテルで華やかに着飾って楽しんでいるツーリストに混ざって、着の身着のままでブッフェの列に並ぶ悲しさを訴える方や、被災先のホテルの冷房が強烈で腹巻きが欲しい、日本製の常備薬や普段使っていた歯ブラシなどが欲しいとのお申し出などなど…。被災者の方々のご意見を直に聞けたので、すぐにサポートできたのはPFMならではの働きができたと思ってます。
PFMに寄付を下さった方々の
愛するマウイの復興や被災者の方々へのお気持ちも、私達の耳には届いていたので、動物を保護している団体に、子どものサポートや、学校の再建に役立てて欲しいなどのご要望も伺え、寄付先の選択に役立たせていただきました。
被災された方々と寄付を下さった方の間に立って働かせていただいたこの1年は、私たちにとっても大変充実した日々でした。ありがとうございました。
かな
2023年8月8日、あのマウイ山火事から1年が経ちました。
まさかの規模、身近な人々が被った多大な被害……。
被災された方々、マウイのために何をどうお手伝いができるのだろうかと思い始めた時に、このPray for Maui from Japanに関わらせてもらう事になりました。
これまでの1年を振り返り、寄付をいただいた方々、マウイへの想いを言葉を送ってくださった皆さんに感謝とありがとうございますの気持ちでいっぱいです。また、被災者の方々からも私達の方が勇気づけられたり、想像以上の厳しい現実を教えてもらえたことで、寄付のお届け先やその他の支援活動についても色々と考えさせてもらえた事を本当にありがたく思っています。
ここでの募金活動は目標達成とともに一旦締め切らせていただきますが、寄付を募らせたもらった当初からの「本当に必要な人、ところに、直にお届けしたい」というPray for Maui from Japanの信念を守り続け、皆さん一人一人のお力が、こんなにも大きく大切なものとなって被災された方々に届けられた事、改めて本当にありがとうございました。
そして、どうかこれからもマウイへの気持ちを持ち続けて見守っていってください。
TOMOKO(のなか)
たくさんの温かいご支援を本当にありがとうございました。
私はPray for Maui from Japan での友子さんのラハイナレポートの配信をお手伝いさせていただきました。ハワイの海と自然、人々が私の人生に与えてくれたギフトは本当に大きくて、日本にいて、マウイで一緒に動くことはできないけれど、自分にも何かできることはないだろうか。きっとこのレポートを読んでくださる多くの方と同じような想いだったのではないかと思います。
「自分ができること」を探していたのに、友子さん、チームの方々に、そしてどんどん広がり、深まるみなさんの支援の輪に、「力をいただくこと」ばかりでした。感謝でいっぱいです。
これからもみなさんと一緒にマウイを想い続けます。
温かいご支援、そしてこのような機会をいただき、本当にありがとうございました。
Nao
あの悲惨な火事から一年以上が経ちました。その影響は島のあちこちで直接的に、そして間接的にいろんな形ででているのを今でも感じます。当時の喪失間は想像を絶するものでしたが、政府の支援が始まる前にすでに心をゆり動かすような動きが起こっていました。マウイコミュニティーは一致団結してラハイナの被災者たちのためにすぐ動き始めました。外部からの支援を待つことなく、自分たちの船やジェットスキーを出したり、必要なもの、できることなんでもしようとみんなが動いていました。食料、水、日々の生活に必要な細かいものまでみんなが色々考えて集めている様子、一致団結している様子は本当に素晴らしかった。私たち家族はIT関係の仕事をしていますが、私たちにできることはなんだろうと考えました。多くの人がコンピューターを火事で失ったことを知り、現代社会でコンピューターなしの生活は考えられないので、古い、使ってないようなコンピューターを回収し、それを直したり、アップグレードして無料で必要な人たちに提供しました。それによって大事な書類を取り戻したり、保険会社と連絡を取ったり、多くの手続きを進めたりできるようになり、多くの人にライフラインを提供できたのだったらいいなと願っています。
そんな中、友子さんが私たちに連絡をくれ、日本語で読むことができるいろんな寄付先、信頼できる団体や寄付先のリストを乗せたウエブサイトページを早急に作って欲しいと頼まれました。いろんな人たちがやっていた支援活動ほど大きなものではないけれど、私たちの持っているスキルが支援として役立てられる機会を与えてくれたこと、コミュニティーに貢献できることが嬉しかったです。
今はゆっくりではありますが、着実に復興の兆しを見ることができます。お店がリオープンしたり、ビジネスが再開したり、ラハイナ現地では復興の工事が着々と進んでいます。とは言え完全の復活するまでにはまだまだ長い道のりです。1日1日ほんの少しずつ進展があり、まだまだゴールは見えないほど先にあり、たくさんのやることが目の前に山積みです。でもマウイコミュニティーを踏ん張り、諦めない根気は薄れることなく輝いています。
ボランティア、寄付をしてくださった方、支援をしてくださった方、一人ひとりに心から感謝します。皆さんの慈愛と寛大さはマウイにとって本当に大きな助けでした。想像を絶する困難や喪失の中で見知らぬ人から受ける親切や助けようと飛び込んできてくれる人たちの献身は被災者の人たちにとって大きな支えになったことでしょう。お金の寄付、物資を送ること、労働や時間の提供、どんなことであれ何かをしようとしてくださった方々の存在は被災者の人たちの励みや支えになったはずです。火事の後基盤を作ることができずに苦労していた人たちにとっては金銭面の援助は本当にありがたかっただろうし、知らない人がここまで寄付してくれたと言う事実は一人きりではないのだと心の支えになったと思います。
一人一人の勇気と踏ん張り、そして多くの人の良心が集まって悲惨な状況の中に光を灯してくれました。再び美しいラハイナを復興させる基盤を築く手助けをありがとう、皆さん一人一人の親切はこれから先何年も私たちは感謝し続けます。
オリバーとなおみより
キャプション
(上から)
画像1,2: 瓦礫の撤去が終了したラハイナ住宅地のエリアは、少しずつ建築も始まっている。
画像3: ラハイナで育った若者たちが自分の子供の世代、またさらに先までラハイナを守っていかなくてはと立ち上がり、いろんな分野で活躍している。
画像4: 被災者のメンタルヘルスに対するケアに関してはいろんなところがフォーカスしていて、無料で受けられるカウンセリングや他の治療がたくさんあるようでありがたい。とはいえ、メンタルヘルスで病んでしまう方も少なくありません。だからこそ、お互いが見守り合っていかなくてはならない。
画像5: Kakoo Mauiは火事以降にできた組織の一つで直後は最低限必要な物資の提供などから始まり、時間が経って変わっていくニーズ、ひとりひとり違う問題に親切に関わり、サポートしてきた。今でも物資がない人には物資のサポート、住むところを探すことからメンタルヘルスまでありとあらゆる必要とされる支援を行っている。
画像6: Kaiaulu Initiative はラハイナローカルが声をかけ水が豊かに合った土地から乾燥した場所に変わってしまったラハイナを元に戻そうとネイティブの木や植物を植えて育てるという活動 ボランティアが集まり週2回水やりや植樹を行っている
画像7: Pray for Maui from Japan のステッカーも全国各地でたくさん買っていただきました、ありがとうございます。
みなさん、おはようございます。(アップしたばかりですが今日は8月8日なので、、)
マウイの山火事から今日でちょうど一年です。あの日は40年近くこの風の島に住んでいる私ですらあまり経験した覚えがないほどの強い風が吹いていました。ラハイナ側は普段それほど風が強いわけではないのですが、その日は普段強い北側以上に強いそして異様な風の状態で海の上に竜巻が見えたりすることさえあったようです。
そんな中でのブラッシュファイアー。夏には結構あちこちでブラッシュファイヤーがあるので、それほど気にしていなかったのですが、翌朝起きたら、ホラー映画のような状況になっており、マウイ中がパニック状態になっていました。
あれから一年。早いようで、いろんな出来事を思い出すと、どれだけこの一年にいろんな変化があったか、延々と続く復興への努力と被災者の方たちの苦難の大きさにあらためてなんとも言葉にできない思いが溢れてきます。
この数日マウイ全体でいろんな記念イベント、弔いの儀式などが開催されています。被災した方も、被災しなかったけれど影響を受けた住民たちも、そして遠くから支援や祈りを送ってくださった方々も、みんなそれぞれが自分の思いを振り返る日になると思います。
火事の一ヶ月後にマウイでも大きなパドルアウトがありました。あの時はまだ被災していた人たちは自分たちのことで精一杯でパドルアウトどころじゃなかったという人も大勢でした。でも被災していなかった私たちもなんとなく、あの時はみんなで一つになるようなことが必要だったように思います。あの時に感じたエネルギーは忘れ難いし、これだけの人の想いが一つになればマウイはきっと大丈夫と思えたことも思い出します。
一年たった今日のパドルアウトはどんなものになるのか、大勢の人がアロハの気持ちと亡くなられた方への祈りを捧げる素晴らしいものになることを祈ります。と同時に被災者の人がメディアや外部の人たちに振り回されずに思い通りのGrieving ができますように、皆さん違う場所に住むようになり、近所付き合いも途絶えていた人たちとも再会し、集まって一緒に抱き合える時間になりますようにと祈っています。
私は今回はパドルアウトには参加せず自分なりに海で祈ろうと思っています。なぜなのかわからないけれど、それが今の自分にあってるような気がしたからです。十一ヶ月前には私の内側にも支えが必要でした。必死に役に立とうと動いてるけどそれが本当にこれでいいのかと自分を問い直すこともありました。そんな中で多くの人が同じような思いでマウイのことを思ってることを共有できたパドルアウトはとてもありがたかったし、多くの人のアロハが一つになるとどれだけのパワーになるか実感できました。
今は一人でもみんなとでもいろんなことができることがわかるし、いくらやっても十分ということはないけど、やらないよりはいいこともよくわかるし、まだまだこれからラハイナや被災者の方が完全に復活するまでには長い長いプロセスがあることも理解し、その中で自分が関われることにはできるだけ関わっていこうという気持ちもあります。そんな気持ちを一人で落ち着いて再確認しながら海で祈ろうと思います。
今回のラハイナへの支援、応援はゴーファンドミーの寄付とそれを通しての支援の中心メンバーは4人、それにオンラインや投稿のサポートなどで2人加わっていますが、それ以外に本当にたくさんの人がいろんな形で支援を続けてくれています。
何人かの人だけ紹介するのは他にも支援してくれた人がいるのに特別扱いになってしまうかなと思ってはいたのですが、いくつかの例として、今後何かあった時、ああいうことやってた人もいたな、あれなら私もできるかな、と参考にしてただければ嬉しいなと思うのでいくつか紹介させていただきます。
火事の直後、あまりに情報が多すぎて被災者の方々がそれでなくても大変なのにいろんなことが整理しきれない、そんな状態の中いろんな情報の中から役に立ちそうなものを選び、日本語の訳までつけて発信してくださってた方がいます。マウイ在住(元は新聞記者という噂も聞きました)でガイド業などをやってらした方ですが、途中からはメーリングリストではなく、メンバー限定のフェイスブックページに切り替え、今でも本当に精力的に情報をアップしてくれています。
https://www.facebook.com/groups/1287658325278272
このゴーファンドミーページがクローズしてからも、是非ラハイナの状況を知りたいという方はこちらのページのメンバーとして参加をリクエストしてください。詳しいニュースを知ることができるでしょう。
自らのゴーファンドミーを立ち上げ、自分の周りの人たちに声がけしたり、お返しをつける形で寄付を募り、集まったお金を私たちに託してくれた方も数人います。個人であれだけのお金を集めるなんてすごいなあと思ったけれど、本人たちもとてもびっくりしていたようでした。それぞれが気になっている部分への支援などにできるだけよりそう形でその寄付は使わせていただきました。
自分の得意分野で動いてくださった方は本当にたくさんいます。料理教室、ライブ、ステッカーやTシャツデザイン、イベント(小さな仲間内でのイベントから街全体でのフェスまで)、お店で支援グッズを売ったり、支援コーナーを作ったりという方もたくさんいらっしゃいました。この一年ずっと通してやってくださり、ちょこちょこ何度も寄付を送ってくださった方も。
ある方は13年前の東北支援からずっと続けているくるみボタンのヘアゴムの販売。1つ500円なのにこの13年作り続け、いろんなところにもの寄付をしているのです。継続は力なり、塵も積もれば山となる、そんな中で今回はラハイナにもその売り上げを寄付してくださいました。きっとラハイナが落ち着いても彼女はどこか必要なところにくるみボタンを作り続けてサポートして行ってくれることでしょう。
本の編集をしていた方はこれまでのコネクションを使ってマウイ、ハワイに縁の深い方々に声をかけマウイ本を作ってくれました。Dear Maui というこの本は長い間マウイにいる私でも知らなかったような内容も含まれていたり本当にみなさんのマウイへの愛情が込められた素晴らしい本で、火事に関係なく、長くみなさんに読んでいただきたい本として出来上がりました。この本の売り上げは全て支援金として送られるそうで本当に素晴らしい支援の形があるなあと感動しました。他にもいろいろありますが、こういった素晴らしいアイデアは今後またどこかで支援が必要な時に私もいろいろ参考にさせてもらえるぞ、と思っております。
この一年間いろんなことを学ばせていただき、またたくさんのアロハと愛に満ちた経験をさせていただきました。私たちがみなさんから受け取ったポジティブなエネルギーをラハイナにしっかり送り届けると同時に、今後もラハイナだけでなく、いろんなところに広がるように生きていきたい。ハワイのいちばんの財産は根本に根付くアロハの精神、これを大事にしていこうと8月8日の今日、こころから思います。
この一年間皆さんからのご支援、本当にありがとうございます。
画像1: ラハイナのためのパドルアウト昨年の9月8日に行われたもの。今日8月8日も一年の区切りに開催された。
画像2:支援Tシャツはたくさんあったけれどどこよりも最初にラハイナユースのスポーツを支えるためのシャツがハイテックサーフショップで作られたその時のデザイン。毎日売り切れてるほど多くの人が買ってくれた。
画像3: 宮崎青島で開催された支援イベントの際に置かれた募金箱、募金した人がそれぞれ一枚一枚の葉っぱを貼っていく仕組み、燃えてしまったバニアントリーがまた再生するイメージで作られたそう。
画像4: このヘアゴムを作り続けて支援してくださってる方はすでに東北震災以来のお付き合い。
画像5: 火災の前のラハイナ。
画像6: 火災直後のラハイナ。
画像7,8,9: 子供たちが希望をくれました。
画像10: マウイ支援の思いが色とりどりに。
みなさま、お久しぶりです。
とうとう7月も過ぎ、8月に入りました。ラハイナの火事からちょうど一年になると思うと短いようでこの期間ずっと住むところや、将来、お金、さまざまな心配と、ありとあらゆるわかりにくい手続きをし続けてきた被災者の皆さんたちのことを思うとどんなに大変だったろうと思います。
そしてそんな被災者の方々のニーズや困難は毎日、毎月変化していきましたが、その問題に合わせて生まれる支援団体やプロジェクトもたくさんありました。実際に被災した方だけでなく、日々変化する問題や課題に柔軟に対応し、サポートしてきたたくさんの人たち、特に国や政府のシステムではどうにも回しきれない部分や、ハワイならではの価値観とは違うやり方で動くシステムに抵抗を感じるローカルの思いに寄り添った形で色々動いてきた方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
全てに関わるのは無理でも、自分が特に思い入れのある分野や場所、あるいは関わりたいと思うところにそれぞれが少し関わるだけでも、ちょっと遠くから見るといろんな人がいろんなところに関わっていて全体的にもいい方向に進む、そんな様子が見えてきました。
特にラハイナの人たちの「絶対にラハイナを開発業者の手によって他のリゾート地のようにはさせない」「昔ながらの価値観を取り戻し、何世代もの家族が長く暮らし続け、失われつつあったハワイのサステイナブルな生き方を取り戻しながら子供達は良い価値観を持ってラハイナを守り続ける大人になるような教育にも力を入れる」そんな強い想いを持ち続け、本当に頻繁に開かれるコミュニティーミーティングや政府との話し合いにもたくさんの人が自主的に参加しているのを見ると、自分のことをやるだけでも大変なのに本当によく頑張ってくれてるならと頭が下がります。
先日嬉しいことがありました。毎年、ESPNというスポーツ専門のテレビチャンネルがその年、様々なスポーツで活躍するアスリートを表彰するイベントが毎年開かれていますが、その中で人道的に素晴らしい活動をしたスポーツ選手というカテゴリーにMaui surfing commnity (マウイのサーファー全体)がノミネートされ、見事受賞しました。通常は一人の選手が受賞するような賞だと思うのですが、今回のラハイナの火事においてマウイのサーファーたちがいろんなところでいろんな形で支援や救援に関わった、そのサーフィン・コミュニティー全体に対する表彰でした。
私もいろんなところでサーファーたちが頑張っていたのを目の当たりにして誇りに思ったし、自分も、そしてこのゴーファンドミーを立ち上げたメンバーもみんなサーファーでそれぞれできることを頑張ったという思いはあるので自分たちも受賞した気分で、マウイのサーフィンコミュニティーが今回だけでなくいろんな場面でそうやって助け合ってきたことを知ってるので、とても誇らしい思いでした。代表としてラハイナに何代にもわたって住んできたハワイアンリーダーのアーチー・カレパを筆頭にビッグウエイブサーファーそして世界的なウオーターマンとして知られるローカルサーファーたちが代表で授賞式に参加し、素晴らしいスピーチをしてくれました。
全てを書き出すのは無理ですがマウイのサーファーたちの特に印象に残ってるものをいくつか書き出すと、
・島の反対側と完全に隔離されて、孤立し、物資が届いていなかったウエストサイドに、海からジェットスキーや船をつかって毎日夜明けから日暮まで、さらにはウエストサイドに寝泊まりしながら被災者たちに必要な物資を届けました。(普段ジョーズなどのビッグウェーブに乗っているサーファーやセイフティー・クルー、そして漁師たちが中心となって活動しました)
・オーナー自ら自宅を含め、数軒の家が全焼したマウイの一番大きなサーフショップハイテックは、すぐさま物資を運び、配布するハブとして動き、多くの寄付された物資を整理し、いろんな避難所や個人に届けながらどんどん変わっていくニーズについての情報発信を続けました。またオーナーのキムはラハイナの復興アドバイザーの一人に選ばれ、今でも個人レベルでも政府レベルでも忙しくコミュニティーんために動いています。
・シェイパーのJed Lauは、自分のサーフボードに乗っていた子供たちに燃えてしまったボードの代わりになるサーフボードを提供し、ラハイナ側では波乗りができなくなった子供達を島の北側に招き、自由に使えるサーフボードをビーチに並べ、「みんなの心を少しでも海で癒されれば」と小さなイベントを企画したところ、それが巨大なムーブメントとなりました。ボードをなくしたサーファーにサーフボードを寄付したい、と何百本ものボードが集まり、また子供達のためにみんなで楽しくサーフセッションをしようという企画に多くのプロサーファーが参加して子供達を喜ばせました。このボードリプレイスメントプロジェクトはマウイだけではなく、オアフからも本当にたくさんのボードがコンテナーで届けられ、カウアイ、ビッグアイランドからも船に乗せて届けられました。カリフォルニアでもその話を聞いてサンタクルーズを中心にみんなが声を掛け合い、板を集めてマウイに。送られたボードの中にはたくさんの有名なサーファーからのサイン入りボードなどもあり、それが一本また一本とボードをなくして海に入れないと悲しい思いをしていた被災者のサーファーたちの手に渡る時の彼らの嬉しそうな様子が忘れられません。
・影響力のあるサーファーたちは自分たちのスポンサーに声をかけ、グッズや資金の寄付をお願いしたり、SNSで情報を発信しながら世界中に声をかけ支援を募り、自らもイベントや支援活動に積極的に活動しました。
・マウイの数人のトップサーファー仲間たちが火事直後一番足りなくて手に入らないものがガソリンだということを知り、島の中心部で手に入るだけのガソリンを持っていき、それを必要な人に配る活動を毎日繰り返していた。
もちろんサーファーだけではなくマウイ中がこんな風にそれぞれできることをやっていたのですが、普段波のことしか考えてない、ややもするといい加減でふらふらしているように見られているサーファーたちが波の良し悪し関係なくあちこちで海のコネクションを駆使してラハイナのために動いていたことが評価されたのはとても嬉しいことだったし、そんな選手たちを見た子供たちがそれを見本に同じように人が困ってる時に動ける大人に育って行ってくれたらいいなあと思いました。
ちょっと個人的な話をひとつ。
実は私は一ヶ月ほど前マウイのサウスサイドに位置するビーチパークで車を盗まれました。観光客も多く賑わっていた公園の駐車場で、普段から練習しているダウンウインドフォイルというものの終点として利用している場所なので、何の不安もなく鍵を隠して仲間の車に乗って出発点に移動して、そこから10キロほどかけて海を漕いで戻ってきたところ、私の車があったはずの場所にありませんでした。警察によるとそういった盗難はものすごく多くて、おそらく隠していたところを影で見ていてその鍵をとって車で逃げたのだろうとのこと。家に急いで戻る途中にすでにいくつかの銀行からは連絡も入り、車の中にあったお財布の中のクレジットカードやバンクカードが一斉に使われていました。その後最初の一週間はクレジットカードや保険、連絡などで大わらわ。まずは車もないし、車の中には荷物が山盛りに入ってて、海で使うギアも全て入ってました。一年前から準備しトレーニングしていたレースは3週間後に迫っていたのに、道具が全てなくなって、途方に暮れる思いでしたが、最初はショックというかやることがあり過ぎてサバイバルモードだったのでがっくりする暇もないくらいでした。
盗難の翌日、まだまだクレジットカードの被害がどれくらいかも把握できてないなか、重い気持ちで朝を迎え、コンピューターを開くと、すでに仲間が私のためにゴーファンドミーを立ち上げてくれていたことを発見しました。そしてページを立ち上げてから数時間しかたっていないというのにすでに6000ドルくらい集まっていてびっくり。大慌てで立ち上げてくれた仲間に連絡すると「友子に聞いたらきっと断られると思ったけど絶対みんなこのチャンスに友子を助けたいと思ってるから!」とすでにお金が集まっていることを喜んでくれていました。申し訳ないやら、でも本当にその気持ちが嬉しく言葉になりませんでした。マウイは東北支援の時もラハイナの時もみんな直ぐに反応してできるヘルプを差し伸べてくれていたことを思い出しました。他の機会にも住民の誰かが大怪我をした、子供が重病にかかった、そんな時、直接の友人でなくても困った時はお互い様という気持ちでみんなが協力し、大きな助けになってきました。
今回のラハイナでもみんなが支援物資を買い込んでいるのを見たし、先のことなどは考えずにまず目の前で困ってる人のために動いてました。支援のための物資をわざわざ買い込んで、届ける人たちでスーパーが大混雑していることもありました。道路が遮断され、隔離されていた住民に最初に支援物資を届けたのは決してお金持ちではないお隣の島、モロカイ島の住民たちでした。夜赤く燃えているラハイナが見え、朝には釣った魚や果物、野菜をはじめ、必需品などを船に山盛りにして現れ、それは毎日続いたそうです。
私は飛行場近くの街の中で動いていました。普段海でしか見かけない仲間たちがありとあらゆるところでできることをしていました。海にはしばらく入れずにいましたがそんな仲間たちとほんの一瞬お互い何か助けになることをやれているという喜びを交換できてある種の充足感すらあったのを覚えています。
実際に被災した人たちはそこまで気楽な気持ちには決してなれなかったはずです。それでも皆さん、身一つで生活しながらいろんなところでヘルプやアドバイスを受けながら1日1日少しでも落ち着くように頑張っていました。今思うと当たり前にあったものが全てなくなって体一つで放り出される気持ちなんて実際経験しなかったら分かりようがない、と実感しています。
車がなくなっただけでも本当に頭では人生どうにでもなると思っていても、一週間くらいたってから見たこともないような悪夢にうなされたり、呼吸困難になったりして「私思ってたよりメンタルやられてるのかな?」と思ったほどでした。たかが車でこんなことになる私、ラハイナの人たちは家ごとなくなり、住むところも、通っていた学校も、家族や親しい隣人を亡くした方も大勢。その状況を1年間生きてきた、今の私には想像もつきませんが、気の遠くなるようなプロセス、精神的な重圧であることだけはよく分かります。
色々やってきた中でも自己満足だったり、あまり役に立てなかったことも多かったかもという反省も自分の経験から理解することができました。
と同時に大金だけが困った人を助けるわけでないこともよく分かりました。もちろんお金、特に何にで使える現金は一番ありがたいと思います。実際当たり前に必要だったものがなければそれは買うしかないのにお金がなければ買えませんから。(私たちもそういう自由に使える現金、縛りのない支援金を届けたいと思いゴーファンドミーを立ち上げたのでした)
私を助けるためのゴーファンドミーは私の予想を遥かに超えるスピードでどんどん膨れ上がる、その日のうちに10000ドルを超え、私はオーガナイザーの友人にもう十分だから、ストップしようと提案しました、もうみんなから十分助けていただいた、本当に心からそう思ったからです。でも彼はみんなが送りたいと思っていても忙しくてページに行き着かないかったら可哀想だし、ともこはもっといい車を買ったほうがいいと20000ドルまでは頑張ろうといいます。私集まった金額が膨れ上がってるのを見るのが怖くてページを見れなくなりました。でも二日目の朝に恐る恐る覗いたら、すでに20000ドルも超えているではありませんか!今度はこれでストップしてくれとはっきりお願いし、ただみんなへのお礼もしっかりできてないのでページ自体はそのまま置いといてアップデートなどで皆さんに報告できるようにしておいてもらいました。
結局金額的にも盗まれた車とギア全てとまでは無理かもしれませんが十分カバーできるほどの支援が集まり、そのリストを見たら親しい人はもちろん、もう何十年も会ってない人、決してお金に余裕があるわけではない人も。何より見た途端涙が出たのはラハイナで全てを失った被災者の人たちの名前が続々と出てきて、こんな大したことないことなのに彼らの方がずっとずっと大変な思いをしてきたのに、とどれだけ大変なことか、改めて実感したと同時に失うという痛みを知ってる彼らだからこそのカンパなのかもしれない、と本当に感謝と感動が溢れて止まりませんでした。本当にありがとうございました。
二日間だけのゴーファンドミーでしたが最悪の事態がアロハと優しさにアップアップするくらいの心温まる出来事に変わりました。大変であること、バタバタでいろんな処理に走り回りましたが、それも皆さんがこれだけ応援してくれてると知ることでそれがエネルギーになり、落ち込んで塞ぎ込んでる場合じゃない、みんな私が復活できるようにここまでしてくれてるんだと本当に支えてもらいました。
ゴーファンドミーだけではありません。本当にいろんな形で、見えるもの見えないもの、いろんな形で助けてもらいました。この経験は大げさでなく一生忘れないものになったし、愛って本当に物凄い力があるんだと実感させてもらえる素晴らしい経験となりました、皆さんのおかげです。
今まで私も困ってる人がいてもあまりお金に余裕がなく、大した金額募金できないとかこんなちょっとじゃあげるの失礼かななんて思ったことも多くありました。でも今は違います、お金以外にも困ってる人を助ける方法はいくらでもあり、どんな人にもできることがある、笑顔を向けるだけでも違う時もある。思っているだけでも変わることもある、本当にそう実感しています。
なので皆さんが一年たった今でもこうして関心を持ってレポートを(毎回長々とおつきあいさせてすみません)読んでくださっことだって違いを生むことなんです。そして支援イベントや何かの集まりにみんなでラハイナのことを話したり、早く復興しますようにと祈ったりしてくれてるだけでそれが大きなヘルプになるんです。どうかそのことを忘れずにラハイナだけでなく、何か惨事が起こった時、周りで誰かが困っている時に思い出してください。
8月10日には燃えてしまった3つのお寺が合同でラハイナモールにおいて盆ダンスを開催します。これらのお寺は日系人、日本人の人のみならずラハイナの住民に大きな存在、憩いの場を提供していました。今回の盆ダンスはこの一年の区切りになるものではないかと思います。なくなった方をみんなで弔い、今後も一つになってラハイナの価値観、素晴らしさを残していこうという決起集会のような意味合い、ラハイナ住民、また支援してくださった人たちの想いが集結し、復興へのマイルストーンとなる意味深い行事になるでしょう。
皆さんも遠くから一緒に祈りを捧げてくださると嬉しいです。
ゴーファンドミーを通じて、そして他のいろんな支援を通じてこの一年で本当にたくさんのご縁をいただきました。それが今回だけでなく、これからもいい形で広がっていくことを心から願っております。
画像1: 燃える前のラハイナ浄土院での盆ダンス風景
画像2: マウイのサーファーコミュティを代表してESPY Sports Humanitarian award を受賞するマウイのローカルサーファーたち
画像3,4: 火事直後道が閉鎖されていた時に海から物資を届け続けたサーファーたち。船とジェットスキーで連携してビーチに物資を運んだ。政府や軍からの救援が届かない最初の一週間ほどはほとんど住民が協力しあってできる限りのことをしていた。
画像5: サーファーだからこそ被災したサーファーたちの気持ちがわかる。なくなったボードを取り戻せるように、あるいは海に入れるようにいろんなプロジェクトが動いた。
画像6,7: どこよりも最初に火事を海を隔てて見ていたモロカイ島からたくさんの民間の船が救援物資を持って海を渡ってきた。
みなさま、おはようございます。
日本はジメジメした梅雨、そして暑い気温が続いているのでしょうか?
それとも梅雨明けしてジリジリした太陽が照り付けてるのでしょうか?
マウイは夏らしい気候になってきました。風が強く雨は少ない、そう、ちょうど去年の8月、火事が起きた時のようにフィールドの草も茶色っぽくなってきて、ついあの時のことを思い出す機会が増えてきました。
5月末から6月にかけて日本に帰国していたメンバー二人もマウイに戻ってきたので早速集まって今後のことを話し合いました。実際には納得のいかないことや、なぜそんなこと?と思うような政策もいろいろありましたがラハイナの街は着々と復興が進んでいるようにも見えます。
燃えてしまったエリアのクリーンアップは危険物を取り除き、その後瓦礫撤去、電気や水道の修理などをしてから更地にして、それから再建のための手続きが延々と続くと言われ、ちゃんと家が立つまでには何年もかかるのではないかと思われていました。が、水道管やメーターが破壊されていないエリアに関してはすでに更地にされ、短縮、単純化された手続きを済ませて家を建てるための基盤コンクリートの流し込みが始まったところも何軒かあるそうです。
どこかでドローン映像を見ましたが、火事の直後と比べると全ての瓦礫が取り除かれ、整頓され、それぞれの敷地が平になっていました。この地域は家を建てる許可が20件ほどすでにおりているそうです。
ミーティングでも話題に出たのですが、今まで電柱にかけられていた電線をこの機会に全て地下に埋めて欲しいという声は大きい中で、実現はまだまだ時間がかかるのではと思っていましたが、電気に関してはまだ私たちもよくわからないので調べてまたお知らせしようと思います。(ある程度調べたところ、とにかくできるだけ早く復旧させるために、たくさんの柱を新しく建てて復旧させたそうです)全てを地下に埋めるのはあまりに莫大なお金がかかり、不可能とされてしまったのかもしれません。チャンスは今しかないとは思ったのですが。
レポートでも何度も書いていますが、私たちが集まって支援をする最初のきっかけになったのは13年前の東北の震災でした。その時に現地で経験したこと、また被災者から聞いた思いなどは今回のラハイナに重なる部分がたくさんあります。一つ言えるのはこの悲惨な出来事でお金を儲けようとする人たちもいるということ。東北ではもしかすると土地よりも、ありったけのコンクリートを使うことでコンクリート、土木、建築の利潤は莫大だったでしょう。当時の県知事は防潮堤に対する反対に対して、自分の知事人生をかけて防潮堤を建てると宣言していたほどで、多くの懸念や反対を押し切り、他の復興よりも早い段階で防潮堤が進んでいたのを覚えています。そのため東北の海岸線はいまは要塞のようになってしまい仰々しい橋や道路もあちこちで見かけます。
ラハイナは土地自体が世界でも有数の人気で、誰もが喉から手が出るほど手に入れたい場所。特に開発業者にとってはこれは最大のチャンスとなり、家も家族も失って悲しみに打ちひしがれている時に土地まで手放さなくてはならない不安と戦わなくてはならない被災者もたくさんいます。火事が起きてすぐにその懸念は持ち上がり多くの人がそうならないように声をあげたり懇願書を出したり、土地を守る団体を作ったりしたおかげでできる限り住民がまた戻りやすいような街並み、リゾートではなく、ローカルが住む古き良きラハイナを取り戻す方向で復興は進んでいます。とはいえそれでなくても高かった物価、家賃などが火事をきっかけでさらに急ピッチで上がってしまい、生活自体がままならない人も大勢います。立派な仕事を夫婦共働きで勤めていてもとても家賃が払えきれず、家族5人で50万くらいの家賃を払いながら毎日お金の心配して生活するくらいならアメリカ本土で安い土地を買って平穏に暮らした方が楽かもしれないと、泣く泣く島を出て行くローカルも少なくありません。
そんな状況をできるだけ防ごうと、Lahaina Community Land Trustという団体も生まれました。そしていまだに被災者が困っている部分をカバーするリソースセンター Hawaii Community Lending と協力しあって土地を手放さずにすむよういろんな形で住民を援助しようと動いています。私も心から多くのローカルたちが涙ながらに島を出ていくことがないよう祈っています。
さて、前回お話ししたように、8月8日で一年。ひとつの区切りなのでその時点である程度寄付を募ることをストップしたいと思っております。ページをクローズするのはそれより少し後になるかもですが、目標金額にもWEBページ上ではもうちょっとの金額ですが、実際にはそれ以外の方法での寄付などもあり、すでに達成しております。本当にこんなにたくさんの支援をみなさんからいただけたこと、そして私たちを信頼して大事なお金を委ねていただいたこと、感謝しております、そしてそのお気持ちに応えられるよう私たちも時には議論を続けながら、曖昧な部分や「?」と思われることの一切ない明瞭会計、手数料や経費には一切寄付金を使わず、その部分は私たちスタッフでカバーすると決めて活動してきました。
今回の活動は敏腕(鬼)会計士のスタッフがいたからこそ成り立ちました。お金のことは全て彼女に任せっきりでいられたのが本当に心強く、またいつもいろんなことをチェックしてくれたり書類を作ってくれたり大助かりでした。というわけで現時点での会計報告も添付の写真と一緒に載せたいと思います。
残っている寄付金の大部分は、今月中にラハイナのパブリックスクールの先生方やスタッフ全員に支援と感謝の気持ちを込めてギフトカードを送ることになっています。学校への支援は以前から考えていました。先生方が子供達へのケアを地腹で行っていたり、また先生方ご自身も被災して遠くに引っ越しながら毎日通勤していたりと、精神的にも追い込まれてしまうことが多いと聞いていました。どんな形で支援できるか探っていたところに、ラハイナ教育委員会の副会長さんを通して、先生方だけでなくスタッフ全員に送ってもらいたいと話をされました。そこまでの人数カバーできるかと不安だったのですが、正確な人数を教えてもらい、また、先生方と同じようにカフェテリア・スタッフ、事務員、用務員、その他のスタッフもみんな本当に大変な思いをして子供たちができるだけ不安のない状態で学校に通えるよう努力してきたこと、そして一人一人の努力がなければ成り立たなかったこと、またスタッフへのケアが不足していていることなどを聞き、全員に贈れる余裕もあることもわかったのでそれを実行するために現在動いております。月末にパブリックスクールの従業員(先生方も含め)にメンタルヘルスケアパッケージが送られるという計画があるとのことで、その中にPray for Maui from Japan から、みなさんの想いがぎっしり詰まったギフトカードをメッセージを添えて送ろうと思っております。
また、動物たちへの支援活動で頑張っている二つの組織にも1000ドルずつ送りました。
私たちの寄付集めは8月で締め切りますが、ぜひ引き続き支援金を送りたいという方にはどこに送るといいかなどのご相談はいつでもしていきたいと思っております。
本当に困っている人たちに直接お金を送る方法を考え、火事から3日後にはローカル3人で立ち上げたHelp Maui Rise という支援団体は今後も住民に直接お金を贈る独自のシステムをつかて平等に寄付金を送り続けています。これは特定の被災者に送られるわけではなくゴーファンドミー、或いはHelp Maui Rise に登録し支援をもらう資格があると認められたラハイナの住民全てに集まった寄付を平等に等分し、送金されるというシステムです。
全く知らない人たちからの善意でなんとか大変な時期を乗り切れたという被災者の方も多いのです。100ドル送っても100人に分けたら1ドルにしかならないかもしれない、でもそれを10万人の人がやったら被災者の人たちはかなりの金額を助けてもらえる。実際そのシステムで800,000ドル近いお金を住民の人に配ってきました。もしも団体ではなく住民の人に直接寄付をしたいという方がいればぜひこちらをご利用なさってみてください。
https://www.gofundme.com/f/helpmauirise
いつもほんとうにありがとうございます。
心からの感謝を込めて、
Pray for Maui from Japan スタッフ一同より
画像1: 会計報告
画像2: ハワイアンエレクトリックは電気の復旧に全力を尽くした。
画像3: ラハイナの住民が一番困っている問題、土地を手放さずに済むためにいろんな人が頑張ってくれている。
画像4: 火事で燃えてしまったカメハメハ3世小学校現在は仮設プレハブの学校で子どもたちは学んでいる。
みなさん、おはようございます。
Pray for Maui from Japanの寄付の大部分を集めたこのページ、ゴーファンドミーについて、以前のアップデートでもすこし触れさせていただきましたが、あらためてご報告させてください。
先日スタッフでミーティングをし、今後の展開について相談しました。結論から言うと、ゴーファンドミーのサイトは火事が起きた8月8日から1年間と言う区切りでこの8月8日までで終了します。この一年いろいろありました。振り返ってみると一年長かったようでもあり、あっという間でもあり、いろんな変化もありましたが、復興については前進しているように思います。
8月8日まで集める大切な寄付の送り先や使い方についても詳しく話し合いました。議論のポイントは以下の通りです。
・支援をストップするわけではないが、ダラダラと寄付の募集を長く続ける必要はないのではないか。
・引き続き寄付を送ってくださる方もありがたいことにいらっしゃいますが、以前ほど頻繁ではなくなった。
・今必要な支援はどちらかと言うと大掛かりな問題(住宅、土地、家の再建など)が多く、私たちの集める金額の範疇を超えている。
・日本人の被災者の方はほぼ最低でも1年間、2年間は落ち着ける場所が見つかり引っ越しをすませた。
・今後さらにお金が必要になった時はまたその時に私たちが動けばいい。
・この活動を始めた際に、必要なところや支援したいと思うところにある程度の寄付をして、もしも残ったら最後は被災したお寺に寄付しよう、と決めていましたので、その計画通りにお寺に寄付を送る。
最後のお寺への寄付に関してはちょうど8月10日に被災した3つのお寺が合同で盆ダンスを開催することが決定しました。ラハイナキャナリーモールで盛大に日本の祭りとして開催するのでそのヘルプと同時にそこでラハイナの今後の復興を祈り、住民の皆さんの決起イベントとしての開催をお手伝いできればと思います。お金だけでなく、ボランティアとして私たち、そして他にも多くの人たちが関わり集まってくれればと思っております。
詳しい会計報告はまた会計担当の方から報告がありますが、大まかに言うと今大体50,000ドルほど保管してあります。そこから多額の寄付を集めてくれた方のリクエストでもある、動物支援団体2ヶ所に1,000ドルずつ。そしてラハイナのコミュニティーリーダー達に相談すると必ず出てくるのがパブリックスクールの子ども達と先生に対する支援です。私たちも子ども達への支援方法を常に考えたいと思っていたので、PTSAを通してパブリックスクールの先生方への支援、そして学校への寄付をしたいと思っています。
パブリックスクールでは生活に困っている生徒たちで学校の道具が用意できない子ども達のために先生が地腹で必要なものを用意することも多く、先生がたの負担も多いそうです。その上被災してラハイナに住めず、遠くに引っ越しそこから毎日学校まで通勤している先生がたも多く、ストレスも大きく、メンタルヘルスが心配な先生も多いと聞きました。そんな状況の中で大きな支援にはなりませんが、せめて私たちが先生がたに心から感謝している、思いを寄せてることを感じてもらえる方法で何かできればいいなと思っています。
また以前すでに一度支援を送ったWomen's Fund にも寄付したいと思っています。これは被災した女性達に申込書にいろんな状況を書き込んでもらい、本当に困っている人や支援が必要な人にある程度の金額が支援されると言うものでした。ラハイナの街は小さいので誰もが知り合い、特に何世代にもわたって住んでいる人たちのことをよく知るメンバー達がこの書類を審査して支援する人たちを選ぶこと、その審査を全面的に信頼できるものだと私たちも感じていますし、こういった形が一番困った人に助けが届く道であることも感じているのでもう一度寄付をしようと思っています。
まだどこにどれだけ送るかの正確な金額は決まっておりませんが、大体の行き先はこんな感じです。
また8月8日を過ぎてもさらに寄付を送りたいと言う方がいらっしゃった場合は個人的に連絡をしていただければどんな相談にも乗りますし、どんな支援がしたいと言うことを聞いて、そのためにどこに送るのがいいかなど詳しく情報をシェアできると思います。
8月8日で私たち自身がラハイナの支援終了!と言うわけでは決してなく、今まで通り個人的にも、仲間と一緒にもできる限りのことを考えサポートしていければと思っております。
今後ももぜひ皆さんも一緒にマウイのいい形での復興、再建を見守り、応援してください。
本当にありがとうございます。
画像1: ナピリに建設された仮設小学校
画像2: 仮設小学校の教員や関係者達
画像3: 子供達にとって学校はとても重要な場所でもあり、トラウマやストレス、悲しみを癒す場所でもあってほしい。
画像4: マウイの風物詩 盆ダンス。浄土院や他の数々のお寺で毎年夏を通して開催される。8月10日にラハイナの三つのお寺が合同開催する予定。
画像5: ラハイナ上空
みなさん、お元気ですか? そろそろ日本は梅雨でしょうか?マウイの5月は何だか変な天気が続きました。普段は初夏で、風がよく吹き、天気も良いのが5月なのですが、冬によく来るコナストーム(普段と反対の向きから風が強く吹き雨が降る)がきたり、大雨警報が何度も出たり、風が吹かずに島の北側に波が上がって冬みたいだったり。やっとここ数日通常のトレードウインドが戻り、天気も夏らしくなってきました。この時期からアメリカは夏休みになり観光客も増えますが、今年に入って日本からの観光客は一向に見られず寂しい限りです。ラハイナの火事以降、住んでる島民の住宅問題ももちろんですが、ホテルやバケーションレンタルの値段も一気に上がり、その上この円安。泣きっ面にはち状態でマウイ大好きなリピーターさん達でも「流石に今は行けません」とおっしゃる方が大勢いらっしゃいます。できるだけ早くラハイナがしっかり復旧し、それと同時に島全体がいい流れに乗ってたくさんのお客さんを快く迎え入れられるような状況になることを祈っています。さて、いくつかグッドニュースがあります。前回ラハイナの住民が政府に対して住民主体の行政、住民の声が反映される社会を、と頑張ってるのはお伝えしました。いくつかの条例が通ったことで住民の気持ちはさらに一つになり、高まってるように思います。以前のような物資を配るセンターや炊き出しは閉鎖されていますが、反対に刻々と変わっていく状況にあったリソースセンターや支援活動も生まれています。それはほとんどがマウイ単位での活動団体が多く、そう言う意味でも被災者と近い立場にあり、どんなことで困っているか、何が必要か、を現場で知ることができることも大きな助けになっていると思います。FEMAや赤十字などはスタッフ、特に大きな決断をするスタッフがマウイの住民ではなく、メインランドのシステムやしきたり、ニュースをベースとして動いている団体なので(もちろん彼らがいなかったらどうにもならなかったことはたくさんあります)住民の気持ちに必ずしも寄り添っていないようなルールや、いいと思って始めた支援が被災者にとっては役立つものでなかったりいろいろフラストレーションの溜まることも多かったのが事実です。そんな大きな支援対象から溢れてしまったり、島の人にあったやり方で動こうとしているサポートグループがいくつもあるのを感じています。バーンゾーン(焼けてしまった地域)のクリーンアップは引き続き行われています。真っ平らになってしまった自分の家があった土地を見て、被災者の方々が持つ思いはさまざまだと思います。まだまだ元のように家が立ち、その場所で前と同じような平和な生活が戻るまでには、気の遠くなるほどの作業や手続があり、イメージが浮かばないかもしれません。それでもおそらくほとんどの人がその場所にまた家を建てたい、そう思ってるに違いありません。そう言う気持ちを支えていこうとしているLahaina Community Land Trust はいろんな分野で活躍しているローカルの女性達が集まって頑張っています。そして、先日はバーンゾーンにおける再建の許可第一号が発行されました。4月29日に火災の被害を受けた人たちのためにオープンしたMaui County Recovery Permit Center。これは、2月末に満場一致で通った法案21、この火災のリカバリーのために再建するプロセスをできるだけ迅速に進められるように特別無許可を作ることを決定したことから始まりました。この法案は電気系、下水浄水、整地、ドライブウエイなどそれぞれの許可を一つにまとめて申請できるほか、火事の被害を受けたエリアに限っては承認期間が15日で済み、許可のための費用も再建され最終審査が終わるまで支払いを伸ばすことができると言うものです。このセンターがオープンして最初に訪れたうちの一人がこのほど再建許可第一号を手にすることができました。このセンターがこれからどんどん多くの被災者の気の遠くなるような再建へのプロセスを助け、スムーズにしてくれることを大いに期待したいと思います。画像1: 全てのバーンゾーンのクリーンアップは2025年まではかかると予定されている。画像2: リビルドの許可第一号を受け取ったラハイナの住民。画像3,4: 被災した土地のクリーンアップ前と後の写真
みなさん、こんにちは。ながらくご無沙汰して申し訳ありませんでした。一ヶ月半ほど日本に帰国しておりました。なかなかマウイの状況をアップデートできずにいましたが、その間にたくさんの重要な出来事もありました。また日本にいる間は、各地でいろんな方からマウイに対する想いを伺い、支援をいただきました。八ヶ月以上たった今でもそうやって皆さんが心配や気にかけてくださることに本当に心から感謝いたします。まず被災者がいつまで住めるのかわからない不安を抱えながらホテル暮らしをするのではなく、落ち着いて住めるところを提供する努力をしてほしいという思いから始まったFishing for housing というムーブメントについて。昨年11月10日から始まり、カアナパリビーチ、ホテルが立ち並ぶ海岸にテントを設置し、前向きな変化がない限りそこを立ち退かないという決意で、支援者が交代しながらそこで生活を続けていました。もちろん晴れて穏やかな日ばかりではなく、波が高くなりテントにまで水が入ってきてしまう日もあり、対策として砂に土手を作り、溝を作ることで守ったり。暴風雨で一時的に避難が必要になるなどの状況にありながらも、大勢のサポーターが差し入れを行ったり、手助けをしながらその活動は続いていました。そして、175日間という長い期間、その活動は続けられました。政府としても、もちろんなんとかしたいと思っていたとは思いますが、何しろ今回の火事以前からマウイにとって住宅問題はいちばんの課題でした。住民たちが家賃が高すぎて家を借りられなくなったり、そもそも借りられる住居が本当に少なく、その全てが観光客向けの住居、別荘、バケーションレンタルになってしまっているという問題があり、今回の火事でさらにその問題は深刻になったというわけです。ラハイナ・ストロングというラハイナの若きリーダーたちが中心になって証言を集めたり、ホノルルの知事のところまで何度も通って懇願書を出した結果、今回、彼らが望んでいた条例が議会を通り、知事の承認を得て、法律にすることができました。また彼らが反対していた法律、ラハイナの復興のイニシアチブをマウイ郡でなく州に譲り渡すというものも住民の証言や反対で却下され、マウイ郡、住民の声が反映されやすい形を取り戻すことができました。これらは住民の大きな勝利、努力の成果そのものだと思います。彼らが休みなく一生懸命ラハイナのために動き、ビジターと話をして理解してもらえるよう教育したり、コミュニティー・イベントを開催してきたことが全て前向きな復興につながっていくように思います。そして何より、彼らの姿勢はどんなに大変でフラストレーションがたまる状況においても、常にアロハを持って行動することの素晴らしさを見せてくれました。住民の力、声が政府を変えていく、それを見せてくれ、未来に希望を持たせてくれたことはとてもポジティブな出来事だったと思うしこれからもいろんな場面でそうあってほしいと思います。復興のための事業などのためにさらに別の予算をとっておくための議案SB581も進行中で、貴重な水をむやみやたらに引水することを規制する法案、SB2690も進行しています。People Power これがしっかり確立され続ければ、ラハイナはしっかり住民が望んでいる形で復興することができる。そう信じることができます。これはラハイナに限ったことではなく今回の勝利はハワイ各地で住民の意見が反映される政府へのカレントを作ったと思います。さて、日本にいる間にはいろんな所でいろんな方に会えました。鎌倉の小さな本屋さん、海と本で開催されたマウイ本のイベントには佐藤秀明さんもいらっしゃり、出版したリトルギフトブックスの増本さん装丁を手がけた皆木さんはじめ、たくさんの方がいらして途中在庫が売り切れてしまい。大急ぎで追加を倉庫に取りに行ったほど。本当にありがとうございました。ここにはちょうど帰国していたこのメンバーの一人かなちゃんもきてくれ、またゴーファンドミーページのネット担当として手伝ってくれている柳沢なおさんも顔を出してくれました。ゴーファンドミーで寄付してくださった方も多くきてくださり、直接顔を見てお礼ができたことが本当に嬉しかったです。今回私は鎌倉から西表、石垣、再び鎌倉、その後、種子島、鹿児島、宮崎と移動しましたがどこに行ってもラハイナに寄付してくれた方、あるいは寄付を渡してくれた方、偶然たまたま寄付してくださった方がそこに居合わせたり、など偶然の出会いもたくさんあり、会うべき人にたくさん会うことができ、またラハイナの現状などを直接お花することもできてよかったです。ラハイナのためにチャリティーイベントを開催してくれた青島の仲間たちのところにも行きましたが、そのイベントは市からも喜ばれ、またハワイ宮崎県人会からもサポートを受け、このままマウイと姉妹都市関係を結べないかという話まで出ているそうです。日本国内でも能登地震の被害などもありましたし、火事から八ヶ月経ち、ハワイへの関心は薄れているだろうと思っていたのですが、多くの方々からの思いや行動に感謝することしきりでした。今日はマウイに戻ってきてから初めてのPray for Maui from Japan のコミッティーメンバー4人でのミーティングでしたがいろんな話ができました。しばらく支援先などを決めずに様子を見ていましたが今後どういった人たちや活動にお金を送り支援すべきかなどかなり突っ込んだ話し合いもできました。いろいろ目まぐるしく状況が変わっていく中、私たちはできる限り大きな団体などがカバーしきれない隙間を埋めていくような支援ということを念頭においています。最も困っている人たちは誰か、どんなところへの支援が今一番必要なのかをこれから一週間ほどそれぞれのメンバーがリサーチしたり、情報を集めたりすることを宿題とし、また近いうちにミーティングをし、いろいろ決めることになっています。瓦礫の撤去もまだまだ先は長いですが進んではいます。そしてラハイナのお店や飲食店なども少しずつ再オープンするところが増えてきました。仮設住宅もいくつかの場所にでき始めました。(結局建てることになるなら最初から政府が前向きにこのオプションを考えてくれていたら、二ヶ月くらいで住む場所ができてたのになあと言いたくなりますが)赤十字やFEMAも撤退のタイミングを探っているようにも見えます。それぞれ保険から出ているお金やシステムは違うとは思いますが、被災した方々みんなが保険でしっかりカバーされ、いざ家を建てられる状況がきた時、もうもらった保険金は使い切っちゃって家を再建する資金がないなんてことになりませんように、と心から祈っています。それくらい家賃が驚くほど高額で、一軒家だと月5,000ドルは普通のようです。どうかラハイナで被災した方々すべてが不安を持たずに前向きに生活できる状況になっていきますように。画像1: 住民の努力と強い願いが新しい法律を作った記念すべき出来事。画像2,3: 鎌倉の本屋さんでマウイの本のイベント開催の様子と、最後まで残ってくださっていたたちと記念撮影。イベントでのトーク、たくさんの人が来てくださいました。ありがとうございます。画像4: やっと被災者を受け入れ始めたホープビレッジ。カフルイの街の中に建てられたタイニーハウスの仮設住宅は80戸ある。
みなさん、こんばんは。(まず最初にイベント開催のご案内。4月14日、今度の日曜日、鎌倉の長谷駅から3分ほどの長谷観音入り口にある本屋さん、「海と本」にて、マウイを応援する本、『ありがとう、マウイ』のブックフェア、最終日クロージングイベントを開催します。本当に素晴らしい文章と写真を提供してくださった巨匠カメラマン佐藤秀明も在廊します。Pray for Maui from Japanのメンバー、斉田かな、と私岡崎友子も参加します。寄付してくださった方々、ラハイナの現状について聞きたい方、ぜひお時間あればいらしてください。直接支援や応援のお礼ができるチャンスなので、たくさんの方とお会いできたらと思っております。詳しくは海と本やリトルギフトブックスのインスタにてご覧ください。@umi_to_hon_jp @littlegiftbooks @pray_for_maui_from_japan)また4月22日に宮崎の青島のサンバルコというレストランで、ラハイナのために大きなフェスティバルを開催し、収益を寄付してくれた青島や宮崎の仲間との食事会があります。どなたでも歓迎ですので話を聞きたい方はぜひいらしてください(おそらく、会費制、ドリンクは個人で頼むというスタイルです。夜6時からです。)4月に入り、マウイも日本も一気に春めいてきた気がします。日本では仕事初め、新学期といろんなことがスタートする時期でもあります。春というのはいつでも何かが動き始めるエネルギーを感じるものですよね。マウイもいろんなことが一気に動き始めているように感じます。私個人の感じている空気はいろんなことが動いている、そんな感じです。まずはラハイナの住民の復興に対する意識、覚悟は今まで以上に強くなってきたという気がします。みんながみんなそうだとはいえませんが、若きリーダーたちが立ち上がり、ラハイナの住民を支え、元から住んでいた人たちが島から出ていかなくてはならない状況を避けられるような支援をしようとする新しいグループや団体が生まれ、本当に必要とされるサポートがスタートしつつある気がします。FEMAや政府のやり方では支援から外れてしまう、とか、期待しているようなサポートが得られない人も、それ以外の団体のところに相談に行って家が見つかった、あるいはファイナンスのオプションについて相談できた、という話を聞くと本当に私たちも嬉しいのです。FEMAが悪いというわけではありません。本当に抱えきれないほどの問題があるから大変なのはわかるけれど、やはりハワイに長年住んでいる人でしかわからない悩みや都合などもあり、そんなところは同じハワイに住むローカルのサポートグループの方が理解してくれるのかもしれません。ラハイナ周辺のお店やレストラン、施設もどんどん再開しています。ローカルにもビジターにも人気だったレストランが次々オープンしていることはほんとに喜ばしいし、ラハイナゲートウエイのフードランドも営業再開を果たしました。ミーティングもこれでもかというほど多く、いろんなトピックに関する話し合いがあり、こんなにたくさんあるとそれだけで生活に支障をきたすくらい時間がかかるのではないかと思うほどですが、驚くほど多くの人が熱心に参加し、ラハイナを住民のための復興として進められていくよう力を尽くしています。毎週ラハイナシビックセンターでのコミュニティー・ミーティングにはたくさんの住民が集まって熱く意見を交わしています。全焼した家屋のエリアでも瓦礫が撤去され、更地のようになっているところも増えてきました。ホームオーナーのためのミーティングも開催されるようになり、関係者はインフラ、再建、許可、保険に関連する住宅所有者の課題について話し合います。ミーティングに行けない人はマウイのテレビ局が配信する動画を後で見ることもできます。一方で、短期で住む家を借りられるように住居を探すためのミーティングは次に実施される会議が最終になります。政府がいつまで被災者の住む場所をサポートしていくのかは引き続きうやむやな部分も多く、この4月で打ち切られるというような噂も聞きます。ラハイナコミュニティー・ランド・トラストという団体は、住民が所有している土地を守り、元の生活を取り戻せるかさまざまな形でサポートするために生まれた団体ですが、被災者が一番気になっている分野をあらゆる角度からサポートできるようワークショップを開催しています。このワークショップでは、情報提供や発表者として、Native Hawaiian Legal Corp、Hawaii Community Lending、West Maui Construction Hui、税金、遺言、家族信託弁護士、Kipuka Kuleana、ラハイナコミュニティ・ランド・トラストなどが参加しています。相変わらず一番の問題は住宅問題とそれに伴う家賃の高騰、物価の高騰、ひっ迫する生活などだと思います。ここに来て急速にタイニーホームズの建設が進み、低所得家庭のための住宅がたくさん建てられるプランができたりもして、この住宅不足問題に対して少なくとも努力する姿勢はあちこちで感じられます。現在私たちは皆さんからの寄付のうち50,000ドルほどを使わずにとってあります。もちろん寄付すれば喜ばれるところはたくさんあるのですが、私たちも、私たちにアドバイスをくださるラハイナのコミュニティーリーダーの皆さんも、これからもっと大変な問題が起こるであろうと想像しています。そんな時に、今こそ必要だ、というタイミングや、ココにこそ資金のサポートを、と強く思えるところが出てくるはずですから、それまで大切にとっておいた方が良いだろう、という意見で、少し状況を見守っています。本当に困っている人がだんだんはっきりしてくるけれど、そういう人たちにどう言った形で支援するのがいいのか、また直接本当に必要としている人に届けるいい方法は何か、そんなことを多くの人が考えているのが今の現状です。また春にかけてそう言ったところもいろいろ見えてくると思うので、その時に今こそ、と支援を送れるように私たちも準備しておきます。ラハイナの悲惨な火事以後に生まれたたくさんの支援団体、そしていろんな情報を発信し、みんなをリードしてくださっている方たちに改めて心から感謝します。大変な仕事、その上誰もが感謝するわけではなく、反対されたり、言いたいことを言う人もいる。そんな役割でもあるのに、ほんとにラハイナのことを思って一生懸命動いてくれる人たちがいるからこそ、今ラハイナの復興は私が当初心配していたよりは大資本や開発業者に振り回されずに進んでいる、少なくとも進んでいく努力ができていると思います。でも根気が必要な大変な仕事であることは間違いありません。私たちもしっかりバックアップし、ラハイナの住民の望む復興のためにできるだけ動いてサポートしていきたいと思います。画像1: 宮崎でマウイのために開催されたイベントでの貯金箱。燃えてしまったバニアンツリーに一枚、また一枚と葉がついていく様子を思い浮かべさせる素敵な募金箱。画像2: Ohana Hope Village も実際に住む人たちが入居を始めた。画像3,4: コミュニティーミーティング。実際に参加できない人のためにテレビ撮影も入り、リモートでライブ配信を見たり、録画を見たりもできる。画像5: ラハイナにあったフードランドファームも営業を再開。
みなさま、お久しぶりです、支援を続け、思いを寄せてくださり本当にありがとうございます。みなさんがすでに8ヶ月くらいたった今もラハイナのことを心配し、祈ってくださっていること、関心を持ってくださっていることが、わたしたちのはげみになっております。ここ一ヶ月ほどいろいろバタバタしていてなかなかラハイナの状況アップデートできずにいて申し訳ありませんでした。その間にもいろんなことが起こってはいて全てをカバーしようとするとまとまりがなくなってしまいますのでできるだけ簡潔に、そして今後はまめにちょこちょこ気がついたことなどを書いていこうと思っております。いろんな面で復興が進みながらもなかなか解決しきれないような問題もたくさん残っておりますが、ラハイナの住民たちはここの復興が住民主体で行われるかどうかは将来のハワイ全体の見本なることを意識し、全力で頑張っています。政府が住民の思いを無視したようなことを決めても住民からの証言や署名がたくさん集まりその決定が覆されることもしょっちゅうです。何度もレポートでも書いていますが、住宅問題はいちばんの課題であり続けています。ホテルで、いつまでそこに滞在できるのかわからない不安や、落ち着かないストレスを感じながらあちこち移動させられるのはもう嫌だと自分でお金を払ってでも落ち着いて長期で住めるところを探す人も多く、少しずつではありますが、FEMA から支援を受けずに個人的に見つけたところに引っ越す家族も多いし、いろんなルールや手続きが大変で結果FEMA や赤十字の支援から外されることになる人も出てきたりしていました。しかし支援が受けられない状態になった人でもその後Council of Native Hawaiian Advancement やMeo’sTANIF、Kakoo Haleakala に相談に行ったところ、親身になって相談に乗ってくれ、最終的に家が見つかったという家族も多いようです。FEMAで受け付けてもらえなかった家族や、FEMAでサポートしてもらいきれなかった部分の相談に乗ってくれるようで、とてもいい流れだと私は思っていますが、何よりこういった団体のインフォメーションや支援のための手続きなどを調べるだけでも被災者の方々は大変だろうなあと思ってしまいます。また半年経ってやっとか、と言いたくはなりますが、最初政府があまり乗り気でなかった仮設住宅、タイニーハウスビレッジのようなものの建設も進み始めたように見えます。日本のユニクロの柳井社長も自社が所有しているゴルフコースだった土地の中に仮設住宅を50軒建てることに着工しました。そこにはゴルフコースの従業員の被災者が住むことになり、家具や電化製品なども備え付けられる予定。カフルイでもキングズ教会が中心となって建てられてきたタイニーハウスビレッジがここにきてかなり進んでいるように見えます。ほんとに家が必要な個人にタイニーハウスを作って寄付しているHui Homes も第2フェーズに入り、当初より大きいサイズのファミリーハウスを作ることを始めたり、オロワルの古いコンテナーをたくさん手に入れてそれを改造して住める状態にして寄付する活動をしている団体もいます。自分の住むところが落ち着かないのは何よりストレスだと思います。そして家があっても火事の前から家賃、不動産の高騰は問題になっていましたが、今や、現実的でないような高騰ぶりで、被災していない住民にもその皺寄せはきています。条例では禁止されているものの、家を貸しているオーナーは被災者のために貸し出すと国から通常よりずっと高い金額をもらえることが多く、そのために借りている人の契約を打ち切ることも多かったり、一般的な一軒家は一月9000−10000ドルの家賃を支払われているようなところもあるようです。政府の支援があってこそ借りれるかもしれませんが、支援がなくなっても家賃が下がることがない場合は大問題です。物価も家賃と同じようにどんどん上がっていて、止まることを知らないかのようです。円安もあって日本人観光客はコロナ収束後もあまり戻ってきた感じがありません。毎年来ていたリピーターさんたちも物価の高さ、宿の高さ、レンタカーの高さにハードルが高くなってしまったと口々に言っていますが、本当にその通りで、住民にとっても大きな不安要素です。今後どれだけ住宅問題が減っていくかがとりあえずはラハイナ復興のファーストステージだと思います。次に来るのが家や建物を新たに建てるフェーズ、これについては敷地内を更地にする動きは進んでいます。ただまだ水道や電気など回復だけでもかなり時間はかかりそうです。ラハイナの住民たちが中心となり、住民の意見が反映される復興をということで本当に頑張って動いてくれています。ここ最近では短期のバケーションレンタルを少しずつフェードアウトしていく動きの条例や地域のゾーニングの決定など大事な議題がいくつかあり、その議題が却下されないよう住民の協力を求め、多くの人に証言や懇願書を送るよう声がかかっています。ラハイナの人たちはこの復興がこの先のハワイの行く末にも大きく関わっているという意識を持ち、ここで住民の思うような復興ができればそれがいい前例となり、他のハワイの各地でもムーブメントが起こるだろうし、反対にここで大資本や開発業者の思い通りになり、昔から住んでいた人たちが住めない場所になってしまったら他の場所もそれに続いていくだろうという危機感を持ち、本当に頑張って動いているように私には見えます。若いリーダーたちも生まれ、めんどくさい問題一つ一つに関わり、発言やアピールを繰り返してくれているのも頼もしいです。お金がなくて土地を売らなくてはならない人がラハイナに残れるように。また開発業者の手に渡って大きなリゾートが立ってしまわないようにとランドトラスト(そういう土地を買取、保全に努める)の団体も生まれました。本当に色々大変な作業ではありますが、やらなければラハイナが失われてしまう。自分のクリアナ(生まれてきた使命)はこれだからと頑張っている若者たちに拍手を送りたい思いです。先日はビッグアイランドからわざわざ集めた寄付を届けにきてくださった方もありました。彼女は寄付を集めただけでなく、ファンドレイザーの際にリターンで自分の得意とするリーディングやヒーリングを提供、それに応えた多くの人のために、今ヒーリングセッションなど大忙しのようです。私たちが度肝を抜かれるくらいの金額を集めてくださいました。ほんとうにありがとうございました。彼女からもぜひ動物支援も!とリクエストがありました。火事のあと、ペットがいるから借りられる家が見つからない方も多く、HARF (ハワイアニマルレスキュー)ではペットにエモーショナルサポートの資格を付与する手続きを手伝ったり、ペット付きで借りられる家を探してくれる支援も始めているようです。またラハイナの被災者には無料でペットのデイケアをしてくれる団体もあります。そういうふうに困っている人に必要な支援をする新しい団体やサービスも流れに合わせて生まれてきています。ラハイナのお店やモールも続々と再スタートしているし、まだまだですが前進しているのを感じます。まだまだいろんなところでラハイナのことを聞かれます。気にかけてくださってる方々の思いもお金と同様大きな支えになってます。いろんなことが起こっているのになかなか細かくアップできてませんが、これからもできるだけまめにアップしていこうと思います。ところで私は数日前から日本にいるのですが、帰ってきて数日鎌倉の実家におりました。すぐ近くにある鎌倉の小さな本屋さん「海と本」では、「Dear Maui」のブックフェアをしてくださっています。「海と本」は、江ノ電長谷駅から数分、長谷観音の入り口にあるビルの3階にある小さな本屋さんですが、とっても素敵なセレクトされた本が並んでいるお店です。マウイブックフェアは、3月24日から4月14日までしてくださるそうで、なんと初日の24日は巨匠佐藤秀明さんがいらっしゃるそうです。4月14日に海と本に在廊します。14日お暇な方は鎌倉にいらして春の海や新緑の綺麗なお寺散歩を楽しみながらぜひ海と本に遊びにいらしてください。インフォメーションはこちらです。https://umi-to-hon.jpラハイナの話などなんでも聞いていただければお話ししたいと思っております。また東京でも代々木上原の「CITY LIGHT BOOK」で4/19-24でブックフェアがあります。そちらでも写真や文章のコントリビューターの座談会などを企画しているようなので、興味がある方はぜひ https://littlegiftbooks.com/ をチェックしてみてください。画像1: ラハイナの以前の姿 (C) Hideaki Sato画像2: 火事の後のラハイナ画像3: 再開したラハイナのショッピングセンター、Lahaina Cannery画像4,5: Dear Maui と、Dear Maui から、ラハイナ浄土院の灯籠流し By 岩根愛画像6: 鎌倉の小さな本屋さん「海と本」