2024-11-22

ラハイナレポート #38— People Power  (2024年5月8日)


みなさん、こんにちは。ながらくご無沙汰して申し訳ありませんでした。
一ヶ月半ほど日本に帰国しておりました。
なかなかマウイの状況をアップデートできずにいましたが、その間にたくさんの重要な出来事もありました。また日本にいる間は、各地でいろんな方からマウイに対する想いを伺い、支援をいただきました。八ヶ月以上たった今でもそうやって皆さんが心配や気にかけてくださることに本当に心から感謝いたします。

まず被災者がいつまで住めるのかわからない不安を抱えながらホテル暮らしをするのではなく、落ち着いて住めるところを提供する努力をしてほしいという思いから始まったFishing for housing というムーブメントについて。昨年11月10日から始まり、カアナパリビーチ、ホテルが立ち並ぶ海岸にテントを設置し、前向きな変化がない限りそこを立ち退かないという決意で、支援者が交代しながらそこで生活を続けていました。もちろん晴れて穏やかな日ばかりではなく、波が高くなりテントにまで水が入ってきてしまう日もあり、対策として砂に土手を作り、溝を作ることで守ったり。暴風雨で一時的に避難が必要になるなどの状況にありながらも、大勢のサポーターが差し入れを行ったり、手助けをしながらその活動は続いていました。そして、175日間という長い期間、その活動は続けられました。

政府としても、もちろんなんとかしたいと思っていたとは思いますが、何しろ今回の火事以前からマウイにとって住宅問題はいちばんの課題でした。住民たちが家賃が高すぎて家を借りられなくなったり、そもそも借りられる住居が本当に少なく、その全てが観光客向けの住居、別荘、バケーションレンタルになってしまっているという問題があり、今回の火事でさらにその問題は深刻になったというわけです。

ラハイナ・ストロングというラハイナの若きリーダーたちが中心になって証言を集めたり、ホノルルの知事のところまで何度も通って懇願書を出した結果、今回、彼らが望んでいた条例が議会を通り、知事の承認を得て、法律にすることができました。また彼らが反対していた法律、ラハイナの復興のイニシアチブをマウイ郡でなく州に譲り渡すというものも住民の証言や反対で却下され、マウイ郡、住民の声が反映されやすい形を取り戻すことができました。これらは住民の大きな勝利、努力の成果そのものだと思います。

彼らが休みなく一生懸命ラハイナのために動き、ビジターと話をして理解してもらえるよう教育したり、コミュニティー・イベントを開催してきたことが全て前向きな復興につながっていくように思います。そして何より、彼らの姿勢はどんなに大変でフラストレーションがたまる状況においても、常にアロハを持って行動することの素晴らしさを見せてくれました。住民の力、声が政府を変えていく、それを見せてくれ、未来に希望を持たせてくれたことはとてもポジティブな出来事だったと思うしこれからもいろんな場面でそうあってほしいと思います。

復興のための事業などのためにさらに別の予算をとっておくための議案SB581も進行中で、貴重な水をむやみやたらに引水することを規制する法案、SB2690も進行しています。

People Power これがしっかり確立され続ければ、ラハイナはしっかり住民が望んでいる形で復興することができる。そう信じることができます。これはラハイナに限ったことではなく今回の勝利はハワイ各地で住民の意見が反映される政府へのカレントを作ったと思います。

さて、日本にいる間にはいろんな所でいろんな方に会えました。鎌倉の小さな本屋さん、海と本で開催されたマウイ本のイベントには佐藤秀明さんもいらっしゃり、出版したリトルギフトブックスの増本さん装丁を手がけた皆木さんはじめ、たくさんの方がいらして途中在庫が売り切れてしまい。大急ぎで追加を倉庫に取りに行ったほど。本当にありがとうございました。ここにはちょうど帰国していたこのメンバーの一人かなちゃんもきてくれ、またゴーファンドミーページのネット担当として手伝ってくれている柳沢なおさんも顔を出してくれました。

ゴーファンドミーで寄付してくださった方も多くきてくださり、直接顔を見てお礼ができたことが本当に嬉しかったです。

今回私は鎌倉から西表、石垣、再び鎌倉、その後、種子島、鹿児島、宮崎と移動しましたがどこに行ってもラハイナに寄付してくれた方、あるいは寄付を渡してくれた方、偶然たまたま寄付してくださった方がそこに居合わせたり、など偶然の出会いもたくさんあり、会うべき人にたくさん会うことができ、またラハイナの現状などを直接お花することもできてよかったです。

ラハイナのためにチャリティーイベントを開催してくれた青島の仲間たちのところにも行きましたが、そのイベントは市からも喜ばれ、またハワイ宮崎県人会からもサポートを受け、このままマウイと姉妹都市関係を結べないかという話まで出ているそうです。
日本国内でも能登地震の被害などもありましたし、火事から八ヶ月経ち、ハワイへの関心は薄れているだろうと思っていたのですが、多くの方々からの思いや行動に感謝することしきりでした。

今日はマウイに戻ってきてから初めてのPray for Maui from Japan のコミッティーメンバー4人でのミーティングでしたがいろんな話ができました。しばらく支援先などを決めずに様子を見ていましたが今後どういった人たちや活動にお金を送り支援すべきかなどかなり突っ込んだ話し合いもできました。いろいろ目まぐるしく状況が変わっていく中、私たちはできる限り大きな団体などがカバーしきれない隙間を埋めていくような支援ということを念頭においています。最も困っている人たちは誰か、どんなところへの支援が今一番必要なのかをこれから一週間ほどそれぞれのメンバーがリサーチしたり、情報を集めたりすることを宿題とし、また近いうちにミーティングをし、いろいろ決めることになっています。

瓦礫の撤去もまだまだ先は長いですが進んではいます。そしてラハイナのお店や飲食店なども少しずつ再オープンするところが増えてきました。仮設住宅もいくつかの場所にでき始めました。(結局建てることになるなら最初から政府が前向きにこのオプションを考えてくれていたら、二ヶ月くらいで住む場所ができてたのになあと言いたくなりますが)赤十字やFEMAも撤退のタイミングを探っているようにも見えます。それぞれ保険から出ているお金やシステムは違うとは思いますが、被災した方々みんなが保険でしっかりカバーされ、いざ家を建てられる状況がきた時、もうもらった保険金は使い切っちゃって家を再建する資金がないなんてことになりませんように、と心から祈っています。それくらい家賃が驚くほど高額で、一軒家だと月5,000ドルは普通のようです。

どうかラハイナで被災した方々すべてが不安を持たずに前向きに生活できる状況になっていきますように。

画像1: 住民の努力と強い願いが新しい法律を作った記念すべき出来事。
画像2,3: 鎌倉の本屋さんでマウイの本のイベント開催の様子と、最後まで残ってくださっていたたちと記念撮影。イベントでのトーク、たくさんの人が来てくださいました。ありがとうございます。
画像4: やっと被災者を受け入れ始めたホープビレッジ。カフルイの街の中に建てられたタイニーハウスの仮設住宅は80戸ある。

No comments:

Post a Comment