2024-11-22

ラハイナレポート#42 — 祈りも思いもしっかり届いて力になる。(2024年8月6日)

みなさま、お久しぶりです。

とうとう7月も過ぎ、8月に入りました。ラハイナの火事からちょうど一年になると思うと短いようでこの期間ずっと住むところや、将来、お金、さまざまな心配と、ありとあらゆるわかりにくい手続きをし続けてきた被災者の皆さんたちのことを思うとどんなに大変だったろうと思います。

そしてそんな被災者の方々のニーズや困難は毎日、毎月変化していきましたが、その問題に合わせて生まれる支援団体やプロジェクトもたくさんありました。実際に被災した方だけでなく、日々変化する問題や課題に柔軟に対応し、サポートしてきたたくさんの人たち、特に国や政府のシステムではどうにも回しきれない部分や、ハワイならではの価値観とは違うやり方で動くシステムに抵抗を感じるローカルの思いに寄り添った形で色々動いてきた方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

全てに関わるのは無理でも、自分が特に思い入れのある分野や場所、あるいは関わりたいと思うところにそれぞれが少し関わるだけでも、ちょっと遠くから見るといろんな人がいろんなところに関わっていて全体的にもいい方向に進む、そんな様子が見えてきました。
特にラハイナの人たちの「絶対にラハイナを開発業者の手によって他のリゾート地のようにはさせない」「昔ながらの価値観を取り戻し、何世代もの家族が長く暮らし続け、失われつつあったハワイのサステイナブルな生き方を取り戻しながら子供達は良い価値観を持ってラハイナを守り続ける大人になるような教育にも力を入れる」そんな強い想いを持ち続け、本当に頻繁に開かれるコミュニティーミーティングや政府との話し合いにもたくさんの人が自主的に参加しているのを見ると、自分のことをやるだけでも大変なのに本当によく頑張ってくれてるならと頭が下がります。

先日嬉しいことがありました。毎年、ESPNというスポーツ専門のテレビチャンネルがその年、様々なスポーツで活躍するアスリートを表彰するイベントが毎年開かれていますが、その中で人道的に素晴らしい活動をしたスポーツ選手というカテゴリーにMaui surfing commnity (マウイのサーファー全体)がノミネートされ、見事受賞しました。通常は一人の選手が受賞するような賞だと思うのですが、今回のラハイナの火事においてマウイのサーファーたちがいろんなところでいろんな形で支援や救援に関わった、そのサーフィン・コミュニティー全体に対する表彰でした。

私もいろんなところでサーファーたちが頑張っていたのを目の当たりにして誇りに思ったし、自分も、そしてこのゴーファンドミーを立ち上げたメンバーもみんなサーファーでそれぞれできることを頑張ったという思いはあるので自分たちも受賞した気分で、マウイのサーフィンコミュニティーが今回だけでなくいろんな場面でそうやって助け合ってきたことを知ってるので、とても誇らしい思いでした。代表としてラハイナに何代にもわたって住んできたハワイアンリーダーのアーチー・カレパを筆頭にビッグウエイブサーファーそして世界的なウオーターマンとして知られるローカルサーファーたちが代表で授賞式に参加し、素晴らしいスピーチをしてくれました。

全てを書き出すのは無理ですがマウイのサーファーたちの特に印象に残ってるものをいくつか書き出すと、

・島の反対側と完全に隔離されて、孤立し、物資が届いていなかったウエストサイドに、海からジェットスキーや船をつかって毎日夜明けから日暮まで、さらにはウエストサイドに寝泊まりしながら被災者たちに必要な物資を届けました。(普段ジョーズなどのビッグウェーブに乗っているサーファーやセイフティー・クルー、そして漁師たちが中心となって活動しました)

・オーナー自ら自宅を含め、数軒の家が全焼したマウイの一番大きなサーフショップハイテックは、すぐさま物資を運び、配布するハブとして動き、多くの寄付された物資を整理し、いろんな避難所や個人に届けながらどんどん変わっていくニーズについての情報発信を続けました。またオーナーのキムはラハイナの復興アドバイザーの一人に選ばれ、今でも個人レベルでも政府レベルでも忙しくコミュニティーんために動いています。

・シェイパーのJed Lauは、自分のサーフボードに乗っていた子供たちに燃えてしまったボードの代わりになるサーフボードを提供し、ラハイナ側では波乗りができなくなった子供達を島の北側に招き、自由に使えるサーフボードをビーチに並べ、「みんなの心を少しでも海で癒されれば」と小さなイベントを企画したところ、それが巨大なムーブメントとなりました。ボードをなくしたサーファーにサーフボードを寄付したい、と何百本ものボードが集まり、また子供達のためにみんなで楽しくサーフセッションをしようという企画に多くのプロサーファーが参加して子供達を喜ばせました。このボードリプレイスメントプロジェクトはマウイだけではなく、オアフからも本当にたくさんのボードがコンテナーで届けられ、カウアイ、ビッグアイランドからも船に乗せて届けられました。カリフォルニアでもその話を聞いてサンタクルーズを中心にみんなが声を掛け合い、板を集めてマウイに。送られたボードの中にはたくさんの有名なサーファーからのサイン入りボードなどもあり、それが一本また一本とボードをなくして海に入れないと悲しい思いをしていた被災者のサーファーたちの手に渡る時の彼らの嬉しそうな様子が忘れられません。

・影響力のあるサーファーたちは自分たちのスポンサーに声をかけ、グッズや資金の寄付をお願いしたり、SNSで情報を発信しながら世界中に声をかけ支援を募り、自らもイベントや支援活動に積極的に活動しました。

・マウイの数人のトップサーファー仲間たちが火事直後一番足りなくて手に入らないものがガソリンだということを知り、島の中心部で手に入るだけのガソリンを持っていき、それを必要な人に配る活動を毎日繰り返していた。

もちろんサーファーだけではなくマウイ中がこんな風にそれぞれできることをやっていたのですが、普段波のことしか考えてない、ややもするといい加減でふらふらしているように見られているサーファーたちが波の良し悪し関係なくあちこちで海のコネクションを駆使してラハイナのために動いていたことが評価されたのはとても嬉しいことだったし、そんな選手たちを見た子供たちがそれを見本に同じように人が困ってる時に動ける大人に育って行ってくれたらいいなあと思いました。


ちょっと個人的な話をひとつ。
実は私は一ヶ月ほど前マウイのサウスサイドに位置するビーチパークで車を盗まれました。観光客も多く賑わっていた公園の駐車場で、普段から練習しているダウンウインドフォイルというものの終点として利用している場所なので、何の不安もなく鍵を隠して仲間の車に乗って出発点に移動して、そこから10キロほどかけて海を漕いで戻ってきたところ、私の車があったはずの場所にありませんでした。警察によるとそういった盗難はものすごく多くて、おそらく隠していたところを影で見ていてその鍵をとって車で逃げたのだろうとのこと。家に急いで戻る途中にすでにいくつかの銀行からは連絡も入り、車の中にあったお財布の中のクレジットカードやバンクカードが一斉に使われていました。その後最初の一週間はクレジットカードや保険、連絡などで大わらわ。まずは車もないし、車の中には荷物が山盛りに入ってて、海で使うギアも全て入ってました。一年前から準備しトレーニングしていたレースは3週間後に迫っていたのに、道具が全てなくなって、途方に暮れる思いでしたが、最初はショックというかやることがあり過ぎてサバイバルモードだったのでがっくりする暇もないくらいでした。

盗難の翌日、まだまだクレジットカードの被害がどれくらいかも把握できてないなか、重い気持ちで朝を迎え、コンピューターを開くと、すでに仲間が私のためにゴーファンドミーを立ち上げてくれていたことを発見しました。そしてページを立ち上げてから数時間しかたっていないというのにすでに6000ドルくらい集まっていてびっくり。大慌てで立ち上げてくれた仲間に連絡すると「友子に聞いたらきっと断られると思ったけど絶対みんなこのチャンスに友子を助けたいと思ってるから!」とすでにお金が集まっていることを喜んでくれていました。申し訳ないやら、でも本当にその気持ちが嬉しく言葉になりませんでした。マウイは東北支援の時もラハイナの時もみんな直ぐに反応してできるヘルプを差し伸べてくれていたことを思い出しました。他の機会にも住民の誰かが大怪我をした、子供が重病にかかった、そんな時、直接の友人でなくても困った時はお互い様という気持ちでみんなが協力し、大きな助けになってきました。

今回のラハイナでもみんなが支援物資を買い込んでいるのを見たし、先のことなどは考えずにまず目の前で困ってる人のために動いてました。支援のための物資をわざわざ買い込んで、届ける人たちでスーパーが大混雑していることもありました。道路が遮断され、隔離されていた住民に最初に支援物資を届けたのは決してお金持ちではないお隣の島、モロカイ島の住民たちでした。夜赤く燃えているラハイナが見え、朝には釣った魚や果物、野菜をはじめ、必需品などを船に山盛りにして現れ、それは毎日続いたそうです。

私は飛行場近くの街の中で動いていました。普段海でしか見かけない仲間たちがありとあらゆるところでできることをしていました。海にはしばらく入れずにいましたがそんな仲間たちとほんの一瞬お互い何か助けになることをやれているという喜びを交換できてある種の充足感すらあったのを覚えています。

実際に被災した人たちはそこまで気楽な気持ちには決してなれなかったはずです。それでも皆さん、身一つで生活しながらいろんなところでヘルプやアドバイスを受けながら1日1日少しでも落ち着くように頑張っていました。今思うと当たり前にあったものが全てなくなって体一つで放り出される気持ちなんて実際経験しなかったら分かりようがない、と実感しています。

車がなくなっただけでも本当に頭では人生どうにでもなると思っていても、一週間くらいたってから見たこともないような悪夢にうなされたり、呼吸困難になったりして「私思ってたよりメンタルやられてるのかな?」と思ったほどでした。たかが車でこんなことになる私、ラハイナの人たちは家ごとなくなり、住むところも、通っていた学校も、家族や親しい隣人を亡くした方も大勢。その状況を1年間生きてきた、今の私には想像もつきませんが、気の遠くなるようなプロセス、精神的な重圧であることだけはよく分かります。
色々やってきた中でも自己満足だったり、あまり役に立てなかったことも多かったかもという反省も自分の経験から理解することができました。

と同時に大金だけが困った人を助けるわけでないこともよく分かりました。もちろんお金、特に何にで使える現金は一番ありがたいと思います。実際当たり前に必要だったものがなければそれは買うしかないのにお金がなければ買えませんから。(私たちもそういう自由に使える現金、縛りのない支援金を届けたいと思いゴーファンドミーを立ち上げたのでした)

私を助けるためのゴーファンドミーは私の予想を遥かに超えるスピードでどんどん膨れ上がる、その日のうちに10000ドルを超え、私はオーガナイザーの友人にもう十分だから、ストップしようと提案しました、もうみんなから十分助けていただいた、本当に心からそう思ったからです。でも彼はみんなが送りたいと思っていても忙しくてページに行き着かないかったら可哀想だし、ともこはもっといい車を買ったほうがいいと20000ドルまでは頑張ろうといいます。私集まった金額が膨れ上がってるのを見るのが怖くてページを見れなくなりました。でも二日目の朝に恐る恐る覗いたら、すでに20000ドルも超えているではありませんか!今度はこれでストップしてくれとはっきりお願いし、ただみんなへのお礼もしっかりできてないのでページ自体はそのまま置いといてアップデートなどで皆さんに報告できるようにしておいてもらいました。

結局金額的にも盗まれた車とギア全てとまでは無理かもしれませんが十分カバーできるほどの支援が集まり、そのリストを見たら親しい人はもちろん、もう何十年も会ってない人、決してお金に余裕があるわけではない人も。何より見た途端涙が出たのはラハイナで全てを失った被災者の人たちの名前が続々と出てきて、こんな大したことないことなのに彼らの方がずっとずっと大変な思いをしてきたのに、とどれだけ大変なことか、改めて実感したと同時に失うという痛みを知ってる彼らだからこそのカンパなのかもしれない、と本当に感謝と感動が溢れて止まりませんでした。本当にありがとうございました。

二日間だけのゴーファンドミーでしたが最悪の事態がアロハと優しさにアップアップするくらいの心温まる出来事に変わりました。大変であること、バタバタでいろんな処理に走り回りましたが、それも皆さんがこれだけ応援してくれてると知ることでそれがエネルギーになり、落ち込んで塞ぎ込んでる場合じゃない、みんな私が復活できるようにここまでしてくれてるんだと本当に支えてもらいました。

ゴーファンドミーだけではありません。本当にいろんな形で、見えるもの見えないもの、いろんな形で助けてもらいました。この経験は大げさでなく一生忘れないものになったし、愛って本当に物凄い力があるんだと実感させてもらえる素晴らしい経験となりました、皆さんのおかげです。

今まで私も困ってる人がいてもあまりお金に余裕がなく、大した金額募金できないとかこんなちょっとじゃあげるの失礼かななんて思ったことも多くありました。でも今は違います、お金以外にも困ってる人を助ける方法はいくらでもあり、どんな人にもできることがある、笑顔を向けるだけでも違う時もある。思っているだけでも変わることもある、本当にそう実感しています。

なので皆さんが一年たった今でもこうして関心を持ってレポートを(毎回長々とおつきあいさせてすみません)読んでくださっことだって違いを生むことなんです。そして支援イベントや何かの集まりにみんなでラハイナのことを話したり、早く復興しますようにと祈ったりしてくれてるだけでそれが大きなヘルプになるんです。どうかそのことを忘れずにラハイナだけでなく、何か惨事が起こった時、周りで誰かが困っている時に思い出してください。

8月10日には燃えてしまった3つのお寺が合同でラハイナモールにおいて盆ダンスを開催します。これらのお寺は日系人、日本人の人のみならずラハイナの住民に大きな存在、憩いの場を提供していました。今回の盆ダンスはこの一年の区切りになるものではないかと思います。なくなった方をみんなで弔い、今後も一つになってラハイナの価値観、素晴らしさを残していこうという決起集会のような意味合い、ラハイナ住民、また支援してくださった人たちの想いが集結し、復興へのマイルストーンとなる意味深い行事になるでしょう。

皆さんも遠くから一緒に祈りを捧げてくださると嬉しいです。
ゴーファンドミーを通じて、そして他のいろんな支援を通じてこの一年で本当にたくさんのご縁をいただきました。それが今回だけでなく、これからもいい形で広がっていくことを心から願っております。

画像1: 燃える前のラハイナ浄土院での盆ダンス風景

画像2: マウイのサーファーコミュティを代表してESPY Sports Humanitarian award を受賞するマウイのローカルサーファーたち

画像3,4: 火事直後道が閉鎖されていた時に海から物資を届け続けたサーファーたち。船とジェットスキーで連携してビーチに物資を運んだ。政府や軍からの救援が届かない最初の一週間ほどはほとんど住民が協力しあってできる限りのことをしていた。

画像5: サーファーだからこそ被災したサーファーたちの気持ちがわかる。なくなったボードを取り戻せるように、あるいは海に入れるようにいろんなプロジェクトが動いた。

画像6,7: どこよりも最初に火事を海を隔てて見ていたモロカイ島からたくさんの民間の船が救援物資を持って海を渡ってきた。

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