2016-02-29

2月29日 ガールフレンズ

持つべき物は友達、特に困っているとき落ち込んでいるときは。

腰が痛くて自由に動けず、波がいいというのに家で引きこもりの毎日だったけれど、友人たちがご飯を持ってランチに来てくれた。2日に分けて雪ちゃん、アッコちゃん、まりちゃん、かなちゃん、オータム、奄美のゆきちゃん、みんなで美味しいご飯を食べながら久々のおしゃべり。

特にオータムやかなちゃんは私が落ち込んでいるときは押しかけてご飯を持っていくのが一番とわかっている笑
まりちゃんはこんなに忙しいのに来てくれた上にマッサージをしてくれ痛みで突っ張ってた筋肉をほぐしてくれ、お腹のあたりがかなり楽になった。

みんなありがとう。マウイの仲間はお互い困ったときはお互い様という感覚で気軽に助け合える雰囲気がある。家族がいない私にとっては何よりの心の支えでもある。
Maui no Kaoi!

2016-02-20

2月20日 離島トリップからのぎっくり腰

ここ1週間近くマウイを離れていた。オアフとカウアイ島で前からやろうと思っていたことなどをいろいろやっていたのだ。
特にカウアイ島ではレアードハミルトンのロングインタビューなどを久々にやることができ、彼の近況や最近考えていることなどゆっくり聞かせてもらえ、マウイからカウアイに引っ越した彼の新しい生活、ライフスタイルに触れることができてとても有意義なトリップだった。

カウアイは個人的にはハワイの中で一番魅力的であり、サーフィンに最高の島。写真や露出が必要なプロサーファー奈良オアフに行くしかないけどただいい波に乗りたい、うまくなりたいと言うだけなら激しい競争もなく、メローなラインナップでいい波を思い切り乗れるカウアイがいい。
どこに行ってもみんなガツガツしていないし、譲り合って乗っている。それにマウイよりルールがしっかり守られている。離れイワンの中だけでも6箇所くらい違うポイントがあり、4箇所くらい乗ったけどどこもみんな良かった。
マウイだと日常の用事とかもあるしだいたい午後になると風が吹いてきてしまうので朝しか波乗りしなのだが、カウアイでは風が吹いてきてもトレードウインドだとオフショアになるので問題なし、折ろうと思えば一日中いい波で乗ることができる。そのためついつい欲張って普段よりたくさん波に乗っていた。

そのうえレアードの奥さんギャビーが地元のコミュニティーのために一回一ドルという破格の値段でやっているフィットネスクラスに参加したら、今までやったことないくらいハードなもので、ヘロヘロになり、身体中に筋肉が悲鳴をあげていたと思う。それでも朝起きて波を見ると綺麗にブレイクしているものだからついつい疲れた腰をさすりながらパドルアウト。
休んだほうがいいというサインはたくさん出ていたのに、やりたい気持ちが強くて波に乗っていたらボトムターンカトップターンの途中でグキッと背中に違和感を感じ、「あ、やばい、帰ったほうがいいな」とそのままビーチまで帰ろうとした時には既に遅しで立って漕ぐには腰に力が入らなくなっていた。
なんとか必死でレイダウンでパドルしながら岸までたどり着き宿までは戻ったけどそれから二日ほどはトイレに行くのすら脂汗が出るほどの苦痛。
ああ、せっかく一年半くらいぎっくり腰やってなかったのにやってしまった!

この冬はここ4、5年感じたことがないほど腰の調子が良くなってきていて、この一年くらい地道にリハビリを続けていた成果がやっと出てきて、85%くらい完治に近づいたと思っていたのだ。筋肉も戻り始め腰が痛くなる前に体が疲れる(去年までは筋肉が疲れる前に腰が痛くて止めていたので)くらいまで良くなっていて調子に乗っていたのかもしれない。後悔先に立たずだけど、一日休んでおけば、と自分の馬鹿さ加減が嫌になった。痛みもそうだが精神的にまたあの苦難の日々に戻るのか!?とがっくりきてしまった。
(ああ、それにしてもいい波ばかりだったなあ)
なんとか動けるようになり、カウアイでもマウイでも荷物を友人たち運んでもらったりしてやっとの思いで自宅に帰ってきたがしばらくはあまり動けそうにない。3月初めに日本に帰るので、私の冬の波乗りシーズンはこれにて強制終了、という感じだ。

ああ、いつになったら「適度なところで押さえておく」ことができるようになるのやら、自分の未熟さに落ち込んでしまう。


レアードのトウインボードが並んでいる廊下歴史を感じる。








 とはいえカウアイではしばらく会ってなかった大好きなヤグちゃんともゆっくり話せたり、古き良きハワイそのままの時間が流れるワイメアタウンに住むクレイグの家族や彼の素敵な友人たちと楽しい時間を過ごさせてもらったり、修行に来ていた原田さんともサーフセッションできたり(ぎっくり腰で迷惑をかけてしまったけど)レアードから新たな刺激をもらったりと有意義に過ごせたのは確か。
また来年も是非行きたいなあ。


 まずはまた一からやり直し、腰を直すことから再スタート。がんばろう。












2016-02-11

2月11日 もうすぐ5年

時の過ぎるはやさは人によって様々だけれど、5年という月日は誰に取ってもある程度いろんなことが変化があったり、長い月日だと言えると思う。
あっという間に一年が過ぎるといつも思ってる私でもこの5年間を振り替えてみると自分自身は変わっていないつもりでもいろんなことがあった。

5年前まだピアヒにはパドルインがほとんどなかった。(まずそこか、とも思うけれど、今は頭がビッグウエイブでいっぱいなので笑)誰もパドルデジョーズの波に乗れるとおもていなかった。それが今やチューブは当たり前の世界、下手したらラインナップに50人並んでいる。
5年前私はスタンドアップパドルでかなりやる気になって練習していた。脂肪がなくなってなんだかギスギスした体になるくらい筋肉質になってはいたが、ほとんど毎日まりこランをやりながらマウイモロカイにも挑戦し、いつかはこのまま頑張って何年か練習したら、モロカイ2オアフもできるようになるかなあ、とか淡い望みを抱いたりもしていた、(ただマウイモロカイをやった時点で腰が限界を感じていたのでちょっと無理かなという気持ちもあった)それから腰を痛め、痛いのにちょっと良くなったかなというトマt無理を氏というのを繰り返してどんどん悪くしてしまい、2013−14年は本当に歩くのも億劫なくらい、寝て過ごした冬もあった。そしてもうこのまま治らないんじゃないかと途方に暮れて落ち込んでる時期もあった。何をやっても悪くしている気がして治療やリハビリすら怖くなって、筋肉も落ち、6キロほど体重が減ったのに服のサイズは大きくなって真のない体になっていった。それが今では少しず巣ではあるけど回復に向かって行き、また動いても筋肉痛になる前に腰が痛くなるという状態から、筋肉痛を感じられるくらいまで運動ができるようになってきた。
それ以外にも人間関係でもいろんなことがあったりいろんなところで本当に私の考え方に影響を与えてくれる素晴らし友人にも出会った。
まあ自分の話が長くなってしまったけれど、それくらい5年間ていうのは長いのだ。

あのホラー映画からそのまま出てきたような光景だった震災ももう5年も前のことになる。あの時のなんだかハイになったような国全体の雰囲気はもうない。震災を忘れた人はいないだろうけど、今震災について、震災後の被災者の人たちについて親身になって考えている人は正直言ってあの頃の20%にも満たないだろう、申し訳ないことに私も多分その一人、考えてはいるけど何もじぶんから行動に移していない。人から何か言われて、自分ができることを手伝ったり、情報をシェアすることくらいしかしていない。そのことはとても申し訳なく思っている。
嬉しい時には時間はすぐたつけど辛い時悲しい時は時間は永遠に止まっているような気持ちになる。
なのにこの5年間もの間、いろんな思い、辛い経験をしてきた人たちがいる。その5年間はとてもあっという間に過ぎたとは言えないものだと思う。

今でもお子さんを震災で失った親たちが集まる会などもあるようで、でもその会に問い合わせはするものの、なかなか出る勇気が出ずに4年経ってやっと参加するというような人もいるらしい。人それぞれ傷も重荷も感じ方も捉え方も違う、でも震災の与えた影響が大きいことはまちがいなく、その傷や負担は彼らだけにまかせっきりにせず国全体のこととして考えられたらなあと思う。
そんな風に書いてる私ですら最近東北に行ってもいないしできることはいっぱいあるはずなのに何もやっていない。11日がまた来ちゃった、この一ヶ月何もしていない、と反省するだけ。

人の苦労や心の痛みを自分の痛みとして感じられる人間でありたいなあと思う。

2016-02-10

2月10日 Eddie NO GO

朝波をチェックするとまだおおきくなっていない。ウネリは午後から上がって夜中にピークに達するらしい。そして波のサイズが上がっている時間が短い。そのうえオンショアでぐちゃぐちゃ、ということでエディーのコンテストを開催するだけの時間波が持たないという結果になり、コンテストは延期となった。2月末までがウエイティング期間、でもまだまだウネリはきそうなので望みはある。それにしてもMavericksや遠いところではサウスアフリカからコールがかかって慌ててやってきたサーファーたちは大変だ。

朝はタイディーボールに行ったけれど、サイズはないのに水の動きが尋常でない。これからものすごいサイズが来るという兆候がありありで気が気でなくてあまり楽しめなかった、その後カナハに行ってみたけどこちらはそれほどサイズもなくダンパー気味。しばらくしたらオンショアが吹いてきて終了。

そしてマウイも午後から波が急激に上がってきた。全ての海がオンショアも加わって轟々と荒れ狂う感じ、こうなってしまったらもうあきらめもつく。


2016-02-09

2月9日 アウターリーフで鞭打たれ、カナハで飴をもらう


今日も風のないグッドコンディション。アウターリーフをチェックするとまあまあ自分にちょうどいい感じ。
今日こそはピーク近くまで行かねばと意を決してパドルアウトし、普段よりは奥の方でスタンバイするのだが、セットが来た途端チャンネルの方めがけてダッシュ、結局セットが来る頃にはいつもと同じ位置にいた。ツムラさんに「セットが来たとき逃げるときの漕ぎのスピードすごいねえ」と笑われたけどあの漕ぎがレースでできたら優勝だわ笑
でも普段アウターリーフだとビビりすぎて巻かれることすらない(巻かれないところにすぐ逃げちゃうから)のだが、今日は数回巻かれた。巻かれることがいいわけではないが、それだけちょっとは攻めようという気持ちだけはあったということ、にしておこう。アウターリーフといっても私が出てるときはまだここが本来のパワーを発揮していないときで、本来のここのポテンシャルが発揮されるときに喜んでやってくるビッグウエイブサーファーたちはでてこない。それでも怖いし、へこたれまくって、大して波に乗らなくても精神的に消耗し、クタクタになる。

一旦家に戻ってちょっと仕事をしてから夕方はカナハへ。カナハだとサイズが大きくても巻かれても全く気にならない。アウターリーフでびびってるサイズより大きなものでも平気で巻かれるのだが、メンタルブロックがなくなるといいなあ。そのためにはやはり潜りとか息を止めたり、ボードスピードを上げることで恐怖心をとりさらなくては。

そんなわけで朝はへこたれセッション、夕方はメローなファンセッションと飴と鞭両方いただいた日だった。



 もとはしくん、かなり調子良さそう。もとはしくんも潤くんもピアヒで乗ってから一枚皮がむけたようにチャージしている気がする。あそこの波に乗れちゃえばサンセットなんてカナハに感じられるんだろうな。

2月8日 Eddie is GOING!

水曜日から木曜日にかけて大きなうねりが続く予報、それに合わせてとうとうエディービッグウエイブコンテストが開かれることになった。毎年28名の招待選手が選ばれ、3ヶ月のウエイティングピリオドを持つこの大会だが、おっこ6年間解されていなかった。最後に開催されたのは2006年でそのとき優勝したのはグレッグ・ロング。それくらい本当に大きな波はここのところ来てなかったということなのだ。

でも今年は違う。1月に入ってから休みなく記録的なサイズの波が入ってきていて、今回もそれらのビッグウエイブをさらに上回るかもしれない波がやってくるらしい。
ワールドツアーでチャンピオンになるのもすごいけれど、このエディーの大会はどんな大きな大会と比べても完全に別格、トッププロたちが出場することを夢にまで見て、この大会に選ばれ、出ることはおそらくどんな大会に優勝することよりもプレスティージも高いし、サーファーとしては最も名誉なことだと誰もが思っている。
実際招待選手はレジェントからワールドチャンピオン、そしてワイメアで常に光っているようなアンダーグラウンドまでいろんなタイプもしかし、間違いなく大会で乗る資格を持つ選手たちのすごい名前がずらりとなら部、そして補欠でさえ、この人が補欠?というような名前がずらり。カイレニーでさえ、補欠の15番目くらいだっただろうか、おそらく今回は出ることはできないだろう。

前回開催されたのが2006年、だから招待されていても出られずにそのまま終わってしまう人だっている。だから補欠5番目くらいまでのサーファーたちはなんとか大会に出られますように、と今頃落ち着かないはずだ。

1995年だったと思う。スイッチという雑誌で50ページ近い特集でハワイのビッグウエイブをテーマに原稿を書かせてもらった。最初に書いたらと言われた時はまだ大学生だった私に、よくも自由に書かせてくれたと思う。
実は一番最初はエディーのコンテストやアイカウ自身を中心に原稿を書いていたのだが、なかなか書けないうちに5年も経ってしまい、そのうちにマウイでレアードたちがトウインを始めピアヒがビッグウエイブの頂点になってきた。原稿がズルズルかけずにいた5年間はちょうどそんな転換期だった。5年間の間にテーマがだんだん変わっていったが、エディーやワイメアで当時一番チャージしていたデレク、そしてクライドとのインタビューなども含め本当に意味のある取材をさせてもらった。夏の間オアフに滞在し、ビショップ博物館に通い、昔の新聞は資料をたくさん調べたりもした。最終的にはエディーアイカウについての話とレアード、ジェリー、デレクの3人に焦点を当てたビッグウエイブに対する思いを語ってもらうインタビューが中心になった記事だったけれど、あの頃からずっと私はビッグウエイブに向かっていくサーファーたちの精神世界やライフスタイル、なにがそうさせるのか、そしてビッグウエイブに乗るとき、その海の中で彼らはなにを感じ、なにを見るのか、強い関心を持っている。自分が乗れないから未知の世界が余計に魅力的に見えるのかもしれない。あの時の取材の時に感じたいろんな思いは今でもあまり変わらずそして同じような感覚を追い求め続けている気がする。

エディーはハワイアンにとって、そしてサーファー、ライフガードにとって、こうあるべくという見本のようなサーファーである。サーファーであるなら彼について少しは知っておくべくだと思うし、今時コンピューターで調べればいくらでも情報は出てくる。
波に乗るという行為は単に気持ちいいというだけでも自分の技術をあげてそれで勝つことが目的であるべくものでもないと思う。もちろんそれでもいいのだがもっともっとサーフィンから私たちが得られるものは意味深いより大きなものがたくさんあるので技術や勝負に勝つことだけに止めてしまったら本当にもったいない。海、そして波に乗るために海と向き合うことで私たちが生きていくために必要な教えのほとんどが学べるような気がする、自分さえオープンで謙虚でさえあれば。

エディーの大会を前に。世界中のトップ中のトップが、勝ちたいという気持ちより、その場に居られることに感謝し、みんな謙虚な姿勢でいることが強く印象に残る。水曜日の10日エディーのコンテストでみんなが素晴らしい波に乗れますように。日本人で唯一招待されている脇田プロも今まで努力してきたものがすべて海で出しきれますように。


2016-02-07

2月7日 Superbowl Sunday

今日はスーパーボールサンデー、ほとんどのアメリカ人が家でテレビにかじるつくフットボールの一番大きな試合がある日なのだ。この日の午後はみんな海に入らずテレビを見るので反対に空いてる海で楽しめる大いなるチャンスでもあるのだが、残念ながら今日のマウイはオンショアでジャンク。久々のジャンクコンディション(波は大きくなってるけど)なので、久々に体を休めることができる、ともいえる。
今日は溜まってる仕事をやってつけてしまおうと朝から仕事モード。仕事も体を休めることも必要だったのでそれはそれでいいか。

そんなわけで朝仕事をしているとカイレニーのお父さんから電話がきた。昨日駄目元でカイレニーにインタビューのリクエストメールを出しておいたのだ。でもこれだけピアヒが割れててMavericksからも帰ってきたばかり、そして明日からサンセットプロなんていうときにやれるわけがない、と諦めていた。ギリギリまで会えなければ電話でやりとりするしかないかなとか対策を考えておかねばと思っていたのだ。
今日の2時にはオアフに行くのでそれまでの時間に来れるならインタビューできると聞いて、全てをドロップして大急ぎでカイの自宅にダッシュ、その道で潤くんにも電話してもし時間があるならインタビューするとき一緒に行く?と聞いたら彼もすぐに出てきた。カイの話を聞けるチャンスは逃さないほうがいい、何を学べるかわからないからというのを潤くんもよくわかっているのだ。

そんなわけで家にお邪魔して1時間弱話を聞いた。かなり短時間ではあるけれど、彼の情熱とモチベーションが体からにじみ出るほど感じられ、この冬嫌という程やってくるビッグウエイブに完全にスイッチが入っているような感じだった。詳しいことは今シーズンのBLADEの巻頭で紹介するのでお楽しみに。
でも聞いてる私たちがやる気になり、元気をもらい、カイも自分もレベルの違いはあれどみんなそれぞれの目標に向かって試行錯誤、努力と葛藤とを繰り返しているのだと励まされた。

 カイはアスリートとしてもプロ選手としても超一流だけれど、何よりも情熱、やりたいという気持ちの強さがものすごい。おそらく、いや確実に、スポンサーがお金を出してくれなくてもいまやってることをやっているだろうし、お金がなくてできなかったら、自分で働いてでもやっていただろう。本当に興味深い話ばかりだった。横にいた潤くんもカイの話を自分の立場に置き換えながら消化していたように思う。明日からサンセットの大会。今回はピアヒでサンセット以上の水の量や波の大きさを経験し、カイの考え方ややってることなど話を聞いてまたさらに自信がついただろうと思う。
結果はどうであれ、去年よりステップアップしている自分がいるということ、それだけで私は十分だと思う。もとはしくんも潤くんも確実に去年より大きくステップアップしているのがわかる。羨ましい、自分はなぜ、、と自己嫌悪にならず、地道に努力を続けていればいつかは自分もステップアップが待っていると信じて腐らず頑張ろう。


2016-02-06

2月6日 新しい世界 Into the Big Blue

実は昨日緊張しすぎてよく眠れず、朝も4時半に起きてしまった私、まるで波が大きい日みたいな気分。落ち着いて心拍数を落とさないといけないのに、考えただけでドキドキしてくるからこれじゃあ、まずいと不安いっぱい。でもとりあえず落ち着いてるふりして待ち合わせの場所に行くけど、30分も早く着いてしまった笑

ウエットスーツを着てたかさんの言われる通り用意をしてワイレアのビーチへ。30年近くマウイにいてもこのビーチにはほとんどきたことがない、多分潤くんともっくんもそうなのだろう、もっくんはここいいですねえ、「初心者の女の子でもサップできるし、夜空も綺麗そうですねえ」と確かにそうだけどもっくんが言うと怪しく聞こえるから不思議。
そして怪しいといえばこちら、フルスーツがなかったのでタカさんのダイブ用ウエットを借りた潤くん。なんだか人間というより生き物。アバターの映画に出てきそうな感じ。


 私はボディーサーフィン用のフィンだしもっくんはそこらへんのレンタルで出てくるようなシュノーケルとフィン。ウエイトを腰に巻いてフルスーツきた私たちがパドルで沖まで行く様子はかなり浮いていた。
けれど朝日の綺麗なこと。水の透明度にキャーキャー言いながら沖へ。タカさんはもうずっと先にカヌーで言っていて、何やらセットしているけど半マイルくらいって言ってたけどかなり遠いし、かなり深いように見える。こんな深いところ大丈夫かなあ。
タカさんの詳しい説明でまずはタカさんが見本を見せ、そのあと潤くん、ヒロさん、もっくん私の順番でトライ。潤くんの落ち着きぶりは初めてとは思えないとタカ先生のお言葉、本当に落ち着いていて一回目ですでに10メートルクリア。ヒロさんも普段ダイビングガイドなので海の中はお手のもの、トライしているたびに慣れていってるようだった。
私ともっくんは耳抜きで苦戦。なかなか抜けず、無理いいこうとすると耳が痛くなり、絶対無理していこうとするのはいけないと言われていたので距離は伸びず。
その上私は確認せずに履いたからフィンを表裏逆に履いていた。あとで突っ込まれて慌てて履き直したがそれくらい緊張していたのだ笑
もっくんも貸してもらったゴーグルのレンズが潜ると真っ白に曇ってしまってかなりマヌケ顔になりからかわれていた。
まだまだ素潜りというよりは耳抜きの練習という感じだった。でも大きな波に巻かれたら結構深くまで持って行かれることもある、だから耳抜きもできるようにしておかないとダメだろうし。タカさんも最初は耳抜きでとっても苦労したらしい。何事も少しずつやっていけば出来るようになる、タカさんを見ているといつも励まされる。
(もっくんと彼を見守るタカさん)



 (かなり深くまで行って落ち着いて上がってくる潤くん)

(さっきまではへんな着ぐるみみたいに見えたのに、潜りがうまいと単にカッコよく見えてくる)
これはタカさんが潜っているときの動画。何より今日の素敵だったのは水の中ではクジラの鳴き声がうるさいほど聞こえること、深く潜れば潜るほどその声が大きいらしい。

無事講習を終えた頃には会場はかなり風が強くなっていた、コギ練気分でガンガン漕いでビーチに無事帰還。その後のヒロさんの愛妻カナちゃんが作って待ってくれていた朝ごはんのおいしかったこと!!

思ったようにはできなかったけど初めての経験ができ、また少しだけ全く違う世界を垣間見ることができた。次にやるときはきっともう少し落ち伝できるのでは?そしてその前に耳抜きをしっかりできるようにしておきたいので練習しなくちゃ。
100ft(もうあまりに遠くて姿が見えなくなるので心配になった)も潜り、2分間も潜っているタカさん、静止状態では6雰囲気を止めていられるタカさんを見て「ああ、これだから
ったらピアワンであんな巻かれ方しても平気だろうな、ピアヒでも落ち着いていられるのか」と納得。あそこまでは無理でも少しでもできるようになったら確実に波の中での自信がついてくるだろう。
亀のようなスピードでもいいから少しずつでも頑張っていこう、何よりあんな世界を見れてクジラの声の中潜れるなんてほんと全く新しい世界。最高の経験だった。それも気の合う仲間同士で!
タカさん本当にありがとう。一緒にやってくれた皆さんもありがとう。

2016-02-05

2月5日 体のチューンアップとフリーダイビング理論講座

今日は久々に和子さんに体を見てもらえる日。彼女は元オリンピックのスキー選手で、マウイに住んでいるご主人と結婚し、今ではこちらに住んで、ボディーワークをしている。ボディーワークといってもうまく説明できないし、詳しく説明すると間違ったことを書きそうなのであえて書かないけれど、いわゆる整骨とも違うし、ピラティスより深い、そして精神的な部分にまで深く関わっていく。体の正しい昨日を脳に学ばせることで正しい動きをさせるようなリハビリを教えてくれる。初めて和子さん位お世話になった時私は腰があまりに悪くて普通に立ってることすら苦痛な状態。そんななかほんとに少しずつ少しずつ出てくる問題を一つずつ解決していってくれた和子さんには心から感謝している。そして今はかなり状態がいいけれど、状態がいいよ、ということを見てもらいながら張りやすいところなどをリリースしてもらう。帰る時にはなんだか身体中の血の巡りがぐっと良くなり、軽くなった感じになる。日本でも4人くらい本当にお世話になっている先生方がいるのだが(それぞれ全く違う分野の先生)マウイでも彼女ともう一人日経のアイバン先生にはここ数年本当に助けられてきた。いざ動けなくなった時、心から信頼できる先生がいると言うのはとても心強い。
さて、夜はタカさんのところにみんなで集合。大きな波をやるためにはホールドダウンでも息を止めていられるという自信がなくてはダメ、ということで最近フリーダイビングにはまっているタカさんが素潜りを教えてくれるというので、まずは今晩理論の講義を受けるのだ。

潜る前の今日明日はコーヒーなどカフェインも、アルコールもダメとの禁止令にひろさんは辛そうだったけれど、まずは夕食前にある程度フリーダイビングについていろんなことを教えてもらった。本当に人間、そして生物の体の仕組みって不思議で面白い。
ついつい潤くんともとはしくんのピアヒチャレンジの話に盛り上がってしまい、脱線気味だったが、なんとか大事なことを教わり、あやちゃんとカナちゃんのご飯を美味しくいただきながらみんなで大いに盛り上がった。
タカさんはフリーダイブで息を止めた時に起こる症状を段階別に説明してくれ、この症状になってもまだ大丈夫、これはブラックアウトする前、ブラックアウトしても大丈夫、とか言いながらも見せてくれる動画が本当にやばい。ブラックアウトした人をみんなで慌てて水面に運んでいる様子や、ブラックアウト前に起こる酸欠の状態でサンバと呼ばれる症状(自分に行動がコントロールできなくなり、カチカチ踊るように動くのでサンバと呼ばれるらしい)や行動不信になってる人の動画を見せてくれて、これでも大丈夫、なんて言われても尚更怖くなるばかり笑
こんなもん一人でコンピューターで見てるタカさん、やっぱり変態だーとみんなが言うと「いや普段は見ないっすよ」と言ってる横で「でもパパ機能も見てたよ」と息子のアキラくんがつっこむ。まあタカさんのマニアックぶりは今に始まった事ではないが。

それにしても潜りができて、息が長く止められるようになれば、この波に対するビビリ病も少しは治るかもしれないので私としては是非とも少しでも覚えたいものなのだ。もちろん潜り自体も楽しめたら最高、タコが取れたらどんなに素敵だろう!
でも昔から私は水中への恐怖心が強く、明日の実技講座のことを考えると既にドキドキして心拍数が上がってしまう。とにかく心拍数を下げることが一番大事なのに、落ち着かなきゃ、と思えば思うほど緊張して寝られなくなる。大丈夫かなあこんなで、と腹式呼吸をしながら寝ようと努力する。明日が思いやられるが、楽しみでもある。



2016-02-04

2月4日 タイディーボールとレインズのファンセッション

(カラマ先生。最近お気に入りのロングボードっぽいアウトラインのボードでリッピング)
今日もグラッシー、少しサイズダウンしたというものの、まだまだどこも波がある。10時からこうちゃんと一緒にジミールイスの工場に行くことになっているので朝ほんのちょっとだけパドルアウト。カナハの沖が良さそうだったのでそこで1、2本乗ったら上がってハイクに向かおうと思っていたのにこれが思いの外楽しい友ちゃんサイズ、その上いつもほどにはボコッと掘れていない(それを喜ぶ自分も情けないが)なのでピークからバンバン波が取れたし、巻かれもした。このサイズなら巻かれても全く気にならないのに、これがある程度のサイズになると巻かれるところに近づくことすらしなくなるから小股ものだ。
このポイントは普段割れていてもだいたい4、5人しかいないし、それもだいたいがカラマとその仲間、ボックスブラザーズの面々。今日もカラマ軍団5人だけだったので私も十分波が回ってくるし、とっても楽しめた。
イアオ渓谷がバックになってとっても綺麗
ジュニアはカラマのいとこ、いつもスタイリッシュ。
普段はみんなを撮るばかりの私だが、今日はジェイソンが撮影していたので私も撮ってもらった。写真見ると反省ばかり。全然レールが入ってないし、膝も曲がってないし、自然の方向も全然ダメ。次回気をつけて乗ってみよう。

ジミーさんのところでは新しいモデルの話などをして2時間くらいで終了。その後私はレインズへ、こうちゃんはホキパへ直行。吹いてないかと思ったら7mでちょっとアンダーくらいのコンディション。波もサイズダウンしてオーバーヘッドなのだが、ストラップレスだったら私には十分楽しめるサイズで、実は今年に入って一番楽しいカイトセッションだったかも。
まあ、毎日波乗りやらカイトやら休む暇もない。エルニーニョ万歳!








2016-02-03

2月3日 カナハのカイトセッション

今朝は毎年恒例大先輩こうちゃんのお手伝いで彼が扱っているメーカーとの打ち合わせに参加。もちろん仕事ではあるけれど、みんな昔からのウインドの仲間でもあるのでいろんな近況も聞けてある意味楽しい時間でもある。
たまたま歩いていたらショーンが新しいとってもかっこいい板を持って出てきた。誰の板が出来てきたのかなあ、と思ったら、なんと自分用のウインドサーフィンボード笑、ピアヒガンのオーダーが世界中の大波乗りやプロから来ていて大忙しのはずの彼。私も色々話を聞きたいけど忙しそうなので連絡取るのを遠慮してるくらいなのに「この間すごくいいコンディションの日にウインドやったらまたもっと乗りたくなったんだよ」と言い訳するように言っていた。笑 いやいや、自分の楽しみ優先はサーファーの基本です。笑
そしてそこにやってきたのはミッシェルと息子のタイラー。ミッシェルは80年代後半から90年代にかけてフランス人の大波乗りとして知られ、、パートナーのビンセントと二人でピアヒでの党員も初期の頃からやっていた。そしてその息子のタイラーが今はyoungガンとしてパドルでピアヒをチャージしている。ちょうどここであった翌日はMavericksで今までで最も完璧なチューブをメイクしてインターネットで「このたいラーラロンドっていうのは誰なんだ、」と騒がれていた。ピアヒでもアルビーの次にウエストボール狙いでは光っている。まだ20歳これからも楽しみ。
 MFCのピオ、イタリア人典型の性格で大げさでいい加減ではあるが、いい奴でもある。そしてそれに振り回されながらもこうちゃんは頑張っている。ものはとってもいいし、契約してるわけではないがケリースレーターもジェイミーオブライエンも実はここのフィン愛用中。カイレニーがライダーで彼のフィンをケリーも使って大会に優勝している。
 クアトロのシェイピングマシーン。
クアトロのシェイパーキース。新婚旅行でマーシャル諸島から帰ってきたばかり。
さて、打ち合わせが終わった頃には周りの木がざわざわと言い始めていて、こうちゃんも気もそぞろの様子。お互いホキパとレインズへ。
(波が大きいときの常連マイク、今日はこのマイクとスティーブ、アレックスアグエラ、クルーザーと大きい日に必ず出てくる面々だけしか出ていなかった)
しばらく見ていたけどかなり風が弱い上にセットは巨大、完全にチャンネルはクローズアウト。昔はこれでも風が安定していれば出ていたのにな、自分は弱気になってるなあと自己嫌悪になりながら、それでもリスクが大きすぎると判断してカナハへ。
(男アレックス、ロビーさんよりもウインド歴が長いせいラーで未だ現役なのは彼だけではないだろうか?フォイルボードのレースなどでも未だに優勝戦線でがんばっている。)
 (メローで優しいスティーブ、もう60歳以上のはずだがビッグウウエイブ大好き。ものすごい巻かれ方をしてカイトも板もボロボロにすることも多い。)
(ナッシュのプロダクトマネージャー、ミッキー。大きな波のサップもウインドも上手だし、特にコナウインドのレインズになると生き生きとしてくる。)

カナハに行くと弱めの風、ちょうど潤くんもセッティングしているところだった、普段混んでてごちゃごちゃのロウワーズのいい波のところがガラガラウインドサーファーはほとんどゼロ。出てみると7mでちょっとアンダーだけれど楽しい!何より人がいないから自由自在。レインズでビビりながらチキンジャイブしかできずに終わるより今日はカナハに来て正解だった。そのうち何人かウインドが出てきたけど、それはリーバイとケビンプリチャード、彼らにしてもホキパは風が弱すぎて大きすぎたようだったので、私は確実にカナハに逃げて正解だったと気分が落ち着いた。

この冬はずっと風がなくてカイトができずにいたが、やはりカイト最高。あのスピード感はたまらないし、あのサイズの波を恐怖心なしでサップでは絶対乗れないから。サップでもあれだけのスピードが出せたらなあ。