2014-08-09

8月9日 夜明け前からパドルアウト

 昨日は海に出たのが7時前だったので絶対混んでいて乗れないと思ったし、何より寝不足と疲労でふらふらだったので遠くまで漕ぐ気がしなかったので家の近くのリーフでやったけれど,今日は是非とも一番好きなリーフで一本でも2本でも乗りたかった。だから3時半に起きて行こうと思っていたら,わくわくしすぎて2時頃起きてしまった。たまったメールなどをこなして3時半を待っていたらタイミング悪く眠くなり,ボートしてたら4時。あわてて出かけたけど真っ暗な中家の前のダンパーセットに何度か巻かれて時間を食い,アウトに出たらもう薄明るくなって来ていた。これでは出遅れたかも,と焦るながらもさらに沖へ漕いで行き,目指すリーフポイントへ。

やっぱりちょっと出遅れた感。すでにサーファーは10人近くはいっていたのでとにかく絶対邪魔にならないところから様子を見ながら写真撮りつつ少しずつ奥へと移動。みんなが乗り逃がした波が来るとあわててカメラをしまってテイクオフ。奥のピークからではないけれどそれでも十分ロングライドできるおこぼれの波に何本か乗らせてもらえた。けれど,1時間もするとさすがにかなりの人数。このポイントらしくないドロップインも結構あったり、二人で乗ってたりもあった。さすがにこれだけの人数いて,上手い人も多いから波取り合戦も大変なのかな。

岸を見るたびに続々とパドルアウトしてくる人がいる。ラインナップの真ん中にいるのはもう論外なのではじっこのショルダーから皆を見ながら,シフトしてくるセットに皆がやられたのをさらに一本頂いて、いやな顔されないうちに退散。誰のラインも邪魔しなかったと思うし,誰かがパドルしはじめたら絶対にその波には漕がなかったし,パドルアウトしてるだけでもあまり近づいて,目障りにならないよう気をつけながら写真を撮った。
まあみんなが好きなだけあって,良い波。
人数が多く,ラインナップには近づけなかったので会えなかったけどあとで四国で一緒だった篤くんも,スノーボード友達のシンゴマンや勝又さんもいたみたい。
普段ここで乗る人が車を止めるパーキングがこの二日間くらいクローズだからきっと空いていると聞いていたのだが、残念ながらそれくらいの障害でへこたれる人はいなかったようで,遠くに車を止めてサーフボードをかかえてあるいてきた人も大勢いたらしい。









みんながパドルアウトする前に4本くらい乗れた、ので充分満足、名残惜しいけれどこれ以上いても乗れないし、邪魔だと思われる前に退散、という事で湾の向こう側に移動。そちらはまだまだ人も少なく,波も昨日ほどはサイズがないので掘れない波も多くサーフィンにはちょっと物足りない。とはいえ十分サイズはあって最高に楽しい。まああの四国の波のあとだけに,全く怖さがなくいくら巻かれても笑って楽しめる。ここの波はバックウオッシュが強かったり,サイズがナイト割れなかったりマッシーだったりするのだが,上手く繋げると湾の一番沖からビーチまで500メートル近く乗れてしまう。今日も良いセットになればそんな風に乗れるので人数がいてもピークに戻ってくるまでに凄く時間がかかるし,沖のピーク、ミドルセクション,そしてテトラの前に陣取る人といろいろバラバラなので混雑は感じない。今日こそは9時までに上がって板持ってあるくはめにならないよう早めに上がった。かなり疲労を感じる,せっかく腰が良くなってきてるのでここで無理してまた悪く出来ないから大事にしないと。
 バハツアーで一緒だったエリートサラリーマンでありサンデーフィッシャーマンの秋元大君。
 でもウインドもサップも実はかなりの腕前。
これは某社敏腕営業マンかな?





 お昼は会いにきてくれた友人と近所でお昼。
ヨガ繋がりの友人だけどもう一人のヨガ仲間が偶然通りかかり,さらに嬉しい再会。
今日はどこでも素晴らしいセッションだったみたい。これは材木座
日本最古の人口の港はチューブ巻いてた。
由比ケ浜はダンパー天国。でもこういう日は人がいないからサップで出ても文句言われないので私は実は嫌いではない。

そんなこんなで8月は波乗り祭りだけれど,ふと気がつくと今日は長崎の原爆落とされた日。ノーテンキにナミナミ言ってるけど,そう出来るのも私達の前の世代の苦労と苦悩があったからこそ。長崎で行われた式典の動画を見て長崎市長の平和宣言に心からうたれた。
なんだか軍備や秘密保護法やら何となくクエスチョンマークをつけたくなるような最近の動きに断固たる意義を申している感じがした。戦争はどんな理由にせよ,やるべきではないし,原発で被害にあった人たちのような悲しみももう誰も経験してはならない,ほんとにそう思う。

疲労

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