みなさん、おはようございます。
ラハイナレポートもなんと30回を超えました。このレポートが投稿される頃にはきっと2023年は幕が降り始めて、皆さんこの一年を振り返っていることと思います。
私たちマウイに住んでるものにとっては8月8日の火事があまりに大きすぎて、その前に何があったか思い出せないくらいですが、昨日1月からの写真を皆で振り返ってみました。
思うことは、当たり前に思ってることが当たり前にできてることがいちばんの幸せなんだなということ。たとえば家族がみんな元気なこと、これは本当にありがたいこと。朝から兄弟喧嘩していたり、おかずのことで家族に文句を言われてムッとしたり、お腹が空いて何か残りものかお菓子でもないかなと冷蔵庫の中を覗いてみたら、一ヶ月前くらいの残り物が腐っていたり。飼ってる犬が退屈をもてあまして、ふてくされて部屋の中におそそをしていたり。波乗りに行ったら、苦手な強気のおじさんがいい波全部とっちゃって、なんとなく不満が残ったり。
そんな、もういやーって思う瞬間も、それが消えてもう2度とこないとなったら、もしかしたら懐かしく恋しく感じるかもしれません。
ラハイナやクラではそんな当たり前に思っていた時間や空間、そしてともすると家族まで一夜にして全て失った方がたくさんいます。それでも前向きに、自分のことは置いておいて、人のために必死で動いている方もいます。あまり元気がなくて、住む場所もまだ落ち着かず、そのために新しい仕事も決められず、不安と悲しみから抜け出せない方もいます。人それぞれ反応の仕方は外側から見ると違うけど、喪失感がない人は一人もいないでしょうし、実はばりばり動いてる人の方が抱え込んでる苦しみがあとから表に出てくることだってあるでしょう。
同じ島で暮らしながら、そんな人がたくさんいると思うと本当にどんな嫌なことでもたいしことないし、当たり前なことなんて一つもなくて全てがありがたいと思えるようになりました。
先述した夫婦喧嘩や兄弟喧嘩を、やりたくてももう家族がいない人もいます。クリスマスや新年にはメインランドからもみんなが帰ってきて大家族でのんびり過ごしていたの、その家族が集まる家がなくなってしまったファミリーは数え切れません。マウイだけでなく、マウイの火事の後には世界の各地で災害があったし、イスラエルとパレスチナの間での紛争、もはや戦争というべき争いはおさまっていません。心が痛むと同時にもしかしたら世界全体から見たら本当に体が健康で家族がいる、食事の心配もなく、帰る家がある、それだけで特権階級なのかも。
マウイの火事でわかったのは、どうにもできないことを考えて落ち込んでも意味がないので、できることにフォーカスするということ。そして、考えれば必ず何かしら小さなことでもできることはあるということ。2023年の後半はそれに尽きました。
頑張ってもどうにもならないことがたくさんありすぎて、それはもういい方に行きますようにと祈ることしかできない、でもそれしかできないなら祈る。身近にできることが手の届かないところで本当に辛い思いをしている人に間接的に繋がっていくことを信じて、できることを実践する。
遠い日本からマウイにきたこともない方、知り合いがいない方まで本当に多くの方が火事で被災した方々を思って寄付を送ってくださいました。数ヶ月で止まるだろうと思っていたら、いまだにほとんど毎日のように少しずつ送られてきます。いろんな人がいろんな形で集めたお金、やり方が数えきれないほどあって、一つ一つに愛と思い、そして仲間とのつながりを感じるあたたかく、重いお金です。そしてお会いしたことがない方もたくさんいらっしゃるけれど、どこかでばったりお会いした時、あの時寄付したんですよって声かけてもらってお友達になれる、そんなことを願っております。
本当に悲しい出来事だったけれどそのおかげ例年以上に思いがけない親切や知らない人からの愛情を受け取る機会がたくさんありました。そしてそういった一つ一つの出来事が私たちを癒し支え、励ましてくれました。
だから私も躊躇することなく、知ってる人にたまたま出会った人にもできる限り親切な気持ちで接し、どんなことでもあたりまえと思わず、感謝することを忘れずにいたいと思います。
2024年はそういう年にしたいです。
皆さんこれからもどうぞマウイの復興の過程を見守り続けてください。
ありがとうございます。
画像1: 火事から一ヶ月後に行われたパドルアウト。マウイ島のみんなが一つになって亡くなった方々へ祈りを捧げ、前に進んでいこうという気持ちで集まった。
画像2,3: まだまだたくさんの優しさと愛が送られてくる。これは東北震災の時からコツコツくるみボタンのヘアゴムを作っては、一つ五百円のその収益を寄付してくださってる友人。マウイバージョンを作ってくれ、マウイにも届いた。(マウイにいる人で欲しい方は4ドルで買えます)
画像4,5: ラハイナのフロントストリート、これが全てなくなってしまったことは今だに信じられない。
フロントストリートを海側から見た景色。夏のメインサーフポイントラハイナハーバーで波乗りし、この芝生でゴロゴロした思い出がある人も多い。
画像6: 火事直後にニュースで出た写真。火事で行方もわからなくなっていた親友との再会を喜ぶ。この子のお父さんはライフガード、お祖父さんはラハイナで最も有名なレジェンドサーファーであり、ホクレア号の最初のメンバーでもあった、何代にもわたってラハイナに住むハワイアンファミリー。
画像7: 政府の援助や協力を求めてホノルルにまで行ったり、ミーティングを数多く開いてきた住民たち。そんな動きの中で若いリーダーたちもたくさん生まれ、期待されている。
画像8,9: 虹とハワイの旗 必ずしっかり復活するという希望を感じさせてくれるラハイナパドルアウト何千人という人が集まり、想いを一つに。
画像10: 毎週、下手すると週に何度もいろんな課題を話し合いミーティングが行われ、忙しい中多くの住民が参加し真剣に話し合っている。
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