2021-03-11

3月11日 Thinking of Tohoku、people I love.

日本時間3月11日の今日(マウイはまだ10日なんだけど)、日本は震災から10年というニュースで持ちきりなのだと思う。すでに一年くらい前から東北に入り、そのための取材をしているメディアなどもあって、その中にはなんとかお涙頂戴物語を手に入れようと被害にあった人たちをうんざりさせるようなやりとりもあったとか。被害にあった方々の思いなんてどんなに頑張っても合わなかった私たちにわかるわけもないが、10年経った今少しでも傷が癒されていることを心から祈っている。

あの震災は被害者はもちろん、日本中の多くの人に大きな影響を与え色々考えさせた出来事だったことは確かで、わたしも振り返る機会があった時に、生きてきた中での転機って実は海に関係することじゃなかったのかなーなんて思うような結果だった。

もちろんウインドサーフィンを始めたことは自分にとって結果的に転機、自分の人生の進む方向、軸を決めたことに違いないのだが、何かの出来事によってガラッと考え方が変わったり、大きな発見をしたというのは多分アラスカに初めて行った時、そしてこの東日本大震災だったと思う。


前置きが長くなったけれど、わたしは被害に遭っていないし、愛する人を失ってもいない、多くの友人の安否が分からず最初のうちはとても不安だったけれど誰もが無事でそしてさっそく精力的に他の大変な人たちを助けようと動いていた。

わたしはある意味、近すぎないところで(トラウマにならない位置から)被害にあった人たちの苦難に自分を重ねながら自分がその立場だったらという気持ちを常に持ち大きなダメージを受けずに震災を経験できたと言えるのかもしれない。ずるい話だが損はせずに得るものだけ得たような感じ。

申し訳ない話だが、震災によってわたしは沢山の学び、大事なことは何かを教えてもらい、人とのつながりの大切さ、いざという時に頼りになるつながり、心と体を極限まで使い切るまで頑張るという充実感、ちいさなことに幸せを感じられる人間の強さ、や与えようとする人間の優しさ、何もできないと思ってる人でも必ず何かできることはあるという人間の可能性、とにかくいろんなことを感じたけれどそれが全てポジティブなものばかりだった。

東北の人たちの強さと優しさに触れて自分を成長させてもらってばかりで、自分が助けに、物資を供給しに行ったつもりが、全く反対にいただいてばかりの経験だった。








何よりも大きな頂き物は今も続いている友人関係。

今まではただ憧れの土地だった東北が今では大事な人が住む人の生活をしっかりイメージできる大好きな場所になり、いつでもあの和やかで自然豊かな風景が目に浮かぶ場所になった。

結局環境も政治もその場所やその国や、その人たちを本気で好きになれるか、なんだと思う。

家族が危機にさらされたらどんなことをしてでも助けようとする、それと同じように愛している場所が破壊されたらなんとかしなくちゃと思う。でもやはり漠然と遠くにある国で大変なことが起こってもかわいそうに、大変だろうにと思うだけで、そこまでエンパシーを感じない。だから普段からいろんなことへの愛や思いを強く持てるよう、いろんなことを知り、自分にとって大事なものは何かそしてその大事なものをどうやって守っていくか、育てるかを考えることが大事なんだと思う。


震災後東北でも自分の大事なものは何かを考えた人はたくさんいる。そしてその大事なもののために頑張ってきた人もたくさんいる。

わたしが最初にボランティアが手伝わせてもらった家に住んでいた三浦さんは塾の先生をしていた。気仙沼の街で被害に遭った。家は小さな入江の前にあり、家族も津波で流された。若い衆があまりいない地区だったので避難所の世話役的な存在となり、そんなところからみんなの代表として色々活動しているうちに今は市の議員さんとして住民に寄り添い、取り残される人がいないよう気を配り、弱い立場の人たちのために一生懸命働く素晴らしい議員さんになっている。でもきっと震災がなかったら議員さんにはなっていなかったと思う、そういう性格ではないから。人生って本当に不思議なものだ。

いいこともあったし未だに辛いこともあると思う、そんなものと折り合いをつけながらみんな生きている。

震災は正義とか義理とかそういうものではおさまらないいろんな出来事や思いを経験させてくれた。人によっていろんな考えがあり、自分が正しいと信じていることは他に人にとっては間違ってると確信してることだったりもする。そして結果がどうであれ前を向いて進もうとすることに人間の美しさというかを感じるということも知った。

そして何より自分の中にある日本人の血というものをすごく感じるようになった。つらいことを経験しないと、理解できないこともある。震災をきっかけにわたしは自分にとって本当に大事なものをたくさん理解できるようになった。



あの頃東北で震災で水も電気もないなか、新しい仲間たちと綺麗な星空の下で焚き火しながら語り合ったこと。大変だったけどこれを機会に考え直して自然に寄り添った防災、防潮ができるかもしれない、防潮林を海岸線を埋め尽くせばいいじゃないかとビジョンを熱く語っていた仲間もいたけど、本当にそうなったらいいねとみんなで夢を描いてたけど、小さな二箇所をのぞいで東北の海岸線は全てコンクリートの要塞のようになってしまったと聞く。

(各地の防潮堤の写真はNPO森は海の恋人の畠山さんのFBからお借りしました)





仮設住宅ができる前にすでに巨大防潮堤の計画は進み始めたとも聞いていた。コンクリートががお金になるというのは昔からの話だけどそれだけが理由だとは思いたくないけど、でも多分その場の不安から大きな壁を作れば守れると思っちゃう人も多かったのかもしれない。でもいつも時代も人間のすることは絶対自然には勝てない。防潮堤ができ、人間の生活が海の密接な関係を断ち、海に行かなくなったり海の生態系が壊れて魚や貝さんが取れなくなったり。

でも何より海ってものをとって生きて行くためのものだけではなく、人に生きる力を与えたり、悲しみを癒したり、神様の存在を感じさせてくれる教会のようなものでもあって、それが身近に見えるところにあるはずなのに遮断されることにわたし自身とっても抵抗があるのだ。


頭に浮かぶことを書き連ねていたら延々と続きそうなのでこの辺で切り上げて海に行ってこようと思うけど、東北のことを考えるときにはっきりと美しい風景や大好きな仲間の顔を思い浮かべられるのは震災で東北に向かいみんなと心を通わせたおかげ。

だからみんなが幸せでいてほしいと心から願うし、大きな津波被害や原発事故のようなことが二度と起きて欲しくないと思う。そのためにも自然に対抗するのではなく畏敬の念を持ち自然に逆らうことなく命を守る方法を考えていければと思う。自然には絶対勝てないから。

10年という区切りの日をみなさんが安らかな気持ちで過ごしていますように。そして改めてあのときにお亡くなりになった方々と残されて大きな傷を抱え込んだみなさんに祈りを捧げる日にしたいと思います。


震災とは違うけどコロナのせいで日本が遠くなったことで、自分の気持ちが日本に向かうことが増えたっていう点では共通してるかな?一人で寂しさに耐えられない思いをしている人がいませんように。全ての人がなんらかの形で愛されている、生かされていることに感謝できていますように。

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