2020-09-21

9月20日 鎌倉の今昔

 鎌倉の古い写真を時折フェイスブックにアップしているカールさんという方がいる。マウイからでもその写真で鎌倉のことを思い出したり、昔こんなだったなあとか(まあ明治とか大将時代の写真は懐かしむというよりびっくりさせられるかんじ)楽しませていただいている。小町通りや鎌倉の最近のレストランなどの写真もあり、彼が鎌倉を愛している気持ちが伝わってくる優しいものばかり。

そんな中にこないだこんな写真と地図があり、まさにうちのあたりだと思って母に送って見たら返事が来た。

(現在の由比ヶ浜4丁目交差点とシードレスバーの間くらい?つまりまさにうちの前あたり)
この石垣はまだあるかもと言ってたけど、確かに私が子供の頃は近所はどの家もこんな石垣、あるいはちょっと奥まったところは(多分海の強風が当たらないところ?)は細い竹を集めた昔ながらの素敵な生垣ばかりだった。そして高い石垣をロッククライミングのように登るのが子供の頃の遊びだった。今でも由比ヶ浜の浜側の塀はちょっとだけ名残が残っているんじゃないかな?数年前逗子に行った時浜の石垣を登ってはジャンプし、だんだん少しずつ高いところに移動してジャンプの高さを上げて遊んでいた子供達を見て、時代が変わっても子供達の楽しみ方は全く変わらないなあと嬉しくなったのを思い出す。

昔の鎌倉の地図

さて、この地図も母が見たら、昔は私たちの住んでいたところの住所は由比ヶ浜ではなく、長谷167だったのだと話してくれた。そしてこの地図には由比ヶ浜駅も出ているし、江ノ電の鎌倉駅が西口になってるからそれほど古い地図ではないと。もっと昔、母が子供の頃は由比ヶ浜駅はなかったし、江ノ電の鎌倉駅は西口ではなく、今の島森書店があるあたり、表駅側にあったそうだ。
当時の話は色々母に聞いているけど子供の頃聞いた話でうろ覚えだし、子供の頃なんて親の話ろくすっぽ聞いてなかったから、今度会ったらもっとゆっくり昔のことをたくさん聞いておきたいなあと強く思った。
母との時間がこういう感じで貴重に感じられるようになったていうのは母も私も歳をとったということかな?でも鎌倉の歴史を姪っ子や甥っ子に正しく伝えられるように、そしてその子達がまたその次の世代に伝えられるように私たちはしっかり自分のルーツを知り、受け継いていきたいなと思う。

カールさんいつも昔の写真などありがとうございます。ここでもシェアさせてもらいます。
だんかつら
八幡さま?
八幡さま


長谷観音に向かう道
昭和25年くらいの由比ヶ浜海岸 今よりすごいかも?私も海の家が迷路みたいに2列に並んでて(それくらい砂浜が広かった)、射的とか金魚すくいとかやってたのは覚えている。
まだ134号の道路がなかった頃
関東大震災の後の鎌倉駅




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