よかったことを挙げればきりがないけど、何より、腰の状態が去年よりいいことがありがたい。あまりいいように感じないんだけど(常に頭にはあるから)でも去年の今頃の自分を思い出すと海に入れるようにはなっていてその前の年寄りはずっとよかったけど、毎日ホッカイロであっためたり、ATミニという電気を流したりしてなんとか次の日までに回復させようと頑張っていた気がする。
いろんなことがあったけれど月ごとに最初に頭に浮かんでくるできごとはというと、、、
1月 大勢の仲間がマウイ入り。
そしてたまちゃんと一緒にマウイツアーを開催。ヨガ、海、そしてマウイが与えてくれるたくさんの自然のパワーをもらいながら自分と向き合い、仲間と語り合うリトリート的ツアー。
これからもこういったものはどんどんやりたいと思うようなツアーだった、あまりスケジュールをきっちり組まず、天気やコンディションに合わせてその日一番やりたい、行きたいと思う空気の流れに合わせて行動。ゆったりとしていながらも盛りだくさんの内容だった。
2月 冬のシーズン真っ盛り、男塾月間と私は毎年呼んでいるけど海と真剣に向かい合って頑張ってる仲間たちが集まって切磋琢磨する月、石垣の津村さん、サップのもっくん、若手ケイくんを連れてきていたとも、潤くん、ビッグウエイブのタカさん、なんでもやる哲平さんなどを中心に毎日かなりプッシュし合う。
みんな一斉にフォイルを買い、夢中になってどんなコンディションでも早起きして頑張っていた。どんなことがあっても朝早く起きないと言っていた哲平さんまで風が吹くなか早朝から海に出てくるほどだった。でもそういう雰囲気が楽しくて仕方がない。みんなと一緒だと頑張るのも2倍楽しいから冬のこの時期は外せないのだ。
フォイルのおかげであっという間の冬だった。波があまりなかったにも関わらず全くノープロブラム。
(デイブカラマ。彼のせいで、いやおかげでフォイルにハマった人多数、私もその一人)
3月 西表島 え?もう終わり?という感じでまだまだ上達できないまま練習シーズンの冬が終わりを告げ、私はマウイから日本に移動。
毎年恒例の西表島でのツアー、そして念願のキッズキャンプを開催。
頼りになる弟のような存在の徳ちゃんのガイドでのサップツアーはどんな天候でもどこかしらで漕がせてくれる。
ツアーを始めたきっかけは、こんなにサップしたら最高の素晴らしい西表島にもっとたくさんの人が来てくれればいいのにという二人の気持ちから。数年前までは冬にはお客さんはほとんどゼロだったというのに、去年はかなりお客さんが増え、冬でも他の仕事をせずにウオーターマン稼業のみで忙しかったという。
最近ではおやすみがないほど(?)忙しい。そして彼が中心になって開催する西表サップグランプリは島の人たちのおもてなしと自然の素晴らしさで、日本一人気のあるレースと言われるほどになった。本当に嬉しい。まだまだこの島はたくさんの人を受け入れられる引き出しも余裕もあると思う。でも訪れた人もこの島の良さを壊さず感謝して再訪してほしいなと思う。
4月 ファミリータイム
西表から戻ってきた後鎌倉へ。3歳になった姪っ子ゆうちゃん、そして1歳になったケイちゃんの二人と一緒にいる時間は何にも代えがたい。私はまだ何も両親に親孝行できてないけど、彼らが私のぶんまでやってくれているという感じ笑い両親の寿命はちびっ子達のおかげでかなり伸びたに違いない。そして弟家族、一緒に住んでいるいとこ家族などみんながこのちびっ子を中心にして、集まり笑い、仲良く過ごせることが素晴らしい。本当に今が一番可愛い時期だろうからずっと一緒にいられないのが勿体無い。
じいじもばあばも本当にたくさんの幸せを二人からもらっている。
いつまでたっても世話のかかる娘という存在から抜けられない私だけれど、やはり鎌倉の実家に帰るとこころから落ち着くことができる。5月 連休明けにマウイに戻る。フォイルフィーバーはさらに燃え上がっていた。
何回かノース側でも乗れたけれどその後はサウス、それもほとんど割れないくらいの中で練習。
バハで一緒になった仲間はその後もずっと連絡を取り合ったりいろんなところで集まっては同窓会を開いている。オーガナイズしている側としてはこれほどうれしいことはない。そして私もここでは普段以上に自分の練習ができる。特にカイトはすごく練習になるコンディション。今年はフォイルの練習をしたいと期待していたのだが、幸か不幸か結構サイズがありフォイルよりサップをやる日が多かった。
7月 マウイレース月間
フォイルの練習がしたくてたまらないのだが、なかなか波が上がらない一年に一回行くか行かないかのラハイナまでも割れるかわれないかくらいの波のために結構通ってしまった。
2月が波乗りの男塾月間だとしたら7月はレース月間。世界中からダウンウインドや海峡横断のレースのためにパドルレーサーたちが集まってきて、マリコランがすごく盛り上がる月なのだ。
毎年この時期に来るメンバーも最高。そしてトモはマウイからモロカイへのレースにフォイルで挑戦、フォイルで出たのは二人だけでどちらも最終的にはリタイアしたけれど、その勇気はみんなの賞賛を得ていた。まりこレースでもフォイルで出て時間はかかったけどフィニッシュ、こちらも4人だけしか出ていなかった。
それから数ヶ月の間にダウインウインドも著しく変化。さあ、来年のダウンウインドレース、何人がフォイルで出るんだろう。私の予想ではまりこレースは20名以上。そういえばダウンウインドにサップが参加し始めた頃もこんな感じで毎年増えていってたなあ。
私はここのところ腰を悪くしてから本気でダウンウインドをやっていないが、腰も少しずつ良くなってきているのでもっとやるべきだったなあと反省。この月は親友の家族がマウイに来るので親友の娘、スモモとの時間も大事にしている。
8月 日本 帰国直後に紀伊半島を一周し、鳥羽で海女さん文化に触れる機会を得ることができた。感動的だった。
その後恒例の琵琶湖のサップイベント。サップキャンプと大運動会はギリギリできたけどキッズキャンプは台風直撃コースで泣く泣くキャンセル。
それでも会いに来てくれたり、早くから入っていたキッズたちが大勢いてプチキャンプ状態だったけど。
ぷかぷかでのこれらのイベントは私にとってとっても大事なイベントでもあり、みんなと時間を共にし、一緒に頑張れる大好きな時間でもある。ぷかぷかのみんなに感謝。
その後、宮崎に飛び、バタフライエフェクトの準備。第一回の去年ほどではなかったがバタフライエフェクトの準備は本当にしんどかった、でも参加してくれたみんなはとても楽しんでくれていろんなことを感じてくれたみたいなので終わった時には本当にやってよかったーと思えた。
これも来年に向けての大きな課題がたくさんある。また頑張らなくちゃ。
9月 8月がイベント続きで大忙しだったため、9月は少し余裕ができた。鎌倉での時間もあったし、北海道も気持ちに余裕があった。
シーサーとのコラボのこのツアーももうすでに5回目になるのだろうか?ツアーもいい面々が揃って楽しかったし、その後のシーサーとのサーフトリップもそこそこの波にあたり、楽しめた。
10月 BACK TO MAUI
浦島太郎になった気分。フォイル人口は5倍に増え、みんなとてつもなく上手くなっていた。帰ってきた途端に2週間ダウンしたが、その後少しずつペースを戻して行ったけれど夏の間は思うようにトレーニングも海に入ることもできないので、体を一から作り直すプロセス。
地道なことがいかに大切か感じながらジムに通ったり、ハイクの家の周りの庭仕事をしたりして、仙人のような田舎暮らしに戻る。海に行き、緑深い土地に住む、それほど人付き合いもなく、スローペース(に見えてもやることはいっぱいあるのだが)は実は私はあっていて、いつかは一年通してこんな感じで暮らしたいなとも思う。
11月 もおちゃんとの時間
アロハクラシックに出るために家族をおいてもおちゃんがマウイにやってきた。3週間の間、みっちりウインドの練習をしたかっただろうに、乗れたのは大会中の数日と大会後2日間くらいのみ。でも二人で何度もサップしに行ったり、毎日プログラムを考えながらお互いの弱いところを強化すべくトレーニングしたり、いろんなことを語り合ったりしたその時間は、もおちゃんが以前世界チャンピオンになった頃一緒に毎日切磋琢磨してた頃のことを思い出させた。
もう20年間以上日本のチャンピオンの座を守り続け、未だにとても負かせるだろうと思える選手が出てこないくらい彼女の存在は偉大それは上手だから、ではなく、やる気と真面目さ、自分のことを卑下もせず、かといって誇大評価することなく、しっかり見据えて頑張っている。ここまで海でやり続けた者同士にしかわかってもらえないこともあるかもしれないし、価値観が似ているところが毎日一緒にいても疲れないのかもしれない。とにかくなかなかこういう時間はもうないので貴重だった。
12月 冬は私にとって自分の訓練期間。ハワイに押し寄せてくる私には到底気楽には乗れない波に向き合いながら、少しずつでもなんとか上達しよう、そして体も心も時間をかけて焦らずに良い方向に向けていくための時間。いつくるかわからない波と風に全てを委ねる(少なくともできる限りそうしたいと努力している)毎日なのであまり約束事もできないし、人にも会わないけれど会うべき人には自然と会うし、海に行けばそこに仲間が自然と集まるから寂しいと思うことは一切ない。
ここ数年の目標だったあるポイントで割れる波に乗ることに対してフォイルを始めてからあまり気持ちが向いてないことを気にしながらも、フォイルに関してはみんなほど上達は早くはないが、毎回何かしら学び得るものがあり、一生懸命やれている。この冬は北うねりとノースウインド(オンショア)が多く、まだウエストからバキーンと割れるような波が来ていないせいかもしれない。狙っているポイントもシーズン初めにサメが出たこともあり、まだ誰も行っていないようだ。
でもここまで酷い怪我もなく、腰もなんとかもって海に入り続けられているだけでも上出来。
振り返って特に大きな出来事はなかったとしても、辛い思いも嫌な人間関係に悩まされることもなく、本当に周りの人たちからグッドバイブレーションをもらい続けた素晴らしい一年だったと心から思える。
そろそろ来年の目標、テーマも考えているが、誕生日に一つ思ったこと、生まれて半世紀を過ぎ、人生も確実に折り返し地点を過ぎた今、ここまでお世話になりっぱなしだったぶん、お世話になった人や家族たちにそのぶん全て返すのは無理だけど自分ができるところで少しずつでもお返ししていければ、と思う。
それは次世代に対してであったり、環境に対してであったり、あるいは近くにいる人や見知らぬ人が困っているのを見た時であったりするかもしれない。そういう時に自分のことばかり考えず、自分が個として存在させてもらっている大きな世界を一つとして考えられる視野を持ち、行動できるようにしたいなと思う。そしてそれがすぐには無理でもよりそういう風になれるように来年は意識を持っていきたいと思っている。
二十歳の頃、旅をし続けていながらもまだまだ行きたいところだらけで、このままでは死ぬまでに全て行ききれない、だって毎年一箇所行ったとしても五十箇所しか行けない!と唖然としたことがあり、それ以来毎年一箇所だけは国内でもどこでもいいから行ったことのないところに行こうと決めているのだが、今年はもしかしたら行ってないかもと思ったのだが、鳥羽に行ったことを思い出した。
そこでの数日間は実はとっても意味深いものだった。いつかゆっくり書こうと思っているが、子供の頃家族旅行で鳥羽に行ったことはあるのだが、全く覚えてないし、水族館か何かに行ったことがあるのだが、水族館のイルカショーについても深く考えさせられた子供の頃の旅と対極のようなものだったし、自分の旅としては初めてなので初めてちゃんと訪れた場所と言えるだろう。
さあ、来年新しく訪れる場所はどこになるのだろう?死ぬまでにあといくつまだ行ったことのない場所に行けるのかな?
長くなってしまったけれど考えれば考えるほどいろんな思い出や出来事が溢れてきて長くなりそうなので、2017年は実りの年だった、ということで地道に努力を続け、心穏やかに新年を迎えたいと思う。
お世話になった本当にたくさんの全国、そして地球のあちこちにいる皆様、そしていつもどんなにひどい状態の私でも受け入れ、愛情を注いでくれる家族、想像もつかないほど大きな愛と力で常に見守ってくれる大いなる自然、神に感謝。
そしてこの一年で亡くなってしまった何人かの友人や尊敬する先輩がた、そして残された家族や友人達がみな、心安らかに一年を終えることができますように。海の仲間で亡くなってしまった人はなんとなくなのだが、海で顔を見せてくれた気がしている、亀の姿で。ありがとう。
It was a great year! Mahalo ke akua!