2013-07-11

7月11日 心からの願い

今月も11日。あっという間にまた日本に戻る勢いで時が過ぎていく。
最近東北の友人達の気持ちがとても気になっている、選挙が近いこともあるけれど、震災前からずっと気持ちがぶれることなく、頑張っている私の尊敬する人たちがもう2年以上になる大変な状況を続けている中であまりにも状況が変化しないことに心が折れたりしているように感じる。
私なんて普段全く影響がないところでのうのうとしているのに、それでも政府の決断や方向性,新聞記事を呼んで憤りを感じるのだから,実際振り回されている彼らはどんなに大変か、辛いかを思うと心が本当に痛む。

いろんな側面でいろんな形で疲れきってる人たちがいるが、震災後皆が打ちひしがれている中エネルギッシュに頑張っていた人たちがいくら頑張ってもよい方向に向かっていかない状況に疲れている気がする。政府の支援に期待している人はもうほとんどいない、でも支援ではなくぼんやりしていると反対に変な方向に持っていかれそうだからなんとか抵抗することに頑張ってる気がする。

最も大きな被害を受けた場所の一つである南三陸の佐藤さんはこのエリアの兄貴的存在のサーファーであり、漁師でもある。以前から漁師,サーファーの立場両方から原発を反対していた人だけれど、震災で家も流れ、船もなくし、すべて津波で持っていかれ、約1週間家族と離ればなれで瓦礫の中を探して歩き回った(ラッキーなことに全員無事だった)
たんたんと話してくれる彼の経験はとてつもなく壮絶なものだけれど、そんな経験をした人が何万人もいるはずだ。
あれから2年以上立っているのに何も変わらないことが多すぎる。変わらないだけではなく、何も学んでないかのような動きまでたくさんあって、それが佐藤サンや他の人たちをいらつかせている気がする。たいへんな想いをした人たちの気持ちをくまず利権で動いているとしか思えない、良心の感じられない動き。それが悲しい。

堤防の問題も東北全部を堤防でかこってしまおうと言う動きが出ている。地元の人でそれに賛成だと言う声を私は聞いたことがない、それどころかみんなおおいに反対で海とともに暮らしてきた人たちはいくら堤防を高くしたところでそれが今回のような津波を防ぐわけでもなく、反対に自然の生態系は壊れ、景観も悪くなり,子供達は海で遊ばなくなることでさらに海の危険を自分で判断することを学ばなくなる、津波が来ても堤防で見えないから帰って危険。それよりそんなお金があるなら高知にすぐ避難できるちゃんとした道を造ること、そして高知にしっかりしたたくさんの車が止められる駐車場を作って混乱、混雑なくスムーズに避難できるようにすることの方が絶対大事だとしている,が、なぜか、だれが動かしているのかわからないまま堤防建設は進んでいるそうだ。それも道から見えにくい場所、住民の反対運動が弱い場所から。
皆復興や自分の仕事で忙しいと言うのに、堤防建設反対運動やシンポジウムや会合にわざわざ行って必死に堤防をたてないよう要請したくてはならない。よけいな仕事は増えるばかり、でもここで妥協はできない。その気持ちは私もよくわかるし、頑張ってほしいと思う、私だって鎌倉の湾全体が12メートルの堤防で囲われてしまうとなれば、日本にかえってでも反対運動をすると思う。どう考えても生態系が壊れ、自分が生まれ育ち、慣れ親しんだ美しい海が壊されてしまう(それも実際には役に立ちそうもないのに利権のために)なんて考えられない。
ちなみにこの日記を書いた後すぐにFacebookでこんな動画を見つけた。この動画にかかわっている人たちの何人かは私が東北で知り合った人たちでもあり、彼らはまさに14メートルもの堤防で自分たちのふるさとが囲われてしまう危機が迫っている。彼らがこの問題を全国の人に知ってもらい、これが東北だけでなく日本全国各地で行われようとしていることを伝えようとしている。ちょっと長いけど是非みて考えてみてほしいと思う、そして、政府に今一度,それぞれの土地にあった、津波対策、ただ巨大な堤防をたてて防ごうとするのではなく、自然に勝とうとしても無理なのだから共存できるような形をとレル用巨大堤防の建設再考を願う署名運動にも参加してもらえれば嬉しいと思う。

堤防だけの問題ではない,でも書き始めたら終わらない。
漁師の立場としても例えば,放射能が出なくても風評被害で東北の魚はあまり売れなくなってしまった。政府が保証する制度もあるらしいし、売れない魚を捕ったらとった分だけ保証が出るシステムもあるらしいが、もし自分が漁師だったら、それでお金をもらってもせっかく捕った魚をただすてるだけの仕事にやりがいを感じるだろうか?お金をもらえるから生活はできるとしたとしてもそれでは自分の仕事に誇りを持てない、大漁旗をはためかせ、浜で待つ家族のもとに帰ってくるときの気持ちは決して感じられないだろう。それにちゃんと保証されてないことの方が多いようだ。


そして農業でもそう。友人の石森さんは東京農大在学中にすでに有機農業やさんち酪農研究などのクラブに属し30年前から仙台のはずれにある山を開墾し、有機農業をしていた。トラクターすら使わず、きのこ,野菜、山菜、米などを30軒の家庭に毎週届け、自然とともに暮らしていた、もちろん当時から原発には反対していたが、今回の事故が起きた時、「こういうことが起きるぞ」とあれだけ反対していたのに、仙台の山での農業には影響がない、とされ、いっさいの保証をしてもらえなかった。農地の土を調べてももらえず自腹でフランスに送って調べたところやはり汚染されていて作物を作ることを断念せざるを得なかった。体に悪いもの売りたくないと農薬を使わずに、何十年も土作りからはじめてやってきたのに放射能というもっと怖い毒がついてるものを売るわけにはいかないという信念で彼自身は農業を辞めたが周りの農家はやめることもなかったので、はためからはただ、彼が勝手にやめたくてやめたようにみることもできたかもしれない。
自給自足に近い生活で質素ながら山に行かされていた心豊かな生活が、爆発のためため池の魚も、蜂蜜も、くりやきのこやクルミのだめ、樹林農業もできず、薪も使えず、腐葉土、緑肥も草木灰もだめ、完全に成り立っていた循環のサイクルが断ち切られてしまった。どんなに悔しかったことだろうと思う。
今彼は仲間の援助を受けながら450万の測定器を買って、国が調べてくれないものを持ってくるお母さんや漁師、農家、お店などの食物の放射能の数値を測ったりする小さき花、市民の放射能測定室をやりながら、農家のための土壌調査、放射能を測った安心で着る農産物を売るマルシェをしている。今までは山奥で細々と自然とともに暮らしていた彼だが、今では大忙しで人とあったり取材を受けたりどちらかと言うと会社人のようなこともしなくてはならず大変そうだ。でも自分の信念を曲げずに頑張っている。

ここに紹介した二人は特別な人ではない、こういう人がいくらでもいて,彼らはたまたま私の身近にいるから話が聞けるだけ。

福島の人たち、私の周りにいる限られた友人、知り合いだけでもその人数分の苦悩や憤りがある。私達がこの大きな問題を一気に解決することはできないけれど、真面目に自分の職業に誇りを持って今まで頑張ってきた人たちが振り回されている今の状況に目を向けることだけでもちがうんじゃないかな、状況が見えない、聞こえないとどうでもよくなってしまうけれど、すべてを鵜呑みにする必要はないし、ドラマチックに危機感をあおる必要もないが、友人など信用できるソースからの言葉やニュースに耳を傾けていけば放っておけないくらい大きな問題が結構あることが見えてきて、人ごとではなくなると思う、だってもし自分が彼らの立場だったら、どんなに辛いか、どんなに苦しいかわかるはずだから。
それを感じることができない国にはなってほしくないと心から思う。電気料金が値上げするのだって会社の存続と言うより彼らが本当に楽になる保証に使われるなら納得がいく人も多いと思うんだけどな。

なんだか愚痴っぽくなってしまったが、大きな問題、自分たちのてにおえないものと考えず、自分が身近に感じられる分野や場所、人間関係の中での出来事を知り、そこでできることを考えてみたいと今月も11日を迎えてちょっとまじめに考えた。思ってるだけでなにもしていないことを大いに反省している。
自分が今度の選挙にかかわれないのは残念だけれど、是非是非大事な一票を私の分まで入れてきてほしいと思う、それがまずスタート。

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