2013-03-31

3月31日 東北への思い 堤防について

日本に帰る前にやっておかなくてはならないことを終わらせようとするのでなんだかここの所ばたばたしている。いい涙ったら迷うことなく海にいっているだろうからある意味コンディションがそれほどいいわけではないことに救われているかも。
震災以来東北にたくさんン友達が増えた、そして以前から友人だった人ともより連絡を取るようになった。友人達がどういう気持ちでいるか、どんな生活をしているか気になるのでできるだけ復興のニュースを見ているが、あまりにひどいニュースが多くて心が痛む、直接害のない私でもここまで憤慨、傷つくのだから等の本人達はどんな思いだろう?
原発事故に未だに振り回され続ける福島の人はもちろん、東北の海岸線すべてを巨大な待望で覆い尽くそうとしている行政側。本気でいっているとは私には思えない、かかる費用も桁違いの額(そんなお金あるならまずはみんなに住宅作ったり実際被災している人たちのリアルな復興に使ってほしい!)だし、まず海のことをよくわかってる人の考えることとは思えない。

5mの堤防でダメなら15mだ、なんてどんな堤防だって今日くらいの波が来たら破壊されてしまうだろう、そして15mの堤防に囲まれていたら波が来るのか来ないのか、海の様子さえ見えない、そんな堤防の中で育った子供達は海と接することも海からいろんなことを学ぶこともなくなり、砂浜だって、海の生態系だって完全に破壊されてしまうだろう。私たちがヤバいヤバいといってるうちに、こういうことだけは動きが速くてどんどんすすんでしまう可能性もあるのでほんとに心配だ。

東北でも住民で堤防つくることに賛成しているという人にあったことがない。なのに知らないうちにいろいろ決まってしまうみたいでみんな困っている。それでなくても忙しいのに、署名運動やら地域の集会などを何度もやってなんとか反対したりやめるよう懇願したりしているのに、対する行政側はかなり一方的。
そんな堤防が目の前にあったら牢獄で暮らす気分、海が見えなくなったらよけい津波が怖い、子供達が反対に海と共存することを学べなくなる、いろんな思いを耳にする。それに東北のリアス式海岸すべて堤防でかためるのにいったいいくらコンクリート代かけるのだろう?まあそこが狙いなんだと思うけど。地元の人たちが頑張って反対している者を無理矢理作らないでほしい、ぜったいに。

気仙沼の外れ、小さな童話に出てくるような美しい入り江の前で産まれ育った三浦さん、お姉さんもお母さんも津波で失い、3月11日以来一心不乱に復興活動を続けている三浦さん、とても穏やかで言葉の少ない三浦さんが一般の人にも知ってもらいたいと新聞記事を書いたことでもどれだけ彼が堤防に反対しているかがよくわかる。

想像してほしい、自分のふるさとの海が、あるいは自分がいつも通っている海が15メートルの堤防に囲まれてしまうことを。

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