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志津川にすんでいる先輩サーファー佐藤さんが遊びに来たのでいろいろ話を聞いた。彼はこのあたりの波をたくさん写真にとってあったのでそれを見せてもらったりもした。もう50歳以上だというのに本当に元気でタフ、漁師の彼はもちろん海辺で津波を見ていたがあまりに多き野がわかり大急ぎで逃げ九死に一生を得たが、彼の町は壊滅状態、その上孤立し情報も物資もまったく長い間届かなかったようだ。家族は4人ともばらばらで連絡も取れず、みんなをさがして瓦礫の中を20キロ歩いたそうだ。「こっちまではるばるある板はいいけど、帰りのこと考えずに歩いたから帰りは足が痛くてねえ」と笑っていたが、当時の彼らの状況は想像を絶するものだったに違いない。そこらじゅうが再会の涙、抱き合う光景ばかりだったという。避難所もなく、3晩も焚き火の周りで段を取って何とか過ごしたらしいが「ほんとに寒かったけど、明かりが何にもないから星がきれいだったな、あんなにきれいな星は見たことがないくらいきれいだった」とも。
ゆっくりしたあと私たちもそろそろ南下することにした。気がついたらもう夕方だった。こんなのんびりしたの久しぶりだ、とオータムたちも雨をちょっと喜んでいたみたいだった。
夜遅く仙台近く某道路の端っこでテント設営、雨ザーザーぶりの中あと一晩の我慢だ、と寝袋にもぐりこんだ。
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