2011-05-31

5月25日 大原小学校

朝早く鳥のさえずりで目覚め、すでに日が昇り始めた朝日のなかお散歩(実は人に見られない、そしてマムシが出ない、それでいて迷惑のかからないトイレ場所を遠くまで探しにいくという目的もあった)牡鹿半島に先っぽ、両側を見下ろせて子供のころ行った金華山も前にあり、海の上に小さな島がたくさん点在している本当にため息が出るほど美しい景色、ああここでスタンドアップで小さな湾を一つ一つ除きながら鯉でいけたら、と夢は広がる。当分海には出られないかもしれない、でも今回でいろんな場所のリサーチは出来るから夢と妄想で頭を膨らませよう。
昨晩キャンプしたところと金華山の間の海はどれくらいの距離かわからないがとりあえず軽くいけるような距離ではない、そして海も深く穏やか。でも津波のときは引き波でこのあいだの海底が見えたという。とても信じがたい話だがそこかの写真集に証拠写真が載っていて愕然とした。のんびり朝を過ごしてからダイスケクンたちが向かうという小さな小学校に一緒にいかせてもらうことにした。通常小学校などにそのままぽんと行っても受け入れてはくれない、避難所などでも子供たちをメディアなどにさらさないように気配りがされている。ダイスケクンのお友達の紹介でそこにいけるように手配してもらったらしく子供たちのためのおもちゃなどをもってきたのだ。私も子供や学校のために使ってほしいと託された寄付金もあるのでぜひ行きたいと思っていたのでラッキー。授業中だったので今すぐには無理だから昼休みに来てほしいと丁寧に言われ、そのあいだにもう一度石巻まで戻って買出しなどを済ませることにした。前回喜んでもらえたものなどを中心に再度たくさん買い込み、車をまたパンパンにしてもう一度押しか半島へ。ちょうどお昼休みになったところで子供たちが校庭に飛び出してきた。大原小学校は全校で40人のはずが21人に減り、また別の谷川小学校の生徒の7人も同じ校舎内で授業を行っている。本当に小さな集落で海の周りは壊滅状態だが少し小高いところにある大原小学校は水がすぐ近くまで来たのだろうが、無事。昔懐かしい思いを揺さぶられるような映画にでも出てきそうなかわいらしくこじんまりした小学校だ。入ったとたんノスタルジックな思いがこみ上げてくるような、昔きたことがあるような感覚。
ダイスケクンたちが持ってきたあらゆるおもちゃのなかで好きなものをひとつずつ選んでもらったのだが、おもちゃ屋さんがお勧めしてくれた今子供に人気のダンボール戦機(ガンダムのようなものだと思うのだが)のプラモデルを見たとたん頬ずりする子までいるほど。昨日すでに集落のほうでおもちゃをもらって夢中になっていた子などは私たちを見たとたん「あっ、ダンボールのお兄ちゃんだ!」ともうダンボールのお兄ちゃんと言う名前になってしまうほど。
昼休みはみんなでボールをけったり、マサ君の車椅子を子供たちがフルスピードで押して介護(?)してくれたり、フラフープを見せてくれたり、子供たちは本当に無邪気、先生方に聞くとほとんどすべての子供が家を失ったり家族を失ったりしているというが、学校にいるときの表情は明るい、私はぴかぴかの一年生たちが苗を植えたばかりの小さな畑に一生懸命水場と畑を何往復もしながら水遣りをしているところをみていたが、余りにかわいくて純真でそのままずっとそこで一緒にいたい気持ちだった。

学校を離れたあと集落の瓦礫の中を一人で歩き回っているおじいさんがいた。ヤーマンが写真を撮っているあいだ遠慮しながらも近くにいたので話しかけると、海の前で食堂をやっていたという。津波のときの話をしてくれた、第一波が来たときは屋根の上から海を見ていたらしいが次に来るものが沖からものすごい大きさで近づいているのを見て、潮が引いて地面が出たときに大急ぎですぐ横の山の斜面に駆け上って何を逃れたが奥様は助からなかったらしい。名取市にいるお嬢さんのところで生活をしているけれど今日は奥様の火葬をするために久しぶりに戻ってきたのだそうだ。「食堂はあそこにあったんだけどものがこっちのほうに全部打ち上げられているんだ、」と家からはずいぶんはなれたところでみて受けたお盆や神棚の飾りなど「こんなものもって帰っても娘に置く場所がないと怒られるだけだな」といいながら抱え込んでいた。
「もうここには住む気がしない、数年前に食堂をやめてやっと奥さんと二人のんびり引退できると思っていたのになあ」
「うちが丸ごと引き波に引っ張られて海に浮かんで沖にドンブラコッコと流れていってしまうのを見ながら、ああ、金庫にいれてあったローレックスもったいないなあ、なんて考えたよ、家のほうが高価なのにね。それにしてもこれだけ葬式が多いのにお寺さんは被災したのだからとお金を取らない、お寺も大変だ」と話してくれた。なんて慰めてあげたらいいのか、奥さんをなくされ、今までがんばってきたものがすべて流されるつらさは想像もつかない、だけどそういう人たちがみんな淡々と人事のように話す様子はなんだかみんないっしょだ。

その後写真を撮りながら気仙沼に向かったが結局たどり着いたのは暗くなったころだった。山のほうから海に向かって進んでいくうちに急に景色が変わる。
海なんかぜんぜん見えない山のなかなのに川を津波がさかのぼって大きな被害が出ている。まさかこんなところに津波が来るなんて誰も考えもしなかったに違いない。事前に紹介してもらっていたマメ君に電話し、野宿できるところを教えてもらうことになっていたのだが、連れて行ってもらった先はキャンプ地としてはこれ以上はないというほど居心地のいい素敵なところだった。早速その場所のオーナーの今野さん、そして一足先にキャンプ地に巨大なテントをセットし、かなりの長期にわたってここに滞在し、復興活動に励むらしいオータムと言うめちゃくちゃ明るくて日本語ぺらぺらのアメリカ人の女の子といっしょにタコライスを食べた。

こんな美しいところでキャンプしてまさに極上サーフトリップ気分、海に入れないけどそれ以外はまさにそんな感じで旅が続いている。

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