2010-06-17

6月16日 玉井太朗一家マウイ入り

今日は早起きしようと思っていたのになんだか体が重くてなかなか起きれなかった。今日から来るお客さんのために部屋の掃除などをしていたらなんだかんだと出発が送れ、結局サウスサイドについたのは9時半過ぎ。波はそんなに大きくもなく、オンショア気味でバンピーではあったけれど人がいなかったから楽しかった。
波の質も大事だけれど、やはり混んでいないのが一番。
その後迎えの時間まで町でいろんな用事を済ませる。いつも面倒くさがって先延ばしにしていたもろもろの用事が済んだのでこれも気分すっきり。

1時半に空港に行くともうすでに荷物もピックアップして準備ができていた玉井ファミリーが待っていた。
玉井太朗さんとは20年近くの付き合いになる、スノーボードをはじめてすぐに紹介され、最初から周りと違うオーラがあった。今彼はスノーサーフをテーマに限りなくサーフィンに近いスノーボーでイン具ができるようなスノーボードをプロデュースしている。
彼とはじめて会ったのは昔のスノーボードワールドカップで通訳をしていたとき、最後の夜のパーテイーのときに、「明日は絶対ニセコが良くなる、リフトがオープンする前、朝一に僕らの事務所に来たらすごくいいところを滑らせてあげるよ」といわれ、大騒ぎのパーテイーの後朝誰も起きない中一人でルスツからニセコまで行き方もわからずタクシーを使って行ったのだ。(どれだけ離れているかはまったく知らなくてすぐ近くなのだと思っていたのだ)
タクシー代はめちゃくちゃ高くついたが、それでもお釣りが来るほどその日は衝撃的なすごい経験をさせてもらった。朝一番でそのまま山頂まで行き、そこかドロップ,まさに初めてのノートラックパウダー。その日はその後もう2回山頂まで行って滑ったほどだった。以来ジャクソンに行くようになるまでの数年間冬の初めはニセコに1ヶ月ほどこもり、滑り込むことが続いた。それにはじめてアラスカのヴァルデイーズに行ったときも一緒だった。アラスカに何度も一緒に行ったし、ほかにもイタリアにも行った。多くのすばらしい思い出を共有させてもらっている。
当時からマウイに行くよ、行くよと言いながら、なかなかタイミングが合わず、今回やっとマウイに来ることが決まった。そのあいだ太朗さんはまきよちゃんと結婚し、天満君が生まれた。今回はファミリースタイルでのんびり楽しく、3週間暮らす予定。
天満君は家に着いたとたん、さっそく外に飛び出していき、、周りにある木や草や実などなんにでも興味津々。畑仕事もずっと一緒に土いじりを手伝いながら楽しんでいた。何もサービスはできないけど自然だけはたくさんあるのでこれを喜んでくれるのはとってもありがたいな。

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