私は子供のころずっとお父さんっ子だった。父はかなり私を可愛がってくれ、(もちろん母もだと思うけど)いろんな遊びを一緒にしてくれ、いろんなところに連れて行ってくれた、未だに私も幼稚園や小学校時代の友達のことを私以上に覚えているほど。
(初孫を恐る恐る抱く父、一目惚れ)
何より思い出に残っているのは週末のハイキング、仲良しの二人と一緒に3人でいつも鎌倉のハイキングコースを歩き、それがきっかけで大きくなってからは3人で地図を持ちながら歩くようになり、さらに地図にないトレイルを探したり、するようになった。
お誕生日会には近所の川をせき止めるのが恒例で(海岸に流れている小さな川)10人くらいで泥んこになって必死でせき止めたりするのが楽しかった、そういう時もいつもちょっと遠くから危険なことがないよう見守ってくれていた。
もう一つ、子供のころは本だったらどんな本でも買ってくれた。おかげでいろんな本を読めたし、本好きになった。当時は結構体も弱かったインドア派だったので空想好きで夢を膨らませてくれるような本が大好きだった。
小学校高学年、中学のころから反抗期になり、パパ汚い、パパが使ったものは臭いから使わないなどひどいことを言ってきたものだった。あまりにひどいことを言って母が激怒することはあっても父はあまり怒らなかった。今思うと申し訳なかったなあと思う。
そして多分、彼が夢見ていたような大人とは全く違う大人(と呼べるかは別として)に育った私。80を過ぎた父に未だに迷惑をかけ、世話になり、心配をかけている私。いつ何があるかわからないから親孝行をしておかないとと思いながら、ついつい、家族はいつもいるものだからという意識があるのか、他の用事を優先してしまう私だが、あとで後悔しないようにしなくては、と、その辺家族第一で動いてくれている弟を見ていつも反省している。
何はともあれ、いつも父は若いころは運動は苦手だったし、女の子がいるだけで俯いて話もできないタイプで、かなり引っ込み思案だったらしいが、今でも仲良く付き合って下さる友人がいて、好きな落語やコーヒーを通じて元気に東京にまで通ったりしている。もう危険だからと今年で自転車に乗るのをやめさせられたけれどそれまでは自由にどこにでも自転車で行き、無理をしない分体も対して悪いところがない。自分が80歳になったときあれだけ元気でいられるかと考えたらちょっと自信がない。
80過ぎにしては彼はかなり上出来。健康で、平均的な80代の人よりずっとアクティブな老人になった。だから人生分からない。
姪っ子のゆうちゃんが生まれてからはさらに元気になり、今まで見たことないような笑顔を見せるようになった。ゆうちゃんのおかげで多分寿命は10年伸びただろう。
普段は憎まれ口しか叩かないけれど、そしていつも心配ばかりかけているけれど、いろんなことを自由にやらせてくれ、文章を書いたり、やりたいことを応援してくれたり、実はとってもリベラルな父。彼のおかげで今の私がいる、私が子供の頃の時代では女の子を一人アメリカにやったりすることは一言『ダメ』で終わらせられることも多かったはず。でも彼は自分の考えや方針を押し付けず、私のやりたいことをいつも尊重してくれた。
心から感謝しています。いつもありがとう。これからもずっと元気でいてね。
2016-06-19
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