2014-05-25

5月25日 本当の豊かさ



Beautiful Morning!

相変わらず風がない。この間大飯原発を再稼働する事に関しての裁判の結果、再稼働は危険という判決が出た。当たり前にしか思えない事だけれど実際に裁判長が危険であり再稼働は認めないと判決を下した事を私は嬉しく思う。特にその判決文の一部はとても美しい言葉であり、当たり前の事だけれど忘れてほしくない事が伝えられていた。

「被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」


こんな部分もある
 「被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。」

ほんとに甚だしい筋違いだと思うけれど、誰もがそう思うわけではないらしい。私には他の人の理屈た説明がよくわからないけれど、でも向こうは間違ってると決めつけてしまうとその間に亀裂が出来、どちらも耳を傾けなくなってしまう事が原発だけでなくいろんな事で問題になってしまうのを最近良く感じている。だから本当に正しいと思っているのならごり押しで何かを押し付けたりせず、ちゃんと説明して皆が理解できるように努力するのがセイフじゃないかなと思うのだが、最近のやり方は反対意見をいかに無視するか、なんとかごり押して思うような法律を成立させたり、流れを作ったりしてしまってる気がする。

そんななかでこの判決文はとってもリフレッシングで、そうだよね、それが当たり前だよね、って考えられるものだったので嬉しかったのだ・

ただし、関電は控訴、そのため法的には稼働できるらしい。ほんとにそこまでしてなぜかどうさせたいんだろう?電気が足りないわけではない事はもう十分証明されてるし、ほんとに何がどうなっているのか私にはわからない。

でも本当の豊かさが何かって言うのはわかってる気がする。本当の豊かさって言うのは土地に根付いた暮らしをし,しっかり労働をし、人と人がだましあう事なく助け合って、優しい気持ちをかわしあい、なんて素晴らしい自然なんだ、なんて素晴らしい人たちなんだと感謝の気持ちでいっぱいになれる生活だと思う。たくさんのものをもっていたりする人でも幸せとは限らないし、反対にとっても不幸せな人をたくさん目にする。きっと失うものが多すぎて不安になってしまうのかもしれない。もちろん食べるものも不自由なのも豊かな生活ではない。でも最近安心して食べられる食物もちゃんと探さないと見つかりにくかったりする。豊かな生活を求めて頑張ってきた結果が反対に不自由で荒んだ生活を生んでしまったりもしている気がする。今一度充ち足りる事を知り、人に与え、与えられる事の喜びを日常的に感じられる生活を目指していきたいと心から思う。

欲しいのは健康な体と信頼できるそして笑いあえる友人と家族、そして小さくても居心地のいい、植物焼きや動物が育っていくのを感じられる生活環境。それにちょっといい波と風があれば私にとってはとっても豊かな生活かな。

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