2014-04-22

4月22日 アースデイ(東北海岸線の防潮堤)

今日はアースデイ、本来なら自分の暮らしているこの地球の美しさと素晴らしさに感謝する日だし、わたしほどその恩恵を受け、その大切さを実感させてもらっている人間も少ないと思う。美しい自然にふれて感謝の気持ちで過ごしたいこの日、私の頭の中は昨日目にした真新しい防潮堤でいっぱいだった。
前の晩遅くまで語りあっていたので朝早く起きるのはきつそうだったが、一緒にいた三浦さんは仕事前に一緒に防潮堤を見に行きたい、と誘ってくれた。どちらにしてもミニ以降と思ってはいたが防潮堤の事でいろんな活動に関わっている三浦さんから直接話を聞けるのはありがたかったし、彼だって朝早く起きるのは面倒だろうにそうやって時間を作ろうとしてくれてる事が嬉しかった。
最初に見たのは大谷海岸、東北には少ない広くてきれいな砂浜で夏になると海水浴客で賑わったというこの海岸。日本一海に近い駅という事でも知られていた。去年来た時もすでに土嚢袋がたくさん並んでいてとても悲しい気持ちになったけれど今回は完全に土嚢袋が海岸全体に広がっていた。もう道からは全く砂浜は見えない。
この看板のようなものの高さまで防潮堤が出来るそうだ。ビーチもなく、生き物も減り、コンクリートの高い壁が危険だから子供は近づけなくなるだろう、そうやって海と住民の距離はどんどん広がっていってしまっていいのだろうか?防潮堤が津波を防ぐわけではないという事は今回の震災でみんな感じなかったのだろうか?反対に津波が見えない、防潮堤があると安心してた事でさらに悪い結果になった場所もあったのではなかっただろうか?
そのすぐとなりの小さな入江にはすでに建てられ始めたものがあるからと、三浦さんが連れて行ってくれた。
遠くから見ても、あの白いコンクリートの壁の威圧感は異常。100メートルほどの距離しか建てられていないし、細くてあまり人が通らない迂回路からしか見えない、国道からは見えない、目立たないところに建てられたため(そういうところから作り始めるところもさすが相手はその道のプロだなと思うけど)まだそれほど話題に上がっては来ていないようだが、あれを見て、この防潮堤がその背後にある土地を守る、と安心する人は一人もいないと思う。なんせその後ろにある土地もほとんどが同じくらいの高さなわけだし、その右左には水が入り込む隙がいくらでもある。
小さな津波が来たとき防潮堤がまもるかもしれない土地はすぐ前にある3枚分ほどの畑のみ。そのために8億もかけてこのコンクリートの壁を建てたのか(まだ出来たわけではなく、これから10メートルの奥行きのコンクリートが加えられていく、右の写真の左は字くらいまでの幅になる)と思うとやりきれなくなる。その上醜悪そのもの、回りの美しい景色が台無し。ここも以前は砂があり、サーフィンも出来たそうだ。
要塞の中に住みたいのか?海や山とともに生きていきたいのか?





震災後、仮設が出来る前にもうすでに防潮堤のプランは作られ始めていたと言う。それほど一部の人たちにとっては大事な事なのだ。テトラ一つで200万(震災後すでにいくつのテトラが海に入れられたか,想像もできない、莫大な金額になっているはず)そしてこれだけの距離の防潮堤で8億円かかり、これから建てようとしている370キロと言う距離は全部でいくらかかるのだろう?そしてそれはすべて税金で建てられる。どうひいき目に見てもゼネコンに関係ないとは思えない。
近づいてみるとその威圧感は半端ない、これは奥行き10メートル高さ10メートルだけれど、ちょっと先の小泉海岸には高さ15メートル奥行きはなんと100メートル近いものが計画されている。その背後にある土地はもう誰も住んでいないし、畑としても利用していないというのに。



もしこんなものが鎌倉、私の生まれ育った由比ケ浜に建てられるとしたら、私はみうらさんのように落ち着いて対応できるだろうか?我慢できずに敵意むき出してゲリラ的行動に出てしまいかねないとこのへいを前にして思ってしまった。なにがなんでも建てさせない、夜トンカチもって崩しかねない、と。三浦さんだってそうしたい気持ちはあるだろう。ここで生まれ育ってきたのだから。
塀の真ん中あたりにマンホールのようなものがあった。三浦さんがここで立ち止まって示してくれた。
『これは沢です」
その言葉に愕然とした。私は小さな沢やその回りのもこもこした土、石の陰に隠れる生き物、植物が大好きなのだが、これは沢ではない!沢なんて呼べない。小さな沢がへいでせき止められて水が溜まらないよう、水抜き口が作られたというわけだけれど、こんな醜悪なものを作れる設計家の顔が見てみたい。きっとその人は海にも川にも自然の美しさにもふれる幸運に恵まれなかった人にちがいない、そうでなければこんなもの作れるわけがない。

塀のはじにある階段を上ってみた。急だし手すりもない。『基本的に海川に行くための階段ではなく、万が一海川にいるとき外に出るための避難路としてあるので出来上がってもここを使って海にいく事は禁止になると思います』と三浦さん。上に立ってるだけどゾクゾクするくらい怖い。こんな階段おばあちゃんじゃ絶対のぼれないだろう。
防潮堤に関しては地域地域によって大きさも住民の考えも少しずつ違う。東北とひとくくりには出来ず岩手は知事が柔軟でかなり住民の意向にそったものが計画されつつある。堤防は今まで通りの低いものでというところも多い。宮城は県知事がゴリ腰で進めているせいで説明会もしっかり行われず、環境アセスメントもなし、今ある予算があるうちに作れるだけさっさと作ってしまえ、という風に見えて仕方がない。
三浦さんは個人的には防潮堤に反対ではあるがいろんな勉強をしたり、大きな防潮堤が建てられた奥尻島などほかの地域を見に行く事でいろんな問題を考えさせられた。彼が今何より避けたいのが同じ地域に住む住民の対立だそうだ。使えなくなった土地を売りたいと思う人の中には防潮堤が出来る事で自分の土地がある程度高い値段で売れる事から賛成意見になっている人もいる。外の人間にうるさく反対されたくないと思っている人もいるだろう。

一つ課題があるとそれに関係するまた別の問題や課題があって本当に防潮堤問題は複雑だと思う。でも二つだけ私の中ではっきりしている事がある。

出来てしまったらもう元には戻らない。
自分さえ良ければ、という意識を変えなくてはならない。自分が死んでから何台も先の世代の事まで考えていろんな事を決断するべき。
自然を人減の力でどうにかする、コントロールする事は所詮無理。
(今建てられている防潮堤がこの写真多くにある長い海岸線にも建てられる予定、それでいてその先は国定公園なので建てられないから、と結局中途半端。

今回建てられている防潮堤を見て、賛成派だった人も実際で来たものを見て衝撃を受けて、こんなはずじゃなかったと思ってる人も多いらしい。『そういう意味でこの小さなエリアに実際建てられ実際に皆が出来た時の事をイメージできるようになった事はいい事だったかもしれない」と三浦さんは言う。
復興予算だって限りがないわけではなく、今計画している通りの防潮堤がすべて完成する事は絶対に不可能なんだと三浦さんや良く知っている人たちは言う。つまり作れるだけ作るけど作れないところは作らないままになり、結局あまり意味のないコンクリートの要塞が残る、という事になり、またその維持費だってばかにならない。実際奥尻島は出来た堤防の維持費がなくて町が破産寸前なのだし。

三浦さんは住民が対立し、コミュニティーに亀裂が出来ないようにとかなり慎重にニュートラルな立場で動こうとしている、それは素晴らしい事だと思う。でも実際あのごり押しで進めていこうとする行政にそんなやわな態度では押し切られてしまい、泣き寝入りする事になるのではと心配になってしまう、かといって敵意に敵意を向けても最終的には解決しない事も知っている。
「大変なモンスターを相手にがんばってるね」とジョーダン混じりに三浦さんをからかったけど、本当に嫌気のさすような根気が勝負される仕事だと思うし、良く自分からやろうと思ってくれたと思う。まあ、もしこれが自分の海だったら、そして誰もやろうとしなかったら私もやっていたかもしれない。大事にしているものが失われないようにするには動かずにはいられないだろう。

(15メートルの防潮堤が予定されている小泉海岸)
(小泉海岸に流れ込む津谷川にも高い堤防が、こういう地形ってさらに川を逆流する津波が高くなるって今回の津波で証明されてなかったっけ?)
出来上がり予想図
 (去年の小泉海岸、rider 佐藤かずやさん)
(こちらはアブストラクトサーフショプの重光君)
小泉地区の防潮堤については一番先に進むだろうと言われていたけれど、いろんなメディアで取り上げられ、今少し見直されようと言う動きも出ているらしい。出来てしまったら終わり、もうすでに多くのサーフスポットにテトラや土嚢が入り波が立たなくなりつつあり、防潮堤が出来たら波どころかハングアウトできるビーチすらなくなってしまう。昔は良かったねーではすまされないと思う。反対!と敵意をぶつけるのではなく、この素晴らしい海岸への愛をぶつけ、どれだけ大きなものを与え続けてもらっているかを皆で考えることができたら。簡単ではない事はわかるけれどあまりに複雑で大きな問題すぎて私にもどうしたらいいのかはわからない、でも知らない人にもこういうことが実際に起こっている事だけは伝えられると思う。知る事で愕然とする人は多いはず。

何年も前にどこかの雑誌で見たあの素晴らしいリーフブレイクがなければ気仙沼に来る事もなかったかもしれない、その場所も今ではあまりいい波は立たない。そしてすぐ近くの今皆が波乗りしている場所も防潮堤が建てられたらすべてコンクリートの下に埋まるだろう。それでも前回と同じくらいの津波が来たらそれが役立つとは思えない、それに住民は高地移転を希望しているのだから。その分のお金何百億円で同じコンクリートを避難路や高知移転先の家を建てる事に使えないのだろうか?

次にここを訪れるとき、さらに東北の海岸線が要塞化していたら、と考えると胸が痛む。
私に出来る事はなんなんだろう?あまりないけど忘れないこと、そして人事とおもわないことくらいは出来ると思う。もうすぐまた署名を集めるらしい、英語版も作るときいたのでそれを拡散する事くらいはお手伝いできたらと思っている。

詳しい事を知りたい方、興味をもっていただけた方はこちらも是非。
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マンモス防潮堤がせめて来た ページ

ちなみに福島原発近辺では海はそのまんまの状態で放置されている、防潮堤の話の前にやる事が山積みだから。でも避難命令が解除された時に一気に防潮堤建設が進まないように、今から宮城や岩手の状況から勉強したりしておくべきだと思う。

Imagine beautiful ocean and people living in harmony. Even though you may think I am a dreamer, I cannot help it.


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