市内のホテルで目覚め、ゆっくり朝食をとってから行きかたを調べて電車に乗った。40分くらいで七ヶ浜の駅へ。そこから小学校の恩師武田先生に電話をした。
今回仙台に来た際に小学校のクラスメートたちから使命を受けてきていたのだ。武田先生に会って、みんながあって話し合った内容やメッセージを届け、またみんなで話合って決めた小額ではあるけれど気持ちをこめた寄付金を彼に渡すということ。
武田先生は間違いなく私にとってもっとも影響を与えてくれた恩師であり、おそらく一緒のクラスだった人たち全員が同じように思っているだろう。当時27歳だった先生はまさに熱血先生で、体当たりでいろんなことを教えてくれたし、成績を良くするための勉強はあまりしなかったけど、その分たぶん人間として大事なことをたくさん身をもって教えてくれた。
だからこそ今でも武田先生のこととなると40年近く前のクラスメートたちなのにみんなあつまってしまうのだ。
今回は私の親友やあこ、そしてあかね君が中心になり、同窓会ではなく、学級会を開いたらしい。そこでみんなで先生のこと、震災のこと、自分たちに何ができるか真剣に話し合い、それを長島君が議事録としてまとめてくれた。
考えてみれば小学校のときも何かちょっとでもあるとすぐ先生は授業そっちのけでみんなに話し合わせたり、そのことについてみんなに作文を書かせて、文集にまとめてくれた。今でも大事にとってあるものがたくさんあるけど、その中にはごみのこと、弱いものいじめなどの内容もある。
このクラスだけは同級生と会うとその冬至に完全に戻ってしまい赤根君のことも赤根、としか呼ばないし、向こうも岡崎と呼んでくる。小学校のままなのだ。
みんなで話した結果、さいしょは先生の実家のお寺が大変そうだからそこに送ろうかという話もあったが、寄付金は武田先生に預ければ、きっと先生が一番いいところにもって行ってくれるだろうということになった。そしてみんなの話し合いやメッセージが入ったビデオ、議事録などすべて先生に届け、私たちの暮らすが相変わらず先生が教えてくれたようにみんなでフェアに、話し合ったことを報告した。
みんな先生にあいたくて仕方がない。もう子供が成人した人だっているというのに先生の話になるとまるで小学生だ。
武田先生は決して成績で生徒を評価しなかった。星の子学級の生徒を進んで受け入れ、私たちの暮らすにはいつも数人の星の子学級の生徒がいて、ちょっとだけヘルプが必要な彼らをみんながごく自然にヘルプする空気があった。そして助けが必要な人に手を差し伸べることが自然にできる子供のことを一番評価していたように思う。
理科は社会より野球の練習に時間を割いていたから学年のどこよりも野球が強く男の子たちは野球に夢中だった。
今回武田先生のおうちにお邪魔して当時の話しをし始めたらどんどんいろんな話が出てきてしまい、簡単に報告したら変えるつもりだったのに、結局3時間くらい居座って話し込んでしまった。
結局鎌倉に帰ってきたのは夕方遅く。待ち構えていたように、クラスメートから電話があり、「どうだった?」とたずねてきた。みんな先生に会ってきた私をうらやましがり、近いうちに先生にあいに行くツアーをやろうという話になっているらしい。私たちを教えるのはきっと大変だっただろうし、当時あれだけ自由な教育をしてくれことで父兄やほかの先生方からの風当たりは強かったはずだけど、これだけ長い年月たってもこんなに生徒から慕われている先生、教えたかいがあったって思ってくれてるんじゃないかなあ。
2011-08-27
8月8日仙台へ
今日は仙台のパタゴニアストアでスライドショー、本来ならこの前の週末に仲間を引き連れてボランティアツアー、そしてスライドショーが終わった後も東北に残り14日のお祭りまでずっと本吉でお手伝い、なんて考えていたのに、気がついたらどんどん予定が詰まっていってしまい。結局今日ぎりぎりに仙台に入り、明日はいったんとんぼ返り、そしてまた週末にくることになってしまった。
ずっと大好きな本吉にいたいけどなかなかそうは行かず、東北についての活動も実際に現地に行く仕事より、いろんなプロジェクトのバックアップをしたり、人と人とをつなげたり、とメールや電話ですんでしまうものが増えてきた気がする。個人的には現地で地元の人たちと一緒に力仕事するの、好きだったんだけどな。
仙台は今日まで七夕祭りだということでプロムナードには立派な飾りがたくさん並んでいた。そしてそれのどれもが復興への願いをこめた短冊がたくさんかけられていた。
仙台ストアには一緒に活動してきた仲間も大勢来てくれていた。そしてスノーボーダー、サーファーも多かった。実際こっちに住んで私よりずっと大変な思いをしてきた人たちばかりのなかで被災地についての話や自分の思いについて話すのはとてもおこがましかったけれど、私が東北に何度も来てそのたびに思っていた、東北の人たちの暖かさ、辛抱強さ、そしてとてもシャイでなかなか本音を出さないけど、打ち解け始めるとほんとにやさしくて、タフで陽気な愛すべき人たちばかりであること、多くを彼らから学び、インスピレーションをもらったことを伝えたかった。
強い人は本当に大変な状況においてもユーモアをなくさない、というのが私の考えだけれど、そのとおりの出来事に何度出くわしたことか!
夜は本吉チームの仲間プラスアルファで打ち上げ。仙台の町の中はそこから数キロ先がまだまだぐちゃぐちゃだということが信じられない。みんなお金はないけど心はリッチ、いろんな話で大いに盛り上がった。本当にひどい災害だったけれど、この仲間たちにはそのおかげで出会えた、ひどい出来事の中にもいいことはある。心の持ち方しだいでどんなことも良く見えたり悪く見えたりするのだろうな。
ずっと大好きな本吉にいたいけどなかなかそうは行かず、東北についての活動も実際に現地に行く仕事より、いろんなプロジェクトのバックアップをしたり、人と人とをつなげたり、とメールや電話ですんでしまうものが増えてきた気がする。個人的には現地で地元の人たちと一緒に力仕事するの、好きだったんだけどな。
仙台は今日まで七夕祭りだということでプロムナードには立派な飾りがたくさん並んでいた。そしてそれのどれもが復興への願いをこめた短冊がたくさんかけられていた。
仙台ストアには一緒に活動してきた仲間も大勢来てくれていた。そしてスノーボーダー、サーファーも多かった。実際こっちに住んで私よりずっと大変な思いをしてきた人たちばかりのなかで被災地についての話や自分の思いについて話すのはとてもおこがましかったけれど、私が東北に何度も来てそのたびに思っていた、東北の人たちの暖かさ、辛抱強さ、そしてとてもシャイでなかなか本音を出さないけど、打ち解け始めるとほんとにやさしくて、タフで陽気な愛すべき人たちばかりであること、多くを彼らから学び、インスピレーションをもらったことを伝えたかった。
強い人は本当に大変な状況においてもユーモアをなくさない、というのが私の考えだけれど、そのとおりの出来事に何度出くわしたことか!
夜は本吉チームの仲間プラスアルファで打ち上げ。仙台の町の中はそこから数キロ先がまだまだぐちゃぐちゃだということが信じられない。みんなお金はないけど心はリッチ、いろんな話で大いに盛り上がった。本当にひどい災害だったけれど、この仲間たちにはそのおかげで出会えた、ひどい出来事の中にもいいことはある。心の持ち方しだいでどんなことも良く見えたり悪く見えたりするのだろうな。
8月7日 波ありウイークエンド
ほんの少し波があり、朝からスタンドアップで海に出る。いろいろ行ってはみたけどどこもいまいち、すいているという理由でビーナスに行ったけれどかなりバックうオッシュがきつく波自体はそれほどいいわけではなかった。でも由比ガ浜は人が多すぎてとても乗る気になれない。とはいえ帰ってくるときに何本か乗ってから上がったけど。
浜に上がると弟たちもサーフィンしていた。弟も彼の先輩ゆうじ君も今年はかなり波乗りはまっているみたい。
明日はスピーカーシリーズのために仙台へ行く。パタゴニアでイベントをやるときはどこでやるときでも力を抜いてるわけではないが、今回の仙台はいつも以上に思い入れもあるし、少しでも東北に元気を送り込むことができれば、という気持ちで今回のスライドショーの内容を決めたほどなので仙台ではしっかりやりたいと思っている。
なので今日は家で準備にいそしんでいた。
浜に上がると弟たちもサーフィンしていた。弟も彼の先輩ゆうじ君も今年はかなり波乗りはまっているみたい。
明日はスピーカーシリーズのために仙台へ行く。パタゴニアでイベントをやるときはどこでやるときでも力を抜いてるわけではないが、今回の仙台はいつも以上に思い入れもあるし、少しでも東北に元気を送り込むことができれば、という気持ちで今回のスライドショーの内容を決めたほどなので仙台ではしっかりやりたいと思っている。
なので今日は家で準備にいそしんでいた。
8月6日 House Party for Touhoku
今日は鎌倉の実家で弟がずいぶん前に勤めていた会社のBBQパーティー。毎年恒例で楽しみにしてくれている人も多いらしい。すでに会社をやめているのに楷書の仲間ともいまだに仲良し、そしてこのパーティーには弟にはあったこともない、若い社員も来るらしく、「普通じゃ考えられないよー」といわれているのだが、弟もやめてからもこうやって付き合いがある関係を喜んでいるみたい。何でもBBQもやるし、辞めてからも会社のスキーツアーに一緒に参加したこともあるとか。
何事においてもそうだが、Clean Breakはいいものだ。何らかの理由で辞めなくてはならないことでもお互いがいい気持ちで分かれることができれば、その後も友人関係は続くから。
というわけで暑さ真っ只中のこの時期、海が近いこともあって、たくさんの人が集まった。
今回は弟夫婦のアイデアで、来た人全員に少しずつ東北支援のカンパをいただくことにしたようだ。パーティー代に一人500円上乗せしてもらい、また必要のない、でもほかの人には喜ばれそうなものを集めてスワップミートのようなブースを作り、そこでいろんなものを買ってもらうシステム。新品のサングラスとか、シャツなど結構いいものが馬鹿みたいな値段で置いてあったので勝ってくれた人も多かったし、そのほかにマウイで私たちが売っていたPray for Japanのシャツやネックレスも出し、結構勝てくれた人も多かった。
弟は以前スノーボードキャンプで働いていたこともあり、イベントには結構慣れている、その上そのとき宣伝のサインなどをたくさん書いていたのだろう、いろんなサインを書いていてそれが結構上手、私の知らない弟の一面を見た気がした。パーティー常連のスタッフのように動いてくれ、セットアップ、BBQの焼き物担当も暑い中汗だくになりながらまるでお祭りの屋台のよう。なんだか楽しい雰囲気いっぱいの中、はじめて会う人ばかりだったけれどとても楽しい時間が過ごせた。(さすが化粧品会社だけあってきれいな女の子ばっかり!)
私の家族はおばあちゃんの代からお客が多く、なんとなくオープンハウス的雰囲気がいつもあった。
特に夏になると家族それぞれのお客が入り混じって終末は子供からお供までいろんな人画集まるパーティーのよう。そんな雰囲気の中育った私も弟も、それを岡崎家の伝統のように思っていて、特に鎌倉に引っ越してきた弟はそれを受け継ごうという気持ちが感じられる。
(my family 左から私義妹の幸ちゃん、いとこの純子、純子の娘碧、ご主人の堀君、みんな一緒に暮らしてます)
毎日毎日朝早くから夜遅くまで東京まで仕事に行って大変で、家のローンもあるし、なかなか東北にボランティアに行きたいけど体力的にも余裕がない。でも何かしたい気持ちは僕もいっしょだ、といつかいっていたけど、弟の気持ちは良くわかる。私と違って彼には社会的な責任もあり、会社での仕事をしっかりした上でしかボランティアはできないし、そっちがおろそかになっては何にもならない。
だからこそ普段あまり役に立ってない私こそ、こういうときには動くべきだと自分でも思っているし、もし私も普通に仕事していたら東北に行く元気はあまりないだろう。
弟たちが何かしたいという気持ちをこんなふうに形にしたを私はとってもうれしく思っている。実際に東北に行って力仕事するだけが東北を応援する方法ではない。そして何かしたいと思っていれば、考え続けていればいろんな方法が見えてきたりやってきたりするのだ。
(シャボン玉は大人を子供に戻してしまう)(トランクスを持ってきてなかったけど夢中になって海で遊んでしまった新入社員君たち、この格好で海から歩いて帰ってき田植えに、後で見たr玄関先に3枚のパンツが干してあった!でも笑顔が抜群)
というわけで彼らは思い切り飲んで食べて親睦を深め、楽しむ中で、さらに東北支援のお金を集めることもやってのけた。それも全部で54,800円も!
5万円といったらかなりの額だ。それでいて誰も懐が痛くなるほどには出費していないはず。
こうやって小さなことでもみんなでやると何かしらの力になれる。たぶん弟もがんばっただけ気持ちがいいはずだし、それが東北のためになるということでさらにうれしいはずだ。
みんな仕事に忙しくてとても被災地にはいけない、でもこうやってみんなが集まったときにできることをできる形でやってくれる、そんなきもちがとってもうれしい。
思 うに、私たちが一番すべきことは「忘れないこと」できることは人それぞれ、お金がなかったり、忙しかったり思うように動けない人がほとんどだと思う。でも 普段から東北には今でも大変な思いをしている人、がんばって復旧活動にいそしんでいる人たちがいることを忘れずに思い続けていたら、少しずつでもできるこ とややりたいことが見えてくるはず、そういった小さなことを一人ひとりがやるだけで大きな力に変わるし、私が思うに現地の被災した方々を一番力づけるのは お金ではなく遠くから思ってくれたりやってきたりするほかの日本人の思いのような気がするのだ。
私も弟が忙しいなかがんばってこのパーティーの趣旨を考え準備していたことを知っているので本当にうれしかった。集まったお金のうちのカンパとガレージセールの売り上げは鎌倉とどけ隊に寄付、Tシャツやネックレスの売り上げはPray for Japanの費用に寄付してくれた。
私の弟は、私みたいな姉を持ったせいで我慢強くなったのか、とってもしっかりしていて気遣いのある立派な社会人。
いつも迷惑をかけてばかりなのに、それでも私のことを心配し、応援し、特にはほかの人が言ってはくれないような叱咤もする。きっと血がつながってなかったらもう、いい加減にしろといいたくもなるだろうが、血縁って強いつながりだなあと感じると同時に、弟と、奥さんの幸ちゃんを心から誇りに思っている。あまりに振り回して、迷惑かけてるから頭上がらないけど。
陽ちゃん幸ちゃんお疲れサマー!
夕方は鎌倉のピースウオークに参加。葉山のコーヒー屋さん5ビーンズも家族で参加していた。大勢の人が参加し、平和で安全な日本のために鎌倉を練り歩いた。
何事においてもそうだが、Clean Breakはいいものだ。何らかの理由で辞めなくてはならないことでもお互いがいい気持ちで分かれることができれば、その後も友人関係は続くから。
というわけで暑さ真っ只中のこの時期、海が近いこともあって、たくさんの人が集まった。
今回は弟夫婦のアイデアで、来た人全員に少しずつ東北支援のカンパをいただくことにしたようだ。パーティー代に一人500円上乗せしてもらい、また必要のない、でもほかの人には喜ばれそうなものを集めてスワップミートのようなブースを作り、そこでいろんなものを買ってもらうシステム。新品のサングラスとか、シャツなど結構いいものが馬鹿みたいな値段で置いてあったので勝ってくれた人も多かったし、そのほかにマウイで私たちが売っていたPray for Japanのシャツやネックレスも出し、結構勝てくれた人も多かった。
弟は以前スノーボードキャンプで働いていたこともあり、イベントには結構慣れている、その上そのとき宣伝のサインなどをたくさん書いていたのだろう、いろんなサインを書いていてそれが結構上手、私の知らない弟の一面を見た気がした。パーティー常連のスタッフのように動いてくれ、セットアップ、BBQの焼き物担当も暑い中汗だくになりながらまるでお祭りの屋台のよう。なんだか楽しい雰囲気いっぱいの中、はじめて会う人ばかりだったけれどとても楽しい時間が過ごせた。(さすが化粧品会社だけあってきれいな女の子ばっかり!)
私の家族はおばあちゃんの代からお客が多く、なんとなくオープンハウス的雰囲気がいつもあった。
特に夏になると家族それぞれのお客が入り混じって終末は子供からお供までいろんな人画集まるパーティーのよう。そんな雰囲気の中育った私も弟も、それを岡崎家の伝統のように思っていて、特に鎌倉に引っ越してきた弟はそれを受け継ごうという気持ちが感じられる。
(my family 左から私義妹の幸ちゃん、いとこの純子、純子の娘碧、ご主人の堀君、みんな一緒に暮らしてます)
毎日毎日朝早くから夜遅くまで東京まで仕事に行って大変で、家のローンもあるし、なかなか東北にボランティアに行きたいけど体力的にも余裕がない。でも何かしたい気持ちは僕もいっしょだ、といつかいっていたけど、弟の気持ちは良くわかる。私と違って彼には社会的な責任もあり、会社での仕事をしっかりした上でしかボランティアはできないし、そっちがおろそかになっては何にもならない。
だからこそ普段あまり役に立ってない私こそ、こういうときには動くべきだと自分でも思っているし、もし私も普通に仕事していたら東北に行く元気はあまりないだろう。
弟たちが何かしたいという気持ちをこんなふうに形にしたを私はとってもうれしく思っている。実際に東北に行って力仕事するだけが東北を応援する方法ではない。そして何かしたいと思っていれば、考え続けていればいろんな方法が見えてきたりやってきたりするのだ。
(シャボン玉は大人を子供に戻してしまう)(トランクスを持ってきてなかったけど夢中になって海で遊んでしまった新入社員君たち、この格好で海から歩いて帰ってき田植えに、後で見たr玄関先に3枚のパンツが干してあった!でも笑顔が抜群)
というわけで彼らは思い切り飲んで食べて親睦を深め、楽しむ中で、さらに東北支援のお金を集めることもやってのけた。それも全部で54,800円も!
5万円といったらかなりの額だ。それでいて誰も懐が痛くなるほどには出費していないはず。
こうやって小さなことでもみんなでやると何かしらの力になれる。たぶん弟もがんばっただけ気持ちがいいはずだし、それが東北のためになるということでさらにうれしいはずだ。
みんな仕事に忙しくてとても被災地にはいけない、でもこうやってみんなが集まったときにできることをできる形でやってくれる、そんなきもちがとってもうれしい。
思 うに、私たちが一番すべきことは「忘れないこと」できることは人それぞれ、お金がなかったり、忙しかったり思うように動けない人がほとんどだと思う。でも 普段から東北には今でも大変な思いをしている人、がんばって復旧活動にいそしんでいる人たちがいることを忘れずに思い続けていたら、少しずつでもできるこ とややりたいことが見えてくるはず、そういった小さなことを一人ひとりがやるだけで大きな力に変わるし、私が思うに現地の被災した方々を一番力づけるのは お金ではなく遠くから思ってくれたりやってきたりするほかの日本人の思いのような気がするのだ。
私も弟が忙しいなかがんばってこのパーティーの趣旨を考え準備していたことを知っているので本当にうれしかった。集まったお金のうちのカンパとガレージセールの売り上げは鎌倉とどけ隊に寄付、Tシャツやネックレスの売り上げはPray for Japanの費用に寄付してくれた。
私の弟は、私みたいな姉を持ったせいで我慢強くなったのか、とってもしっかりしていて気遣いのある立派な社会人。
いつも迷惑をかけてばかりなのに、それでも私のことを心配し、応援し、特にはほかの人が言ってはくれないような叱咤もする。きっと血がつながってなかったらもう、いい加減にしろといいたくもなるだろうが、血縁って強いつながりだなあと感じると同時に、弟と、奥さんの幸ちゃんを心から誇りに思っている。あまりに振り回して、迷惑かけてるから頭上がらないけど。
陽ちゃん幸ちゃんお疲れサマー!
夕方は鎌倉のピースウオークに参加。葉山のコーヒー屋さん5ビーンズも家族で参加していた。大勢の人が参加し、平和で安全な日本のために鎌倉を練り歩いた。
2011-08-20
2011-08-19
2011-08-18
2011-08-17
2011-08-15
2011-08-14
2011-08-13
8月13日 超多忙の8月
8月にはいって、なかなか日記をアップする時間が出来ずにいる。今週末を過ぎればピークを過ぎると思うのですべていっぺんにアップする予定です.せっかくのぞきにきてくださってる方々に申し訳ないけれど、今が行動の時間、来週はまとめの時間、ということにしてしっかり活動報告、そしていろんな出会いや経験などについて書き留めていこうと思っている。
めまぐるしくいろんなことが起こりひとつの出来事や出会いが重なるあって大きな動きになろうとしているのを感じているここ数日。周りの人たちの温かい心や思いに触れたり日本の美し自然を間近に感じることで感謝の気持ちでいっぱいだ。
数日中に一気に数週間分書きます。
めまぐるしくいろんなことが起こりひとつの出来事や出会いが重なるあって大きな動きになろうとしているのを感じているここ数日。周りの人たちの温かい心や思いに触れたり日本の美し自然を間近に感じることで感謝の気持ちでいっぱいだ。
数日中に一気に数週間分書きます。
8月13日 再び東北へ
お盆の休日。明日は気仙沼の本吉で平磯祭があり、そのヘルプに行くことになっている。
まだまだみんな大変な状況だけれどお祭りまで出来なかったら心がさびしくなるではないか、と流された太鼓もいろんなところからの寄付で形はばらばらではあるけれどある程度そろい、子供たちもこのお祭りに向けて練習を続けていたらしい。
私は鎌倉届けたいのメンバーと一緒に午後出発、のはずがなかなか来ない面子も合ったりで夜出発。
バン2台に7名の少数精鋭(?)チーム。 今回は焼きそばやビールなどの屋台ブース、そしてフラフープコンテスト、また現地で合流する吉川さん一家と一緒にシャボン玉ワークショップブースも出すことになっている。
5月6月と一緒に過ごして親しくなった本吉の人たちにまたあえるのがとってもうれしい、みんな元気かな?
まだまだみんな大変な状況だけれどお祭りまで出来なかったら心がさびしくなるではないか、と流された太鼓もいろんなところからの寄付で形はばらばらではあるけれどある程度そろい、子供たちもこのお祭りに向けて練習を続けていたらしい。
私は鎌倉届けたいのメンバーと一緒に午後出発、のはずがなかなか来ない面子も合ったりで夜出発。
バン2台に7名の少数精鋭(?)チーム。 今回は焼きそばやビールなどの屋台ブース、そしてフラフープコンテスト、また現地で合流する吉川さん一家と一緒にシャボン玉ワークショップブースも出すことになっている。
5月6月と一緒に過ごして親しくなった本吉の人たちにまたあえるのがとってもうれしい、みんな元気かな?
2011-08-12
8月12日
2011-08-07
8月5日 Rainbows in Kamakura
昨日の晩、実はまったくキャンプする気がなかったのに、思いつきでその場でキャンプ、キャンプはもともと大好きだけど計画なしでそのときのノリでキャンプするのはさらに楽しい。思いがけないグッドシークレットスポットは途中から雨で結構ぬれたけど、それでもかなりスペシャルな経験。鎌倉内でもこれだけすばらしい楽しみ方があるんだと、あらためて感動。そして昨日みたいなスペシャルな波が立つことを期待して今日は朝3時起きでみんなが来る前に1時間が乗っていたいと思ってがんばって起床。でもさすがに疲れていて起きたのは4時ごろだった。
早速パドルアウト、波はサイズダウンしていて満潮なのでビーナスポイントはたぷたぷしていて余り割れていなさそうだったので、小さいかなと思いつつも昨日行ったところへ。そうしたら途中でこんな虹に出っくわした。ちょうど一番はっきりしていて、なんとダブルレインボウまで!毎日のように虹が出るマウイならともかく、鎌倉で虹なんてそうは見られない、それも海の上で。ダブルレインボウはずいぶん前二回との事故で命を落とした親友のシルキーが降りてきたサインだと私ともう一人の友人は信じているので「シルキー日本に来てくれたんだ!」とジーンときた。
そのまま浮かびながらこの幸せをかみ締め、うっとり虹を眺めていると、誰もいない海の上をちょうど虹の橋が下りている部分(黄金が埋まっているといわれているところです)にスタンドアップパドラーが一人こっちに向かって漕いできているのが見えた。昔から知っているウインドサーファーの秋元くんだった。
(見えるかな、右下のほうにいるパドラー)
波は小さかったけれど数人のスタンドアップパドラーと一緒にたまに来るセットをシェアし、3時間ほどで終了。ちょっと上がるのが遅すぎて9時を過ぎてしまい、坂ノ下に上がらずを得なくなり、10分ほどボードを抱えてはだしにビキニで砂だらけのまま歩道を歩いていたが、かなり変な人状態でさすがの私もちょっと恥ずかしかった。
こんな日は生まれ育った鎌倉のよさを再確認させられる。いいところだな。
早速パドルアウト、波はサイズダウンしていて満潮なのでビーナスポイントはたぷたぷしていて余り割れていなさそうだったので、小さいかなと思いつつも昨日行ったところへ。そうしたら途中でこんな虹に出っくわした。ちょうど一番はっきりしていて、なんとダブルレインボウまで!毎日のように虹が出るマウイならともかく、鎌倉で虹なんてそうは見られない、それも海の上で。ダブルレインボウはずいぶん前二回との事故で命を落とした親友のシルキーが降りてきたサインだと私ともう一人の友人は信じているので「シルキー日本に来てくれたんだ!」とジーンときた。
そのまま浮かびながらこの幸せをかみ締め、うっとり虹を眺めていると、誰もいない海の上をちょうど虹の橋が下りている部分(黄金が埋まっているといわれているところです)にスタンドアップパドラーが一人こっちに向かって漕いできているのが見えた。昔から知っているウインドサーファーの秋元くんだった。
(見えるかな、右下のほうにいるパドラー)
波は小さかったけれど数人のスタンドアップパドラーと一緒にたまに来るセットをシェアし、3時間ほどで終了。ちょっと上がるのが遅すぎて9時を過ぎてしまい、坂ノ下に上がらずを得なくなり、10分ほどボードを抱えてはだしにビキニで砂だらけのまま歩道を歩いていたが、かなり変な人状態でさすがの私もちょっと恥ずかしかった。
こんな日は生まれ育った鎌倉のよさを再確認させられる。いいところだな。
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