2011-05-22

5月22日 パドボグランプリ

(朝のミーティング、後ろの荒れた海に注目)
今日はパドボグランプリ、PADOBOというのは日本でのスタンドアップを定義するほどの言葉で材木座でショップをやっていてプロサーファーであり、プロウインドサーファーでもあり、スタンドアップパドルのパイオニアでもある奥田哲さんがスタートしたもの。日本ではパドボと言う言葉自体がスタンドアップのことを言うほど一般的なブランド。
もうすでに第6回となるこの大会は勝ち負けよりも全国のスタンドアップパドラーが集う楽しいイベントとして私の中でいつも出たいと思っていたものだがなかなかタイミングなどが合わず、出られなかった、でも会場に行くとみんな楽しそう。選手にならないと味わえない選手同士の親密さみたいなのをぜひ味わいたくて今年はやっと参加することが出来た。
ただし当日由比ガ浜から材木座まで漕いで会場まで行こう(いつもやってることだし、ほかの選手も前やっていたので)と思ったらその日に限って朝からウエイブライダーがかっとん出るようなコンディション、サーファーが由比ガ浜に大勢漂っているオンショア。こんななかでスタンドアップなんてやったことないし、まして大きなレースボード、ビーチにボードを運ぶことすら一人で出来ず、弟たちを起こして一緒にもって言ってもらい、流されて打ち上げられたら助けに来て、と頼んで海に出て行った。なんと囲いでいけたけど、緊張しっぱなしでその上風を横切る感じで行かなくてはならず左側だけこぎ続けて右の肩の筋肉がつりそうになるくらいきつかった。
(左から土佐洋子、今井雅子。一緒にレースでがんばっていたのはもう20年以上前!歳は取ったけどみんな中身は変わっていない)
会場に行くとウインドサーフィン自体の先輩たちや仲間が大勢。まるで同窓会。葉山の議員さんになった土佐洋子ちゃんも相変わらずお子ちゃまの様なしゃべり方で和ませてくれた。(20年前とぜんぜん変わらない伊佐さんと洋子)
「このお子ちゃまみたいなしゃべり方で選挙演説するの?」とからかったけど、3倍の競争率のなか再選したのだからやることはしっかりやってるし、地元の人からの信望は厚いのだろう。彼女がやってることは本当に大変なことだし、いやなことや消耗させられることも多いはず。それをあの、ののほーんとした様子でこなしてしまう彼女の、表には出てこない強さとたくましさは尊敬する。大変なことを大変そうにやるよりずっと難しいこと。このあいだまでマウイで一緒だった、もえちゃん、ともも登場。ほかにも高校時代からウインドを一緒にしてきたマコや学連時代の同期平野君も会いに来てくれた。レースでばたばたしていてゆっくり話せなかったのが残念だったけどみんな年はとっても変わらない。バハで一緒だった横山さんも風が吹いているのにカイトに行く前に寄付金を渡すために寄ってくれた。選手やスタッフのなかにも大勢東北に行ってきた人がいていろんな話を聞かせてくれた。イベント自体もエントリーや収益の一部、そしてチャリティーオークションやチャリティーグッズの売り上げの全額寄付するという。

さて大会自体はオンショアで出来た波を利用してウエイブから始まった。こんなオンショアの波でスタンドアップしたことは実はないし、借りたボードなのでぜんぜん思うように出来なかったけど、それはみんな同じ立場なんだからと余り考え込まずにできるだけのことはやった。うれしかったのは出ている女の子たちがみんなとってもフレンドリーで一緒に楽しく出来たこと。
メンズのパフォーマンスを見てもあの上手なタカやとも、永松君たちがいつもの鋭さをぜんぜん発揮していないから、自分が何も出来なくても仕方がないと自分を慰め余り気にしないことにした。

ウエイブだけでもオンショアで沖にこいでいくのが大変で腕が疲れてしまったけどその後今度はスラローム。いくつか岸の近くにうってあるブイを回るショートコース。わざわざこの日のためにレースボードを借りたけどこんな荒れた海でレースボードなんて使いこなせない。ウエイブボードを借りて出た。波間のハンドリングとかが大事だったので速さより乗りやすさ。最後までカヌーの第一人者でありスタンドアップも日本ではトップのもえちゃんがリードしていたが、私も彼女のテールを突っつきながら必死で抜けるチャンスを狙っていた。ラッキーにも彼女が波まで沈してくれてどんでん返しのトップ。

メンズはレースボードで出たともがそれでもがんばっていたけどウエイブボードで出た長松君や沖縄の竹ちゃんなどと接戦、ファイナルでは永松君が最後のランで陸上選手のような走りで優勝。

ウエイブとスラロームをこなしたころにはもう私はへとへと、参加できるうれしさで、全部出まーすなんて宣言しちゃったけれどこれからコースレースなんて出来ないよってくらいつかれきっていた。風が強すぎてキャンセルします。ってなんないかなあ、なんて考えていたほど。それでも運営のほうはスムーズにどんどんこなし、最後にコースレースが始まった。
スタートは余りいい位置から出るとうまい人たちと団子状態になって自爆しそうだったのですいてる脇のほうから出た、最初はそんなに前のほうではなかったけどそれでも団子状態になることはなく自分のスペースを確保しながら少しずつトップ集団へと近づいていく。
最初のブイを回ってちょっとするともう向こうのブイを回ってこっちに戻ってくるものすごい勢いで漕いでいる永松君とすれ違った。「早すぎ!」と叫んでこっちもパドルに力を入れたけど、あれはすごかった。わたしは第2マークまではたぶん20番くらいだったけどそのあたりから周りのパドラーに疲れが見えてきた。私は大きなレースボードというアドバンテージもあるのだからがんばらねば、と周りの人のパドルのペースより早く小刻みにこぐように努力し、何人か追い上げ自分が思ってるより早い位置でフィニッシュできた。大苦手のランで最後に一人若者に抜かされちゃったけどマウイのレースではそこで3人抜かされたから、まあ今回はいいとしよう。

もともと余り勝とうというつもりで出たのではなく、みんなと知り合いになってスタンドアップ仲間を増やしたいという気持ちだったが結果的に自分の力を出し切って勝つことも出来て、その上か痛いけど高くて変えなかったボードキャリア(ビーチまでボードをごろごろ運んでいけるもの)が賞品でもらえて、とってもラッキーな一日だった。
何よりヒートで一緒だったレディーストのひと時はうれしかったな、また一緒にスタンドアップが出来るチャンスがありますように。そしてボードをいろいろコンディションに合わせて貸してくれたナッシュの皆さん、チームライダーでもないのに、快くいろいろ貸してくださってありがとうございました、おかげで大会にも出ることが出来たしいい成績も残せました。

レース終了まで天気が持ったもののその後表彰式の前にザーザーぶりになってきた風にシフト。大きな賞品をたくさんもらったけど漕いで帰らなくてはならないのでともにお願いして車につんでうちまで持ってきてもらうことになり、今度はオフショアで流されないか心配しながらまた一人で由比ガ浜まで漕いで帰った。行きは右の肩が痛かったけど帰りは左肩だけでこぐからなんて思っていたら、風が反対にシフトしたのでまた右肩だけがパンパン。あんまり沖に行くのが怖いので大勢のサーファーの目の前を通り過ぎるように沖に流されないよう必死に漕いで帰ってきた。
風が強くで一人でボードを運ぶのが怖いのでもう70歳にもなる母に頼んで一緒に運んでもらう始末。今まではそんなことなかったのだがレースボードは大きいので本当に風があると危ない。賞品でボードキャリアがもらえて本当にうれしい。

今回だんとつの入賞候補だったのに練習仲間の永松君にトップを奪われ、かなり落ち込んでるともが荷物を持ってきてくれ、奥さんの美和ちゃんと3人でご飯を食べてから彼らは御前崎へ。7月にまたマウイの大会に来るのだが、それまでその悔しさでがんばって練習しろと神様が発破をかけてくれているのだろう。かわいそうだったけどがんばるしかない、大会なんてしょせん大会、いい日もあれば悪い日もある、反対にいい日が今日来た永松君はホント勢いがあっ足し、それはそれでうれしかったし、ウエイブで活躍していたパドボブランドボードに乗っていたたくさんの人たち、そして優勝した沖縄の竹ちゃんもとっても上手だった。あの波でスピード出せる方法を私は学ばないとな。

くたくただけど明日の朝から出かける野の準備、そしてまだ仕上がらない原稿にあたおたしながら長い一日を終える。
つかれたー。でももっと大変だった大会運営の方々特に奥田さんとみゆきさん、お疲れ様でした、みんなが集まって楽しみ親睦を深められるすばらしい機会に感謝!

2 comments:

  1. Yes!ねーさん、やったね~~!おめでとう!マウイアンとしても誇り高いです! 
    Kana

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  2. ありがとー、でもあんなコンディション絶対普段だったら乗らないねー。えぐかったです。東北はもっとすごかった。忘れられないたびになりそうです。新潟のほうにかなちゃん関係、美和子ちゃん関係からの物資の支援もあったのでくれぐれも御礼を伝えてくださいね、そしていろいろ私たちが出来ること見えてきたから、また帰ったらがんばろう!ナモツの波楽しんできてね。

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