毎月同じことを書いているけど11日は私の祈りの日。
日本では11日は昨日だったので、私もハワイで10日からすでに震災のこと、そしてその後の進展やたくさんの人の想いについて考える。私も実際に何か役に立つことを東北のためにしているわけではないので、申し訳ない気持ちになる。震災直後は日本の国民が一丸となってできることを探しできるだけのことをしていた気がするのに、今では被災した人とそうでない人の気持ちに大きなギャップがある気がする。それは全国規模だけでなく東北の中でも実際に津波にあって多くを失った人と何も被害を受けなかった人の間で感じられるような気がする。
復興復興と言われつつそこに使うべきお金がどこか違うところで使われていたりするニュースが多くてとてもめいる、実際に関わりのない私でさえ、憤りを感じるのだから被災地の本人たちはほんとに頭に来ると思う。放射能の状況がどうなっているのか心配で仕方がないのに、保証を打ち切るとか賠償がなかなか払われなかったり、家族が相変わらず離ればなれで暮らしていたり、そう言う人たちにとっては復興なんて全然すすんでないように思われるだろう。その上もう2年近くが立っているのに、先のことが見えて来なかったら、いくら頑張ってた人でもエネルギーやモチベーションがキープできなくなってくる.ここ数ヶ月、初期日本とにみんなを引っ張って頑張ってきた人たちから弱音をきくようになった気がする。弱音というかあきらめというか、大きな国に対して怒りをぶつけても何も変わらない、何も動いてくれない、そんなむなしさを感じてる気がするのだ。つらい想いをしてきた人たちにさらにそんな想いをさせてほっといていいものだろうか、といつも申し訳ない気持ちになるけどかといって私にもできることが多くない。
結局は忘れないこと、できる限り多くの人がより良い状況に戻れるように、そして放射能のことを心配しないで生活できるようになることを祈るくらいしかできない。
でもいつもちょこちょこ考えていると、ふとしたときにできることが見つかったり、あるいは何か気づいてやってみようかと思うことがあったりもする。わたしからしてみれば福島の今の状態をそのままにしておいて原発再稼働や推進なんてあり得ないのだが、それだけでなく、福島の被災した人たちの賠償も東電から提示された金額が不満だと意思表示した人たちには書類すら送らなかったりしているらしいし、まず子供たちにモニターを毎日ぶら下げさせておいて、その数値が自分たちには教えてもらえないなんてモルモットのような気持ちになってしまうだろう。復興もすべての人に賠償を払うのも大変なのはよくわかる、でもせめて、なんとかその人たちが報われるよう努力しようと言う姿勢さえあれば周りの気持ちも少しは違うように思う。
1月11日のFacebookに多くの被災地の友人が3月11日のことを思い出して写真を載せていた。その一方それ以外の土地の人たちの書き込みがあまりに平和というか、たわいのないことで、そのギャップに申し訳ない気持ちになったのだが、「3月11日のことを忘れない」と東北の人たちが書いているけど、忘れちゃいけないのは東北以外の人たち、私たちの方なのではないだろうか?東北の人たちがあのつらい経験を忘れられる位、「あんなことがあったけどここまで戻ったな」と笑顔で言えるようになるまで、忘れずにともに歩いて行くべきなのは私たち、そして政府なのではないだろうか。
数兆円もの復興予算があったのに、2年経っても何も変わらない自分のふるさとを毎日目にするのはほんとにエネルギーがなえてしまう行為だと思う。だからあの元気で優しい人たちがまだ元気でいるうちに私たちもできることをもっと考えてうごかなくちゃいけないな、と、自分を戒めた今日。できることをするといっても、初期の頃のように物資を集めればいいような単純なものではなくなった今本当に難しいけれど、それでもちょっとしたことで手伝えることはオープンにしていればどんどん向こうからやって来るはず。
昨日は新月で月がみえないぶん星の輝きがいつも以上にきれいだった。
震災の数ヶ月後、不思議なことに電気も何もない中夜の星のきれいさが印象に残っていると話してくれた人がたくさんいた。
2年近くたった今、仙台や気仙沼のみんな、そしてマウイに来てくれた福島の人たち、そしてその他のたくさんの東北の人たちは星空を見上げてどんな想いを抱いているのかな。
2013-01-12
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