2011-06-08

6月6日 牡鹿半島から気仙沼へ

ちょうど仙台にはいったころ、空が明るくなり始め、石巻の牡鹿半島に入る橋を渡っているときに日が昇ってきた。こんなにため息が出るほどきれいな朝だけど横のバックグラウンドには巨大な瓦礫の山、逆行で悲惨な綱もの跡があまり見えないのがせめてもの救いだ。牡鹿半島に入ると一気に景色が変わり、リアス式の海岸線に沿って、まるでマウイのハナへの道のようにくねくねとターンが続く。チラッと見えるいくつもの小さな湾がかわいらしい。海の色もきれい。だけど瓦礫の山と汚染された海。
まだ朝が早いのでまずは半島の先端まで行き、そこで休憩。みんな寝袋とかで仮眠、私の寝袋は奥のほうに入っててでてこないのでそのままコンクリートのうえに横になったけどそれでも問題なく眠れてしまうほど疲れていた。

牡鹿半島から見える金華山、この間にある海が、津波のときに引き波で改定が露出した。信じられない。でも証拠写真が残っている。牡鹿半島の小さな避難所を巡り、いろんな物資を分けた。まだ足りないものもあるのかもしれないが、全般的に物資で困窮しているという感じはなくなってきている気がする。また、足りていても何でもよさそうなものをほしいだけとっていく人もいれば、本当に必要なものだけど受け取り、それ以外は他にまわしてくれ、と辞退する人もいる。ひどいときにはものすごい料を物色して、大きなバックパック(これも支援物資の中にあったものだが)に詰め込んでいた人が、最後にみんなで写真を、というときに「あ、私はいいわ。被災者じゃないしー』と逃げてしまった。被災した親戚のところに来ていただけの人らしい。後やはりもらいな慣れしてしまう人もいて自分で何かしようとしない人もいるのだ、と地元の人も漏らしていた。なかなか難しいところだ。ほしいものをただ、肺、上げますよー、ではいけなくなってきつつある。そういう意味でも、交流、人と人とのふれあいの一環として物資を持っていくのが一番いいだろう。難しいけど。何回も行けばいくほどそういうのを感じるようになるんじゃないかと思う。
牡鹿半島を回った後、さらに必要なものなどを石巻で買い足して、いざ本吉へ。ついたのは夕方だったので今日は作業には参加できなかったが、男性軍は明日からの作業の下見へ。私たちは物資をいろんな過程におすそ分けをして回った。
避難所ではないが被災した家族たちみんなで一緒にご飯を作って生活している場所に行くとちょうど夕食の準備をしているところだった。今回は女性用の化粧品やおしゃれ用品が結構あったのでみてもらったら、みんな大喜びでいろんなものを試しながらもって行ってくれた。やっぱりどんなところでも、どんなに年をとっても(失礼!)女性は女性、きれいにしていたいものなのだ。
サニーデイの金野さんのところにキャンプを設営させてもらい、みんなで夕暮れのひと時を楽しんだ。
こんな素敵なボランティアかつどうやっちゃっていいのかしら、と自分のテントサイトにうっとり。
金野さんもオータムもいろんなプロジェクトにかかわり、毎日休みなく働いている。それでも明るさを失わず常にサニーデイにはジョークと笑いがあふれている。
夜はお待ちかねシラス丼。真ん中に火を炊いて最高の夕食だ。さあ、明日はみんなで頑張りましょう。

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