今日日本から届いたGyoganzine
Y博士ことカメラマンの樋貝吉郎氏が始めた雑誌で山とスケートが中心のライフスタイル雑誌とでもいえばいいだろうか?彼のセンスでメッセージ的なコラムやインスピレーションを与えてくれる写真など満載。あれだけ皆が知ってる太朗さん(玉井太朗)だけど、今までそれほどロングインタビューがなかった.巻頭にある彼のインタビューは、何故今の彼が存在するかが納得できる彼の生い立ちなどについて深く語られている。やっぱり子供の頃にいろんな経験をさせていろんな遊びをさせる事って大事なんだなと再確認。
第2(第3、第4?)の故郷だったジャクソンホールの家族のような仲間TGRのスティーブ・ジョーンズがマウイに来ている。マウイのローカルプロサーファー、イアン・ウオルシュの撮影にきているのだが、彼とはもう20年近い付き合い、最初にであったのはアラスカの山の中。彼らはお金もないのに来ていてて、なんとか安く、あるいはただで減りに乗ろうといろんな工夫を凝らしていた。最終的に彼らはダグクームズのもとでヘリガイドになり、ガイドをしながら滑りまくり、そして時間があるときに撮影をして、それがフリースキー、ビッグマウンテンムービーのパイオニア的存在TGRの始まりとなったのだ.彼らの面白いエピソードは話し始めたらきりがないが、とにかくTGRの初期はほんとにお金も何もなくてあるのは勢いと情熱とめっちゃくちゃタイトな仲間だけだった。彼らが一緒に住んでいるコンドミニアムは山小屋のような部屋のセットアップになっていてその中に私も入り込み、お金がないので出来る限りやすくて腹持ちのする食材をいろいろ形を変えて料理した思い出がある、何しろ当時はトイレットペーパーすらケチって買わずに町のフリーペーパーをたくさん持ち込んでそれがトイレにおいてあった。(おかげでいつもトイレが詰まっていていやだった)私は自分用にこっそりペーパーをソファーの裏にストックして使っていたけど。
有り金をすべて機材や準備に使いビデオをリリースしてもしばらくは収入がはいって来ない事を考えていなかったのでシーズンはじめの数ヶ月は本当に車やソファーの隙間にはまっているコインなどを探してタバコを買いにいったりしていた彼らだが、あの頃は最高の時代だった。責任やプレッシャーもなく何も考えずに雪の事だけを考えとにかく朝から晩までスノーボードウエアのまま、下手したら夜中にバーでスキーブーツを履いたままなんていう事もしょっちゅうだった。その仲間のうちでも一番酔っぱらうと手に負えなかったスティーブ。ハチャメチャだったけど彼らからは情熱のパワーをいつもまのあたりにさせてもらっていた気がする。
マウイに来ても仕事大変でのんびりできないよーとは言っていたけれど兄弟が会いにきてくれたようななつかしさと嬉しさで一杯だ。
スティーブ、トッド、そして末っ子のジェレミーは私の兄弟みたいなものでクリスマスなどはいつも彼らのファミリーの集いに参加させてもらっていた。彼らが実家に戻って来ないので良心が彼らに会いにホリデーシーズンにはジャクソンにやって来ていたから。
最近リリースされたムービーのひとつDream Factory は懐かしい思い出をよみがえらせる場所がいくつもでてくる。
2013-12-18
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