飛行機の中では疲れでぐったりだったけれどオアフに着いたら元気がでてきた。久しぶりにジニーチェサーと空港で会う約束になっていたから。
彼女へのお土産は鎌倉で拾ったビーチグラス。彼女はボードのエアブラシを何十年もやり続けながらジュエリーも作っている。
ビーチグラスも使うらしく、小さくてころころしたものを彼女のことを考えながら拾ってきたのだ。
昔夏はよくオアフのサウスサイドでウインドの練習をしたいた.その頃ダイアモンドヘッドのすぐ裏にあった彼女の家で彼の息子トッドと3人で何年か生活していたのだが、それ以来お姉さん的存在、とはいっても年齢的には彼女の方がずっと上なのにユーモアにあふれてチャーミング、スパンキーな彼女は頼りがいのあるお姉さんというより悪友。笑いが絶えない。それにジェリーさん達と同年代だけれど今でもピキピキのショートボードでアラモアナの女王として毎朝波乗りしているのだからほんとにすごい。
ニコスというおすすめのおいしいレストランでテイクアウトをしてきてくれたジニー、近くの公園でそれを食べながらおしゃべりが泊まらない、そこら編のレストランに行くよりそう言うスタイルの方が私も好きだということを良くわかってくれている。オパカパカのロブスターソース.お腹すいてないと言っておきながらぺろりと平らげてしまうほどのおいしさだった。
彼女の息子トッドはケリーやロブマチャド、クリスマロイが若い頃の仲良しグループのリーダー格としてビッグウエイブに皆を引っ張っていっていた。トウインがはやりだした頃、パドルでのビッグウエイブサーフィンにこだわり、ある日、ジョーズでビッグウエイブのスタントの仕事をやることになって板にも関わらず、こんなにいい日にそんな仕事やってる場合ではない、とぶっちぎり、オアフのアウターリーフに仲間と出て行って、そこで巨大なクローズアウトに落ちつぶされ、命を落とした.彼のことは今でも生きているかのど得よく話題に上るし、毎年感謝祭の頃にはトッドチェサーメモリアルとして、盛大な食事と楽しいイベント満載の集まりがノースショアで開かれ、パイプラインマスターズではトッドチェサーアワードとして彼のスピリットを引き継ぐサーフィンをした選手に送られる賞があるほどだ。
20歳のときにご主人を自己でなくしてから女手一つで育て一緒にサーフィンし続けた息子を失うことがどれだけ彼女に大きな打撃を与えたかは計り知れない、そしてその翌年には親友レラサンをなくした。それから数年ご自分も珍しい種のがんに冒されたが、『ガンになったことなんてトッドの死に比べたら何でもなかったわ、それに最悪の状態になってもそれだけ早くトッドに会えるってことだし』と言うほどだったから。
彼女ががんに冒され、到底払いきれない医療費に向かい合ったとき、サーフコミュニティーは彼女をフルにバックアップした。トッドと親しかったプロサーファー達だけでなく、メディアもオアフの仲間達も皆でファンドレイジングイベントを繰り返し、年末にあるサーファーズアワードパーティーは収入の半分をジニーに送った。それほどジニーは皆に影響を与え続けてきた人なのだ。
タフなときにこそユーモアがでてくるような人が真に強い人だと私はいつも思っているか彼女もあんなに小さな体の中にどれだけの強さを詰め込んでいるのかわからないほどタフ。私が彼女の年齢になった時彼女の半分でもサーフィンできていれば、そして彼女のように皆に愛されていれば私の人生は大成功だったと思えるだろう。
夕方までおしゃべりしつくして飛行機に乗りマウイに着いたら夕暮れだった。2ヶ月も留守にしていたとは思えないほどすーっと部屋に入り込んでそのままシャワーを浴びて就寝.やっぱり自分のベッドはいいなあ。
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