2013-09-11

9月11日 Power of prayer( 祈りが持つ力を信じよう)

 (今回はいつも以上に長いので覚悟を)
また9月11日が来た。あの悲惨な事件からもう12年,未だにあのときのどうしようもない気持ちを思い出す,レッドブルのカイトの大会がホキパで初めて開かれるはずの初日だった。私はその半年後にカイトの事故で若くして天国に行った一番の仲良しシルキーと一緒に涙が止まらないまま部屋で抱き合って家族のことを思っていた。
そして震災から2年と半年。この2年半で自分に起こった出来事を思い起こすどれだけたくさんのことがあって,どれだけ変わったか思い知らされる。辛い経験も素晴らしい経験もあった,たくさんの新しい仲間との出会いもあり,別れもあり,自分の思いも変わっていった。それに比べて東北の生活はあまり変わってないように思う。あれだけ辛い思いをしたのになんだかこれでもか,これでもか,と大変なことが押し寄せている,それも天気や自然現象ならどうしようもないとあきらめられるが,はっきり言って人間のまちがった決断やエゴでそう動いている気がする。

震災以来私の気持ちは確実により日本に戻ってきた気がする。自分のふるさとであるこの国が止んで苦しんでる気がするからだ。自分のことをおいといて人の心配するより自分のことをちゃんとやってから,責任ある国民になってからものを家と言われるかもしれないが,でもなんだか国の中で故意ではないにしろ差別的な状況が存在している。

絶対的に間違ってるはずのことが進んでしまう,でもそれをどうやってとめたらいいのか私にはわからない。自分の一番身近で人間的に素晴らしい人でも考えが全く違ってその食い違いが言葉を強くすると反感をうみ対立しかねない状況もたまにある。こんなにわかりあって仲のいい人でも震災や原発や復興問題で激しく意見が食い違うのだから実際現地に住む人たちのコミュニティーで完全に亀裂があり,言いたいことも言いにくいと言うのもわかるような気がする。なんだか胸がとても痛む,以前は皆で仲良くシンプルではあったかもしれないけど助け合って仲良く暮らしていたのに震災後町がバラバラになったと言う話は多い。

今日は特別いろんな思いが自分の中を駆け巡る。書き始めると長くなってしまいそうなので二つだけ数日前にドスーンと心をついた話をシェアしたいと思う。

一つは石巻の中村さん。彼は家の2階まで津波が来た。丁寧で最奥のクオリティーのウエットスーツを一枚一枚カスタムメードで作ることで知られていた。震災後なによりすぐに家族を安全に守れるためにと避難所でないところで家族だけで暮らせるよう半壊して住む人がいなくなった家を見つけ出し,そこのオーナーから安く借り受けてなんとか皆で生活できるように周りの瓦礫を利用したり簡単な大工作業をして借りの住居をつくった。そんななかでずっと頑張ってきた彼はこの2年でいろんな壁にぶち当たったけれどそれでも会うときに自分の不幸な状況を嘆くのを聞いたことはなかった(もちろん全体の流れについての批判はいろいろ皆で話していたが)
その彼がさすがに東京オリンピックが決まったあとにFacebookに書き込んだ文は普段そういうことを書かない彼だからこそ重かった。
(石巻の中村サン左と南三陸で4代漁師の佐藤サン)
本日、石巻市門脇にある実家に行ってみました。
先月から解体が始まり今では綺麗な更地になりました。
ここで過ごした40数年間を思うと、やはり心の中にぽっかり開いた穴のような、何とも言えない気持ちになります。
この地域は川沿いながら海から少し離れていて、家の流失はま逃れましたが再建不可能なくらいダメージがありました。
2階まで津波が来ましたが石巻の予算上、可住地域です。
家が無くなって一番ショックなのは両親だと思いますが、何時出来るかわからない復興住宅に望みを繋げ細々と生きています。
人の住まない土地が残り、今、自力で再建しようとしている私の土地はまだ見つかっていません。
こんな状況下の中で「東京オリンピックが決まりました!」「やったね!」なんて言われても正直どうでもいいんです。
7年先の事を言われても、今現在復興していない自分の事で精一杯です。
もちろん、温度差があるのは理解しています。
オリンピックの経済効果もわかります。
復旧復興、オリンピック、原発の問題は個々に違う問題です。
でも、すべての問題で国費を使うのは同じです。
復興予算も関係ない場所に使われ、現地にいる被災者からみれば復興が遅れているのがわかります。
被災地では建築資材も高騰し、自力で再建する足かせにもなっています。
そこで出てきた防波堤問題。
コンクリートも不足し高騰するでしょう。
唯一の楽しみであるサーフィンのポイントも消滅します。

私達被災者はトンネルの先の小さな光に希望を持って生活しています。
その光はオリンピック開催ではありません。
ささやかな震災前の生活です。

7年後、オリンピック開催して私が生まれた「昭和40年不況」のようにならない事を祈ります。
前回の高度成長期の日本とは違い「いざなぎ景気」は無理では?
これ以上、国の借金を増やされるのはまっぴらごめん!です。
私は後数十年で死にますが、子どもや子孫達に恥じない政治を望みます。


そしてもう一人一郎君,彼はパタゴニアの仙台ストアにつとめているアウトドアーズマン。彼の文にはもうどうしようもない無力感を感じた。まだまだ復興は終わっていない,そして最初にはなかったような精神的苦痛やストレスは更なる被害を生んでいる。
(ゴーストタウンになってる彼の実家がある町)
五輪決定のその日の夜に神奈川県警から電話。
生まれ故郷の叔父さんが避難先の神奈川で孤独死してたそうです。今日発見されました。
で、五輪ですけども。反対意見も喜びの声もありますけども、

どっちでもいいわ。五輪に対してネガティヴな人たちもポジティブな人も
東京で素直に楽しめよ。ってのが正直な所ですね。
福島は7年後にもあんま変わってないかも知れないですけど。
原発に関して言えば、五輪なんぞ推進派にも反対派にもスケープゴート。
ホントに心配で、福島がかわいそうって思うならさ、
オレの生まれた家が空いてるので月2000円で貸しますからどうぞ住んでくださいな。

警察から伯父さまが避難先,友人もいない神奈川で孤独死していたことを警察から電話で知らされた時後ろのテレビからはオリンピックが東京に決まったと言う明るいニュース、『日本国民が一つになって!』とか言うスピーチを流していた。そのあまりのギャップに憤りをこえたものを感じたに違いない。投げやりな文章の一つも書きたくなると言うものだ。福島が実家の彼の家族は家にも戻れず,先祖のお墓参りさえ出来てない。
申し訳なくて情けなくて読んでて涙が止まらなかった。
一郎君にしても中村さんにしてもおとなしい方だ,もっともっと怒りと敵意をぶちまける人もたくさんいる。でも彼らは怒りや敵意反発を投げでも無駄だと知っている。冷静な目でみているがやりきれない思いをかかえている。そして同じような思いで今でも暮らしている人がほんとに何人いることか。

私は個人的にはオリンピックや高校野球や駅伝など大好きでアスリートの素晴らしいパフォーマンスその裏にある血のにじむ努力と本番に起こる想像もできなドラマすべて好きだし,それが多くの力を与えてくれることもよくわかっている。それでいてなお,やはり今の今東北でやろうと言って7年後までにしっかりすべて復興させようと言うのならまだしも,何となく(いや実は確信に近いけれど)オリンピックの盛り上がりで工事もお金もオリンピックにいってしまうのではないかと心配している,だって今までにも復興予算のお金が他のところで使われてたわけだし,お金で解決する部分なんて楽なものなのに,そこすら出来てない。そして放射能,汚染水の問題もある。オリンピックみることより、まずは震災前のささやかな生活を取り戻したい、と言う中村さんの言葉は響く。
オリンピック招致活動で頑張っていた人やオリンピックに出ようとトレーニングに励んでいるアスリート達を批判しているのではけっしてないことをわかってほしい,そう言う人たちは皆それぞれ純粋な気持ちで努力を続けている素晴らしい人であり,私は心から尊敬している,どんなことでもそこにずるさや悪気がない限り一生懸命さは人の心を打つ。だからオリンピックが決まったからには私も精一杯皆を応援するつもりだ。
ただそれでも心のどこかでなにかがひっかかる。オリンピックと復興は別物としてもやはり同じ日本で辛い思いを2年以上続けている人,未だに家もなく、オリンピックが来る年には仮設住宅で見ることになったらやだなあ、なんて考えている人がいるわけでそういう人には今回のニュースは浮かれてるようにも見えてしまうだろう。本当に安倍首相が言うようにすべてが2020年に平和な状態になり,何を食べても安全になるとは思えないがせめて政府が東北の復興に(それはいらない防潮堤の建設ではなく,実際に必要とされる住居や避難堂の建設など)全力を尽くす姿勢をこれからの7年間示してくれることを心から祈っている。

祈ってるだけでは何も起こらないと思う人もいるかもしれない,でも思うことって実はすごくパワフルで祈りはさらに大きな力を持っている,一人で祈るのではなく,一人でも多くの人が東北の復旧、すべてのことが人間の良心にそって動くように,世界中の人がお互いに理解しあおうと心を開き、努力を続けて行けるよう,そして物質的にも精神的には私達の幸せな生活にはなくてはならない豊かな自然とともに暮らしていけるよう,祈り続けることが出来るように,今日はゆっくり祈ろうと思う。(でも実はその前に締め切りすぎた原稿を終わらせなくては!)
イメージが出来るものは実現可能である。ウインドでもスノーボードでも人生でもそう。だから平和で持続可能な、皆が笑っている世界をイメージして祈りたい。

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