(2011年8月。忘れられない波と出会った翌日、家の前の湾に出たダブルレインボウ)
2011年、あまりに激しい変化のせいで、実は3月11日以前のことを思い出そうとするのだがほとんど思い出せない。(Photo by HiroyukiYamada, 5月の気仙沼)
冬の波がよかったことはなんとなく覚えているけれど、ぜんぜん脳裏に焼きついていない。そして3月11日以降最初の1週間はなんだか空虚な気持ちで何も手につかず、インターネットで友人の消息をたどったり、新しいニュースを探したりするばかり、やっと何か自分にできることはないか、動き出すようになってからはそれに頭が行き過ぎて他のことに気持ちが向かなくなっていた。日本から遠く離れて暮らしているマウイの仲間の多くが私と同じ気持ちでいたことで、何かできないかという一人ひとりの気持ちがどんどん集まり、寄付金集めなどいろんなプロジェクトが始まった、これがきっかけで多くの人と知り合い、とても親しくなることができたし、一人では何もできないと思っていてもその思いが集まると力になることを改めて実感できた、そして何がそのときにできなくても祈ること、思うことでいろんなことが動いてくることも。(マリちゃんのアイデアで始まったネックレスだけでも200万くらいのお金が集まった)
5月に日本に帰り、いろんな情報をすでに東北に入ってきた友人たちからもらい、ヤーマンと一緒に仙台へ、特にどこにいくと決めずにとにかくいって見て、現地でがんばってる人たちの意見を聞いて臨機応変に動いていこうと向かったのだが、仲間から仲間へとどんどんつなげてもらい、同じ思い出一緒に動けるすばらしい仲間にめぐり合った。不謹慎かもしれないが、東北で知り合いえた友人、仲間は私にとって一生の宝物であり、そこでの毎日は本音で静止と向かい合って、生きることについて考えながら一生懸命働いた価値のある体験だった。
(Photo by Somasan)
どんな情報をもらうことより実際に行くことで良くわかるからまず入ってみてくるといい、といってくれたオアフのカービーには本当に感謝しているし、マウイのみんなが必死になって集めたお金がいい形で使ってもらえたと思うから。
(Hiroyuki Yamada)
東北での経験、感じたことはあまりに多すぎて、強烈過ぎて簡潔に書くことは難しいけれど、ひとつ学んだのは人は限りなく強くなることも、限りなく弱くなることもできるということ。そして東北の人たちはいかに人が強く、美しく生きられるかを私に示してくれた。
(牡鹿半島の小さな小学校は生徒数が半分になってしまったけれど、新入生の笑顔は無邪気で心が安らいだ . 山田博行撮影)
出会った人誰一人として悲惨な直接的に、あるいは間接的に想像を絶する悲惨な経験をしていない人はいなかった。そんな極限におかれると本当にいろんなことがはっきり見えてきたりもする。自分にとって何が大切なのか、いやおうなしに問いたださせられ、すべてに白黒がはっきりする。グレーな部分やあいまいな部分がない心の状態になった。(撮影HiroyukiYamada)
とはいえこれは被災していない私の感じたことであり、実際に被災した人たちがどれだけの苦痛やどれだけの不安と悲しみのなかどんな気持ちでいたのかは知る由もない。
わかるのがそれは想像を超えた困難であり、それを多くの人が勇気と強さで克服しようとしていたということだった。
本当にたくさんの涙と汗と笑い、そして正直な気持ちをぶつけ合い、優しい気持ちを分かち合ったこの体験で私は体の内側奥底から変わっていく感覚を味わった。
(撮影HiroyukiYamada)仙台や気仙沼で知り合った仲間、そして鎌倉から支援活動できていたとどけ隊の活動にもかかわらせてもらい、鎌倉でがんばっている元気な仲間とも知り合った。
(Masahiro Handa撮影)
最初の日本へのたびの後マウイに戻ると、すべての出来事が奇跡のようにすばらしく思えたし、海が好きで仕方がないのに、まったく海に入るどころか、レクリエーションなど円のないような生活を続けている海の仲間たちのためにも自分の海の時間を無駄にせず、みんなの分まで一生懸命楽しもうという気持ちになった。波のない夏は力をこめてパドルに励み、レースにもいくつか出て、目標だった海峡横断レースも完走。自然のパワーと自分のちっぽけさを体感できた。
一度日本に帰ったことで、これから皿に私たちができることを考え、マウイの仲間とも相談し、サイド7月に帰国。このときは実際に東北に行くことだけでなく、刻々と変わっていく状況に合わせて私たちがヘルプできること、つなげられる縁などのためにうごいた。
パタゴニアストアでのスピーカーシリーズでも自分が影響を受けた先輩たちなどの教えについて話すと同時に、東北での思い、日本人としての気持ちや、今思うことなど間接的に着てくださった方々に考えてもらえればと思い、やらせてもらった。
普段は原稿を通してのメッセージだけれど実際に顔を合わせて話ができるチャンスはすばらしいし、来てくださった人たちとの交流は毎回ほんとにすばらしい、各ストアそれぞれ違う雰囲気で話の内容も変わったけれど、来てくださった方々に心から感謝。真夏に日本に帰ってくることはあまりないのだが、そのおかげで今回はすばらしい台風ウエイブにも遭遇できた。ことにホームである鎌倉の沖で割れる伝説的なポイントでの波には心から感動した、スタンドアップでしんざんっものが入るのはおこがましいので端っこで見ようと思ったけれど最初3人くらいしかサーファーがいず、そのうちの一人が知り合いで今なら大丈夫だよ、と背中を押してくれたので勇気を出してみんなが乗らないような波を乗らせてもらったところえんえんとつながり、結局何百メートルも先のテトラのまん前まで乗りつなぐことができた。感動で涙が出た。こんななみmが自分の生まれ育った海にあるなんて!
数本しか乗らず、人が続々と増えてきたのでその場を立ち去ったけれど、その波のクオリティーの良さに1週間くらいはそのことを思い出すだけで顔が緩んでしまうほどすばらしい経験だった。(Somewhere in Hokkaido)
またパタゴニア札幌店のスピーカーシリーズのイベント前にゲンテンスティックの太郎さんとその仲間たちに連れて行ってもらった、波も、この夏一番のすばらしいものだった。とにかく邪魔にならないよう、気をつけていたけれど、残り物で乗らせてもらったものでも、それはそれはすばらしく、その上海は仲間20名くらいだけ。冬に他界した雪山の仲間へのお別れも一緒に参加させてもらえ、本当にスペシャルな一日だった。
(西表島)
他にも沖縄でのスタンドアップパドル、富士川でもリバーサップやラフティング、そして気仙沼での復興の象徴となるお祭りにもかかわらせてもらった。そのとき満月に照らされながら海を流れてゆく灯篭はなんともいえなかった。
(↓長嶋かつひろ撮影)
何はともあれ、私にとっての2011年は震災に始まって震災に終わる、そんな感じだった。他にもいろんなことがあったけれど思い出すのは震災に関することばかり。そして震災を通して感じたこと、できたすばらしい仲間について。海での時間や旅は少なかったかも知れないけれど,自分の心の旅は遠く長いものだった。
当たり前に思っていた一つ一つのことを心から感謝し、友人や家族を大切にし、何事も無駄にせず、無駄に使わない。そして正直に生きる、それが一番美しいと心から思える。
とてつもなく悲しい思いとつらいことがたくさん起こった年だけれど、多くを学ぶ機会を与えられた年だった。しっかり学ぶべきことを学んで来年以降に生かしていかなくては、と思う。
今年最後の今日は友人のお蕎麦屋さん梵蔵のお手伝いをした。大晦日のお蕎麦屋さんは本当に忙しいだろうとは思ったけど、慣れない給仕のお仕事でパニック状態になり、途中あまりにいっぱいいっぱいになって、何をやってるんだか分からなくなりそうなときもあった。でも多くの人が年を越すためにお蕎麦を食べにきてくださり、その伝統を一緒につないでいくお手伝いができたことをうれしく思うし、それぞれの素敵な年越しに触れることができた。
みなさん2011年は本当にありがとうございました、2012年もどうぞよろしく。
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