すべての出来事に意味がある、そう私は信じているけれど、それでもその出来事に何の意味があるのかわからないこと、起こらなくてもいいじゃないか、と思えることはいくつもある。
96年から続いているサクラキャンプの第2回に参加してくれてからずっと今まで親しいお付き合いをさせてもらってきた仲間のかよちゃんのお通夜にいってきた。私たちにとっては本当に突然のことではあったけれど、後で聞いたところ10年間病気と戦ってきたのだそうだ。
かよちゃんは大学の学生時代に学連のウインドサーフィン部でウインドサーフィンを始め、同じ部で知り合った彼とずっとお付き合いをし、二人でウインドを楽しんできた、そしてめでたく結ばれ、元気な男の子も授かり、いつ会っても二人でニコニコ、ウインドに励んでいて、周りにいるみんなまで明るい気分にしてしまう素敵なカップルだった。
始めて御前崎のキャンプに参加したときのことも今でもはっきり覚えている。当時もおちゃんのライバルとして二人で切磋琢磨ぐんぐん伸びていたツグミちゃんの大学時代のお友達だったかよちゃん、ツグミちゃんともあったとたん懐かしそうにジョーダンをぶつけ合いながら、なれないウエイブに挑戦し、終始笑いを振りまいていた。
その後も毎年参加してくれ、いつしか同行するボーイフレンドの将軍(ニックネーム)もサクラキャンプの常連となり、キャンパーが一生懸命アドバイスを聞いているそばで耳を大きくしながら話を聞いていたりしていた。
夜は夜で女の子同士が盛り上がってるなか、毎年奥さんやガールフレンドのお供で御前崎で再会するご主人同志たちもどこかで一緒に飲んで、ウインドサーファーの相棒を持った男の愚痴をわかちあっていたらしい。ショーグンもそんな仲間ができていたようだった。
二人のホームゲレンデは三浦、そして冬は御前崎、夏は本栖湖などにも遠征し、とにかくいろんなところに二人できていた。
マウイのサクラキャンプにも二人で参加してくれ、ショーグンはサクラキャンプのマスコットボーイだね、なんていわれるほどだったのだ。
誰もがかよちゃんというと笑顔とあの明るさのことを口にする。私も彼女のがハハハという笑顔以外の顔が思い出せない。とにかく誰に対しても明るく、さっぱりしているけど周りに気を使っていつもいい雰囲気を作ってくれていた。マウイや御前崎で会ってもいつもショーグンとジョーダンを言い合いながら、ウインドを楽しんでいて、二人であそこまで一緒に夢中になれる共通のものがあるって素敵だなあと乙もほほえましくおもっていた。
そんな彼女だからこそ、病気になっても誰も気づかなかったし、明るく振舞っていたから心配もしなかったのかもしれない。数年前に体の具合があまり良くないといううわさを聞いたと気も、まさか大病だとは思わず、「そういう時期は誰でもあるだろうし、あせらずまずは体を直してそれからまたウインドしたくなったらすればいいじゃん」なんておもっていた。
今年の夏、もおちゃんのところにかよちゃんの親しい友人でもある理恵ちゃんからメールでかよちゃんの具合はちょっと悪化してきているという便りをもらったとき、私ももおちゃんも本当にびっくりした、まさかそんなことになっているとは思いもしなかったし、以前の病気もとっくに治っているとおもっていたのだから。かなりおもいということを聞いて、何かしたいという気持ちはみな一緒だったし、元気を出してもらいたい、励ましたいとおもったけれど何を言っていいのか、何ができるのか、反対にへんに行動したら傷つけたり嫌な思いをさせたり、負担になってしまうのではないかといろいろ考えた。
サクラキャンプ内でかよちゃんと親しかった仲間内でもそれぞれがいろいろな思いをもっていた。
それでも結局、ビデオレターでそれぞれのメッセージを取って編集したもの、それからそれぞれが小さな布にメッセージを書いたものを縫い合わせてブランケットにしたものを送ることにした。
ビデオメッセージも、寄せ書きブランケットの布も、本当に全国あちこちから送られてきた。みんなかよちゃんの明るさに触れて、ウインドのすばらしさをシェアしてきた仲間たちで、かよちゃんのニュースにびっくりして、何かしたいという気持ちからだった。
押し付けがましいことはしたくなかったけれど、みんながかよちゃんのことを忘れずにいること、そして一緒にいつかまたウインドをしたいと心からおもってること、またウインドからは遠ざかってしまっているけれどサクラキャンプでの思い出や仲間は一生ものだとおもってることなどをそれぞれ自分らしさいっぱいにビデオにとってくれていて、私宛のものでもないのに、私が見ても懐かしさとうれしさに感動した。
みんなが押しかけると帰って大変なのでかよちゃんと親しい仲間が届けてくれ、その後も様子を見たり、マッサージに言ってくれたりしていた。
今回日本に帰ったときにもしも彼女の具合がいいようだったらぜひ会いたいなあといっていた矢先だったのに、こんなことになってしまって本当に残念で仕方がない、でも理恵ちゃんのおかげでみんなに声をかけてかよちゃんに少しでも気持ちを伝える機会があったことを本当にうれしくおもう、私たちがかよちゃんを以下に大切な友人だとおもっているか、そして彼女の明るさにインスピレーションをもらってきたか、そして今まで病気と向き合い、がんばってきたことにどれだけ感銘を受けているか、たぶん伝わったような気がする。
お通夜で喪主の席に座っていたショーグンは来てくれた人たちにお礼を言いながらもちょっと触れたら壊れてしまいそうな表情、泣き顔から普通の顔に戻らないような、そんな顔で座っていた。必死に崩れてしまわないようにがんばっていた。
ショーグンのぐしゃぐしゃになった顔からこぼれて来る涙に胸が締め付けられる思いだった。
みんなからショーグンと呼ばれている彼だが、そのニックネームの由来を聞いたところ、笑ってしまった。
明るくて人付き合いが得意なかよちゃん、そしてどちらかというと内気そうなショーグンだが、ショップ仲間の中で話しているときに、「お前のとこは元気なかよちゃんの尻にしかれてんだろう」とか言われたときに「いや、俺は家では将軍だ!」と豪語したことからそのニックネームがついたのだとか。
かよちゃんは明るくて元気だけど、でもいつもショーグンをたてることをわすれない、優しい奥様だった。たぶんほんとに将軍様のような気持ちにもさせてもらえるくらい優しかったに違いないけど、そう強気の発言をするショーグンを手のひらで転がしているかよちゃんが目に浮かぶからおかしい。
残念ながらそんなに二人と一緒にすごす機会は多くはなかったけれど、でも楽しい思い出はたくさんある。二人は何年たっても学連時代の延長みたいな雰囲気で、周りを笑わせているかよちゃんをショーグンがいとおしそうに見ていたのを覚えている。
ショーグンがどれだけこの10年間かよちゃんと一緒にがんばってきたかは、想像もできない。
そしてお通夜の席では明るく、わざとぶっきらぼうにしているかの様子の真優、彼がいることがショーグンの救いあだなあ、とおもった。まひろがいなかったらショーグンはきっとあまりに空虚すぎて何もやる気がなくなってしまうだろう、でもまひろがいるからきっとがんばれる、誰よりもきっとさびしい思いをしているまひろが彼なりにがんばっている様子は泣いてる彼を見るよりつらかった。
ウインドの仲間も遠くは浜松や御前崎からもわざわざお別れに来ていた。かよちゃんの人柄から本当に大勢の人が儀礼でなくどうしてもお別れがしたいからとやってきている夜だった。
終わったあと中まで食事をしながら話していたときも、涙しながらもおかしなエピソードが次々と思い出されて泣き笑いだった。ほんとにいい仲間だったし、これからもかよちゃんのことはみんなが集まるたびにわだいに出ないことはないだろう、かよちゃんありがとう。そしてこんなすばらしい仲間とつなげてくれたウインドサーフィンに改めて感謝。
お通夜だけ参加させてもらおうとおもったけれど、とてもお別れしきれない、そしてここに来ることのできなかった全国のサクラキャンプの仲間たちの思いを感じてあすの告別式にも参加することにした。こうして日本にたまたま帰っていたことも何か意味があるのだろう。
なんだかいろんな思いがぐるぐる頭の中をめぐってうまく言葉にできないが、ほんとに生きるって大事なことですばらしいことで、一生懸命一日一日を過ごさなくちゃいけないなと実感した。
そしてそのすばらしい見本を見せてくれたかよちゃんにアリガトウと伝えたい。
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