寝不足も最高潮、やることたくさんあってパニックしそうなのを何とか抑えつつ起床。今朝はお友達の編集者寺倉さんと海に入る約束をしていた。6時半に電話すると『えー今から?』というのでどうぜ波もないので何時でも変わらないし、と8時に由比ガ浜の海で会うことになった。
彼はここ一年ほどたくさんことが一気に起こり、仕事も急がしかったようで、一年前に由比ガ浜の海のすぐ近くに引っ越してきたというのに一回も海に入ってないと昨日きいていたのだ。
ちょっと気になったのがいろんなことを話してもなんとなく反応が遅いというか、ぽんと返ってこない。なんかいつもの寺倉さんの元気やポジティブさにかけるなあ(失礼)と思っていたら、そのあと海に入ってないということを聞いて、納得。そりゃあ、海好きの彼が一年も海はいらなかったら元気もなくなるのが当たり前。
確かにいろいろあって気分が落ちていたりすると海に入ろうという気もしないときがあるし。忙しくてそれどころでないとか、海のことを考える余裕もないときもあるし、私もそういうことを経験したこともある。
でもそういうときこそ海のヒーリングが必要なとき。私も落ち込んでベッドから出られないとき、無理やり体を起こして海はいることでほんの少しずつ気分が良くなり、気がついたら大きな問題だと思っていたことが小さく思えるようになっていたこともあったし、睡眠も食べることもできず体力も落ちてしまったときに、必死の思いでボードを車に載せて御前崎に行き、初日は30分入っただけでへとへとなくらいだったけど、少しずつ気が晴れて元に戻っていくことができた経験もある。
とにかくどんなに忙しくても海に5分入るだけで変わることを経験で知ってるから、どうしても寺倉さんにも入ってほしかったのだ。
というわけで波がなくてもなんでもいいから、海に入ってパドルしたり水をさわりながらおしゃべるするだけでもいいじゃないか、と説得し、8時に。私はスタンドアップのレースボードを持ち出すのに四苦八苦してちょっと遅れたが、完全に鏡のような海の沖のほうにぽつーんとロングボードにまたがった寺倉さんがいた。波はまったくなかったけど風もなく、気持ち言い天気の中、スタンドアップにもトライしてもらい、結構大笑いしたりして気持ちいい時間がすごせたと思う。どんなことがあっても無理して海に入るだけで、波に乗らなくて、反対に砂浜でボートするだけでも海は私たちを癒してくれる。コレだけは絶対だ。
その後大急ぎで鎌倉中を自転車で走り回り、用事を済ませ、午後は鎌倉で生まれ育ち、ハイキングコースなどを子供のころすべて回ったと思っていた私がまだ行ったことのなかった素敵なところに連れて行ってもらい、つかの間の静寂と平和を楽しんだ。しとしと降る雨とそれにぬれるみどりがきれいだったけれど、以前は何も考えずにぬれることを楽しめたが、放射能のことが頭をよぎるこの悲しさ。私はザーザー降りの雨の中びっちゃびちゃになって大笑いした子供時代を過ごしたけどこれからの子供たちはそういうことを楽しめなくなるのだろうか?最後までばたばただった私を見送ってくれる家族、いとこの子供たち、帰ってくるたびに家の中をかき回し、グオーとまたどこかに行ってしまうので家族の中では「とんち台風(とんちとは子供のころの私のニックネーム)」と呼ばれている。
宅急便の予約が一日遅れたことから持っていってもらえず大荷物を抱えて電車に乗る覚悟だったけれど、羽田の飛行場まで送ってくれるという親切な友人一平君のおかげで樂チン輸送。気がついたらもうマウイについていた。
今回の日本は東北に始まって東北に終わった。東北にいないあいだも東北のみんなを思い、東北に行く準備ややれることをしてばかりいた。自分の仕事ややるべきこともしっかりやらないといけないとは思うのだが、今コレをやらないでいつやる、という気持ちもある。
特に私のような自由業、あまり普段仕事してないもの、時間んも束縛がないものは今使ってもらわなくていつ役に立つ、と思うから。そして自分の中の日本人の部分をコレほどまでに意識したことはなかった。今までいつもなんだか日本にいると日本人に入り込めない疎外感、かといってアメリカにいると日本人という気持ちが強い、なんだか宙ぶらりんな感じがあった。でも今ははっきり自分が100%日本人だと言い切れる。どこに住んでいても何をやっていても日本人の良さを受け継いで生きたいと思う。
もう次に日本に行くことしか考えていない。お金もないのに。早くお金ためなくちゃ。
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