水曜日から木曜日にかけて大きなうねりが続く予報、それに合わせてとうとうエディービッグウエイブコンテストが開かれることになった。毎年28名の招待選手が選ばれ、3ヶ月のウエイティングピリオドを持つこの大会だが、おっこ6年間解されていなかった。最後に開催されたのは2006年でそのとき優勝したのはグレッグ・ロング。それくらい本当に大きな波はここのところ来てなかったということなのだ。
でも今年は違う。1月に入ってから休みなく記録的なサイズの波が入ってきていて、今回もそれらのビッグウエイブをさらに上回るかもしれない波がやってくるらしい。
ワールドツアーでチャンピオンになるのもすごいけれど、このエディーの大会はどんな大きな大会と比べても完全に別格、トッププロたちが出場することを夢にまで見て、この大会に選ばれ、出ることはおそらくどんな大会に優勝することよりもプレスティージも高いし、サーファーとしては最も名誉なことだと誰もが思っている。
実際招待選手はレジェントからワールドチャンピオン、そしてワイメアで常に光っているようなアンダーグラウンドまでいろんなタイプもしかし、間違いなく大会で乗る資格を持つ選手たちのすごい名前がずらりとなら部、そして補欠でさえ、この人が補欠?というような名前がずらり。カイレニーでさえ、補欠の15番目くらいだっただろうか、おそらく今回は出ることはできないだろう。
前回開催されたのが2006年、だから招待されていても出られずにそのまま終わってしまう人だっている。だから補欠5番目くらいまでのサーファーたちはなんとか大会に出られますように、と今頃落ち着かないはずだ。
1995年だったと思う。スイッチという雑誌で50ページ近い特集でハワイのビッグウエイブをテーマに原稿を書かせてもらった。最初に書いたらと言われた時はまだ大学生だった私に、よくも自由に書かせてくれたと思う。
実は一番最初はエディーのコンテストやアイカウ自身を中心に原稿を書いていたのだが、なかなか書けないうちに5年も経ってしまい、そのうちにマウイでレアードたちがトウインを始めピアヒがビッグウエイブの頂点になってきた。原稿がズルズルかけずにいた5年間はちょうどそんな転換期だった。5年間の間にテーマがだんだん変わっていったが、エディーやワイメアで当時一番チャージしていたデレク、そしてクライドとのインタビューなども含め本当に意味のある取材をさせてもらった。夏の間オアフに滞在し、ビショップ博物館に通い、昔の新聞は資料をたくさん調べたりもした。最終的にはエディーアイカウについての話とレアード、ジェリー、デレクの3人に焦点を当てたビッグウエイブに対する思いを語ってもらうインタビューが中心になった記事だったけれど、あの頃からずっと私はビッグウエイブに向かっていくサーファーたちの精神世界やライフスタイル、なにがそうさせるのか、そしてビッグウエイブに乗るとき、その海の中で彼らはなにを感じ、なにを見るのか、強い関心を持っている。自分が乗れないから未知の世界が余計に魅力的に見えるのかもしれない。あの時の取材の時に感じたいろんな思いは今でもあまり変わらずそして同じような感覚を追い求め続けている気がする。
エディーはハワイアンにとって、そしてサーファー、ライフガードにとって、こうあるべくという見本のようなサーファーである。サーファーであるなら彼について少しは知っておくべくだと思うし、今時コンピューターで調べればいくらでも情報は出てくる。
波に乗るという行為は単に気持ちいいというだけでも自分の技術をあげてそれで勝つことが目的であるべくものでもないと思う。もちろんそれでもいいのだがもっともっとサーフィンから私たちが得られるものは意味深いより大きなものがたくさんあるので技術や勝負に勝つことだけに止めてしまったら本当にもったいない。海、そして波に乗るために海と向き合うことで私たちが生きていくために必要な教えのほとんどが学べるような気がする、自分さえオープンで謙虚でさえあれば。
エディーの大会を前に。世界中のトップ中のトップが、勝ちたいという気持ちより、その場に居られることに感謝し、みんな謙虚な姿勢でいることが強く印象に残る。水曜日の10日エディーのコンテストでみんなが素晴らしい波に乗れますように。日本人で唯一招待されている脇田プロも今まで努力してきたものがすべて海で出しきれますように。
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