2014-06-11

6月11日 月命日 

今日で震災から3年3ヶ月。3年前の今日は私にとってとっても大事な日でもある。
あの日鎌倉のボランティア仲間達が石巻で開いたお祭りに気仙沼で知り合った新しい仲間達と一緒に本吉チームとして参加し、子供達のためのブースを出してあふれるほどの豪華賞品を引っさげてフラフープコンテストなどをやったっけ。
当時はまだサバイバル的な状況で、今のように政治的な黒い動きや(もちろん水面下ではずいぶん動いていたのだろうけれど、なにしろ巨大防潮堤の計画は仮設住宅プランよりも前に始まっていたそうだから)個人個人の損得で人間関係に亀裂が出来る事も少なかったような気がする。少なくとも私も回りでは皆が協力しあって辛い中でもよるのお酒に皆がくだらない事を言って笑える空気があった。たいへんな想いをしている人たちなのに笑って乗り越えているところに東北人の強さを見せつけられる毎日だったなあ。
そんな形で知り合ったオータムが今はマウイに住み、子供を生んでこの地に根付こうとしているのも何とも不思議な縁。

あの頃のある意味凄すぎてハイになっているような気持ちは少しずつ薄れていき、本来の自分を取り戻した感もあるが、その当時感じた愛や思いやりの気持ち、すべての事が繫がっていて、誰かが世界のどこかで辛い思いをしているとそれが何らかの形で自分にも影響を与えるのだと体で感じられたOnenessは忘れずにいたいと心から思う。

震災を実際に体験したわけではない、でもあの出来事以来自分の何かが確実に変わった。それがいい方向だったと確信できるよう努力し続けたいと思う。
忘れない事ももちろん大事だし,それがまず一番だけれど、もう一歩、そこから自分が出来る事をもう少し考えて行動に移す時間と余裕を持とうと今一度反省。

震災直後気仙沼で知り合い、心から感銘を受けた漁師であり、サーファーである佐藤サンは3年以上たってやっと自分の船を取り戻した。7月初めに進水式らしい。漁師にとって船がどんなに大事なものかは想像に難くない。未だに仮設住宅に家族と住みながらも自分の事での不満は聞いた事がない。震災前から原発や六ヶ所問題で一生懸命動いていた彼はいくら頑張っても国を相手に一人では何も変わらないという挫折感も経験している。『一部屋いっぱい埋もれるほどの署名を集めたけどそれでも変わらんかった』とつぶやいた事があったっけ。
息子さんが最近漁師の修行を始めたと喜んでいた彼や彼の息子さんがこれからも量でおいしい魚を釣って暮らせる時代になりますように、そしてそれが続きますように。暮らしが自分の住む土地や海と密接であればあるほど、津波や地震とどう向き合って行けばいいのか、どんな生活がその場所に合っているのかおのづから見えてくるのではないかな?少なくとも一番海に近い立場である漁師さんで巨大防潮堤に賛成している人はあまり知らない。みんな大いなる海にそんなもので対抗しても勝てない事を知っている。

暗くなるつもりはないけど、問題が自分の目の前になくてもそれが誰かの目の前にある限り、忘れないようにしたい。

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