昼間は働き、夜は新しく知り合った素敵な仲間たちと語り合う。同じ志を持った、そしてこっちでずっと頑張ってきている彼らには本当に頭が下がる。
今回偶然テントを晴らせてもらえることになったところで出くわしたオータムだが、彼女との出会いは偶然とは思えない。どう考えても何かに引き寄せられて出会うべくしてであった気がするのだ。
はじめてあったとき、マウイに住んでいるというと、「へー私もちょっと前マウイいたんだよ、地震あったときもマウイにいた」と言う。まあマウイに来る人は多いのでふーん、どこにいたの?と聞きながらラハイナかキヘイにステイしていたんだろうと想像していたが「ハイク、フキパで毎日サーフィンしてた」という。「ェ、ハイクのどこにいたの?』と聞くと、「えーとなんだっけ、ウルマツだったかな?」
「え、もしかしてウルマル?」
「あ、そうそう」
「えー、マジで?ウルマルのどこ?」
と結局100mもはなれていないところに住んでいたことが判明、そして彼らが朝悩まされた音について聞かれた。
「毎朝なんか人がもだえ死ぬような泣き声が聞こえてくるんだけどあれなんだったんだろう?猫かなんかが拷問されているような」
そういって泣き声をまねし手くれたが、それはまさにうちのチビちゃんたち(にわとり)が朝小屋から出たがって騒ぐときの声に間違いなかった。
それにしても偶然。そしてお互いの存在をまったく知らなかったのに同じ日に同じ場所にやってきて(それだって私はまったくそこに行くことを予定していなかったくらいなのだ)そしてそれから毎日一緒に行動するようになったのだ。彼女のバイタリティー、愛情あふれる行動の数々にふれはじめるときりがないのでかけないが、気仙沼、本吉に来てからもどんどんみんなと親しくなり、いろんなプロジェクトにかかわり、よく頭が破裂しないなあというくらい忙しく働いている。ほんとにここに来て、彼女に会えてよかったと思う。
彼女のほかにもテントを張らせてくれ、みんなが集まって和むスペースやトイレを提供してくれている金野さん、オータムのことが好きで仕方がないって言う感じの素敵な祐二君、とても太い心を持った男らしい東君、以前パタゴニアの仙台ストアにもいた震災直前にこっちに引っ越してきたまめ君、とっても心を込めて東君に作ってもらったばかりのショップを津波に持っていかれてしまった重ちゃんや町の人口の半分ほどがなくなってしまい3晩も避難所すらないなか焚き火だけで過ごしたという、このあたりのリーダー的存在の佐藤さんなどいろんなすばらしい魅力的なサーファーたちと知り合えた。みんな元気だけど言葉にできないほどの傷を内側に持っている、それでもジョークでそれを交わして行く彼らの強さには感服。というかジョークにする以外やりきれないのかもしれない。
午後は廃材探しに出かけるというオータムや東君とは別行動でヤーマンが撮影のために気仙沼の魚市場方面に行くのに同行した。いろんな場所を見てきたが、個人的にはここが一番悲惨だった。津波だけでなくその後何晩も火災が続いたからだろうが、まったく生命の存在を感じさせない。動くのはダンプトラックとそれが通ったあと巻き上がる粉塵のみ、黒とグレーだけの世界で赤や黄色などが一切ない世界。とても暗い気持ちになった。
全域を見てみようと近くの山の上まで行ってみた。そこで横に車を止めていたおじさんが声をかけてきた。
見るからにボランティアのようだったのだろう(薄汚れていて、もしかしたら昨日の魚の匂いもまだ残っていた?)彼は地震の時仕事先で、アパートにいた奥さんと連絡が取れず、その後も火事で近づけず、矢と腰まで水につかりながら家までたどり着いたとき、彼が常日頃指示していたように津波が来たら3階の大家さんのところに逃げていた奥さんの顔が窓からぽこっと出た時、思わず安心して号泣してしまった、そう私に話しながらも涙ぐんでいた。
「何もかも失っても私はまだ嫁さんが生きていてくれたから」と自分に言い聞かせるように言ってから「遠いところからわざわざきてくれたことにお礼を言いたくて』と照れたようにまた車で行ってしまった。本当にここにいる誰一人として想像を絶する経験や言葉にできないほど悲しい思いをしなかった人はいない。一人一人のストーリーがとても胸に刺さる。
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