朝早く目覚める、なんと言っても道路端での野宿、それも雨なので気持ちよく遅くまで寝ていられない、といっても私は結構寝ていたらしく、ヤーマンが私の無様な寝顔をカメラで撮っているシャッター音で目覚めた。まだ6時前だったのでセブンイレブンでトイレを済ませ、飲み物を買い、七ヶ浜方面へ、以前に行ったことのある菖蒲田浜などを回ったが、かなり見ているとつらい光景。この辺にあったサーフショップの人たち、ここをホームゲレンデにしていた人たちの気持ちを考えると心が痛む。
どこに行っても思うのだが地震自体の被害はこれだけ大きな地震でも、そうひどくはない、でも津波が来たところとこなかったところは、一メートルの差で天国と地獄だ。
8時になったのでまずは小学校の恩師、武田先生に連絡をし、お宅にお邪魔する。電話したあと道まで出てきてくださった武田先生は35年位前のまんま。すぐわかったけど向こうもすぐ「とんち!(子供のころのあだ名)」とわかってくれた。先生のことを話し始めたら一冊の分厚い本になるくらい、この先生に私はもちろんクラスメート全員が大きな影響を受けた。教育委員会、ほかの頭の固い先生方、そして教育ママゴンたちすべてを相手取り、特には敵に回してでも子供のことを真剣に考え、愛情いっぱいに育ててくれた。エピソードはいくらでもあるが、もっとも印象に残っているのは武田先生は成績のいい子ではなく、特殊学級の生徒(先生は率先して星の子学級の子供をクラスに受け入れて普通に一緒に授業をしていた)を当たり前のように自然に世話をしているような子供をいつも高く評価していた。
2,3,4年と受け持ってもらったのだがその3年間で理科社会の授業を受けた覚えが一度もないし、ノートも3年間同じもので真っ白、その代わりクラブ活動の時間になり、野球やソフトボールの練習に励んだので私たちのクラスは野球大会でいつもダントツで学年優勝だった。とにかくフェアで一人ひとりの個性や良さを見出してくれた先生で、このクラスの仲間はいまだに結束が高く、今回の災害のあともみんながすぐに連絡を取り合い、大いに心配していたのだ。私がこちらに来るということで「お前様子見に行って来い」ということになったのだ。七ヶ浜は大変な被害を受けていたが先生の家はちょっと小高いところにあったので無事だった。でもライフラインが戻るまでは大変だったらしい、いろんな話を聞かせてくれた。息子さんがもうすでに先生が私たちを教えてくれたときの先生の歳くらい担っていて、彼も先生をしていたという。とっても似ているのでなんだかおかしかった。それにしても私たちにとっては私たちの特別な先生だが、この40年間ほどの教師生活で毎年生徒を持っていたわけで、そのクラスがすべて先生を特別な先生と思っているだろうしよくもまあ、いろんなことを覚えていてくれるものだと感心した。このクラスの初めての同窓会をやったとき、ハワイにいた私ともう一人だけが出席できなかったがそれ以外は全国から全員集まったくらいみんな武田先生が大好きで、大きな影響を与えられてきた。大学になっても社会人になってからも悩んだり、困っているとき先生にあいに行った生徒も多い。武田先生に教えてもらったから今の私たちがある、本当にそう確信しているのだ。先生の家の壁にかけられていた巻物は先生がある学校を辞めるときに先生方がこっそり造って送ってくれたものらしいけれどそこに書いてある文はまさに私が抱いている先生そのもので読んでいて、「そう、そうなんだよ、武田先生はそういう人だ!」と思わず涙が出てきてしまった。先生と家族が無事で本当によかった、そして久しぶりにあえて本当にうれしかった。ちょっと顔を見るだけと思っていたのに話がとまらなくなり2時間以上お邪魔してしまったが、その後お勧めのラーメン屋さんに寄って、お友達の真由美ちゃんともりもりとも合流、そこから海のお友達の星さんの家を目指した。ものすごい渋滞で時間がかかったが何とか到着。ただ今晩中に新潟に戻らなくてはならないので余り長居は出来なかった、でも星さんもすべてを流されてしまっ長けれど、元気そうだった、以前のほわーんとしたニコニコ顔は健在、本当に強い人たちだと思う。テントに遊びに来てくれて一緒に飲んだり話したりしたあの場所はもうないけれど、でも命があるからまだ次がある。本当によかった。
その後新潟まで一気にヤーマンが運転してくれた。大変だったと思う。新潟について夕食を食べた後近くの温泉に連れて行ってもらい1週間分のアカをすべて洗い落とした、シャンプーは3階洗ってもなかなか泡立たなかったので洗ってる手のほうが痛くなってきた。
そうしてやっと今日は野宿ではなくヤーマンの家で寝ることが出来るーと思ったらなんとヤーマンの家の鍵をお友達に渡してあったらしく鍵がない、仕方ないのでヤーマンはとりに行き、私は台風の影響で雨風が強い中ガレージにテントを張り昨晩の雨でぬれた寝袋に包まって横になったまま朝を迎えた。結局ヤーマンは遠くに住んでる友達のところで朝まで帰ってこなかったお友達を待っていたそうだ。さすが私たちのたびはフィニッシュまでコケていたが、それも笑い話。
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