結局ジャスコがあくまでまってると時間がなくなるので結局朝早く起きて石巻方面へ、聞いていたと折りいろんな車で渋滞していた。仙台市内 は地震なんてごんとにあったの?って言うくらい普通だし、にぎやかなので何しに来たのか忘れちゃうくらいだった。石巻も途中まではそう。石巻のイオンでカー ビーと一緒に行動していたダイスケ君、そして彼の仲間たちや石巻でいろいろ活動なさっているサーファーのりょうこさんと合流、その後遼子さんの案内で子供 たちが避難している避難所に行くはずだったのだが、私たちは車を見失いはぐれてしまったのでいけずじまい、ひとあし先に牡鹿半島に向かった。石巻も高速を下りたあたりは店も普通にやってるしにぎやか、地震の後もほとんどないし、建物もしっかりしたもの、だけどそのまま海のほうに進んでいくと突然すべてが完全に破壊されているエリアに入ってくる。海なんか見えないところでも川をさかのぼって水が押し寄せたようで悲惨な状態。道もきれいになってるし、2ヶ月以上たった今でもこの状態なのだから地震がおこった直後はどんなに悲惨だったのか、想像もつかない、車を運転しながら私もやーまんも言葉を失ってしまった。(猟師さんたちは地震がおきたあと文字通り命をかけて船を守ろうと大急ぎで沖へと船を走らせる、小渕浜の石森さんはこの大きな船のノーズがすっかり波に飲み込まれるような怖い思いをしながら何とか生き延び、村に戻ってきたらものすごい瓦礫の山に変わっていて、港も崩れ、瓦礫だらけで接岸できず陸に戻るまでに3日か買ったらしい、それまで家族の安否もわからないまま食べるものもなく船で一人過ごしたという)
カービーたちに教えても らった場所などに物資を配り、漁師さんたちの話を聞いたり仕事を見たりしながら被災地を回って、最終的にお勧めの野宿サイト(あくまで正式なキャンプ場で はないので公表は出来ませんが)にテント設営。ダイスケクンたちとも合流し、きれいな夕日を眺めて夕食を分け合いながらいろいろ話すことが出来た。みんな 熱くて優しい頼もしい若者ばかり。
なんだかお手伝いをしたくて来たのに、元気やらやる気、出会いも含めてもらい物のほうが多い気がする。
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