(年に4回エッセイを書かせていただいているオカ株式会社、バスマットやタオルのクオリティーの良さは保証付き。私も愛用中。今回は季節のにおいというテーマで)
今日で4月の終わり、この調子で毎日すぎていくとあっという間に今年も終わってしまうような気がして怖い。
午前中少しでもたまった原稿をやっつけるべく机に向かい、その後逗子の整骨院へ。今日は雨風が強いので材木座まで歩き、そこからバス。逗子に行くのに自転車やバスは何度も使っているけどバスは初めてかも。
逗子の土屋整骨院で見てもらったあとこんどは横浜、最後の江川先生の治療。4月な腰痛治療月間と決めてお金はかなりかかったけどいろいろ検査したり、いろんな先生のところで見てもらった。いろんな事が見えてきたし、魔法のように一回で痛みはすっかりなくなるようなミラクルは残念ながらおこらなかったけれど、ひどい症状でもなく、まだまだしっかり直せる実感が湧いてきた。人間的にも明るくポジティブで患者三達の痛みに親身になって取り組んでいる素晴らしい先生にたくさん出会う事が出来た。これからマウイに戻ってもやるべき事がはっきりしたし,少しずつ地道に再開し始めて冬までには完全復帰、いや、今まで以上にフルパワーで海と向き合っていきたいと思う。
先生方に心から感謝。
夜9時前に帰宅。メールやら原稿の下準備やら、父のコンピュートラブルシューティングなんてしてたら夜中の1時すぎていた。窓に雨粒が打ち付けられている、明日はどんな天気かな?
2014-04-30
4月29日 SEEDS OF LOVE
(生まれて一ヶ月の悠ちゃん、ちょっと前まで自分がこれくらいだったのに、今では悠ちゃんの事を赤ちゃん、赤ちゃん、とかわいがる健太朗くん、かなりのイケメン)
今日は新月。新月は種をまくのにいい日でもある。以前マウイのオーガニックファーマーに野菜を育てるとき種は新月、苗は満月に植えるのが良いと教えてもらった事がある。何もないところから何かを始めたりするにもいい日。早朝海をチェックするが期待はずれ、全く割れていないのでちょっとだけ歩いてから戻る。部屋を掃除してから茅ヶ崎へ。
今日は若手有望株の野村颯君をインタビューするためホソイサーフを訪問。。彼はまだ小学校6年生。3月に石垣のレースで初めて会ったけれどとってもナチュラルな男の子。その上海の事は何でも大好きで興味津々。サーフィンもスタンドアップもすごく上手。
彼の育った環境を知るためにもショップオーナーの細井さんも交えていろんな話を聞いた。
インタビュー中もお店にはひっきりなしに人が出入りし、笑い声が絶えない。お客さんも子供から年配まで、女性も大勢でいわゆる若いショートボードのサーファーだけではなく入りやすい雰囲気。小さなお店なのに人があふれている感じ。こんな暖かい雰囲気の中皆に見守られ応援されて育ったからそう君みたいに延び延びと自分らしさのあるライダーになったのかなあ、とちょっと納得。お父さんのプッシュしすぎないけど大事なところはきちっと教えるスタイルともとても素晴らしいなと思った。
もっとゆっくりしていたかったのだけれど、午後からはうちにお客さんが来るので、久々に再会のユキちゃんに迎えにきてもらって一緒に鎌倉へ。
(かんなは小さいこの面倒がとっても上手)
こちらは友人達が家族で来てくれ、生後一ヶ月、7ヶ月、3歳、6歳といろんな子供が集合、でもそれぞれが年下の子供の世話をしたりとても微笑ましかった。
くるくる回るイスを一生懸命回して楽しそう。後ろで悠ちゃんをだっこしてくれてるのはゆきちゃん。
以前はみんな自分たちが子供だったのに、みんな子持ちになり、子供の成長を楽しむ歳になってきた。(相変わらず私だけ中身は子供のまんまだが)子供たちのやりとりがあまりに可愛くて、そして前回会った時からずっとずっと成長している事に驚いたり笑ったり、前ほど落ち着いておしゃべりは出来ないけど、そのぶん愛情があちこち駆け回る感じ。
かおる君と靖君の息子櫂くんもずいぶんおおきくなってきた。
かんなにだっこされた悠ちゃん
ぐずって泣いてる櫂君を心配そうに覗き込み、泣きやめせようと「いないないバー」を繰り返す健太朗、やさしいね!
午前中も午後も違う形でこれからの世界は子供達にかかっていて、そのためにも子供達の教育や心の成長をしっかり支える責任が私達にはあるんだなと実感。子供達一人一人にいろんな形で愛の種をたくさん植え付けてそれがしっかり育っていくのを見守っていくのが私達の仕事。
だって、子供達は私達にたくさんの幸せと愛の種を植え付けてくれているんだもの。
2014-04-28
4月28日 南風強し
去年レッスンをしたあと、完全にスタンドアップにはまり、5月のスエにあるパドボグランプリに挑戦したところ思ったほどの結果が出ず、さらに燃えてしまった吉川さん。一年間よく海の上でも会った利したし、自分で目標を決めて練習したりしていた。今年のパドボグランプリに出場するのでその前に一緒に漕いで、練習すべき点とか、細かいところを見ようという事になって板が、今日はあいにく強風の予報。その上麻から南風が結構吹いている。どうしますか?と言うと、とりあえず自分で坂の下から出てみるとの事だったので、ではとりあえず一緒に乗りましょうという事になった。ところが、それからすぐ出てみたけど海が荒れててとても無理、とメッセージが入った。
ダメでもコツを教える事は出来るのでそのままちょっと待ってて、といそいで海へ。
実はある程度乗れてる人だったらこういう時の方が教えられる事は多い、気持ちよく漕げる日は上手でなくても漕げるから、という事で、まずはアウトに出るコツ、風上に進むコツなどを伝えてオンショアの中沖に向かう、表情はヒーヒーいってるけど、全然漕げてるじゃないですか!?漕ぎ方も前よりずっと力強い、一年でずいぶん上達したのがわかり、嬉しかった。
多分今まで出た事のないコンディションで出ると精神的に緊張するから、パフォーマンスに影響が出るのだけれど、こうやって一回出てみて、どういうコンディションなら大丈夫とわかってくると判断力も尽くし、とてもいいと思う。二人で沖までいってオンショアなら強くなっても岸に戻ってくるという安心感を理解してもらいながらダウンウインドや、風に影響を受けながらのマーク回航なども練習。横風に負けない漕ぎ方、スープの越え方などかなり短時間につめ込んだ。吉川さんは弱音を吐きながらも追い込まれるのが好きなタイプと見た笑。
ダウンウインドしながら帰ってきて最後はダウンウインドで得たコツで小波に乗る、とすぐ乗れる。
夕方は逗子まで強風の中自転車でサーファー整体師土屋整骨院へ。施術を受けながら波の事ばかり話してしまった。でも若いのにとっても丁寧で納得のいく説明をしてくれる良心的な先生。今回の日本滞在でとてもいい先生方との出会いが沢山あり、それぞれの先生がどんなに心を込めて患者さんを見ているかにふれることができた。体の治癒力もそうだけど先生の思いも感謝の痛みを直すのに一役かってると思う。感謝感謝。
逗子海岸映画祭が始まった。きれいな夕焼け、そしてそれをバックにランプでセッションを楽しむスケーター達、今日はオンショアが強くて映画見るにはちょっと大変かな?でもおいしい料理がたくさんでてとてもいい雰囲気が出来上がっている。いい天気でたくさんの人が楽しめますように。
ダメでもコツを教える事は出来るのでそのままちょっと待ってて、といそいで海へ。
実はある程度乗れてる人だったらこういう時の方が教えられる事は多い、気持ちよく漕げる日は上手でなくても漕げるから、という事で、まずはアウトに出るコツ、風上に進むコツなどを伝えてオンショアの中沖に向かう、表情はヒーヒーいってるけど、全然漕げてるじゃないですか!?漕ぎ方も前よりずっと力強い、一年でずいぶん上達したのがわかり、嬉しかった。
多分今まで出た事のないコンディションで出ると精神的に緊張するから、パフォーマンスに影響が出るのだけれど、こうやって一回出てみて、どういうコンディションなら大丈夫とわかってくると判断力も尽くし、とてもいいと思う。二人で沖までいってオンショアなら強くなっても岸に戻ってくるという安心感を理解してもらいながらダウンウインドや、風に影響を受けながらのマーク回航なども練習。横風に負けない漕ぎ方、スープの越え方などかなり短時間につめ込んだ。吉川さんは弱音を吐きながらも追い込まれるのが好きなタイプと見た笑。
ダウンウインドしながら帰ってきて最後はダウンウインドで得たコツで小波に乗る、とすぐ乗れる。
(なんかずいぶん高度なテクニック?)
そんな事をやりながら終了。私もその後乗り続けたかったけど、腰が痛くなる前に終了。水に入っちゃうとついつい楽しくなって、乗りすぎちゃうから気をつけないと。
さて、仕事の合間に気がちって先日頂いた私の新しい宝物の写真を撮ってみた。この回は私もいくつかもってるけどセットでもっているのはないし、こんなにピンクがきれいなものももっていない。このかわいらしいピンクのハートを見れば私が狂喜する事を知っていて、もってきてくれたのだけれど、こんなに大事なもの、もらっていいんだろうか?回の名前を何でも知ってるアキさんとナオちゃん。アキさんはロッカールームというもう20年以上続いているシェルジュエリーのアーチストで以前は腰越えにショップもあって、サーファーガールの憧れのお店だった(私は行った事がなかったが)
ずいぶん前から彼のジュエリーは知っていて、すごく好きだったけど誰が作ってるのかもなんというブランドかも知らなかったのだが、ここ数年でいろいろ親しくさせてもらい、彼が貝にかけるいろんな魔法を見せてもらっている。
貝を使ったジュエリーは沢山あるけど友人のマウイマリ、そしてアキさんのロッカールームは私の中ではだんとつ。二人とも全く違うスタイルで、マリちゃんのは都会的なセンスで町やオフィスでもばっちり、ロッカールームの方がよりビーチに近いというかearthyで職人芸、どちらかというと私向きかもしれない、土着民的というか(失礼!)とにかくいつもそのセンスにはやられっぱなしだ。このハートシェルは買おうたって買えない。壊さないように大事にしなくては!夕方は逗子まで強風の中自転車でサーファー整体師土屋整骨院へ。施術を受けながら波の事ばかり話してしまった。でも若いのにとっても丁寧で納得のいく説明をしてくれる良心的な先生。今回の日本滞在でとてもいい先生方との出会いが沢山あり、それぞれの先生がどんなに心を込めて患者さんを見ているかにふれることができた。体の治癒力もそうだけど先生の思いも感謝の痛みを直すのに一役かってると思う。感謝感謝。
逗子海岸映画祭が始まった。きれいな夕焼け、そしてそれをバックにランプでセッションを楽しむスケーター達、今日はオンショアが強くて映画見るにはちょっと大変かな?でもおいしい料理がたくさんでてとてもいい雰囲気が出来上がっている。いい天気でたくさんの人が楽しめますように。
2014-04-27
4月27日 悠ちゃんお帰り!
今日はオレゴンではジェリーさんのビッグウエイブチャレンジ(スノーサーフスタイルの大会)にゲンテンスティックチームが参加してたり、イアンウオルシュやシェインドリアンなどのプロサーファークラス(スノーターキー、雪のうえでのへタッピクラスと自ら呼んでたけど)があったり、コースの壁はどれもサーフポイントの名前がついていたりととにかく面白そうなイベントをやっている。
このイベントは太朗さんが昔々から育てていたコンセプトがメジャーになり、そしてそれに共鳴する人たちと大いに繫がり、リスペクトを受ける事が出来る大きなステッピングストーンの出来事のような気がする。もうゲンテンも10年になるが、そのまた10年くらい前から同じ気持ちで板を作り開発し続けてきた太朗さんにやっと時代が追いついてきた、そんな感じだろう。
そしてマウイではもう8回めくらいになるのではないだろうか、毎年大きくなっているバタフライエフェクトのイベント、マウイ中のビーチガールズが集まっているかのように見えるダウンウインドのイベントが行われた。こちらもウオーターガールタティアナが始めた最初の頃は10人くらいだったのではないかな。今年は300人とか?とにかく海を埋め尽くすほどのビキニガールズが出て行く様子は圧巻だ。
バタフライエフェクトというイベント名の通り、今や世界中でバタフライエフェクトのイベントが行われ、女の子同士のスポーツコミュニティーの親睦やモチベーションを高める助けになっている。さて由比ケ浜では早朝からマットさんのレッスン。奥様の優子(まさこ)さんが先日レッスンを受けてくれ、目から鱗の経験だったらしく 、一緒に始めたご主人もうけた方がいいと思ってくれて、(彼女が教えられるようにメモまでとったのだが)今日はご主人が受けてくれる事になったのだ。レッスンの間まさこさんと子供達はビーチ遊び。二人ともかわいすぎ!マットさんは見かけは完全な外人、だけど5歳の時から日本にいるので話も何でも日本人みたい。レッスンの途中で私がある言葉が思い出せなくて詰まったとき、それをXXXですか?教えてくれたほど。(なのになんだったか覚えていない)
マットさんは注意するとすぐに直るタイプ、多分性格が素直なのだと思う。4年も漕いできたのだから、悪い癖は指摘されてもなかなかすぐには直せないのが常なのだが、一回言うと大体直ってしまう。漕ぎ方はかなり力強くなり、最後に一緒にチャーコギしたらあまり差がつかなかった。
ボードの方向転換も普段はかなりのんびりやってるようで、私が見本を見せたら『そりゃ出来ればいいけどさ』くらいの表情だったから『すぐ出来るから!」とコツを教えたら決行できちゃった事で面白くなったみたい。
クイックターンで気をつける事はほんとに2、3点、でもいざやろうとするとどれか一つは忘れてしまう。そしてあとで、あーこれ忘れてた、今のはあれを忘れた、と理解する。でも何度もやってると必ずすぐ出来るようになる。自分一人でやってると落ちるのもおっくうでなかなか練習しない、クイックターンやマーク回航など何度もやらせる事でマスターしてもらい、出来ちゃえば楽しくなる。
ビーチに戻る前にそのクイックターンを使ってきた波にさっとテイクオフする練習もたくさん出来た。波は小さかったので人は少なく、でもテイクオフする程度にはあったのでパフェクト。これでかなり上達が感じられたのではないかな。テイクオフする時の姿勢も前傾になっていて漕ぎ方もばっちり。これだけ上手くなると教えていても楽しい。
途中材木座ではボランティアで地元の子供にサーフィンを教えているショップオーナーがいたり、サップフィッシングをしている作ちゃんに会ったり。なんだか海の様子も春を実感できるものになってきた。
上がってきたらアンとリリーは自分たちが造った素敵なお城を自慢したくてお父さんを引っ張っていった。貝できれいに飾られたお城、素敵!
マットの上達ぶりをビーチから見ていたお母さんは自分も練習したそう。彼ばっかり上手フルスーツ着てないのに大丈夫かなと思ったけど気持ちが燃えていたから寒くなかったみたい笑。優子(まさこ)さんも漕ぎ方を変えたから波に乗る時も前傾になってて波に乗りやすくなったのでは?漕ぎ方もあれから地元で漕いでいたらしく、ばっちり。やる気のある生徒さんは教えていてもとっても楽しい。また家族で遊びにきてください。
午後からは風も強くなり、腰を休めつつコンピューターに向かい仕事。一つ終わると二つくらい仕事が増えている気がするくらい終わらない。
そしてしばらく実家にいた姪っ子の悠ちゃんが帰ってきた。数週間見ていないうちにずいぶん顔の表情が成長した。それに目を開けている時間がずいぶん多くなった。帰ってきたとたんに隣もやってきてみんなでわいわい。悠はかわいがられ、愛されて育つ事は間違いないから幸せだな。それにしても平べったい顔と丸い鼻の穴、そしてへの字型の眉毛などようちゃんにそっくり。癒し系の顔だ。私も顔をのぞきこむたびに癒されている。
悠ちゃんお帰り!
2014-04-26
4月26日 充実の一日
大型連休突入!ゴールデンウイークの鎌倉は初詣のとき以上に混みあう。特に江の電は大変。
2時頃、裏駅近くのワンダーキッチンに到着。ワンダーキッチンは長谷に昔あったヘルシーな御飯を出すカフェのようなところで、気になっていたところ。こんど駅前に出来たとの事でついこの間友人に連れていってもらったところ、雰囲気がとても素敵。駅近くなのに奥まっているので混んでないし、静か、隠れ家的でアットホーム。
さてそこの2階で大好きな大地のうたうたい、雅紀与ちゃんがライブをするというのでどうしても逃せなかったのだ。
彼女の歌は限りなく曲も詩もシンプル、でも心に直接訴えてくる。歌唱力と歌の良さももちろんだけど、彼女が心を込めて歌うから歌に魂が宿るとでも言えばいいのか、毎回歌を聴くたびに湧きあがる思いに涙があふれてくる。一枚めのCDはマウイでもドライブ中よく聞いていて、夕陽と彼女の曲が妙にしっくりきて、思わず涙、なんて経験もある。
今回も彼女の地球への愛情を感じながら聞いていたら、1週間前にまのあたりにした東北での母なる大地への冒涜、攻撃とも思えるようなコンクリートの壁などを思い出し、切なくなってしまった。でも自然の事を全く顧みない行為に対して敵意を燃やしてもいい結果は生まれない。敵意に敵意をぶつけるとさらに大きな敵意になるんはテロや戦争でもよくわかる事だし、身近なところでもけんか腰に対応すると向こうからもけんか腰の態度が戻ってくるように、いいものは生まれて来ない。
自分の中から溢れ出る自然への敬意、畏れ、愛情をぶつけてそこで勝負していくのが正しい方法だなと彼女の歌を聴いて実感した。あふれる愛情をネガティブな出来事や考えに押しつぶされないように。敵意や悪意には愛で応えていこう。そんな事をまきよちゃんに教えてもらった気がした。新しいCDが5月にリリースされるそうで、これまた私の好きなカフェ、歩いて2分で行ける「麻心」でリリースパーティーライブがあるらしい。
さて、彼女が歌ったのはろうけつ染め、ハンドメイドウエアのGood Newsというブランドの展示会だったのだが、このウエアがまたオレゴンのユージーンとかアラスカのガードウッドを思わせる、素敵なウエア。
(まきよちゃんを真ん中にグッドニュースのお二人、good vibration)
私もろうけつ染めは大好きで、何枚かアラスカのものをもってるし、前々からハンドペイント水着をろうけつ染めで作りたいと思っいてて友人に教えてくれと頼んでいたくらい。とっても素敵なかわいらしいシャツをバックに歌う雅紀与ちゃんがすごく絵になっていた。パタゴニアスタッフのお友達でジャムバンド好き、新婚さんの宮とも(彼女がこのイベントの事を教えてくれた)もご主人様と登場。その上私の尊敬するジュエリデザイナーのアキさんの素晴らしいネックレスをつけてる人もいてその場で意気投合。なんだかいろんな人たちが繫がって初めて会った人がほとんどなのに同窓会みたい。
その後いそいで横浜のハートフルトレーナー、江口先生に体をチェックしてもらい、いろいろ励まされる言葉をかけてもらった。彼ほど患者さんの事を思い、いつも気にかけてくれている人も少ないと思う。先生である前に人間としてとっても尊敬している。
帰り道展示会で買った商品の支払いを忘れて出てきてしまった事に気づいて大急ぎでワンダーキッチンに戻り、もう一度みんなと会う事が出来た。素敵な仲間は多ければ多いほどいい。ここからまた何か面白い事がおこりそうな予感。
忙しい一日だったけれどたくさんの人の優しい心に触れ、元気をもらえた充実の一日だった。
(右が三谷先生、左はトレーナーの金子先生)
お昼前になんとか電車に乗って東逗子の整形外科三谷先生の病院へ。バリバリのウインドサーファーである先生のところにはいろんなスポーツ選手が訪れる、プロウインドサーファーもお世話になってる人が大勢いる。MRIのDVDをうけとり、リハビリをしてもらい、また鎌倉駅へ。暖かいし晴れているのでものすごい人!でも今頃の時期が一番いい季節かも知らない、新緑は柔らかくて明るいきれいな緑で、野の花もお寺やお庭の花も色とりどりであちこちで足が止まってしまう。2時頃、裏駅近くのワンダーキッチンに到着。ワンダーキッチンは長谷に昔あったヘルシーな御飯を出すカフェのようなところで、気になっていたところ。こんど駅前に出来たとの事でついこの間友人に連れていってもらったところ、雰囲気がとても素敵。駅近くなのに奥まっているので混んでないし、静か、隠れ家的でアットホーム。
さてそこの2階で大好きな大地のうたうたい、雅紀与ちゃんがライブをするというのでどうしても逃せなかったのだ。
彼女の歌は限りなく曲も詩もシンプル、でも心に直接訴えてくる。歌唱力と歌の良さももちろんだけど、彼女が心を込めて歌うから歌に魂が宿るとでも言えばいいのか、毎回歌を聴くたびに湧きあがる思いに涙があふれてくる。一枚めのCDはマウイでもドライブ中よく聞いていて、夕陽と彼女の曲が妙にしっくりきて、思わず涙、なんて経験もある。
今回も彼女の地球への愛情を感じながら聞いていたら、1週間前にまのあたりにした東北での母なる大地への冒涜、攻撃とも思えるようなコンクリートの壁などを思い出し、切なくなってしまった。でも自然の事を全く顧みない行為に対して敵意を燃やしてもいい結果は生まれない。敵意に敵意をぶつけるとさらに大きな敵意になるんはテロや戦争でもよくわかる事だし、身近なところでもけんか腰に対応すると向こうからもけんか腰の態度が戻ってくるように、いいものは生まれて来ない。
自分の中から溢れ出る自然への敬意、畏れ、愛情をぶつけてそこで勝負していくのが正しい方法だなと彼女の歌を聴いて実感した。あふれる愛情をネガティブな出来事や考えに押しつぶされないように。敵意や悪意には愛で応えていこう。そんな事をまきよちゃんに教えてもらった気がした。新しいCDが5月にリリースされるそうで、これまた私の好きなカフェ、歩いて2分で行ける「麻心」でリリースパーティーライブがあるらしい。
さて、彼女が歌ったのはろうけつ染め、ハンドメイドウエアのGood Newsというブランドの展示会だったのだが、このウエアがまたオレゴンのユージーンとかアラスカのガードウッドを思わせる、素敵なウエア。
(まきよちゃんを真ん中にグッドニュースのお二人、good vibration)
私もろうけつ染めは大好きで、何枚かアラスカのものをもってるし、前々からハンドペイント水着をろうけつ染めで作りたいと思っいてて友人に教えてくれと頼んでいたくらい。とっても素敵なかわいらしいシャツをバックに歌う雅紀与ちゃんがすごく絵になっていた。パタゴニアスタッフのお友達でジャムバンド好き、新婚さんの宮とも(彼女がこのイベントの事を教えてくれた)もご主人様と登場。その上私の尊敬するジュエリデザイナーのアキさんの素晴らしいネックレスをつけてる人もいてその場で意気投合。なんだかいろんな人たちが繫がって初めて会った人がほとんどなのに同窓会みたい。
その後いそいで横浜のハートフルトレーナー、江口先生に体をチェックしてもらい、いろいろ励まされる言葉をかけてもらった。彼ほど患者さんの事を思い、いつも気にかけてくれている人も少ないと思う。先生である前に人間としてとっても尊敬している。
帰り道展示会で買った商品の支払いを忘れて出てきてしまった事に気づいて大急ぎでワンダーキッチンに戻り、もう一度みんなと会う事が出来た。素敵な仲間は多ければ多いほどいい。ここからまた何か面白い事がおこりそうな予感。
忙しい一日だったけれどたくさんの人の優しい心に触れ、元気をもらえた充実の一日だった。
4月25日 It's ALOHA FRIDAY
今日も暖かくよいお天気。プロボディボーダーで新米ママのメグちゃん、平塚でサーウショップをやってるまさお君がアリスちゃんを連れて鎌倉に来てくれた。まずはまさお君のスタンドアップレッスン。
ついた頃からちょうど風がオンショアで少し吹き始め、海面が荒れていたのでちょっとハードではあったけれど、まずは陸上デボシュミレーション練習。よし、いきましょう。
最初は『あれーなんか難しい、立てないかもー』なんて不安げ、何回か派手にボチャン!
おっとっと、足はずらさずに真っすぐ立ってくださいね。サーファーだからつい立つとサーフスタンスになってしまう。
それでも何回か落ちたあとはどんどんのってる時間が長くなっていき、少しずつなれてきたみたい。あとはとにかく漕ぎまくるだけです。
漕ぎ方の細かいところは海面が荒れていてあまりカバーできなかったので、もう一回くらい私がマウイに戻る前に是非きてくださいねー。
さてまさお君だけ仕事のために早めに帰り、その後はちょっとだけ女子会。アリスちゃんはちょうどうちの悠ちゃんより一ヶ月お姉さん一緒に遊べるくらいの年になったらよろしくねー。メグちゃんもなんだかお母さんオーラに包まれている、でもそれにしても数ヶ月前に子供を産んだとは思えない!贅肉ゼロ!
夕方友人の紹介で逗子へ。誰よりも海に入っていて、施術に関しても人間的にも信頼していると、私が信頼しているお友達からの紹介。なかなか連絡が取れなかったけれど、あきらめずに行って良かった!
丁寧に丁寧に細かいところまで調べてくれ、今までに指摘された事のない部分をいろいろ説明してくれた。ただ治療をお願いするより、私がよくわかるように説明してくれたりしてもらえると本当にいろんなイメージがわくので、直す事へのイメージも浮かべやすい。
波乗りや鎌倉のクラシカルスポットでのマナーなどについても完全に意見一致で話が盛り上がり、とってもいい時間だった。
帰りにバードウエルの河野さんの所によっておしゃべり、河野さんはいつもピースフルなバイブレーションにあふれている尊敬する先輩の一人。いつもいつもきにかけてくださってありがとう。
おしゃべりが楽しくて気がついたら外は真っ暗、あわててオクダスタイルに行き店長の原田君への世界選手権激励のご挨拶。30日からニカラグアで開催される世界選手権に出場するのだ。日本を代表し、また鎌倉を代表して是非頑張ってきてほしいな、成績ももちろんだけどいい成績でなくてもいいバイブレーションを感じ、皆に原田君のスタイリッシュなライディングであっと言わせてきてほしい。私がなけなしのカンパをしていたらなんだか、とっても素敵な外車が外に止まっていて、セレブのようなルックスの男性が。。お店に入ってきたらそれはなんと千葉で人見さん!!九十九里のテッドサーフ、ジュン君の家の改装を手伝ったりしている写真や、千葉でお会いした時はごく普通のショーツとか作業着だったのであまりのギャップにびっくり。そういうギャップがサーファーって面白い。
家では隣の堀君がバースデー、従兄弟の純子が作るショートケーキはどこのケーキ屋さんのよりもおいしいのだが、家族の誰かが誕生日になるとこのケーキが食べられるので嬉しいかぎり。
2014-04-25
4月24日 Beautiful Day in Kamakura
今朝は三浦半島にすんでいる雅子さんがレッスンにきてくれた。雅子さんはウインドもサーフィンもやっててスタンドアップも自己流で4年ほどご主人と楽しんでいるらしい。彼女が住んでいるエリアは私も是非スタンドアップでクルーズしたいと思っている場所。磯が多くて水もすんでいて、なんだか昔の鎌倉のようなのんびりした雰囲気が残っているところ。
短い時間でいろいろ詰め込んでしまったが、ウインドをやってるだけあって体力もあり、ガッツもある。漕ぎ方もなかなか癖が抜けないかなと思いきや、レッスンの終わり頃には完全に注意した事が直っていた。
自分でも一人で乗る時の課題や練習方法がわかり、次に漕ぐのが楽しみと言ってくれて私も嬉しかった。共通の友人がたくさんいたり、似たような価値観をもっていたりする事もわかり、話していてもとっても楽しかった。一生懸命恋だけどおしゃべりもかなりしてたかな。有酸素運動になって良かったかも。ちゃんと顔が写ってる写真がなくて残念。
午後は家でデスクワーク、たくさんのプロジェクトがあるので整理したりしてみると、結構な仕事の量!がんばらなくては。
夕方ジュエリーアーチスト、LOCKERROOM134のあきさんとガールフレンドのナオちゃんが遊びにきてくれた。この間拾った貝を見てもらい使ってもらえそうなものをピックしてもらいつつ、いろんな会の名前を教えてもらったり。まあ会に関してはこの二人はプロ。いろいろ勉強になるし,何よりこういう話が出来る仲間はそういるわけではないので嬉しい。
その後アキさんのお友達の作っているランプを見に行った。逗子では連休中フィルムフェスティバルがあり、ビーチに大きなスクリーンが設置され、音楽や食べ物などを含めた雰囲気のいいイベントになる。もう今年で4年めくらいなのだろうか?横にランプを作っていて、私達がついたらちょうど出来上がったところで、手伝っていたキッズやスタッフと一緒になってアキさんも滑っていた。中心人物のジン君のスケートは私のような全くの素人が見てもすごいとわかるくらいスタイリッシュ。夕陽が落ちてくらくなる中みんなほんとに楽しそうに乗っていた。
その後アキさんの先輩に当たる人のギャラリーへ。なんとオーナーのそうさんは私の師匠であり、ずっとお世話になりいろんな事を教えてもらった岡本さんの親友だとか。私は30年近く岡本サンにお世話になってるけどお会いした事がなかった(と思う)。
そして隣に座っていたのは川南さんのお兄さんの方。鎌倉で川南兄弟の名前を知らなかったらモグリ、と言われるほど有名。ラッシュウエットスーツを立ち上げ、今はジェリーさんの着ているゼロウエットスーツを作っているというレジェンド中のレジェンド。
話の面白さは弟さんにお会いした時も印象に残ったけれど、今日も時間を忘れるほど面白かった。
まあ、良く笑った笑った、夜の弱い私だけれど気がついたらもう10時になっていた。アキさん、ナオちゃんありがとう!
2014-04-22
4月22日 アースデイ(東北海岸線の防潮堤)
今日はアースデイ、本来なら自分の暮らしているこの地球の美しさと素晴らしさに感謝する日だし、わたしほどその恩恵を受け、その大切さを実感させてもらっている人間も少ないと思う。美しい自然にふれて感謝の気持ちで過ごしたいこの日、私の頭の中は昨日目にした真新しい防潮堤でいっぱいだった。
前の晩遅くまで語りあっていたので朝早く起きるのはきつそうだったが、一緒にいた三浦さんは仕事前に一緒に防潮堤を見に行きたい、と誘ってくれた。どちらにしてもミニ以降と思ってはいたが防潮堤の事でいろんな活動に関わっている三浦さんから直接話を聞けるのはありがたかったし、彼だって朝早く起きるのは面倒だろうにそうやって時間を作ろうとしてくれてる事が嬉しかった。
最初に見たのは大谷海岸、東北には少ない広くてきれいな砂浜で夏になると海水浴客で賑わったというこの海岸。日本一海に近い駅という事でも知られていた。去年来た時もすでに土嚢袋がたくさん並んでいてとても悲しい気持ちになったけれど今回は完全に土嚢袋が海岸全体に広がっていた。もう道からは全く砂浜は見えない。
この看板のようなものの高さまで防潮堤が出来るそうだ。ビーチもなく、生き物も減り、コンクリートの高い壁が危険だから子供は近づけなくなるだろう、そうやって海と住民の距離はどんどん広がっていってしまっていいのだろうか?防潮堤が津波を防ぐわけではないという事は今回の震災でみんな感じなかったのだろうか?反対に津波が見えない、防潮堤があると安心してた事でさらに悪い結果になった場所もあったのではなかっただろうか?
そのすぐとなりの小さな入江にはすでに建てられ始めたものがあるからと、三浦さんが連れて行ってくれた。
遠くから見ても、あの白いコンクリートの壁の威圧感は異常。100メートルほどの距離しか建てられていないし、細くてあまり人が通らない迂回路からしか見えない、国道からは見えない、目立たないところに建てられたため(そういうところから作り始めるところもさすが相手はその道のプロだなと思うけど)まだそれほど話題に上がっては来ていないようだが、あれを見て、この防潮堤がその背後にある土地を守る、と安心する人は一人もいないと思う。なんせその後ろにある土地もほとんどが同じくらいの高さなわけだし、その右左には水が入り込む隙がいくらでもある。
小さな津波が来たとき防潮堤がまもるかもしれない土地はすぐ前にある3枚分ほどの畑のみ。そのために8億もかけてこのコンクリートの壁を建てたのか(まだ出来たわけではなく、これから10メートルの奥行きのコンクリートが加えられていく、右の写真の左は字くらいまでの幅になる)と思うとやりきれなくなる。その上醜悪そのもの、回りの美しい景色が台無し。ここも以前は砂があり、サーフィンも出来たそうだ。
要塞の中に住みたいのか?海や山とともに生きていきたいのか?
『これは沢です」
その言葉に愕然とした。私は小さな沢やその回りのもこもこした土、石の陰に隠れる生き物、植物が大好きなのだが、これは沢ではない!沢なんて呼べない。小さな沢がへいでせき止められて水が溜まらないよう、水抜き口が作られたというわけだけれど、こんな醜悪なものを作れる設計家の顔が見てみたい。きっとその人は海にも川にも自然の美しさにもふれる幸運に恵まれなかった人にちがいない、そうでなければこんなもの作れるわけがない。
三浦さんは個人的には防潮堤に反対ではあるがいろんな勉強をしたり、大きな防潮堤が建てられた奥尻島などほかの地域を見に行く事でいろんな問題を考えさせられた。彼が今何より避けたいのが同じ地域に住む住民の対立だそうだ。使えなくなった土地を売りたいと思う人の中には防潮堤が出来る事で自分の土地がある程度高い値段で売れる事から賛成意見になっている人もいる。外の人間にうるさく反対されたくないと思っている人もいるだろう。
一つ課題があるとそれに関係するまた別の問題や課題があって本当に防潮堤問題は複雑だと思う。でも二つだけ私の中ではっきりしている事がある。
出来てしまったらもう元には戻らない。
自分さえ良ければ、という意識を変えなくてはならない。自分が死んでから何台も先の世代の事まで考えていろんな事を決断するべき。
自然を人減の力でどうにかする、コントロールする事は所詮無理。
(今建てられている防潮堤がこの写真多くにある長い海岸線にも建てられる予定、それでいてその先は国定公園なので建てられないから、と結局中途半端。
今回建てられている防潮堤を見て、賛成派だった人も実際で来たものを見て衝撃を受けて、こんなはずじゃなかったと思ってる人も多いらしい。『そういう意味でこの小さなエリアに実際建てられ実際に皆が出来た時の事をイメージできるようになった事はいい事だったかもしれない」と三浦さんは言う。
復興予算だって限りがないわけではなく、今計画している通りの防潮堤がすべて完成する事は絶対に不可能なんだと三浦さんや良く知っている人たちは言う。つまり作れるだけ作るけど作れないところは作らないままになり、結局あまり意味のないコンクリートの要塞が残る、という事になり、またその維持費だってばかにならない。実際奥尻島は出来た堤防の維持費がなくて町が破産寸前なのだし。
三浦さんは住民が対立し、コミュニティーに亀裂が出来ないようにとかなり慎重にニュートラルな立場で動こうとしている、それは素晴らしい事だと思う。でも実際あのごり押しで進めていこうとする行政にそんなやわな態度では押し切られてしまい、泣き寝入りする事になるのではと心配になってしまう、かといって敵意に敵意を向けても最終的には解決しない事も知っている。
「大変なモンスターを相手にがんばってるね」とジョーダン混じりに三浦さんをからかったけど、本当に嫌気のさすような根気が勝負される仕事だと思うし、良く自分からやろうと思ってくれたと思う。まあ、もしこれが自分の海だったら、そして誰もやろうとしなかったら私もやっていたかもしれない。大事にしているものが失われないようにするには動かずにはいられないだろう。
(こちらはアブストラクトサーフショプの重光君)
小泉地区の防潮堤については一番先に進むだろうと言われていたけれど、いろんなメディアで取り上げられ、今少し見直されようと言う動きも出ているらしい。出来てしまったら終わり、もうすでに多くのサーフスポットにテトラや土嚢が入り波が立たなくなりつつあり、防潮堤が出来たら波どころかハングアウトできるビーチすらなくなってしまう。昔は良かったねーではすまされないと思う。反対!と敵意をぶつけるのではなく、この素晴らしい海岸への愛をぶつけ、どれだけ大きなものを与え続けてもらっているかを皆で考えることができたら。簡単ではない事はわかるけれどあまりに複雑で大きな問題すぎて私にもどうしたらいいのかはわからない、でも知らない人にもこういうことが実際に起こっている事だけは伝えられると思う。知る事で愕然とする人は多いはず。
何年も前にどこかの雑誌で見たあの素晴らしいリーフブレイクがなければ気仙沼に来る事もなかったかもしれない、その場所も今ではあまりいい波は立たない。そしてすぐ近くの今皆が波乗りしている場所も防潮堤が建てられたらすべてコンクリートの下に埋まるだろう。それでも前回と同じくらいの津波が来たらそれが役立つとは思えない、それに住民は高地移転を希望しているのだから。その分のお金何百億円で同じコンクリートを避難路や高知移転先の家を建てる事に使えないのだろうか?
次にここを訪れるとき、さらに東北の海岸線が要塞化していたら、と考えると胸が痛む。
私に出来る事はなんなんだろう?あまりないけど忘れないこと、そして人事とおもわないことくらいは出来ると思う。もうすぐまた署名を集めるらしい、英語版も作るときいたのでそれを拡散する事くらいはお手伝いできたらと思っている。
詳しい事を知りたい方、興味をもっていただけた方はこちらも是非。
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ちなみに福島原発近辺では海はそのまんまの状態で放置されている、防潮堤の話の前にやる事が山積みだから。でも避難命令が解除された時に一気に防潮堤建設が進まないように、今から宮城や岩手の状況から勉強したりしておくべきだと思う。
Imagine beautiful ocean and people living in harmony. Even though you may think I am a dreamer, I cannot help it.
前の晩遅くまで語りあっていたので朝早く起きるのはきつそうだったが、一緒にいた三浦さんは仕事前に一緒に防潮堤を見に行きたい、と誘ってくれた。どちらにしてもミニ以降と思ってはいたが防潮堤の事でいろんな活動に関わっている三浦さんから直接話を聞けるのはありがたかったし、彼だって朝早く起きるのは面倒だろうにそうやって時間を作ろうとしてくれてる事が嬉しかった。
最初に見たのは大谷海岸、東北には少ない広くてきれいな砂浜で夏になると海水浴客で賑わったというこの海岸。日本一海に近い駅という事でも知られていた。去年来た時もすでに土嚢袋がたくさん並んでいてとても悲しい気持ちになったけれど今回は完全に土嚢袋が海岸全体に広がっていた。もう道からは全く砂浜は見えない。
この看板のようなものの高さまで防潮堤が出来るそうだ。ビーチもなく、生き物も減り、コンクリートの高い壁が危険だから子供は近づけなくなるだろう、そうやって海と住民の距離はどんどん広がっていってしまっていいのだろうか?防潮堤が津波を防ぐわけではないという事は今回の震災でみんな感じなかったのだろうか?反対に津波が見えない、防潮堤があると安心してた事でさらに悪い結果になった場所もあったのではなかっただろうか?
そのすぐとなりの小さな入江にはすでに建てられ始めたものがあるからと、三浦さんが連れて行ってくれた。
遠くから見ても、あの白いコンクリートの壁の威圧感は異常。100メートルほどの距離しか建てられていないし、細くてあまり人が通らない迂回路からしか見えない、国道からは見えない、目立たないところに建てられたため(そういうところから作り始めるところもさすが相手はその道のプロだなと思うけど)まだそれほど話題に上がっては来ていないようだが、あれを見て、この防潮堤がその背後にある土地を守る、と安心する人は一人もいないと思う。なんせその後ろにある土地もほとんどが同じくらいの高さなわけだし、その右左には水が入り込む隙がいくらでもある。
小さな津波が来たとき防潮堤がまもるかもしれない土地はすぐ前にある3枚分ほどの畑のみ。そのために8億もかけてこのコンクリートの壁を建てたのか(まだ出来たわけではなく、これから10メートルの奥行きのコンクリートが加えられていく、右の写真の左は字くらいまでの幅になる)と思うとやりきれなくなる。その上醜悪そのもの、回りの美しい景色が台無し。ここも以前は砂があり、サーフィンも出来たそうだ。
要塞の中に住みたいのか?海や山とともに生きていきたいのか?
震災後、仮設が出来る前にもうすでに防潮堤のプランは作られ始めていたと言う。それほど一部の人たちにとっては大事な事なのだ。テトラ一つで200万(震災後すでにいくつのテトラが海に入れられたか,想像もできない、莫大な金額になっているはず)そしてこれだけの距離の防潮堤で8億円かかり、これから建てようとしている370キロと言う距離は全部でいくらかかるのだろう?そしてそれはすべて税金で建てられる。どうひいき目に見てもゼネコンに関係ないとは思えない。
近づいてみるとその威圧感は半端ない、これは奥行き10メートル高さ10メートルだけれど、ちょっと先の小泉海岸には高さ15メートル奥行きはなんと100メートル近いものが計画されている。その背後にある土地はもう誰も住んでいないし、畑としても利用していないというのに。
もしこんなものが鎌倉、私の生まれ育った由比ケ浜に建てられるとしたら、私はみうらさんのように落ち着いて対応できるだろうか?我慢できずに敵意むき出してゲリラ的行動に出てしまいかねないとこのへいを前にして思ってしまった。なにがなんでも建てさせない、夜トンカチもって崩しかねない、と。三浦さんだってそうしたい気持ちはあるだろう。ここで生まれ育ってきたのだから。
塀の真ん中あたりにマンホールのようなものがあった。三浦さんがここで立ち止まって示してくれた。『これは沢です」
その言葉に愕然とした。私は小さな沢やその回りのもこもこした土、石の陰に隠れる生き物、植物が大好きなのだが、これは沢ではない!沢なんて呼べない。小さな沢がへいでせき止められて水が溜まらないよう、水抜き口が作られたというわけだけれど、こんな醜悪なものを作れる設計家の顔が見てみたい。きっとその人は海にも川にも自然の美しさにもふれる幸運に恵まれなかった人にちがいない、そうでなければこんなもの作れるわけがない。
塀のはじにある階段を上ってみた。急だし手すりもない。『基本的に海川に行くための階段ではなく、万が一海川にいるとき外に出るための避難路としてあるので出来上がってもここを使って海にいく事は禁止になると思います』と三浦さん。上に立ってるだけどゾクゾクするくらい怖い。こんな階段おばあちゃんじゃ絶対のぼれないだろう。
防潮堤に関しては地域地域によって大きさも住民の考えも少しずつ違う。東北とひとくくりには出来ず岩手は知事が柔軟でかなり住民の意向にそったものが計画されつつある。堤防は今まで通りの低いものでというところも多い。宮城は県知事がゴリ腰で進めているせいで説明会もしっかり行われず、環境アセスメントもなし、今ある予算があるうちに作れるだけさっさと作ってしまえ、という風に見えて仕方がない。三浦さんは個人的には防潮堤に反対ではあるがいろんな勉強をしたり、大きな防潮堤が建てられた奥尻島などほかの地域を見に行く事でいろんな問題を考えさせられた。彼が今何より避けたいのが同じ地域に住む住民の対立だそうだ。使えなくなった土地を売りたいと思う人の中には防潮堤が出来る事で自分の土地がある程度高い値段で売れる事から賛成意見になっている人もいる。外の人間にうるさく反対されたくないと思っている人もいるだろう。
一つ課題があるとそれに関係するまた別の問題や課題があって本当に防潮堤問題は複雑だと思う。でも二つだけ私の中ではっきりしている事がある。
出来てしまったらもう元には戻らない。
自分さえ良ければ、という意識を変えなくてはならない。自分が死んでから何台も先の世代の事まで考えていろんな事を決断するべき。
自然を人減の力でどうにかする、コントロールする事は所詮無理。
(今建てられている防潮堤がこの写真多くにある長い海岸線にも建てられる予定、それでいてその先は国定公園なので建てられないから、と結局中途半端。
今回建てられている防潮堤を見て、賛成派だった人も実際で来たものを見て衝撃を受けて、こんなはずじゃなかったと思ってる人も多いらしい。『そういう意味でこの小さなエリアに実際建てられ実際に皆が出来た時の事をイメージできるようになった事はいい事だったかもしれない」と三浦さんは言う。
復興予算だって限りがないわけではなく、今計画している通りの防潮堤がすべて完成する事は絶対に不可能なんだと三浦さんや良く知っている人たちは言う。つまり作れるだけ作るけど作れないところは作らないままになり、結局あまり意味のないコンクリートの要塞が残る、という事になり、またその維持費だってばかにならない。実際奥尻島は出来た堤防の維持費がなくて町が破産寸前なのだし。
三浦さんは住民が対立し、コミュニティーに亀裂が出来ないようにとかなり慎重にニュートラルな立場で動こうとしている、それは素晴らしい事だと思う。でも実際あのごり押しで進めていこうとする行政にそんなやわな態度では押し切られてしまい、泣き寝入りする事になるのではと心配になってしまう、かといって敵意に敵意を向けても最終的には解決しない事も知っている。
「大変なモンスターを相手にがんばってるね」とジョーダン混じりに三浦さんをからかったけど、本当に嫌気のさすような根気が勝負される仕事だと思うし、良く自分からやろうと思ってくれたと思う。まあ、もしこれが自分の海だったら、そして誰もやろうとしなかったら私もやっていたかもしれない。大事にしているものが失われないようにするには動かずにはいられないだろう。
(15メートルの防潮堤が予定されている小泉海岸)
(小泉海岸に流れ込む津谷川にも高い堤防が、こういう地形ってさらに川を逆流する津波が高くなるって今回の津波で証明されてなかったっけ?)
出来上がり予想図
(去年の小泉海岸、rider 佐藤かずやさん)(こちらはアブストラクトサーフショプの重光君)
小泉地区の防潮堤については一番先に進むだろうと言われていたけれど、いろんなメディアで取り上げられ、今少し見直されようと言う動きも出ているらしい。出来てしまったら終わり、もうすでに多くのサーフスポットにテトラや土嚢が入り波が立たなくなりつつあり、防潮堤が出来たら波どころかハングアウトできるビーチすらなくなってしまう。昔は良かったねーではすまされないと思う。反対!と敵意をぶつけるのではなく、この素晴らしい海岸への愛をぶつけ、どれだけ大きなものを与え続けてもらっているかを皆で考えることができたら。簡単ではない事はわかるけれどあまりに複雑で大きな問題すぎて私にもどうしたらいいのかはわからない、でも知らない人にもこういうことが実際に起こっている事だけは伝えられると思う。知る事で愕然とする人は多いはず。
何年も前にどこかの雑誌で見たあの素晴らしいリーフブレイクがなければ気仙沼に来る事もなかったかもしれない、その場所も今ではあまりいい波は立たない。そしてすぐ近くの今皆が波乗りしている場所も防潮堤が建てられたらすべてコンクリートの下に埋まるだろう。それでも前回と同じくらいの津波が来たらそれが役立つとは思えない、それに住民は高地移転を希望しているのだから。その分のお金何百億円で同じコンクリートを避難路や高知移転先の家を建てる事に使えないのだろうか?
次にここを訪れるとき、さらに東北の海岸線が要塞化していたら、と考えると胸が痛む。
私に出来る事はなんなんだろう?あまりないけど忘れないこと、そして人事とおもわないことくらいは出来ると思う。もうすぐまた署名を集めるらしい、英語版も作るときいたのでそれを拡散する事くらいはお手伝いできたらと思っている。
詳しい事を知りたい方、興味をもっていただけた方はこちらも是非。
Facebookをやっているなら
防潮堤を考える ページ
マンモス防潮堤がせめて来た ページ
ちなみに福島原発近辺では海はそのまんまの状態で放置されている、防潮堤の話の前にやる事が山積みだから。でも避難命令が解除された時に一気に防潮堤建設が進まないように、今から宮城や岩手の状況から勉強したりしておくべきだと思う。
Imagine beautiful ocean and people living in harmony. Even though you may think I am a dreamer, I cannot help it.