2011-06-30

6月29日 Quick downwinder

(生後7ヶ月の壮君、こんな赤ちゃんのころからマウイの自然に囲まれて幸せだね!)
昨日は忙しくて海に行きそびれたので今日は途中ですべてを投げ出して海へ。
同居人アンドリューがカイトしに行くというのでカイトのビーチまで降りていき、そこから乗せてもらって帰ってこようというプランだったのだが、いざ行こうと思ったら私のパドルとリーシュが彼の車にあって、その車はすでにカイトビーチに行ってしまったあとだった。
仕方ないのでカイトビーチまで私も行き、そこに自分の車を置いてアンドリューの車に乗せてもらってスタート地点で下ろしてもらう。ちょうどダウンウインドシャトルも来ていて早い人たちが5人くらい出て行くところだった。私のほうが先にスタートしたけど途中沖のほうを見たらみんなすでにすっかり先にいた。ほんとになぜあんなに差がついてしまうのだろう。

長いほうのボードが壊れているので短い12ftのレースボードに乗っているのだが、このボードやっぱり面白い。風が吹いていればこっちのほうが楽しいし、スピードもそんなに引けをとらないような気がする。
せっかくもおちゃん家族がマウイに来ているのに私も結構忙しくもおちゃんたちも忙しいのでなかなか会えない。かわいいスモモと壮の顔が見たくて仕方がない。こんなにかわいい時期は一回しかないのだからほんとに大事にしないとあっという間に大きくなってしまう。
壮もスモモももおちゃんとひでサンからできた子供とは思えないほど(?)いい子で素直でかわいらしいし、いくら見ていても飽きない。壮がスモモおねえちゃんのことが大好きでおねえちゃんのことを嬉しそうに見ていたり、あやされると大喜びする様子が本当にすばらしいなと思う。忙しいけれど、自分にとって何が大切か、考えて大事なことには無理をしてでも時間を造らなくちゃと思う、壮とスモモと一緒にすごすことはもちろん大事なことのひとつ。
子供ってほんとに大人にいろんなことを教えてくれる。

2011-06-29

6月28日 餃子パーティー

昨日のうちにやることリストを作り細かいスケジュールを組み立てて合間にダウンウインドで海に入れる予定になっていた。けどやはり午前中にやるべきことがずれ込み、結局間に合わず。残念、それでなくても練習不足なのに、練習がなかなかできずに困ったものだ。

昼間カフルイまで行っていろいろ用事を済ませた後ダウンウインドのシャトルの時間に間に合わなかったのでいったんハイクの自宅まで戻り1時間だけ仕事、そのあと同じハイクに住むちはぎちゃんのところでみんなと合流、島の反対側、キヘイまで。

夜にキヘイなどめったに行かないのだが今日は何人かの女の子が集まって餃子パーティー。
と同時に東北に行ってきたときのことの報告やコレから何ができるか、そして来週には来る日本の被災者の方々を受け入れているAloha initiativeという団体についての相談などなど、いろんなことを話し合った。日本から遠くはなれたマウイだけどみんなこうして何かしたいと強く思いながらできる事を見つけてやっている、そんな仲間が沢山いて幸せだなあと思う、そのうえみんな波乗り仲間だし。(写真は斉田ヒロサンのをお借りしました)餃子はおいしすぎて食べ過ぎてしまった。現在苦しくて眠れない状態。
明日こそは海入るぞ!

2011-06-28

6月27日 Bart's ultimate adventure

(Bart's ultimate crossing Big Island-Kauai)
ひとつの用事が済むとそのころには新しくやるべきことが二つか三つ増えている、そんな気がするのは気のせいだろうか?でもやるべきことはすべていやなことではなく、ありがたい用事ばかり、それだけいろんなことが前に進んだり発展してるからだと思えばありがたいものだ、けど海に入る時間が確実に少なくなっていて、ちょっとそれがストレスになっている。もう海はいいやって言うくらい海で思い切り体を使ってくたくたになりたい!

さて昨日は友人がとんでもないことをやってのけた。カナハから一番近いところにあるウインドを中心とした品揃えのサーフショップ、カナハカイのオーナー、バートがハワイ諸島をスタンドアップで横断したのだ。今までにもハワイ島からカウアイまで行った人はいる。まずはレアードが陸地は自転車、海はスタンドアップではじからはじまでやったし、去年はレディーススタンドアップのトップレーサー二人が島から島へと漕いで環境についての意識を高めることを目的に達成した、でも今回のバートはどこ島にも止まらず、non stop, unassisted(つまり、レスキューボートもなし、一人きりで夜も食事も自分でまかないながらどこにも止まらずにハワイ島からカウアイまで一気に漕ぐというとんでもないもの。全部で300マイルくらいらしいけどまず夜にあの大海原で一人でスタンドアップボードの上に寝るなんてこんな恐ろしいことはない。
彼はとてもメローで見た目もプロっぽくない。エゴも強くないのであまり知られていないかもしれないが、かなりの腕前でどのレースにもかなり上位に入ってくる。以前にもマウイ島一周を一人でやってみたり、アフリカの川を長距離下ったり、オランダでも町の周りを流れる運河のレースで優勝したりといろんな長距離のパドルをやってきている。それでもやっぱるこのクロッシングほど大変なものはないはずだし、ある意味無謀ではある後思っていた。彼自身取り奥さんやコdもがすごいな、彼がやりたいことを認めて送り出すのはすごいけどその心配は計り知れない。

結局結果よければすべてよしで、極度に披露してまともに半紙ができないほどだったらしいけど彼はしっかり予定通りの時間に予定の場所に到着した。
5日間海の上で漕ぎ続けた彼の足はぼろぼろだったそうだ。そして夜中にも何度も船がひっくり返ったり、寝ていて船酔いしてきたりしたそうだ。

大変だったろうけれど、コレができればもう何がきても怖くない、それくらい面足りの強さが試されたはずだ。
ほんとにすごいなあと思う。私なんてマウイからモロカイまで出さえも一人で行くのはちょっと怖いし、夜ボードで寝るなんてもってのほか。世の中すごい人たちがいるものだ。

とにかくバート完走おめでとう。それにしても写真で手にもってるテディーベア、夜寝るとき、熊ちゃんがいないと寝られない、とか?

他にも周りではいろんなプロジェクトが進んでいる
マウイに日本の被災者を受け入れようというAloha Initiativeの活動、も4日に第一陣が来るという。私たちはどこまでケアできるかわからないが、できることはしますよ、とみんな言っていて団体のほうから情報が来るのを待っている状態だが、どうなることやら、行政とか団体のうえの人たちがあまり動いてないのか動きが悪いのか来る人たちの情報がまったく入ってこないしどんな人が来るのかすらわかっていない状態。1500万円もいろんな会社からk府が集まってるらしいのだからしっかりやってほしいものだ。私たちが必死にナって集めたお金の10万円でもかなりのことが現地に行けばできて、みんなに喜ばれることができることがよくわかっただけにその1500万円が経費としてどんどんなくなっていってしまったり、ド尾に言ったのかわからないような使われ方をするのは納得できない気分。
みんな忙しいのに、来る日本人の方々が楽しんでくれるように、心を癒してくれるようにできるだけのことをしようとしているのだ。本当にうまくいってほしいと思う。

そして海の学校。マウイのハイテックからの寄付が仙台の海の学校へ送られることをマウイの人も日本の人もとても喜んでくれている、子供たちから子供たちへ、海を愛する人たちから同じように海を愛する人たちへ、そんな気持ちがつながる寄付の仕方だった気がする。こちらも仙台で7月23日に夏祭りという形を取って開催。いろんなイベントで子供たちを楽しませてくれるはずだ。

2011-06-27

6月26日 ピースカルチャーネットワーク

周りではいろんな人がいろんな形で自分のできること、自分の得意分野で東北のために何かしようとしている。
いろいろ活動しててえらいですね、という人もいるけど、えらいつもりも、いいことしてるって言う気持ちも正直言って全くない。自分がやりたいだけ、そしてやりたくなかったらやっていないだろう。
大変だと思うどころか反対に、いろんな過程で私のほうこそいろんなものを与えてもらっている。すばらしい人たちとの出会い、いろいろ教えてもらったり、いい経験をさせてもらっている。そして本当に大事なこと、そうでもないこと、まったく不必要なのに、結構普段気にしたりしていることなどもはっきり見えてくる。

友人が、東北から帰ってきたあとにお客さんから「そういう系趣味なんですか?」ときかれて、あっけに取られて言葉が出なかったと話していたけど、ボランティア活動は趣味でも好きでもなんでもないし、必要ない状況ならそんなことしないで自分で好きなことして遊んでいるほうがいい。でも人事ではないし、何かやらずにはいられない。それが昔から理論ではわかっていたonenessとか、世界のすべてのことがつながっている、とかそういうことなのだとしたら今回がきっかけでとてもすんなり、自然に理解できるようになった気がする。


さて、写真はアーティスティック、一緒に旅するとそのおとぼけぶりと個性的な遊び方で楽しませてくれる友人のカメラマンひがいさんからのお知らせ。

「ピースカルチャーネットワーク」
スケートボーダーやスノーボーダー達のオリジナル ワールドネットワークを
中心に広がる文化から生まれた本独自のスタイルをもつアーティスト達の作品を
展示販売するイベントです。
第1回目は会場は東京のスノー・スケートショップ、スタイラスです。
6月25日から28日まで
場所 STYRUS
渋谷区富ヶ谷2-43-11 1F
03-5452-1974
www.styrus.netひがいさんの素敵なカレンダーも販売されます。

なんだか今日は「トレーニングが必要だ」という声と「突っ走ってばかりだとまた腰を痛めるぞ」というどこかから聞こえる声が交互に聞こえてくる。

6月25日 ダウンウインドと夜の集い

(今日カナハで行われたカイトのレース、色鮮やか!)
サウスも適度に波があり、カイトではレースが行われる、でもやることもたくさんある。結局一番時間のロスがないダウンウインドをすることにした。1時にシャトルに乗るとOC-1、スタンドアップ、レイダウンパドルボードとさまざまな人たちが乗り込んで来る、なんとビッグウエイバー大工のタカサンも。今年の夏はコレで冬の波に備えてトレーニング、だそうだ。
風は気持ちよく吹き、ピアワンまでいい感じでダウンできた。途中ランディーがスピードを出す秘訣を伝授してくれた。うまくいくとスーッとスピードが出るけどなれてない私はタイミングがずれてチンすることしばしば。そのせいでやったのかどうかはわからないけど、終了後ボードを洗おうとしたらボトムに巨大な長細い傷が!このボードは水が入ると致命的なのでかなりショック。もしかしたら思い切り沈したときパドルを縦にしてぶつけてしまったのかもしれないが、今週末のレースまでに直してくれるだろうか?レースまでこのボードに乗れないこともつらい。

その後ちょっと街での用事もろもろを済ませてからワイルクヘ。さっきまで海で一緒だったタカさん、そしてあやちゃんのお宅でBBQにお呼ばれ。たいしたものを持っていかずに行ったのに、みんなのたくさんのおいしいものをたくさんご馳走になってしまった。MTB、他もろもろを東北支援のために寄付してくださった太っ腹のGROVEのご夫婦。フラダンサーのKUちゃん家族、そして斉田家とちょうどいい人数のおいしいご飯で夜に弱い私もついつい長居。楽しい時間をすごさせてもらった。

みんなマウイにいても日本のことを思ってて、これからもどんどんいろいろできることをしようね、と言い合ったり、来週来る日本からの被災者受け入れについて何ができるか話したり。なんか同じ感覚でいる人たちと一緒にいるのはとても心地よいし、心強い。すばらしい仲間たちに感謝。

2011-06-25

6月20日 佐藤家とディナー

一日何をやっていたかもう忘れてしまった。マウイに帰ってきてからというもの毎日朝からコンピューターに向かいっぱなし、たまに海に行く以外はずっと机仕事が続いている。

今日はスモモたちが夕方から来てくれた。大好きなスモモだけでなく新しい友達壮クンも一緒。
とうととかあかのくだらない喧嘩の内容とか、体操教室で最近やってることなどいろいろ話して聞かせてくれた。今のスモモの宝物はお友達ノート、いろんな人にいろんなことを書いてもらってそれを大切に持ち歩いている。住所や誕生日だけではなく、たとえば自分の長所とか、好きなタイプ、好きなお菓子や食べ物までかく欄がある。欠点の欄が余りに小さくてぜんぜん入り切らなかった。すもは私の欠点は「腰?」といってたけど腰も悪いが、もっと弱い点がたくさんある。変換ミスとか壊し魔、汚し魔、いい加減、常識はずれ、ぜんぜん入りきらない!

スモモは鶏小屋に卵を取りに行き、自分でピックしたものを持って帰った。生卵で卵ご飯するのが大好きなのだ。

6月23日 朝から晩までサウスサイド

とにかくやることが多すぎて日記のアップが追いつかない。でも波があるときは乗っておかないと。
今日も朝からSouth bound、ドライブ中は日本でもらった雅紀与さんのCD、ちょっとUAにも似ているような、そして地球と自分の係わり合いと実感している今の私にずーんと響く感じの唄で気に入っている。

サウザンピークスはオンショアが結構吹いていて、昨日のようなすばらしい波ではなかったけど、その分人は少なくメインピークで乗れた。あやちゃん、晶子ちゃんも出ていて、それなりに楽しい。そして今回石巻の浜人祭りの際にイベントのチャンピオンの手に渡ったマウイ店バイクを寄付してくださった太っ腹でビッグハートの鎌倉のマウンテンバイクのお店、GROVEのご夫婦もサーフィンしていた。みんなでおしゃべりしながら楽しいサーフィン、波のクオリティーよりも一緒に乗る人の雰囲気が一番そのセッションのよしあしを左右する、と思う。

その後混んできたのでPenalty BOX(メインの左側にあるピーク)に移動。そこで11時半ごろまで乗っていったん上がる。

イレアでランチミーティング。ワイレアなんてめったに行かないし、そこのモールは実は一回待ち合わせで行ったことがあるのみ。モール内を歩くだけでちょっとどきどき、そんな中、ルイヴィトンとかCOACHのショップにはさまれるようにしてあるのがKAIという日本食のレストラン。
ここで久保田さんにいろいろ相談に乗ってもらった。詳しいことは決まったらお知らせするけれど、日本への支援活動に向けて今までとはまた別のアングルからも働きかけたいと思ってのこと。久保田さん自身も大学時代の恩師のグループで復興活動にかかわっていくために近日中に日本に帰るとのことだった。以前にもレストランの食器を売った売り上げ180ドルを義捐金として寄付してくださった。

それにしてKAIは遠いので来たことがなかったけれど、予想以上に広くて立派なのにはびっくり。私が気に入ったのは長椅子のような客席、座る部分が畳なのだ。これ自分の家にもほしい、そしたら昼寝もできそうだし。においもいいし。
おすしまでご馳走になったけれど、ランチでちゃんとしたお寿司を出すところはマウイでは少ない。夜の炉辺焼きもメニューで見たけどおいしそうだ。
マウイに来て日本食が恋しくなったときにはぜひ!

午後もう一回サウスサイドへ。夕方風が落ちてくれるかなあと思っていたのだがついてみるとビュービューのオンショア。ちょっとモチベーションが下がり、道路際で待機。どうしようかなーあきらめて帰ろうかなと考えていたときに無効のほうから友人のランディーがこいでやってきた。私が出ている髪にきたらしいので、このままでないのは悪いと思って出たら、思ったより楽しかった。どんなコンディションでも出ないよりは出たほうがいいのだ、これは絶対。

結局ぎりぎり日暮れまで乗り、それから直接クアウに滞在している友人のところへ。チャーリーとルーシーは世界10カ国を旅するハネムーン中。(荷物が多くなるのを避けるためすべて南国にした、とか、そしてすべてカイトができるところばかり!)
カリブ海にある、バージングループ会長リチャードブランソンのプライベートアイランドにガールズトリップで行ったとき、そこのスタッフとしてお世話になった。あの島は本当に気のいいスタッフばかりで最高だった、その上島の回りは透明な海、ステディーな風、そしてクオリティーの高い波がたまに立つ最高のロケーション。ただし通常たまるには一泊54000ドルととんでもない値段(島ごと借りる値段だが)(Ahh.. our sweet memory of Necker island in 2009)
あそこに住んでいたらどこに行ってもがっかりするんじゃないかと思うけど、それでも彼らはマウイを楽しんでくれているようだ。なかなか会えない仲間との再会はいつでも嬉しい。2週間の滞在中いろいろ一緒にできるといいな。

2011-06-23

6月22日 Super fun south swell!

(野中トモちゃん、いい波にテイクオフ、左でアウトに出てるのはタイラーというウエイブスキーに乗る子でノースのクアウでよく見かけるのだが、うまいなあと思ったらなんと2年連続ナショナルチャンピオンなのだそうた。今年は世界チャンピオンに挑戦らしい。そういうことを誇示しない態度も好ましいし、海でもとっても控えめ、でもライディングは過激。そのうえカナちゃんいわくイケメンでカナちゃんの好み?とかなり点数高かった)
今日はスウエル本番、確実にサイズアップしているらしい。到着したときはまだ日も出たばかりで薄暗かったがそれでもメインピークはすでにスタンドアップが入れる雰囲気ではないのでまっすぐペナルティーボックスへ。でもそっちもすごい面子だった。カラマ、コナー、パット福田、ティアレ・ローレンス、ジュニア、筋肉クリスと、オールスター全員集合状態。(朝もやの中リッピングするカラマ先生)その上エリックエイダーが水中撮影で入ってる。カイト仲間のバッキーやジェリー、他にも上手な人が何人か。でもみんながつがつするタイプではなく譲り合って順番に乗るタイプの人ばかりでとってもいい雰囲気で波数も多かったからまったく問題なし。しょっぱなからいい波に乗らせてもらえて最高の気分。そのうち曇っているからか撮影グループは上がり、メインピークの混雑を逃れて日本人レディースがこっちに移動してきた。その後も二人の上手なスタンドアップローカル、そして私たちレディースおしゃべり半分波乗り半分グループ(?)プラス数人でとっても楽しく譲り合いながら乗れていた。


ところが途中からレンタルのナッシュスタンドアップボードにずっと立膝で乗りっぱなしのおじさんがやってきた、見るからにビギナーなんだけどいる場所はど真ん中。その上どの波にもテイクオフしようとして周りをぜんぜん見ていない。そして必ずワイプアウト。そしてワイプアウトしたそばから次に来る波にも乗ろうとしてまたワイプアウト。いいところから波に乗ってしばらくいったところでリップに当てようとすると彼がそこにいてその波に途中から乗ろうとしていたり、そこでワイプアウトしたりしているので、みんなちょっとストレスになってきたけど、何も言わずにいたのだが、とうとうかなちゃんが乗ったいい波に途中から完全に後ろを見ないで漕いで乗ろうとし、そこでまたこけて彼のボードがカナちゃんの頭にぶつかりそうになった。これをインサイドで見ていた私も、ウエイブスキーに乗っていためちゃくちゃ上手なおにいちゃんも、たまらなくなり、彼に注意したら、反対に逆ギレ気味で、だってこの兄ちゃんが話しかけるから(ウエイブスキーの人が彼に向かってその波に乗ろうとするな、と叫んでいた)この姉ちゃんのこと見てなかった、とか、波のボトムにいたのにどう避ければいいんだ、とか、なんだかわけのわからない言い訳をしまくるので、素直に謝ればみんなそれで流せたものを、日本レディースもみんな周りを囲んで、こうだからいけないんだ、とかだったらここに来るな、とか横で様子を見ながらはじで乗れとか言い出した。
ああいう人がいるからスタンドアップの評判が悪くなるのだ。それにしてもこういう人が何も疑問を持たず二ピークに出てきてしまうのはレンタルする側にも責任がある。レンタルする側もある程度人を見てレンタル、あるいは最低ルールの説明と架橋は波がいいから人気のピークには行かないほうがいいとかアドバイスをするべきだと思う。少なくとも立てないのに波のピークに来て巻かれているだけなんて普通は遠慮がちになるものだけど。結局居心地が悪くなって彼もどこかに行ってしまったけれどそのころには私たちもちょっとしらけたし、キッズのショートボーダーが何人も入ってきたので上がることにした。

午後は風が入ってきたので終了。でももうちょっと入っとけば良かったかな。同居しているアンドリューは朝私よりも早く家をでてウッディーズで一日中乗り続け、家に帰ってきたのは夜の7時半過ぎだった。やりすぎでしょう、いくらなんでも。おかげで日中相手をしてくれる人がいなかったニワトリたちは私の車が帰ってきたら大慌てでこっちに駆け寄ってきて、車のドアを開けたらみんなでお出迎えしてくれた。ほうっておいてごめんね、カワイコちゃんたち!

2011-06-22

6月21日 落語とお蕎麦

石巻で参加させてもらった浜人祭に来ていたことから知り合えたお友達、一平君は自家挽工房「梵蔵」というお蕎麦屋さんを材木座でやっている。
以前からいろんな人に聞いていて食べに行きたいと思っ
ていたので、彼が炊き出しでおそばを出すと聞いてとっても楽しみにしていた。使い勝手がいい自分のキッチンではなく外の屋台のようなところで作るわけなのでどこまでおいしいのが作れるのか、と、期待半分不安半分だったけれど自分たちのブースが忙しい中何度いってみても売り切れか行列、一応被災者の方のためのイベントなので図々しく待つのも悪いかなと遠慮しながらも(無料だし)予定の量が売り切れの後、追加で作ってくれたものがやっと私の元にきてくれた。大根の粗おろしに天かすが混ざったものがのせられ、それはそれはおいしいお蕎麦だった。

このイベントでは一平君をはじめほんとに多くのすば
らしい志が高く、地球の将来、日本のこれからをまじめに考えながらも自分の好きなことを追求しているような人たちとお友達になることができ、本当に参加してよかったと思っている。特に鎌倉とどけ隊のリーダー麻心の真司さんや一平君は見かけは怪しそうだし、ふらふらしてそうなのに、太い筋の通った考え方を持ち、昔の日本男児的骨太さを感じさせる頼もしさがあった。ああいう人たちがこれからの鎌倉をもっと良く、いい意味で活気がある文化にあふれた場所にしていってくれるに違いないととても嬉しい気持ちになったのを覚えている。

さて長くなったが、その一平君のお蕎麦屋さんでのイベントのご紹介
6月26日日曜日(今週です)ライブ こさとちゃんfrom 伊豆 7:00pm~
6月27日月曜日 「寄席de 梵蔵」
噺家古今亭菊六、8時ごろからお酒と肴をつまみながら2席の落語を楽しめるイベント。完全予約制、木戸銭2000円、肴代1500円

問合せ先 電話0467-73-7315
住所 鎌倉市材木座3-17-33 (材木座海岸から歩いて3分、材木座郵便局となり)

広い場所ではないのでアットホームな感じで楽しめるはず。落語は私も子供のころ父の影響でよく行ったが、やはり日本の伝統文化はふれる価値がある。お蕎麦のおいしさはとりあえず保証付き。
お店の内容は本当に細かい部分まで(でもさりげなく)凝っていて落ち着いた雰囲気、そのなかでも私が一番心を惹かれたのはコレ!入り口に入るところにおいてあってあまりのかわいさにやられてしまった。今日のマウイは思ったより波も上がらず、結局私は午後遅くにダウンウインド。途中で風がなくなり雨まで降り出し、予定より時間がかかってしまったが、ダウンウインドを一人でやってるときほど自分の心がクリアになってるのを感じられることはない。いろんなことを考えながらも瞑想っぽいところもあり、何をしたいのか、何をすべきなのか、あるいはなんとなくあったアイデアが形になったり、文章になったりするのもこのダウンウインドの時間。普段頭の中にいろんなことが入りすぎてぐちゃぐちゃの私にはとても大事な時間の気がする。それに雨が降った後は虹が出る。
夕方のダウンウインドは光がきれいでいいなあ。

2011-06-21

6月19日 ばたばたの月曜日

明日あたりから本格的なサウススウエルが入る予定なので朝からサーフチェックやレポートのテキストがバンバン入ってくる。アンドリューはやるべきことはすべてほっぽって早朝から出発。私も波があるとほかのことに手がつかないが、アンドリューは私の上をいっている。タイヤがパンクしているのだが、変える時間が惜しくて友人が置いていった車に乗っていった。ほとんどのことに無頓着だが、やりたいことに関しては昔からハングリーで、初めてアラスカであったときも雪洞を掘ってそこで暮らしながら山を登っては滑っていた。似たもの同志のうえに共通の友人もみんなそんな感じなので我が家はなかなか掃除や片づけがおわらない。

私はまだ波がそれほどは上がっていないと聞いたのでやるべきことをすませるために町へ。車の車検やレジスト。そしてマウイナンバーワンのサーフショップハイテックへ。ここのオーナー、キムとはもうずいぶん長いお付き合いで、以前はハイテックでボードをスポンサーしてもらっていたし(ビルフットシェイプ)、さくらキャンプに関してもいつも協力してくれていた。マウイでの多くのチャリティーコンテストやキッズプログラムにかかわり、ボランティアでマウイレースシリーズやサーフコンテストを開催している。(お店の前で、キム)
そんな彼からちょっと前に連絡があり、毎年キッズが集まるサーフコンテストをやる際に毎回どこかヘルプする先を決め、抽選券などでお金を集めるのだけれど、今年は日本への支援をしたいと申し出てくれたのだ。その後何回か話し合った結果、そのお金はキッズの大会からのものだしサーフショップということもあるので、「海の学校」に寄付されることになった。海の学校とはプロサーファーの人たちが中心になって子供たちが海と親しめるように、そして海や自然と触れあう機会を増やすため、自然への知識や経験を深めるためのヘルプとして全国各地で開催しているのですが、宮城でも7月に例年通り行われることになり、その援助金として寄付することに。今年は海には入れない中、どうやって子供たちを喜ばせるか、また津波のせいで海に大きな恐怖心を持つ子供たちがおおぜいいるなかどん中たちで海と親しくなってもらうかなといろいろ考えていると思うのだけれど、まずは子供たちが喜んでくれる、つらかったこと怖い経験を忘れて思い切り笑い友達を増やすような一日になればいいなと遠くからそしてマウイのみんなと応援したいと思う。

この海の学校にかかわっているボディーボードのプロ、角田恵さんにはお会いしたことがないのだが、宮城でいろんなところでいろんな人に、メグちゃんと雰囲気が似てる、姉妹みたいだといわれたのでぜひあってみたいし、きっと近いうち会えるんじゃないかな、という気がしている。

それからいつも一緒に仕事をさせていただいているサーファーガールズの編集長、四宮さんが立ち上げたウエブサイトができた。
ビーチプレスというこのサイト、とってもおしゃれで、海を感じさせるライフスタイルを提唱しているウエブサイト。コラムもとっても共感の持てるものだし、元気が出てくる言葉がたくさん。そうそう!ってうなづきながら読ませてもらえた。

夕方ダウンウインドに出かけた。一人っきりで漕いだのだが久しぶりなのでこけまくり。多分20回は落ちたんじゃないかな、でも本当に気持ちよくてすっきりした。と同時に自分にとって海が、海に入ることがどんなに大切で大事なことか強く感じ、東北のサーファーや私の新しい友人たちがあれだけ海を好きなのに、地震以来一度も海に入れないでいることを思って漕ぎながら我慢できずに泣けてきた。
私たちはなんてことを海に、自然にしてしまったのだろう?私は今までだって原発には不信感があったけれど、それでも積極的な反対運動まではしていなかった。受動的な姿勢だった。でも反対しなかったらそれは賛成と同じだとどこかで聞いたことがあるけれど、ほんとにそうかもしれないと思うようになってきた。
確かな解決法がないのにただ反対するのは良くないと自分に言い訳をしながらうやむやに濁していた気がするが、廃棄物は安全になるまで10万年間安全に保管しなくてはいけないというのに、そんなもののどこが安全だというのだろう?10万年前といえばネアンデールタール人の時代、そのころからずっと保管していられるものがあれば、それは今やっと安全になる、と放射能とはそんなものらしい。
今の生活が原子力抜きで不可能だというのなら(そうは思わないが)今の生活をよりシンプルにするしかないのだ。それを実行ことによって実は不便さばかりでなく豊かになることもあったりするような気がしてならない。

だってそうじゃなかったらバハとか未開の地で、水道も電気もない中暮らしているときに感じるあの心の豊かさの説明がつかないじゃないか?

2011-06-20

6月18日 久しぶりのダウンウインド

マウイに帰ってからもやることに追われてばたばた、支援金の精算や報告、そしてもろもろの原稿などやらなくてはと思いながらまだ手につかない状態。部屋の なかもかなりぐちゃぐちゃ、でも鶏が外でえさをほしがったり、庭を歩いてアボカドやライム、パパイヤ、ココナッツを取っていると少し心がリラックスしてく る。
「忙しい、という字は心を亡くすと書いて忙しいなのだ」とどこかで読んで、はっとしたことがあるが、忙しくても、ばたばたしたって変わらないのだから落ち着いて一個一個こなしたほうがいい。と、言うは易しだが、自分の性格はそう簡単には直らない。

あまりの忙しさにずっとブログがアップできずにいた。忙しかっただけでなく、いろんなことが起きすぎて、いろんな思いがあふれすぎてまとめるのにエネルギーが必要だから。
でもいつかはきちんと心の整理を兼ねて書いて行こうと思うのでしばしお待ちを。とりあえずは今日から毎日ちゃんとアップしていき、過去のものを少しずつキャッチアップしていこうと思う。

今日こそは海に入りたい、途中でやってることすべて投げ出してダウンウインドに。
誘っ てくれた仲間たちは3時からマウイフィルムフェイスティバルで公開されるスタンドアップムービーを見るために早めにスタートしたため一人きりの出艇、沖で なにかがこわれた場合の安全面を考えるとこれは良くないのかもしれないが、私は一人で漕ぐのが結構好き、何も考えずひたすらこいでたまに景色をみたり楽し んで、なんか瞑想的で、その上いろんな考えがまとまったりアイデアが浮かんだりする、何度も現行のアイデアとか文章が思いついてそれを忘れないようにしな くちゃーと思っていたのにビーチに戻ったらすっかり思い出せなかったということがある。

今日はいつも以上になんだか感極まった。ずっと乗っていなかったのでばったばった沈して、たぶんハーバーに着くまでに30回くらい落ちたけれど、本当に気持ちよかった。
日 本で長いあいだまともに海に入っていなかったし、また3月11日からずっと海に入っていない、(それまでは雪が降る中でも波があれば入っていたようなコア サーファーたちなのに)そしていつ自分のホームスポットで入れるか検討もついていない東北の仲間たちのことを思って胸が張り裂ける思いだった。こんなにも 自分の心を癒し元気付けてくれる海なのに、ある日突然手の届かないものになってしまった、サーフィンができないだけではない、以前はただ海に行けば誰かし らいてなんとなく会えたのに海にいけなくなったから仲間とぜんぜん会わなくなってしまったという。
そして瓦礫の撤去が終わったとしてもまだ放射能のことがある。現地に行ってわかったことは政府のいってる数値を鵜呑みにしてはいけないということだ。
福島だけでなく仙台でも高い数値が出ていることもあるし、お母さんたちは子供に何を食べさせていいのか心配でたまらない。でもしっかりした情報がもらえない。
原 発の事故はもう起こってしまったことだとしても、それ以後の対応があまりに住民へのケアがなさ過ぎる。そんな中で結局しわ寄せが弱者であり責任は何もない 子供たちのところにでてくるのだと思うと悲しくなる。でも放射能のことは私には何もできない思いがあるのでできることをするしかない。
たとえば友人のオータムが言っていた食品の放射能の数値を図る機械の購入、一個一個が高いので買うのは大変だけれど少しずつ寄付金を集めていけば買えるかもしれない、そしてそれで一般のお母さんたちの心配を取り除くことができればそれはとても価値のあること、、、
「もう、放射能の心配をし続けることに疲れた、ここは自分のふるさとだと思ってるけど、ある程度落ち着いたらどこか遠くへ引っ越そうかとも考えてる、子供ほしいけどここでは育てる気にもなれない」とある友人は言っていた。なんか本当に悲しい。

そんなことを考えながら漕いでいた。
これからみんなが安心して海に入ることができる日が来るまで私は自分の海での時間と楽しみを、東北の入りたくても入れない、自分のホームゲレンデが一瞬にしてなくなってしまった仲間たちに捧げたいと思う。捧げるからには一生懸命楽しまなくては!

もうすぐ震災後100日、亡くなった方がは100日目に天に昇るのだときいた。いまだに家族が見つからない人、水にも不自由しながら瓦礫に囲まれて生活している人がたくさんいる。それを忘れないようにしたい。

6月17日 もおちゃんファミリーon Maui!

時差ぼけで夕方6時ごろがピークで食べながら寝てしまい、その後12時ごろ目がさめてそれから朝薄明るくなる5時前くらいまでおきているのだが5時ごろ眠くなってまたベッドにもぐりこみ、8時くらいまで寝てしまった。

や ることが次から次へとでてきてなかなか部屋から出られないままお昼過ぎになっていた。もおちゃんたちが会いに来てくれ、念願の壮クンとご対面。最近人見知り が始まったといっていたけど、私が彼の大好きなスモモと仲良くしていて安心したのか、すぐすんなり抱っこさせてくれた。スモモのときはこんなに簡単にはい かなかったな。あまりになついてくれないので二人が一緒に写っている写真とかをスモモの目線レベルの壁に貼ったり、プレゼント(食べ物)を毎回持ってきて 捧げ物したり、とにかく彼女の愛を勝ち得るのに必死の努力をしたっけ。(そんな彼女もいまや体操教室荷まで通い、対等の友達として付き合えるほど成長。100回も腹筋ができるらしい、私と腕立て競争)

スモモもお姉さんになったとはいえ相変わらずかわいいし、純粋。これから1ヶ月ほどは二人とできるだけ時間をとって遊んでもらいたいと思う。
もおちゃんと秀さんも相変わらずぶつぶつ文句は言い合ってるが、本当にいい家族。自分までその家族の一員みたいな気分になって幸せにしてもらえる。
そ の後マウイマリのチャリティーネックレスを作っているみんなのところへ。みんなが協力して地道に続けているこのネックレス作成、でもこの努力で2万ドルほ どのお金が集まったのだからすごい。みんなと久しぶりに会い、東北の様子や思ったことなどをいろいろ話した。みんなで集めたお金を全部ではないにしろ、あ あやって持たせてくれたことに感謝したい、今はそうしたことがどんなに良かったか、確信している。10万でもどれだけ多くの人を喜ばすことができたか。本 当にみんなのマウイでの地道な努力と祈りが伝わったと思う。
今日は海にはいけずじまい。明日こそは!

6月16日 後ろ髪惹かれつつマウイに戻る

寝不足も最高潮、やることたくさんあってパニックしそうなのを何とか抑えつつ起床。今朝はお友達の編集者寺倉さんと海に入る約束をしていた。6時半に電話すると『えー今から?』というのでどうぜ波もないので何時でも変わらないし、と8時に由比ガ浜の海で会うことになった。

彼はここ一年ほどたくさんことが一気に起こり、仕事も急がしかったようで、一年前に由比ガ浜の海のすぐ近くに引っ越してきたというのに一回も海に入ってないと昨日きいていたのだ。
ちょっと気になったのがいろんなことを話してもなんとなく反応が遅いというか、ぽんと返ってこない。なんかいつもの寺倉さんの元気やポジティブさにかけるなあ(失礼)と思っていたら、そのあと海に入ってないということを聞いて、納得。そりゃあ、海好きの彼が一年も海はいらなかったら元気もなくなるのが当たり前。
確かにいろいろあって気分が落ちていたりすると海に入ろうという気もしないときがあるし。忙しくてそれどころでないとか、海のことを考える余裕もないときもあるし、私もそういうことを経験したこともある。
でもそういうときこそ海のヒーリングが必要なとき。私も落ち込んでベッドから出られないとき、無理やり体を起こして海はいることでほんの少しずつ気分が良くなり、気がついたら大きな問題だと思っていたことが小さく思えるようになっていたこともあったし、睡眠も食べることもできず体力も落ちてしまったときに、必死の思いでボードを車に載せて御前崎に行き、初日は30分入っただけでへとへとなくらいだったけど、少しずつ気が晴れて元に戻っていくことができた経験もある。
とにかくどんなに忙しくても海に5分入るだけで変わることを経験で知ってるから、どうしても寺倉さんにも入ってほしかったのだ。

というわけで波がなくてもなんでもいいから、海に入ってパドルしたり水をさわりながらおしゃべるするだけでもいいじゃないか、と説得し、8時に。私はスタンドアップのレースボードを持ち出すのに四苦八苦してちょっと遅れたが、完全に鏡のような海の沖のほうにぽつーんとロングボードにまたがった寺倉さんがいた。波はまったくなかったけど風もなく、気持ち言い天気の中、スタンドアップにもトライしてもらい、結構大笑いしたりして気持ちいい時間がすごせたと思う。どんなことがあっても無理して海に入るだけで、波に乗らなくて、反対に砂浜でボートするだけでも海は私たちを癒してくれる。コレだけは絶対だ。

その後大急ぎで鎌倉中を自転車で走り回り、用事を済ませ、午後は鎌倉で生まれ育ち、ハイキングコースなどを子供のころすべて回ったと思っていた私がまだ行ったことのなかった素敵なところに連れて行ってもらい、つかの間の静寂と平和を楽しんだ。しとしと降る雨とそれにぬれるみどりがきれいだったけれど、以前は何も考えずにぬれることを楽しめたが、放射能のことが頭をよぎるこの悲しさ。私はザーザー降りの雨の中びっちゃびちゃになって大笑いした子供時代を過ごしたけどこれからの子供たちはそういうことを楽しめなくなるのだろうか?最後までばたばただった私を見送ってくれる家族、いとこの子供たち、帰ってくるたびに家の中をかき回し、グオーとまたどこかに行ってしまうので家族の中では「とんち台風(とんちとは子供のころの私のニックネーム)」と呼ばれている。

宅急便の予約が一日遅れたことから持っていってもらえず大荷物を抱えて電車に乗る覚悟だったけれど、羽田の飛行場まで送ってくれるという親切な友人一平君のおかげで樂チン輸送。気がついたらもうマウイについていた。

今回の日本は東北に始まって東北に終わった。東北にいないあいだも東北のみんなを思い、東北に行く準備ややれることをしてばかりいた。自分の仕事ややるべきこともしっかりやらないといけないとは思うのだが、今コレをやらないでいつやる、という気持ちもある。
特に私のような自由業、あまり普段仕事してないもの、時間んも束縛がないものは今使ってもらわなくていつ役に立つ、と思うから。そして自分の中の日本人の部分をコレほどまでに意識したことはなかった。今までいつもなんだか日本にいると日本人に入り込めない疎外感、かといってアメリカにいると日本人という気持ちが強い、なんだか宙ぶらりんな感じがあった。でも今ははっきり自分が100%日本人だと言い切れる。どこに住んでいても何をやっていても日本人の良さを受け継いで生きたいと思う。

もう次に日本に行くことしか考えていない。お金もないのに。早くお金ためなくちゃ。

2011-06-17

6月15日 Busy day with a little get away

朝早くお友達の漁師さんからお電話。母と一緒に海に行き、おいしそうなたこをいただく。ほんとにおいしそう。この漁師のご夫婦はご主人がコンピューター関係の仕事をしていたそうだけれどあまりのストレスにアナログ生活に切り替え漁師になったという経歴。とても感じのいい二人で自然に翻弄されながらも自然ととても密接な生活を送っている強さとやさしさがにじみ出ている。話をしていてもとても波長が合い、考え方も似ている、私は遊びで海に付き合っているけれど彼らは生活が海にかかっているわけで私なんかよりずっと真剣に海や自然と向き合ってるわけで、そういう意味では自然への畏敬の念が高いのは当たり前で学ぶことも大いに違いない。それにしても漁師さんの仕事は本当に大変。特に冬には朝早く身がちぎれるような寒さの中海に出て行くわけで、並大抵のつらさではないはずだ、それでも体を動かし自然の中で生活することがいかに健康的か彼らは知っているのかもしれない。二人ともとてもきれいで澄んだ目をしている・

帰ってきてからも午前中はメールや用事に追われながら刻々と時間が過ぎていく。もうパンパンすぎてキレてしまいそうだと思ってるときに、「ちょっと海行きませんか」のお誘い。待ってましたとばかりにとりあえずすべてをほっぽって海につかることにした。しっかり空気が入りきっていないゴムのカヤックで逗子マリーナ沖のサーフスポットへ。もちろん波はないのだがサーフボードやスタンドアップでなくこのおもちゃのようなボートで出たところが最高。なんか漫画みたいにコミカル。普段と違う気分でリフレッシュできた。それにしてもここまで来ると夏前の海でも水がきれい。そして昔から小さなビーチグラスの宝庫でよく通ってはアクセサリーを作った場所で久々にガラス拾いもできた。
コレだけでもう最高の気分!

夜は麻心に挨拶がてら寄ったら、石巻での浜人祭でも一緒だったミュージシャンの畠山高志君とお友達がライブをやっていた。彼の歌は石巻で夜遅く焚き火を眺めながらずっと聞かせてもらっていたのだが、そのときのすばらしい思い出がまたここで蘇ってきた。
今日は満月、そのうえ皆既月食なのだそうだ。(私は見なかったけど沖縄方面では見れたらしい)どうりでなんか心がざわざわして眠れなかったわけだ。

6月14日 疲れがどーっとでる。

朝からあちちのお葬式のために横浜へ。
昨日思い切り泣いたので今日はちょっと落ち着いていることができた。亡くなったことがつらいわけではないのだ。反対にずっと彼女が天国のジージのところに行きたいと思っていたことを知ってるから、心から良かったね、と思っているのに、なぜ涙は出てくるのだろう。いろんな、本当にあらゆる思い出が次から次でとあふれ出てきて、そういう思い出に対してありガ等という感謝の気持ちから涙が出てくるのかもしれない。
私にとってあちちは両親と同じくらい、下手したらそれ以上に無条件の愛で何時も私も受け止めてくれた人であり、本当に本当に大事な人だった。
家でみんなに怒られて居場所がなくなるとすぐに隣のあちちの家に行き、そこの畳にごろごろしながら二人で何もせずにテレビを眺めたり昼寝したりする、そんな時間が幸せだった。それは私だけでなく、弟も、いとこの子供たちもそうだったと思う。子供たちの避難所、逃げ場のようなものだったかも。

それにしても何度考えてもこのタイミングで亡くなったことは彼女がセットアップしてくれたとしか思えない、彼女のお葬式には何が何でも来る気ではあったけれど、いったんマウイまで戻ってからではお金がなくて大変だっただろう。東北から帰ってきてマウイに帰るまでの3日間にぴったりあわせてお通夜とお葬式があるなんて、彼女が私のためにそうしたとしか思えないのだ。
「とんちはお金がなくてかわいそうだからできるだけ楽にこれるようにしとかないと、来ないかも」といいながら天国から見下ろしてくれてる気がする。

東北の疲れ、そして泣き疲れ、すべて終わったと気が緩んだのか、午後どっと疲れが押し寄せた。
仕事をしようにもどうにも目が閉じてしまうので一瞬昼寝してそのあと由紀ちゃんとお蕎麦屋さんへ。

前から行きたいと思っていたお蕎麦屋さん「梵蔵」は材木座にある小さなお店。最近ではミシュランのひとつ星レストランとなったことで知られるようになった。友達から聞いていて行きたいとは思いながらも忙しくていけてなかったのが、今回石巻のお祭りでも彼がお蕎麦を出すことを聞いて、やった、やっと食べられると楽しみにしていたのだが、おそばがおいしいだけでなく、その雰囲気と場所の空気もプラスしてもう最高のお蕎麦を味わせてもらった。お店で食べるのもいいけどはじめて食べたのがあのシチュエーションだったことはかなりラッキーだと思う。それもフリーでみんなとシェアしながら。
というわけで今回はじめてちゃんとお金を払ってご馳走になったけれど、味だけでなく店の雰囲気もとってもこだわりがあり、大好きになった。由紀ちゃんともいろんな話がノンストップ。みんな大変なのかもしれないけど、でも自分のしたいこと、やりたいことだったら頑張れる、やりたいことだからこそ頑張れるのだと思う。だからやっぱりやりたいこと、やるべきだと強く感じることをしていきて生きたい。

この一ヶ月生きるとか死ぬとかそんなことを考える機会が多い。ちょっとヘビーだけど、でも大事なことだからまじめに考えようと思う。

2011-06-13

6月13日 Farewell あちちちゃん!

気仙沼でのある夜、みんなでのんびり語り合ってるときに母からテキストメッセージが来た。
「あちちちゃんがとうとう亡くなった。お通夜が13日、お葬式14日だけど来れる?」
あまりのタイミングのよさに私は鳥肌が立った。だって、鎌倉に戻るのが12日の夜、そしてマウイに帰るのが16日だから鎌倉にいるたった3日間の間の二日にぴったりあちちちゃんのお葬式の日程が入ったからだ。それもこの日程はもっと早くしたかったのに一杯で取れなかったため、らしいのだ。
これは彼女が私のために仕組んだこととしか思えなかった。

あちちちゃんというのは私の第2の母ともいえる存在の人、母とおばあちゃんのあいだというような人。また一番の理解者でもあったかもしれない。
とにかく生まれたときからお世話になりっぱなしで、土曜日は仕事に出ていた母の代わりにずっと面倒を見てくれ、それ以外にも私はとにかく暇さえあれば自分の家のすぐ隣に住んでいたあちちちゃんのところに遊びに行っていた。彼女の住んでいたほんとに小さなスペースは私にとって自宅よりも居心地のいい場所で、お嬢さん二人もネーネ、大きいネーネと呼び、わがまま放題に遊んでもらっていた。あちちちゃんという呼び名がどこから来たのか私はずっと知らなかったのだが、今回お葬式で、実は私が子供のころ、志村さんと名前を言えず、あっちの家に行く。あっち、あっちといっていたところからあっちちゃん、あちちちゃんになり、それがみんなに定着したのだそうだ。

彼女との思い出はありすぎて、次から次へとあふれるように頭に浮かんでくる。いい加減な私、部屋を散らかしっぱなしの私にもしょうがないねえ、といいながらはじから片付けてくれたり、「とんちはすぐごめんなさーいっていうから気持ちいいけどごめんなさいっていうだけだからねえ』とため息ついていたっけ。
家で親に怒られると、すぐ隣のあちちちゃんの家に避難し、ほとぼりが冷めるまで一緒にテレビを見て床でごろごろしたり、お菓子をもらって食べたり。私だけでなく、うちの親戚はみんながそうだった。親戚だけでなく、うちの近所の子供たちはみんなあちちちゃんにかわいがってもらっていたし、怒られた。そして心から愛されて育った。
誰もがあちちちゃんのことを大好きで、みんな、あちちちゃんが一番立派だとわかっていた。いつも一番控えめだったけれど。

正直言って彼女が亡くなったという一報に対する私の心の反応は「安堵」だった。あちちちゃんの夫、ジージがなくなって以来、彼女はずっと、早くジージのところに行きたいと言っていた。もうそれが10年近く前のこと。誰よりも人に頼らずに生きたいと思っていたあちちちゃんだからとにかく人に世話になるくらいならさっさと死んでしまいたいと思っていた。なのに転んだことが原因でひとりでの生活は危ないからとお医者さんに止められ、横浜にある娘さんの家に一緒に住むことになった、そのときも長年一人で住んできた家を離れるのがとってもつらそうだったけど、それからずいぶんのあいだ、あまり動けないまま、一緒に暮らしていた。結局最後は具合が悪くなリ、もうだめかと思ったときに存命のための処置をして、ほとんど意識もなく、もちろん体も動けない寝たきりの状態で5年くらい病院で過ごしたのだ。
何度かお見舞いに行ったけれど、そこははっきりいってあちちちゃんがいたいと思う場所では絶対になかった。お嬢さんのネーネは「もうほとんど意識がないから本人はあまりわかってないのが救いなんですよ」って言ってくれたが、私にはあちちちゃんの悲しみが、早く天国に行きたいと思ってる思いが伝わってきた。それがつらかった。そして私が彼女を見ながら話しかけているとうつろな目をしてこっちを見ていたが、その目から涙が流れたのだ。私は彼女がある程度意識があって早くジージのもとに行きたいと今なお何年も思い続けていることをそのとき確信した。

だからジージがやっと迎えに来てくれたあちちは。やっとこっちの世界にお別れができて喜んでいるだろう。私も彼女のことを思うと嬉しい。とはいえ涙だけは止まらず、考えるだけで涙が出てくるのであまり考えないようにしていた。
11日の石巻のお祭りのときもふと思い出すとなんだか天からあちちちゃんが見ているような気持ちになれた。もう何年もまともに話していなかったあちちちゃんだが、天国に行ったことで話がしやすくなったようなそんな感覚だった。

彼女が私にくれたのは無条件の愛、見返りも期待も何もせずただただ愛してくれた。そんな彼女に私は結局何も恩返しできなかったし、ずっと楽しみにしていた私の子供を世話することもさせてあげられなかった。でもあちちちゃんのことを愛する気持ちだけは彼女がくれたのを同じくらい返していると思う。

お通夜では悲しくもないのに涙がでて止まらなかった。それは悲しみの涙というより、いろんな思い出や楽しかったこと、たいしたことでもないことなのに今考えるとかけがえのないひと時だった数々のことが思い出され、それに対する感謝の涙だった気がする。

彼女が私に与えてくれたような愛情を私も誰かに与えることができるのだろうか。いろんなことを教えてくれたあちちちゃんに対して何も御礼はできなかったけれど、人間とはどうあるべきか、いい見本を示してくれたのだから、それを無駄にしないようにしなくては、と思う。
本当に心からありがとう、あちちちゃん、私が天国に行ったらまた二人でごろごろ、だらだらして過ごしましょう。

6月12日 帰路

昨日の晩はどのテントでも入って寝てていいよといわれていたので誰もいない大きなテントの端っこにもぐりこんで「ここなら人もそうこないだろう」と寝ていたのだが、朝起きてみたらなんと巨大なテントの中にびっちりひとが並んで寝ていた。足の踏み場もないくらいで昨日すばらしい演奏を夜空のもとできかせてくれたKAZZさんは寝るスペースがなく私の荷物に頭を乗っけて入り口のところの狭い隙間に細く体が伸びた状態で寝ていた。こんなに人が入ってきているのにそれにまったく気づかないくらい深く眠っていたのか!みんなをおこさないようにそうっとテントを出て気持ちの良い朝の空気をすいながら坂を降り、昨日のお祭り会場へ。もうすでに数人の人が起きて片付けをはじめていた。
アレだけの賑わいだったからものすごい片付けのようだったけどそれでもみんなで一緒にやると10時前にしっかり終了。その後途中で追分温泉に寄った。あまりにいいお湯で、もう天国に行ってしまった気分。私は1週間ほどまともに体を洗ってないので(一応ほぼ毎日ペットボトルの水やウエットティッシュ、そしてドラム缶風呂を使用して可能な限り清潔にする努力はしていたが)もうごしごし3,4回体中洗いシャンプーも3回目で泡が出るほど。だからお風呂から出てきたらなんだか色が白くなったて体重が軽くなった気分。周りの森も川も最高の雰囲気、しばしのあいだ一人で川に足をつけてお散歩。敷地内にはオーナーの趣味なのか古いクラシックカー(かなりぼろぼろのものも)が沢山会って、それがまたノスタルジックな温泉の雰囲気にぴったり。今は避難所にもなっていて、こんな状況なので世紀の営業はしていないらしいけど、この温泉を気に入った真司さんたちは鎌倉とどけ隊のプロジェクトのひとつにこの温泉の復活もリストに上げている。普段出される料理もすばらしいらしく、私もまた営業し始めたら母や母の友達のこういうところが大好きな仲間たちを連れて遊びに来たいと思う。
気仙沼から本吉の仲間と一緒にここまで来て、帰りは麻心の真司さんの車に図々しくも乗らせてもらい、コレで家の前まで車で帰ることになってすごくラッキー。そのうえ真司さんや一緒に乗っていた一平君の話をゆっくり聞くこともできて最高のドライブだった。職業柄(?)面白い人に会うと興味深々で我慢できずに質問攻めにしてしまうわたしだが、いろいろ面白い話を聞かせてもらい、また見かけによらず日本について、地球について、そして私たちの未来について大真面目に考えている二人にたくさんのインスピレーションをもらえた。


帰り道、すばらしいお祭りができたことで高揚した気持ちと、2回東北に来たけれど、たくさんやり残したまま一抜けしてしまうような気持ちが交互に私を襲ってきた。私はこうやってあの大変な状況からすっと逃げ出せる日常と平和な空間がある。だけど被災した人たち、そしてボランティアとしてむこうに住み込んで仕事している人たちには逃げ場はない、毎日起きるとあの瓦礫を目の前にし、入れない海を眺めて暮らしているのだ。なんだか申し訳ない気持ちと何にも役に立てなかったような無力感に襲われる。
いや、でもそれでもやらなかったよりはましなのだ、自己満足かもしれないが、何もしない、問題意識を持たないよりは実際の状況を知ることで何かしたいという気持ちになること、そしてさらに祈ること、よりよい状況に変わっていくことを願うことでほんのちょっとは力になれてるかもしれない。そう思うしかない。」
いくら頑張ってもそれが形に表れるほどの大きさの被害ではないのだ。
とはいえ私の周りで頑張ってる人たちの様子をみて、私も頑張ろう、彼らの頑張りを無駄にしないようにしよう、と思い、何かしら動こうとするのだから、私が動くことで、またさらにに私の周りの人が祈ったり動いたりするのかもしれない。
小さな力や思いが生むうねりを信じていくしかない。
私にとって今回の東北への旅はこれからの自分が進みたい方向に対して大きな影響を与えたと思う、方向が変わったというわけではなく、今までなんとなくこういうふうに進みたいと思っていた方向がもっとはっきりしたといえばいいだろうか。草が生えてわかりにくかったトレイルが、砂刈を除去し、草を刈ってきれいにくっきり見えるトレイルに変化した、って感じかな。どちらにしても素敵な経験、大きな学びにあふれ、同じような気持ちを持った同志が沢山増えた旅だった。
寝不足と日々の労働でくったくたのはずだけど心は沢山の栄養を与えてもらってさらに元気に心の筋肉をつけて戻ってきた感じ。いいぞいいぞ。

6月11日 浜人祭at 石巻十三浜

(photo by masahiro handa)
石巻市十三浜地区で開催された第一回浜人祭。鎌倉から大勢の熱い面々がやってきて地元の方々と一緒に交流し、こんなにおいしいもの屋台で出しちゃうのって言うくらいのすばらしい食事の数々、そしてお金出しても普段見れないような音楽やダンス、パフォーマンスの数々。その上完全なFree festival!鎌倉とどけ隊の「一人の1000歩より1000人の一歩」そして「支援」じゃなくて「交流」と言うスタイルが前面に出たパワフルでハートフルなすばらしいイベントでした。
その場にいられた幸運に感謝。子供たちのたくさんの笑顔に、今私たちが変えていかなくてはならない、当たり前に思っている生活のこと考えさせられました。
群馬からわざわざ来てくれた雅君とは前回の東北、牡鹿半島で知り合って以来情報交換をしながらうごいている。もともとサンディエゴで生活していた彼はここでも偶然友人に再会したりもしていて、やっぱり世界は狭い。
炊き出しというカテゴリーでは収まりきらないものすごい種類と質の屋台があり、子供を中心としたワークショップやゲームがたくさん、でもそれを大人一緒にナって楽しんでいた。一番人気はこのビーズワークショップ、子供たちはもちろんお母さんたちまで腕輪とか携帯につけるアクセサリーを一生懸命作っていて、朝から夜遅くまで人で一杯、最後は材料の日もがなくなってしまったのに子供たちは切れ端を捜してはそれで作れるものを一生懸命作っていた。
他にも鎌倉彫体験ブース、スラックライン、ガラス工芸ブース、お絵かき、ボクシングペイント体験など私もやってみたいものばかり。
ヘアカット、マッサージ、似顔絵などのサービスブースも充実。途中歩いていたらマッサージブースで気絶状態で横になっていたロブとオータムを見かけた。
パフォーマンスもカポエラ、落語、大道芸人、手品、三味線、日本の伝統的踊りの舞踊団(これも迫力だった)地元のミュージシャンから鎌倉のミュージシャン、そして有名なケイソンやKAZZさんまで来て、夜遅くまでノンストップ。
(右からKAZZ,ケイソン、真司さん)カボエラを見て刺激を受けた本吉ボランティアチームのロブと三浦さん、カポエラもどき開始!子供たちが太鼓のリズムに敏感ですごくナチュラルに楽しんでいるのをあちこちで見かけた。こうやって音楽に触れていくのはすばらしいなあ。

とにかく同じ場所に朝から夜遅くまでいたのにまったく飽きることがなかった。
食事のほうも狙っていた鎌倉の梵蔵のお蕎麦をはじめ、小町にあるトルコレストランのおじさんがやってたBBQ、ラーメン、鳥飯、などを筆頭にありとあらゆるものがあり、一日中食べっぱなしの飲みっぱなし。(お蕎麦打ってる最中の梵蔵ブース)
念願の梵蔵おそばは何度見に行っても売り切れか作っている最中か行列か、でなかなかたどり着かなかったが、最後に友人が持ってきてくれて食べることができた。おいしーい、待ったかいがあった。

飲み物は居酒屋ふうちゃんが大忙し。ふうちゃんはこの地域唯一の飲み屋さんで津波ですべて流された。でもやはりみんなが集まる場所というのは大切だからここをまず復活させようと鎌倉とどけ隊も応援している。私も九州のウインドサーファーたちがネックレスを売って集めたお金の一部を託され、九州産の焼酎18本くらいをここに寄付。居酒屋ふうちゃんがここで限定開店となった。

私たちはたくさんの子供用の商品があったのでフラフープコンテストのブースをやることにした。そして一番長くできた優勝者には鎌倉のマウンテンバイクやさ ん、GROVEが寄付してくれた新品同様のMTB!コレには結構みんな気合が入って。中には朝からずっと練習して何度もチャレンジしていた男の子もいた。 最初は5秒くらいしかできなかったのに、最後には1分以上続けてできるようになっててその頑張りがうれしかったな。でも結局は普段からやってる女のこの方が上手。
最終的に決勝戦はジャンベの太鼓のリズムに囲まれながらどちらか長く続いたほうが優勝という形を取ったけれど優勝した未来ちゃんは5分たってもまったく疲れを見せず、おなかがすくまで続けていられそうな余裕。でもいろんな人がトライしてくれてとっても嬉しかった。特にこの小さな女の子、一人でやってきて一人で当たり前のようにフープをつかんでみんながやってるのを見よう見まねでやろうとして、本当にかわいかった。オータムはものすごい激しい動きで笑わせてくれた。パンクロックのヘッドバンギング見たいなフラフープだった。(けど私も人のことをいえない、一秒も続かないから)

おじいちゃんもこのとおり頑張ってる。有機農家の石森さんもはまって最後までやってた。

ケイソンたちが演奏を終えるころオータムや本吉チームは地元に戻ることになった。私は明日までここにいtェヒッチハイクで誰かに鎌倉まで乗せて言ってもらおうともくろんでいたのでみんなとはここでお別れ、短いいあいだだけど心のとっても深いところでつながっている彼らとのお別れはとってもつらかった。みんなはこれからもずっと復興に向けて大変な道を進んでいくというのに私だけ途中抜け、みたいな気分でもあり、なんか申し訳ないような無責任なような気持ちになる。私にはそうやって逃げ場があるけど地元の人たちにはほっと息をつく逃げ場もなく常に瓦礫が目に付くところで生活しているのだ。
オータム、金野さん祐二君そして他の本吉のみんなは私に本吉を他人事と感じさせないくらい親しい友人になってしまった。
本当にいろいろすばらしい経験をシェアさせてもらった。彼らの元気とエネルギーと志のおかげでボランティア活動にも悲壮感なんて一切なく、常に笑いにあふれ、時には真剣に話し合い、まじめに地球や私たちの未来について考える機会をたくさんもらえた。この出会いは偶然ではなく起こるべくして起こったものだと確信している。オータムとハグしたら彼女の体も震えていて私と同じ気持ちでいることが良くわかった、ありがとうオータム。

こうして夜は更けていき、最後は焚き火を囲んで数人が歌を歌っている中座ってそれを聞きながら、同じ気持ちを共有し、同じ目的に向かっている新しい仲間との出会いとふれあいに感謝しながらだんだんフェードアウトしていく自分の頭がフィニッシュしてしまう前に誰かのテントにもぐりこませてもらって終了。
What a day! 震災から3ヶ月の区切り、でも前に進んでること、きっとこの災害からいいこともたくさん生まれてくるって感じられた一日だった。

6月10日 ロブ、ザ・人間重機

気仙沼の本吉で会ったロブについてちょっと書きたいと思う。
彼は日本人のお母さんを持つハーフのイギリス人。何でも4年間好きだった女の子を追いかけて日本にやってきたはいいけど、彼女とは結局結ばれず、決別したときに地震が起こり、やけ半分でボランティアに申し込み、南三陸に行ったのだそうだ。が、そこで壮絶な状況の中、「お前は外人で一番最初にボランティアに来たやつだ』と喜んでもらえ、みんなと一緒に力をあわせて働く中で、破れた恋の傷は癒え、仲間との絆が強く深まり、儲かれら被災者をほうって置けなくなってしまった。いったん東京に戻っても今までの生活がむなしく、またボランティアに戻ってきたら、彼の顔を覚えていてくれた人が、彼を見て抱きしめてまた切れくれたんかーと泣き出した。とうほくの人は大体まずシャイな人が多いし、自分の気持ちを余り表に出さない。特に男性は、それが彼を抱きしめて泣き出したのでロブのほうがびっくりしてしまったそうだ。が、彼はいろんなところでボランティアをして回リ、結局本吉が気に入って東京の自分のアパートを引き払いこっちに住むことに決めてしまったのだ。住むといっても私がお世話になってるテント村(金野さんがやっているサニーデイズというカフェというか憩いの場の芝生)二点とを立てて住民に加わったのだ。(雑誌にも載り、自分のオリジナルドリンクまでいろいろ持ってすましたバーテンのころの顔より、この泥だらけで無精ひげのロブのほうがずっと素敵)
やさ男風のルックス、そのうえ東京でも高級ホテルでスーツ着てバーテンダーをして、もてもてだったと聞いたので、最初はかなり馬鹿にして、こんなところでダーティーワークできるのかしら、とか軽くこっちきちゃったけどみんなに世話になって迷惑かけるんじゃないのーと思ったりもしたが、性格はいたってマイルド、いつもニコニコしているので、まあ若いし、いい経験になるんじゃない?なんて思いながら傍観していた。
何日か一人で、地元の人に頼まれたことをしていると言って別行動を取っていた、みんなでいったい何やってるんだろうとは思っていたが、彼が「もし今日他に仕事ない人がいたら僕のほうで手伝ってくれれば仕事あるんだけど」と遠慮がちに言っても、こっちもやることはあるから、と行かなかった。彼は一人でどこかに行き、お昼に帰ってくるだけで毎日くたくたになって帰ってきていた。ある日私がコンピュ^ターの仕事を終えた後彼の仕事しているところを探しに行ったところ、津波が奥のほうまで届いたところのすみっこで一人何かを掘っていた。
行ってみるとかなりの瓦礫が彼の周りに掘り出されてあり、彼は彼の身長くらいの深さのある穴の中でシャベルを動かしていた。なんと、井戸だったところがすっかり瓦礫で埋まり、井戸が使えなくなっていたのを地元のおじいさんに、これをなんとかできないか、と聞かれて、いやだとも言えず請け負ったのだそうだ。
「最初来たばかりのころは何かやりましょうかって言っても、みんな『いやうちは大丈夫です』って遠慮して何も言ってくれなかったんだ、それがだんだん毎日一緒にいるうちに打ち解けてきてくれて、少しずついろんなことを頼んでくれるようになった、だからこの井戸を掘る起こす作業を頼まれたときも嬉しかったんだ、大変だけどさ』と一人きりで掘り出したものすごい瓦礫のやまに囲まれ、泥だらけになった顔をニコニコさせる。どうりで毎晩一人だけ8時前には疲れてテントに戻っていったわけだ。
『何で今までこんなことやってるって言わないの?教えてくれたらもっと早く手伝いにきたのに』というと照れ笑いしていたが、本当に一人でやるのはとっても大変な作業、水をくみ上げるポンプも一人では作動できないのでバケツで泥水をくみ上げては瓦礫を掘って外に投げ出していたらしい。さっそく私が一輪車で周りの瓦礫を遠くまで運ぶ作業を始めたが、その量は一人でよくここまでやったと感心するもの。
結局3日間フルに堀り続け、井戸の持ち主のおばあちゃんはチョコチョコ様子を見に来るたびにパンと飲み物を必ず持ってきた。そして本当に嬉しそうだった、「自衛隊もここまではやってくれないからねえ」というけれど確かにいまだに行方不明の人を探したり大きな瓦礫の処理がぜんぜん終わってないのに個人の井戸を掘り起こす余裕はないだろう。『時間かかってすみません』カタコトの日本語で言いながら一生懸命井戸を掘り起こしているロブをみて、私はもう抱きしめたいほどいとおしくなった。井戸の底が見えてき始めてきたときの喜びをみんなで分かち合い、ロブは『僕ここの周りをきれいにして花を植えてベンチもおきたい、そして時間があるときここに来て座って井戸の水を眺めるんだ』とほんとに心から嬉しそう。この勢いで回りを公園にしてしまいそうだった。以来どこに行ってもロブのその力仕事のことを私が自慢して回った{この子はねえ、一人っきりで、井戸の瓦礫を全部撤去して、きれいな水がまたたまるようになったんだよー」と親ばかの母のように喋り捲る私に彼はやめてくれとテレまくっていたが。
ほんとになんだか自分の息子のようにかわいくて仕方がなくなってしまった。いろいろ語り合ううちに彼がどうしようもないロマンチストで、本当に心の優しい青年であることもわかり、こういう青年が被災地で言葉もろくに通じないなかでみんなと心を通じ合わせていることをとても嬉しく思う。
(毎日私服をどろどろにしていたロブ、作業服をほしがっていたが、サプライズで重労働のご褒美としてプレゼントしたら大喜びだった)バーテン時代に鍛えたフレアーの技も披露してくれた、私たちがジャグリングといったら、これはジャグリングじゃなくてバーテンのフレアーという技なんだと主張していたがかなりのものだったし、その場で適当にいろんなものを使って作ってくれたカクテルは、被災地で水が出ないキャンプ地にいることを忘れさせてしまうほど繊細でスムーズなおいしさだった。普段お酒を飲まない私がそういうくらいだからかなりのものだ。ここ本吉での彼のニックネームは人間重機、最近では何か重いもので運ばなくてはならないものがあると、「あ、ロブさんどこいる?」と探しに来るほど、そしてよく重いものを引きずってるロブの姿を見かける。このあいだも巨大な碇を海辺から丘の上のほうまでうんうん言いながら引きずっていた。ロブもこの旅で得たすばらしい友人の一人。心優しきロマンチストは今日も人間重機となりみんなの力になっているはずだ。